Episode_13.24 神成らざる者


 襲撃の報せを受けたオル村の人々が応援に駆け付けた状況は、ユーリーが想像もしていなかった嬉しい誤算だった。しかし、その状況に坂の途中で木人と対峙するユーリーは未だ気付いていない。彼の注意は、眼前の木人と、その攻撃を必死で躱すヨシンに釘付けとなっているのだ。


 ヨシンは膝下まで漬かる深さの泥濘ぬかるみに、素早い足運びを封じられていた。それでも不自由な足さばきと愛剣「折れ丸」を駆使して、鞭のようにしなり襲い掛かる木人の両碗を受け流している。そして、泥濘の外縁への逃れようと少しずつ立ち位置を移動している。しかし、時折強烈な打撃を喰らい泥濘の中央付近に戻される、ということを繰り返していた。


(くそ、ジリ貧だ)


 ヨシンは、木人が自分をもてあそぶようになぶっていると直感していた。反撃も儘成らない自分を少しずつ痛め付けようとする敵のやり方に、しかし彼の心は挫けない。ただただ――


《ユーリー、早く決着つけてくれ)


 と、親友の次なる一撃を待っているのだ。


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 増加インクリージョンの魔術が付与された魔剣「蒼牙」、それは持つ者の魔力と共に感情までも増幅させる効果がある。そして今、その持ち主であるユーリーは増幅された怒りの感情によって全身の脈が早鐘を打ち鳴らすように脈打つのを感じる。そして、我武者羅がむしゃらに駆け寄りたい衝動を強く感じるが、それをどうにか理性で押し留め、鎮めようと深呼吸をしていた。この怒りを鎮めなければ局面は打開できないし、親友の窮地も救えないのだ。


(落ち着け……落ち着いて考えるんだ……)


 そう自分に言い聞かせるユーリーは、ふと、数か月前のトトマ襲撃の場面を思い出す。燃え上がる街の様子に無策で駆け出した彼をヨシンが殴って冷静にさせた場面だ。同じ失敗を繰り返す訳にはいかない。


 固く自分を戒める青年騎士は、戦場の只中にあって敢えて瞳を閉じる。そして、やり慣れた瞑想の状態に無理矢理自分を当て嵌めた。しかし、普段の瞑想とは違い、意識するのは体内の魔力マナではない。怒りの感情そのものを魔力のように意識するのだ。ユーリーの心の中で、怒りそれは燃え盛る炎の赤色をしていた。


「……」


 ユーリーはその赤い力の塊を体内に巡らせ、徐々に色が薄まっていく様子を強く念想する。時間は呼吸にして十拍、胃の腑の辺りに感じた赤い塊を一旦喉元に引き上げてから肚に落とす。そして、尾てい骨の下から背骨に入るイメージを持つと、赤い塊は色を薄くしながら一気に脊柱を脳天目掛けて駆け上がる。そしてそれ・・が脳天に達した時、塊の色は白っぽい透明に変化して、純粋に力 ――魔力マナ―― の塊となっていた。


 ユーリーはその力の塊を右手の「蒼牙」に叩き込む。


グンッ


 と剣が脈打つ感覚を覚える。そして彼は静かに瞳を開けると、次の瞬間から左手を虚空に舞わせていた。普段よりも少し時間の掛かる魔術陣の起想、複雑に絡み合う展開行程、極度の集中下でそれらを行うユーリーの額には自然と脂汗が滲み出る。


 途中で何度も引っ掛かり、もたつきながらも、どうにか念想上の魔術陣を霧散させる事無く、全ての行程を終えたユーリーは遂に発動段階に至った。そして、


「ヨシン! 潜れ!」


 と大声を発すると「蒼牙」の切っ先を木人の頭上に向けた。ヒュッと切っ先が風を切る音と共に青み掛かった刀身が一度脈打つような燐光を放つ。


 切っ先に指し示された虚空に、人が抱えきれないほどの大きな赤い光の玉が生じる。ちょうど木人の背後の頭上、ヨシンの反対側に浮かび上がった赤い光の玉は、一気に中心へ向かい収縮すると豆粒ほどの深紅の光点となる。そして次の瞬間、光点は一際強い光をまたたかせ――


ゴバァァッ!


