Episode_13.21 指揮官
狼の遠吠えは、人を本能的に恐れさせる。その声が暗い森の奥から響くなら尚更だ。しかし、野営地で息を潜める五十の兵士達にとっては、或る意味待ち侘びた合図でもあった。
「来るぞ!」
方々でそんな声が交わされる。そして、焚火の炎の向こう側、闇の中に沈んだ丘の斜面に何かが動く。直ぐに、暗闇の中から犬の頭をした短躯の敵が姿を現した。敵の第一陣が正面から坂を駆け登って来たのだ。その百。
「構え!」
対する野営地に第一小隊長の声が響くと、野営地内に伏せていた兵達が起き上がる。その手には
「放て!」
その合図ともに、太目の短い矢が撃ち出されると夜空を駆ける。かつては、碌に当たりもしなかった矢だが、数か月に及ぶ訓練を経て命中精度は改善されている。更にここ十日間に及ぶ嫌がらせ攻撃は兵士達の錬度と胆力を上げる結果にもなっていた。そんな歩兵達は冷静に狙って矢を放つ。
「ギャンッ!」
矢を受けたコボルドは犬のような悲鳴を上げる。しかし、彼等は強力な脚力で丘を上りきろうとしていていた。
その状況で、野営地内のアデールは手下達とひと塊になると、変わった事をしていた。元々仲間意識の強いアデール一家は第一小隊の丸々一つの班 ――アデール一家改め、アデール班――となっている。そんなアデール班は、効率的な弩弓の撃ち方を編み出していた。
「ホラ、さっさと矢を番えて前に渡せ。撃ったら直ぐ後ろだ! 馬鹿! ちゃんと狙え!」
アデールの班は特に射撃の上手い三人に対して残りの六人が引っ切り無しに弦を引っ張り矢を番える作戦に出ていた。元々連射の効かない弩弓だが、斉射の威力と引き換えに分業化することで連射力を上げたのだ。因みにアデールはそれを横から
「兄貴! 兄貴も撃って! だめなら弦を引くのを手伝って!」
「ばか、おれは忙し……」
アデールがそう言い掛けたとき、側面から近づいてきたコボルド三匹がアデール班に襲い掛かって来た。既にコボルド達の先陣は矢を掻い潜り野営地に侵入したのだった。
「てやんでい、この犬畜生め! 仕事の邪魔をするんじゃねぇ!」
アデールは威勢の良い啖呵を切りつつ、射撃体勢を取っている手下達を守るように三匹に向かって行く。因みに彼の装備は
「うりゃぁ!」
と変な掛け声と共に、アデールは迷うことなく盾を
「キャン!」
そして、その勢いで走り込むアデールは槍の基本を無視したように、両手で石突の辺りを持つと力任せにそれを振り回した。さながら横に倒した風車のように頭上で槍を振り回すアデール、その無茶苦茶なやりように、コボルド達は攻撃を躊躇った。一瞬のことだが、それで充分だった。
「兄貴! あぶねぇ!」
そんな声と共に射線を正面から横のコボルドに移した射手が叫びながら弩弓の引き金を引く。
ビュン、ビュン!
と勢いよく放たれた太い矢は至近距離でコボルドの革鎧を突き破る。
「おう、助かったぜ!」
「兄貴、無理しないでくだせぇ!」
とアデール班が絆を確かめ合っている頃、野営地の中央では第一小隊の隊長の声が響く。
「全員抜剣! 近接戦用意!」
その声に、アデール班は緊張する。しかし、
「オメー達、出入りはビビったモン負けだ! 覚悟を決めろ!」
「オ、オウッ!」
アデールの声と手下達の声が野営地の端っこに響いた。
****************************************
ユーリーは元々、今夜の敵の攻撃が終わった後に相手の野営地を逆襲するつもりだった。そのため、オル村に待機していた第二小隊をコボルド達の野営地近くに進出させていたのだ。その一方、自分達の野営地周辺には斥候役の猟師を配していた。
そして、斥候役を置いていたことが幸いし、コボルドの大群が自分達の野営地に向っていることを事前に察知していた。ただ、察知したものの対策を講じる暇が無かった。既に第二小隊は数時間前にオル村を出発しただろうし、騎兵四番隊も第二小隊に同行しているのだ。念のためオル村には状況を報せるために斥候役の狩人を戻したが、ユーリーの意図は、森人の狩人達に応援を要請するのではなかった。あくまでもオル村の自衛のために警戒を促す報せだった。
結局、少数で倍以上の敵を受け持つ格好になったユーリーは、後三、四時間あれば罠なり空堀なりで野営地を強化出来たのに、と歯噛みした。更に今夜は折り悪く新月の夜。見通しが利かない闇の中で弩弓を主力に戦う歩兵達は苦戦を免れないだろうと思う。だから、
(俺達で何とかするしかない……)
と決意を固めていた。彼の決意は隊の全員にも伝播している。そんな彼等は自陣である野営地から少し南に下った森の中にいた。野営地は沼地を見下ろす丘の上、そしてそこへ上るためには北から斜面を登らなければならない。敵が万が一回り込むような用兵を行えば、少し南に下ったこの場所は迂回部隊の通り道となるはずだった。迂回部隊が有るならばいち早く察知するため、そして迂回部隊が無いならば自分達は敵の横腹を突く位置取りとなるのだ。
少し前に目の前の斜面を駆け上がる百匹近いコボルドの突進があった。自陣からは引っ切り無しに
「ユーリー! そろそろっ」
ヨシンが全閉式の兜の内から籠った声で急かしてくる。その声が示す通り、今突入すれば、敵の横腹から背後、がら空きで最も脆い部分に食らいつく事が出来るタイミングだ。しかしユーリーは何度も戦場を見渡してしまう。伏兵は無いか? 迂回部隊は来ないか? 後詰隊が有るんじゃないか? そんな考えが次から次と浮かび、たった一言の号令を発することを邪魔するのだ。その時、
ズゥゥン、ズゥゥン、
と規則正しい振動が響いて来た。
「なんだ?」
その振動に、突撃の号令を待っていたヨシンも周囲を見回す。すると、
「ユーリー! アレを!」
「なっ!?」
ダレスの指差す先、斜面の下の方にソレは居た。周囲を囲む五十匹近いコボルドとは余りにも大きさが違いすぎるため、周囲とチグハグになって見える巨体。ソレは、オル村の村長が話していた「木人」の外見と一致していた。
「くっ……あれが木人か!」
「どうする? ユーリー!」
呻くユーリーに、問いかけるヨシン。彼だけでは無い、隊の全員が自分を見ていた。
(指揮官って……大変なんだな)
ふと、そんな思いが過る。頭の中にはアルヴァンの顔が、次いでデイルやハンザ、パーシャやガルスといった人々の顔が浮かんだ。皆自信をもって隊を指揮していたが、彼等もまた、苦悩しながら命令を下したのだろうか?
