Episode_13.26 通わぬ想いⅡ


 日が暮れて直ぐに運び込まれた料理の数々は、流石にアートン城の主が親友を迎えて饗応する食事というだけあって、トトマ街道会館の様な「味の文句は量で補う」というようなものでは無かった。


 野豚に鴨といった獣肉や、鱒や鯰といった河魚類は、時節柄脂が乗りきっている。そして、山間の秋の味覚であるキノコ類や木の実類も豊富で、中には開拓村育ちのユーリーやヨシンでさえ見たことのない物まで混じっていた。それらの山河の幸を、獣肉はたっぷりとした量のキノコ類と共に窯焼きに、そして魚は豊富に取れる岩塩を効かせた塩焼きや香草焼きといった料理に仕上げている。一方、ヤギのチーズと一緒に供されるパンは、採れたばかりの蕎麦の実と木の実類で嵩増しし小麦の使用量を少なくした不作時によく食べられる代用食だった。しかし、焼き立てのパンから立ち上る雑穀の複雑な香りは、とても代用食とは思えない良い香りを醸し出していた。


「……久し振りに、ちゃんとした料理を見た気がする」

「うん……塩漬けじゃない肉なんて……」


 とはユーリーとヨシンのやけに大きな呟き声だった。


 そうして、料理の並べられたテーブルを囲むのはユーリーとヨシン、それにレイモンドとアーヴィル。更にアートン城に戻っていたレイモンドの従姉イナシアだ。


「久し振りの豪華な料理だ、冷めてしまっては勿体無いので始めようか」


 と言うレイモンドは、両手を顎の下辺りで組むとパスティナ神への祈りを捧げる。彼の信仰はこの時代の王族には珍しくパスティナ神に向けられている。アートン公爵家は法の神ミスラを信仰していたが、レイモンドはイナシアの影響、イナシアは侍女でかつては修道女であったカテジナの影響でパスティナ神を信仰しているのだ。一方アーヴィルはあるじであるレイモンドに倣ったのか、元から持っていた信仰なのか、同様にパスティナ神への祈りの言葉を小さく口にしていた。


 そんな三人の祈りが終わると、カテジナを始めとする給仕達が進み出て食卓の杯にワインを注ぐ。そして、行き渡ったところでレイモンドが杯を持ち上げると、


「友と見る未来へ、乾杯」


 と、少し気の利いた乾杯の音頭を取るのだった。


****************************************


「是非今度、練習試合でもしてみたいな!」

「いいね! レイも強いだろうけど、オレはアーヴィルさんともやりたい」

「あー、イイね! 俺も前から思ってたんだ。魔術を使う戦いかたを教えて欲しい」

「二人とも、年寄りをからかうのはいけない」

「あら、アーヴィルは、何かと自分を年寄りというけど、そんなに歳を取っているようには見えないわ……」


 しばらく時間の経った食卓では、そのようなやり取りが交わされている。やはり同じ年の青年が三人集まると「誰が強いか?」という話になっていた。しかし、幸いな事に言い合いが口論に発展するような性格の青年達ではない。ユーリーもヨシンもお互いの実力は嫌というほど知っているし、そんな二人から見たレイモンドの剣捌きも素晴らしいものだった。そして、興味はアーヴィルの腕前に移るのだ。その流れにアーヴィルは言葉通り苦笑いを浮かべるが、その言葉をイナシアに取られて思いもかけない反撃を受けていた。


 そんなやり取りを見るユーリーは、


(この二人……進展してないな……)


 と確信めいたものを感じていた。何というか「この手の進展が苦手な者」同士が発する雰囲気は、同じ種類の人間には敏感に分かる物なのだろうか?


 演習事件の直後、重症を負ったアーヴィルはトトマに運び込まれていた。そこで彼はイナシアの献身的な看護と、ユーリーの治癒術、そして後から合流したカテジナの本格的な神蹟術の癒しで事無きを得ていた。その後アーヴィルが復調するまでの期間、カテジナの指示・・・・・・・によりユーリーやヨシンはおろか、レイモンド王子まで面会は限られ、可能な限りアーヴィルとイナシアの二人が親密になるようにお膳立てをしていたのだが、


「ははは、イナシア様はお人が悪い。私にそのような事を言っても何にもなりませんよ」


 イナシアの少し熱を帯びた視線を、知ってか知らずか、アーヴィルは普段の彼が言いそうな言葉で応対する。このように、アーヴィルとイナシアの会話は続かないのだ。そして二人の会話が途切れたことで食卓にも短い沈黙が流れてしまった。


 結局その後は、レイモンドが空気を取り繕うように話題を変え、それを察したユーリーとヨシンが彼の努力に合わせるといった感じになった。そしてしばらく続いた会話の中で、ドリッド元将軍が近衛騎士隊の一騎士として復帰を許されたことや、その近衛騎士隊にユーリーとヨシンを誘いたいが諸般の事情によりこのまま遊撃隊に留まって貰う事になる、といった事が話された。


 そして夜も更けきったころ、晩餐はお開きとなる。アートンにねぐら・・・を持たないユーリーとヨシンは、当然のようにこのまま館に留まることとなった。一方、居館の奥に自室を持つイナシアは、カテジナを伴って自室に戻るべきなのだが、


