Episode_13.16 領地経営


 アーシラ歴495年10月 


 今年の八月に起こった一連の騒動と政変は、結局公爵マルコナ本人の「爵位奉還」の意志が強く、レイモンド王子に受け入れられることになった。そして、九月の始めにレイモンド王子はアートンに戻り、アートン城の名実共に新たな主となったのだ。一方、ドルフリーを頂点として構築されていた行政や軍事の組織は当面そのままの形で残され、マルコナ自身も宰相という立場でレイモンド王子の元に留まっていた。


 結局、公爵家は無くなったものの、その実態は行政実行組織として残り、その頂点にレイモンドが就いたという格好になったのだ。それは、もっとも円滑な政権交代の形だった。


 一方、この変化に異を唱える者も少なからず存在していた。ドルフリーの家老集団で特に彼から重用されていた者達数名、アートン城騎士団の中隊長クラスの者数名、そして、アトリア砦を任され政変時にはアートン城を名目上預かっていたドルフリーの長子アルキムとその側仕えの者達は、マルコナがドルフリーの遺骸を伴い帰還した時には既に姿を消していた。


 また、残った者達の中にも何かにつけ新しい主であるレイモンド王子の施策決定を妨害するような輩が混じっていた。これに対し、レイモンド王子と宰相マルコナは早急な組織人員の刷新が必要と判断した。しかし、折からの凶作がいよいよ現実となっていたため、そちらの対応に追われ手が打てないでいた。そこで、


「すまぬが、お主ら……ここを死地と思い奮起してくれぬか?」

「私からも頼む。支えてくれ」


 その急場を凌ぐため、マルコナとレイモンドが頼りにしたのは元アートン公爵家の老臣達だった。彼等文官武官併せて二十名前後の老臣達は今回の政変の裏の立役者でもあった。そんな彼等は、元主と正当な王位継承権者による頼みを断ることは無かった。寧ろ老骨の身を奮起させ、元騎士達は各騎士団と衛兵団へ、そして元文官達は各部門の仕切りに取り掛かったのだった。


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 特に文官出身の老臣達は全力で凶作の対策へ当たっていた。春先の冷え込みと夏場の日照りという天候不順により、主力農作物である小麦の収量が例年の五割前後という落ち込みになっていたのだ。


 その状況に彼等が採った政策は、小麦の収穫が見込めない耕作地への蕎麦など雑穀類の作付け奨励と、食糧として備蓄していたそれらの雑穀を栽培用の種籾たねもみとして放出すること。そして、既に夏前からダーリアとアートンを中心に取引価格が高騰していた穀物市場の統制。更に十月後半に行われる徴税率の調整。などであった。


 一つ目の政策は凶作時には一般的なもので、特に問題も無く行われた。二つ目の政策は、取引価格を吊り上げるような相場の操作をしていた一部の穀物商と、それらと結託していたダーリアの行政代理官、アートン城でそれを黙認していた家老の摘発に及ぶちょっとした事件に発展した。そして、それを治めたのはダーリア駐在騎士団と衛兵団、それにレイモンド王子肝いりの元騎士や老臣達であった。


 そして三つ目の政策では、通常の税率を今年に限り半分まで引き下げ、余力がある農村には任意にそれ以上の納税を求めることとなった。また、その見返りとして余分に納めた分は翌年以降の納税から減免する事も併せて決まった。決定までは紆余曲折あったが、最終的に老臣達を含めた首脳陣で合意された政策であった。


 旧西方辺境伯アートン公爵家の金銭収入は、税として納められた小麦などの重要な穀物類を市場に売却して得られるものが七割を占めていた。そして、その仕組みを引き継いだ新体制でも、その比率は今のところ変わらない。そのため、税収の大幅減となるその決定には反対者が多かったのが事実だ。そして、反対した者の多くが心配したのは金銭収入の目減りでだけではなかった。彼等が最も心配したのは、穀物市場における深刻な物不足だ。


 現に、ダーリアでは凶作の噂だけで穀物の価格が跳ね上がる状態が発生していた。一部の役人と商人の結託した企みだった訳だが、この事実が表わすように市場の穀物価格は風説の類に影響を受けやすいものだった。そして、一度片方に動き出すと止めるためには多大な労力と出費が伴うのが相場という魔物である。如何に現場復帰した経験豊富な老臣たちが目を配っても不意の動きには対処が難しい。