 極限まで密度の高まった魔力は膨大な光と熱、そして紅蓮の炎と衝撃波を生じ、辺り一面を薙ぎ払う大爆発を引き起こしたのだ。それは、極属性を除けば最強度を誇る攻撃魔術「火爆波エクスプロージョン」の発動だった。親友の窮地にユーリーは「蒼牙」の力を借りて、初めてこの術を発動したのだ。


 ヨシンは、ユーリーが大声で発した言葉に、考えるよりも先に行動していた。丁度、木人のしなる腕木が彼目掛けて迫り来る瞬間だった。ヨシンはそれを躱すように泥濘ぬかるみに頭から飛び込んでいた。膝下までの深さがあった泥濘は、そんな彼を泥で包み込む。


 ヨシンは泥水が目や耳、口や鼻に侵入してくる感触を覚えつつ、ユーリーが言ったように、潜るには浅すぎる泥濘の中を少しでも深く潜ろうともがく。そして、その瞬間、上から叩き付けるような衝撃と、泥水の中に在っても身を焦がすような熱を感じていた。そして本能的に、


(息が続くまで、こうしていよう)


 と心に決めていた。


 ユーリーが「火爆波エクスプロージョン」を発動させる瞬間前、木人は目の前の人間を自らの腕木で打ち据えようと躍起になっていた。木人はコボルドのシャーマンによる呪術で生じたわずかな自我を、自分を傷付けたその人間への怒りで満たしていた。


 渾身の力を籠めた腕木が横薙ぎに振るわれる。しかし、目の前の人間はそれを泥濘に飛び込んで躱した。これまでの動きとは違うものだが、そんな細かいことを意識することが出来ない木人は、泥濘に全身を絡め取られた人間へ真上から一撃を加えようと腕木を振り上げる。


 その時木人は、急激に高まる周囲の魔力マナを感知した。そして、自らの同胞である地の精霊に呼びかけ、自身を守るために土壁を発動する。しかし、投射系の攻撃術を防ぎ切った強固な地精の防御は、空間を渡って任意の場所に発動する放射系の攻撃術を有効に防ぐことは出来なかった。


 盛り上がった土壁と木人の間・・・・・・・の空間に生み出されたから生じた「火爆波」が、巨大な木人を前のめりに地面へ突き倒す。そして、膨大な熱に曝された体表は、枯れ木、いや松明のように燃え上がるのだ。


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 泥濘に半身を突っ込んだ状態で全身を燃え上がらせる木人は、全身を焦がす熱と苦痛にもがく。しかし、本来しなやか・・・・に動くはずの無い枯れた巨木の身体は、ギクシャクと動くだけで、起き上がることも、転げまわることも出来なかった。そこに、追い討ちのように大きな炎の矢が数回突き立ち、その度に爆発と共に木人の身体を引き裂いた。余りの苦痛に木人は音に成らない叫びを発していた。


 既に泥濘から這い出していたヨシンは、間近で燃え上がる木人を見る。足元の地面は、いつの間にか泥濘から普通の地面へ戻っている。ヨシンは、そんな地面に落ちていた斧槍「首咬み」を掴み上げると、それを木人に叩き付けようとして、途中で思い留まったように動きを止めた。どう見ても、勝負は付いているのである。


 また、丘の上の野営地からはコボルドの集団を打ち倒した第一歩兵小隊の兵士達とオル村の森人達が、燃え盛る木人の姿を夫々の感慨をもって見つめている。そこには、オル村の長老が捧げる森への祈りの言葉が響いていた。


 そして、ユーリーは馬上から、木人の姿を見詰めていた。トドメと思い数発の「火爆矢ファイヤボルト」を撃ち込んだ彼は、これ以上の攻撃は無用と思い、ただ炎を上げる木人の残骸を見詰めている。


 彼等の視界の中で、木人はゆっくりと燃え落ちていく。熱が内部に伝わるにつれ、枯れ木に残った水分が熱せられパチパチと爆ぜる音が斜面に響く。やがて表面を焼いていた炎は木人の枯れた巨木の深奥に達すると、一際大きな破裂音を上げる。その拍子に木人の身体は真っ二つに裂けると、大きな炎の柱となって夜空を焦がすのだった。


「ん……、なんだろう?」


 木人の胴が裂けた瞬間、何かが宙へ飛び出しユーリーの近くに落下した。それを確かめるために馬を下りたユーリーは、足元に転がる少し煤けた握り拳大の水晶を見つけていた。それを拾い上げたユーリーは、水晶を炎の灯りにかざし見る。加工跡の無い天然の水晶の中に、赤い炎を受けた親指の先程の金属の煌めきがあった。その煌めきはまるで脈を打つように炎の揺らめきを反射すると紅金ロソディリル色の怪しい光を放っている。


(……これが、木人の核なのかな?)