「後片付けが有りますので、アーヴィル様、イナシア様をお部屋まで」


 というカテジナの言葉と、


「勝手知ったるアートン城だが、流石に夜の夜中に一人で帰す訳にはいかない。アーヴィル、ちゃんと姉さんを部屋まで送ってくれよ」


 というレイモンドの言葉によって、アーヴィルがイナシアを送って行くことになった。


****************************************


 居館へ続く渡り廊下を進む二人、コツコツと石畳を打つ音が夜の闇に響く。十一月の冬の夜気はピンと張り詰め、いつの間にか吐く息が白くなるほど冷え込んでいた。その空気の中、無言を保つアーヴィルは、イナシアの一歩前の足元を灯火の術で照らしながら歩いている。しかし、その後ろを歩くイナシアは、肩越しに見えるアーヴィルの横顔にばかり視線が行っていた。


 表情を多く表に出さない騎士の顔は、普段木彫りの神像のように精悍ではあるが、厳しいものでもある。しかし、イナシアはその瞳の奥に優しさの光が宿っていることを知っていた。いくさになれば、その瞳も殺気を帯び、時に優しさの欠片も無く敵を葬るのであろうが、そんな様子を想像できないイナシアなのだ。


 そんな彼女は、アーヴィルの優しさが何処か陰を帯びたものであることを、もう随分前から見抜いていた。レイモンドの成長を見守り、次いで自分やマルフルをも包み込むように見守っていた優しい瞳だが、時折不意に陰が差すのだ。それはまるで後悔と自責の念に苛まれ、涙を流さずに泣いているような瞳だった。そして、その陰に気付いたときから、常に身近にいたこの騎士は、イナシアにとって特別な感情の対象となって行ったのだ。


 十六の多感な少女時代に感じた印象は、本当のところは「恋」なのかも分からない。しかしそれから七年、心と身体の健全な成長に従い、イナシアの心はアーヴィルの持つ陰への好奇心から、それを分かち合いたいと願う想いへ変じていた。また、普段は甲冑に覆われた強靭な肉体に抱き締められたいと、そして、大昔に指先を失ったという彼の傷ついた手足を自分の全身でいとおしみたいと願うようになっていた。


 酔いも手伝ってだろうか、イナシアは、アーヴィルの横顔を見詰めつつ、普段以上に深くその想いを頭に巡らせていた。そして、見えているはずの石段を踏み外し、前のめりに姿勢を崩した。


「きゃ……」


 短い悲鳴は、しかし、気配を察して彼女を抱き止めたアーヴィル彼の腕の中で籠って発せられる。

 

「今日は御酒をお召し上がり過ぎですよ」

「……そう……みたいね」


 アーヴィルはそう言うと、イナシアを元通りに立たせようとする。しかし、


「お願い、もう少しこのままで」


 と言うイナシアは、細い指に力を入れるとアーヴィルの腕を胸に押し抱くようにしがみついていた。


「……イナシア様、いけません」

「どうして? それほど私は……魅力が無い?」

「いえ、決してそのような……ただ……」


 アーヴィルは、そこで言葉に詰まる。向けられている好意に気付いていない訳では無い。そして、美しく成長したイナシアに魅力を感じない訳でも無い。自分の中に彼女の想いに応じたいという気持ちが無ければ、この細腕を振りほどけば良いだけのことだ。しかし、それを出来ない自分もアーヴィルは充分に自覚していた。


 ただ、イナシアの胸の柔らかさも温もりも、今のアーヴィルの苦悩を解きほぐす性質の物では無かった。寧ろ腕から伝わる温かい真心は、彼の心を苛み、結び目を堅く締める働きしか持たなかった。何かを得て、失い。失って再び手に入れる。それを繰り返してきた男の心は、まるで冷たい炎に焦がされるように、かたくなに新たな何か・・・・・を得ることを恐れていた。


(この温もりを受けるに、自分は値しない人間だ)


 そう考えるアーヴィルは、力を籠めるとイナシアを押し戻す。そして、


「イナシア様……私はレイモンド様に剣を捧げた身、過分な幸福は……不要!」


 冷たく断言するアーヴィル。しかし、イナシアは諦めない声を上げる。


「なぜ!? 貴方は剣ではない、物では無い、人です。温もりと慰めを、幸せを求める心は無いのですか?」

「そのような心はもちま――」

「言わないで!」


 人の気配の無いアートン城の奥まった中庭にイナシアの声が響く。その声は不意に強く吹きだした冷たい風に流されていく。そして、しばしの沈黙を上塗りするように冷たい小雨が二人の上に降り出した。


「……気まぐれでも良いの、一度だけでも良いわ……私の名前を呼んで! 貴方が求めてくれるまで、私は……」


 不意に降り始めた冷たい雨は、やがて細かな氷の結晶となり、みるみる内に中庭と建物の壁を白く染める。細雪ささめゆきが灯火の灯りを得て微かな明るさを運ぶ渡り廊下で、二人の影は寒さを忘れるように長く重なっていた。


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