 そこでアートン城のレイモンド王子は先んじて対策を打った。


「今年の十月から来年の九月まで、小麦の価格は一定に据え置く」


 という触書を領内に配布したのだ。これには、領内の穀物商ギルドから猛反発があった。しかし、レイモンド王子は


「今年限り、我慢せよ!」


 と反発を黙殺していた。


 また、流通量の絶対的な品不足を解消し、供給を担保するためにゴーマス隊商を始めとする隊商達にデルフィルからの小麦の買い付けを命じていた。そして買付の費用は元アートン公爵家の金庫から賄われた。ただ、不幸中の幸いだったのは、西隣の大国リムルベート王国は特に凶作と言う状況でなく、西から入る穀物は安定した価格を維持していたことだろう。そして、そこには或る商会の活躍尽力があったのも確かだった。


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 デルフィルの街中を貫く街道沿いにある瀟洒な建物、その三階ではアント商会の陸商部門頭取スカース・アントが、多くの隊商主と同時に面談していた。それは、売り買いの価格交渉というような緊張感のある会合ではなく、どこか和気藹々とした食事会のような様相であった。その証拠に、少し広めの応接室には海山の幸をふんだんに用いた料理の皿が並び、エールやワイン、火酒の類も供されていた。


「この状況を先読みして、買い付けていた分があったのですよ」

「ほおー、流石スカース殿」

「いやはや、商機を逃さぬ慧眼ですな」


 スカースの言葉に追従するような隊商主達はみな、スカースよりも倍以上歳が上の者達だ。しかし、世知辛い商人の世界。財力が有り目端の利く者が勝者となる。そして、今回間違いなくスカースは勝者であった。


(仕込んでいたレイモンド王子とガーディス王の会談は流れてしまったが……まぁ良い、全体としては儲けが出ている)


 完全勝利と言えないのは、事前に費用を投入して根回しを行っていた会談が流れてしまったためだが、転んでもただでは起きないのが商人魂だ。今年の七月の時点でゴーマスを通じて今回の仕込みが流れた経緯の説明と、予想される凶作、そしてリムルベートの作付けが順調なことをレイモンド王子に直接伝えていたのだ。また、膨大な穀物需要を受け切る備えがあることも仄めかしていた。


 その結果は上々で、レイモンド王子の特命により、今回の穀物買い付けを一手に受けることが出来たのだ。そして今日のこの場は、それらを陸送する隊商主たちの壮行会という意味合いの会合だった。


「いやいや、ここから先は皆さまに運んでいただかなければ……レイモンド王子の民たちは飢え掛かっていると聞きます……皆、頼みますよ!」


 スカースがやや芝居かかった言い回しでそう言うと、酒の入った隊商主たちは口々に、


「お任せを!」

「週に二往復はして見せましょう」

「ははは、ならば俺は三往復してみせる」


 等と気を吐くのだった。


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 やがて、それらの隊商主達はアント商会の建物を辞去して行く。港に積み上げられた荷を受け取り、トトマへ運ぶ隊商の集団は今夜にもデルフィルを出発するだろう。


 そして、そんな彼等を見送ったアント商会の三階では、二人の人物が窓越しに、少し離れた港を眺めていた。


「有る物を、無き所へ……感謝と幾ばくの手間賃。商売は長く細く……だったな」

「『商売は長く細く堅実に』です。創業者様の口癖ですな……私も若かったですが直接聞いたことがあります」


 そんな言葉を交わすのはスカースとゴーマスだった。


「ゴーマスはお爺様のことを、どれだけ覚えている?」

「創業者様が自ら隊商を率いることをお辞めになる間際に小間使いで入りましたので。しかと言葉を交わした事はありません……それでも、甘い蜜菓子を二度三度手渡しで頂いたことはあります」


 スカースの問いに、歴戦の隊商主といった風貌のゴーマスの表情が緩む。その表情を横目で見るスカースはまた何か言う。


「騎士は忠義に誠実なり、恩義に対し忠孝をもって応える。商人は利に誠実なり、対価に対し品物をもって応える……ゴーマス、お前がもって応える・・・・・・ものは利か? それとも忠義か?」


 不意に投げ掛けられた問いに、コルサス王国出身の元アント商会密偵部門長の隊商主は僅かに身じろぎする。そして、明瞭な声で答えるのだ。


「……商人の分を忘れ、忠義に生きようと思います。スカース様、お笑いになりますか?」

「いや笑うものか……しかし、お前を変節させるような御仁だ、レイモンド王子……会ってみたい」


 しみじみとそう言うスカースに、ゴーマスは何か思いついたように付け加える。


「ユーリーもヨシンも、レイモンド様の元で働いていますよ」

「……だから、尚更会ってみたいのだよ」


 そう言うスカースの横顔は何かを決意したような、それでいて少し愉し気な表情が浮かんでいたのだ。


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