ユーリーはそう直感すると、忌々しそうにそれを投げ捨てようとするが……途中で思い留まると、その水晶を懐に仕舞い込むのだった。


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 木人の残骸は、その後真夜中まで燃え続けたが、やがて煙を上げて燻るだけとなった。

 

 そして翌朝の日の出前、野営地にて三番隊と第一歩兵小隊を再編成したユーリーは辛うじて行動可能な三十名弱の歩兵を率いて、当初の作戦通り北にあるコボルドの野営地を急襲すべきか、難しい判断を迫られていた。


 ユーリー自身も疲労困憊で立っているのもやっと、という状態だったが、三番隊のヨシンやダレス以下の騎兵達は全員が重い軽いを問わず負傷状態だった。更に第一小隊の小隊長もコボルドの槍を受けて瀕死とは言わないが、直ぐに動ける状態では無かった。状況としては、部隊全体の半数以上が行動不能となっており、立派な全滅状態だった。


 しかし、既に北のコボルドの野営地に向っている遊撃騎兵隊四番隊と、第二歩兵小隊は、現地で自分達の到着を待っているはずなのだ。事前の斥候による情報が正しければ、コボルドの野営地には五十匹程度が残っているはずだ。しかし、もしもそれ以上の数が残っていれば、四番隊と第二小隊だけでは苦戦は免れないだろう。その状況にユーリーは苦しい判断をする。


「ここが踏ん張りどころだ!」


 ユーリーの言葉に、再編成された三十名の兵士は「オウ!」と返事をするが、疲労は隠せなかった。そしてユーリーの元には、


「オレも行くぜ、誰か! 馬に乗るのを手伝ってくれ!」


 と、ヨシンが進み出ていた。因みに彼は木人との戦闘で右肩を脱臼しており、更に膝を捻ったらしく、自力で馬に乗れる状況では無かった。その状況に、ヨシンの栗毛の軍馬は、本当に必要な場合は膝を折って背中に人を乗せ易くするのだが、一向にその気配を見せない。


「馬鹿か……寝てろよ」


 その様子にユーリーは呆れたように返事をした。しかし、ヨシンも黙っていはいない。


「そっちこそ、半分死人みたいな顔色じゃないか……今馬に乗ったら絶対吐くぞ」


 その声に、ユーリーの黒毛の軍馬が嫌そうにユーリーから少し距離を取る。


 そんなやり取りをしている時、北の森の切れ目から騎馬が駈け出してきた。その数十騎、よく見れば、それは北のコボルドの野営地付近に潜んでいるはずの四番隊の面々だった。


 彼等は明け方の薄明かりの中、東の斜面を駆け上がると、途中で木人の燃えカスを珍しそうに眺めながら進み、野営地に入って来た。


「どうしたんだ?」

「ユーリーさん……こっちがやられていたんですね」


 四番隊の隊長は、積み上げられて火葬される前のコボルドの死骸と、周囲に座り込み呻いている負傷者、そして、自軍の犠牲者を見ると少し声を落としてそう言う。


「そっちは? どうして持ち場を?」


 しかし、ユーリーの問い掛けに伝えるべきことを思い出した彼は、ハッキリと


「昨晩深夜、コボルド達が一斉に野営地から逃げ出しました」


 と伝えるのだった。


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 結局この年の十月に起こった金鉱脈へのコボルド襲撃事件は、このようにして幕をおろしていた。残ったコボルド達は、何等かの方法で自分達の軍勢が破れたことを知ると、野営地を急襲される前に、北の森の奥へと姿をくらましていた。


 一方で、事件の舞台となった金鉱脈ではこれ以後一気に試掘作業が進み、アートン城では、来年春からの採掘計画が立案裁定されるに至った。また、その近隣のオル村は、住民の二割に当たる六十人の人々が、森の奥にある別の森人の集落へ移り、残った三百名弱の人々はレイモンド王子領の集落として正式に認知される事となった。


 金鉱脈の件は、可能な限り内密に、ということになっているので、トトマやダーリア、アートンの街に住む人々には、一連のオル村の事件を


「まつろわぬ人々の危難に優しく救いの手を差し伸べたレイモンド王子に、村の人々が恭順の意を示した。そして、それを温かく迎え入れたレイモンド王子」


 という美談として、伝わっていた。また、魔物退治の立役者である遊撃兵団については、それまでのトトマ襲撃事件と八月事件(演習事件の呼び名として定着していた)での活躍と相まって人々の間に大変な人気を博することとなった。そして、その人気はそのまま志願者の急増という結果となり、民兵団の教育部隊は準備も儘成らない状況で沢山の志願兵を受け入れる格好となっていたのだ。


 食糧事情という不安材料は有るものの、新しい体制となったレイモンド王子領は全体として活気を帯びた状態でアーシラ歴四百九十五年の年末を迎えようとしていたのだった。


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