ユーリーは場違いに浮かんだ疑問にフッと心が軽くなった気がした。彼等ならきっとこう言うだろう、という案が浮かんだのだ。そして自分を見ている隊の全員の視線を受け止め顔を上げた。
「よし……隊を分ける。ダレス副長、七騎率いて野営地の援護だ、真っ直ぐ駆けて敵の横っ腹に突っ込め!」
「ハイッ!」
「ヨシン」
「オウ!」
「俺と一緒にデカブツ狩りだ、いいね!」
「分かった!」
「合図したら森から飛び出すんだ!」
****************************************
五十匹以上のコボルドの集団の最後尾には、コボルトの群れ全体を指揮する戦闘指揮官がいた。彼は群れの順位の第二位である戦士階級の大柄なコボルドだった。彼はシャーマン階級である群れのリーダーには成れないが、それでも自分の地位を受け入れていた。そんな彼は、自分が主役たる戦場を進むのだ。人間との戦争は初めてだが、これまでゴブリンやオーク、そして同じコボルドとの争いは何度も経験していた。
既に先鋒の百匹部隊は人間の野営地に斬り込んでいる。自分達は後詰として乗り込み、散々に暴れればいいだけだ。先の戦闘では自分達の数が足りなくて退却したが、今は一族を全て呼び寄せた万全の体制だ。負けるはずが無いと信じている。そして、コボルドの戦闘指揮官にそう確信させるのは、彼等と共に進む守護神の存在だった。彼は、頼もしそうに目の前を進む巨木の幹のような背中を眺める。
その時、視界の端を赤い光が走った。それは暗闇に炎の線を引きながら南の森から飛来すると、彼等の集団の先頭付近に突き刺さり爆炎と共に破裂した。轟音と共に熱と衝撃波が辺りを包む。その一撃で後詰集団の先頭付近にいた十匹が吹き飛ぶ。
そして――
ドォォン!
間髪入れずにもう一度、同じように火線を引いて南の森から飛び込んできた炎の槍が、今度は左翼に突き刺さる。そして、再び爆炎と衝撃波の饗宴が起こった。
この二回の攻撃で後詰部隊は二十数匹、つまり半数がやられてしまう。突然の出来事に戦闘指揮官は混乱するが、なんとか残りの者達を鎮めようとする。そこへ、彼等には馴染みの無い、聞き慣れない生き物の悲鳴のような鳴声 ――馬の嘶き―― が響いていた。
****************************************
ダレスは、自分達を紅く染める炎の光に身震いしつつ、それを合図に飛び出す。瞬間後に頬を熱い風が撫でるが、一旦走り出したらもう止まる訳にはいかない。
「三番隊、オレに続け!」
そう言って馬上槍を片手に森を飛び出すダレスの後ろにはセブムやドッジ、それに元解放戦線の仲間達が付き従う。目指すは自分達の野営地を襲う
暗い斜面を全力で駆けることには未だ恐怖を感じるが、目の前、焚火の炎を目指して突き進む三番隊の面々は、二度目に響いた爆発を右耳で聞きながら斜面を横切るように駆け抜ける。そして、陣地との境に設置した低い木の柵の外側を舐めるように突き進むのだ。そこには、野営地に突入する前の、柵を乗り越えようとするコボルドが十匹以上団子になっていた。
「突っ込めぇ!」
ダレスは自らを鼓舞するように叫ぶと馬を走らせる。そして、
バゴン、ゴンッ
という衝撃音と共に、馬の速度が少し下がる。コボルド達を撥ね飛ばしたのだ。そして、右手に持った馬上槍、長さ二メートルと少しの武器を振り回す。穂先で相手を捉える自信は無かった。だから振り回したのだ。ダレスの馬上槍は柔らかさと硬さを伴った独特の感触を持ち手に伝えてくる。
ダレス達三番隊が突入したのはコボルドの先鋒隊百匹の最後尾だった。その最後尾の十匹程度は騎馬の突撃を受けると抵抗する間も無く打ち倒されていた。それでも野営地内には七十匹前後のコボルド達が侵入を果たしており、歩兵小隊と白兵戦を繰り広げていた。
「全員下馬! 野営地に斬り込むぞ!」
ダレスの声が、野営地を攻めるコボルド達の背後に上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます