Episode_13.15 領政奉還


 下馬したドルフリーは左右をロージとユーリーに挟まれる格好で、レイモンド王子の前に進み出る。敗軍の将というには、堂々とした様子だ。一方、周囲に残ったアートン騎士団の勢力は、ドルフリーがレイモンド王子に下った光景を見て、抵抗を諦めると次々に投降していた。


 しかし、レイモンド王子側の勢力はそれ程大人数では無いため、瓦解したとはいえ殆ど数の変わらないアートン騎士団を相手に、武装解除に手間取っている。捕縛するための縄なのどの準備も無いため、馬や武器を取り上げ離れたところに置き、そして車座で彼等を地面に座らせる、といった簡単な方法に成らざるを得なかった。


 そんな武装解除に兵達の人手を取られたレイモンドの周囲にはマーシュ、エトシア騎士団長マルフル、副官のオシア、老騎士シモン、それにユーリーと他十名程の兵士しか居ない。その状況を確認するように視線を巡らしたドルフリーは、無言でレイモンドを見る。


 その視線を真正面から受け止めたレイモンドだが、内心では対応に苦慮していた。今回の演習参加で、ドルフリーには兵を退きアートンへ戻って貰うところまでは想定していたが、まさか捕えることになるとは思っていなかったのだ。しかし捕えた以上は何等かの処置をしなければならない。


 レイモンドは考える。先ず、無罪放免でお咎め無し、ということはありえなかった。それこそ、示しが付かないことになってしまう。ならば、自身に剣を向けた罪を問うか? しかし、その場合は一旦トトマまで身柄を移す必要があるが、ドルフリーの身柄を押えてしまった場合の、公爵マルコナの対応が未知数だった。万が一、息子の奪還に本気で挙兵されれば、それこそ西方国境伯領は大混乱に陥ってしまう。それは、王弟派の利益にしかならないことだ。


(ならば、今後は私の指示に従う、と血判書を書かせるか……)


 そう思うのだか、それが今後のドルフリーにとって枷の役に足りるか? と一抹の不安が残るレイモンドだった。


 そうやって考えあぐねるレイモンドに対して、ドルフルリーが先に口を開いた。


「どうされましたか、レイモンド王子。まるで私を捕える事など想定外、と言わんばかりの顔付きですな」

「伯父上、一体何故このような事を?」


 ドルフリーの言葉に釣られるように、レイモンドは素直な疑問、何故自分を無理矢理にでも連れ戻そうと策を講じたのか? という疑問を発していた。


「わからぬか、だから未だ若い・・・・というのだ。レイモンド王子は私の指示で動けば良かったのだ。国外の勢力云々とこだわりの様子だが、王弟ライアードとの対立は、国の命運を掛けた戦争なのだ。戦いなのだ。勝たねばならないものなのだ!」


 不意に力の籠った言葉が発せられ、レイモンドはたじろぐ。しかし、ドルフリーの言葉は続いた。


「ディンスが陥落した時、ディンスの住民がどのような目に遭ったか知っているのか? ストラが陥落した時、なぜストラの住民が大挙してトトマに逃れたかを知っているのか?」

「それは……ディンス陥落の際は、住民に対してかなり行き過ぎた残虐行為があったと聞いている。ストラの時は、同じような事態を恐れた住民が逃れて来たのだろう」

「如何にも……王子が言うように内戦に国外勢力を入れる危うさについて、私とて充分承知している。しかし、それでも目の前の戦、目の前の敵に勝たなければ意味が無いのだ! 民も領地も綺麗事では守れないのだぞ!」


 それは、ドルフリーなりの領地領民への思いやりだったのだろう。レイモンドのそれとは違うが、勝ってこそ初めて守れるものがあるのは事実だった。


 そして、そう言い切ったドルフリーの言葉が途切れる。その間隙にレイモンドではなく、隣で聞いていたマルフルが声を発した。


「父上、その言葉の意味は良くわかります。しかし、それと今回の仕儀は話が別。この上は、アートン城に戻りお爺様の裁定を受けるべきです。道中は私達が御送りいたします」


 しかし、実子の発した言葉をドルフリーは鼻で笑う。


「貴様に父親呼ばわりされたくはない、この裏切り者め! その上、レイモンド王子も貴様も甘い! ウンザリするほど甘すぎる……」

「伯父上、それはどういう?」


 その言葉にレイモンドが訊き返すが、答えは別の者からあった。老騎士シモンだ。


「ドルフリー様は、敵将を捕えたなら容赦なく斬れ、と言いたいのであろう」

「ふん、また裏切り者か……今日は裏切り者が良く喋る日だな!」


 その言葉にドルフリーは悪態を吐く。しかし、シモンはそれに首を横に振っただけだった。シモンにしてみれば、正当な王位継承者の意志を蔑ろにするドルフリーの方が余程に裏切り者なのだが、それを言っても通じないだろう、と諦めていた。


 その時、演習場に飛び込んでくる騎兵の姿があった。街道まで逃げた兵を追っていた遊撃隊の騎兵だ。その騎兵は慌てたようにレイモンドの付近まで駆けると馬を飛び降り、その場から言う。


「報告します、街道を東から、ダーリアから大軍勢が進んできています。旗印は……」


 その騎兵はそこまで言って、しまった、という顔になった。しかし、


「構わん、続けてくれ」


 とレイモンド王子に促され、続きを言う。


「その旗印は西方国境伯旗……アートン公爵の本隊と――」


 騎兵が再び口を開き、そう言い掛けた時異変が起こった。ドルフリーがにわかに動いたのだ。彼は敗軍の将とは言え、いわば味方の勢力である。そのため、武器を取り上げられてはいたが、手足は自由なままだった。そんな彼が、不意にレイモンド王子に駆け寄ったのだ。


「な!」

「レイ!」


 騎兵の報告に気を取られていた一同は、ドルフリーの急な動きに対応が遅れた。慌てたようにユーリーとロージが引き留めようと詰め寄る。しかし、


「レイモンド! 勝てよ!」

「おじさ――」


 一言そう言ったドルフリーは、レイモンドの腰に差した片手剣「守護者ガーディアン」を鞘から引き抜き、総身ミスリル造りの白銀に輝く切っ先を自分の喉に押し当てた。


「むんっ!」


 刹那、籠った声はドルフリーの物。彼はうつ伏せに倒れ込む勢いで、自らの喉を剣で刺し貫いていた。


「な……なんで……」


 アートン公爵マルコナが率いる大軍が演習場に分け入ってくるなか、レイモンドは放心したように、そう呟いていた。


****************************************


 泥を拭われ、血糊を綺麗に拭き清められたドルフリーの遺体は、どういう訳か近くにあったゴーマス隊商の荷馬車に安置されている。醜く開いた喉の傷は、アートン公爵家の旗で覆い隠され、見る者に必要以上の痛々しさを感じさせることは無かった。


 そんなドルフリーを乗せた荷馬車を囲むように、公爵マルコナと随伴した老騎士達、それにレイモンド王子と彼が頼みとする者達が集まっている。


「……シモン」

「は!」

こやつドルフリーの最期を教えてくれぬか……」

「は……」


 公爵マルコナが老騎士シモンに話し掛けるが、それは彼が演習場に到着してから口にした二つ目の言葉だった。そして、その言葉は少し震えていた。しかし、それは仕方の無い事、誰も咎める者は居ない。


 大軍を率いて演習場に到着した公爵マルコナは、レイモンドと「紫禁の御旗」を認めると馬を下りた。公爵の率いた軍勢は二千を超え三千に近かったが、騎乗であった者は皆それに従ったのだ。そして、レイモンドの前に進み出たマルコナは、


「レイモンド王子……御無事で何より」


 と言ったところで、絶句していた。既に絶命し、喉に突き立った剣を抜き取られたばかりの息子の亡骸を目にしたからだった。


 そんな公爵は、老騎士シモンから息子の最期の様子を聞き取っていた。そして、


「そうか……あやつなりに、領地領民、この国の事を想っておったのだな」


 と一言呟くように言う。世が太平ならば、そして、過ぎたる野心を持つことが無ければ、傲慢な性格も歳と共に和らぎ、能く領地を治める領主になっていた、そう悔やむ気持ちもあったが、公爵マルコナにはやるべきこと、伝えるべきことが残っていた。だから、この老公爵は顔を上げ、レイモンド王子を正面に見据える。そして、


「我がそくの為したる罪、如何にしても償うことあたわざること明白……本日軍を率いて馳せ参じたるは、我が息を廃嫡し、公爵位及び国境伯位を殿下・・にお返しするため――」


 朗々と演習場に響く公爵マルコナの声、しかし、その意味する所を理解したものはレイモンド旗下であれ、マルコナの率いた軍であれ、皆動揺した。そんなレイモンドとマルコナの会談を少し離れて見ていたユーリーの元に、武装解除を一段落させたヨシンが近づいて来る。そして、小さい声で言うのだった。


「なぁ、あの爺さん難しいこと言ってるみたいだけど……なんて言ってるんだ?」

「ああ、ヨシンか。要するに、アートン公爵は公爵を辞めて領地をレイに返す、って言ってるんだ」

「へー、良かったな……でもなんでレイは嬉しそうじゃないんだ?」

「馬鹿……例えばマルグス子爵に、ヨシン君明日から領地の経営任せたから、なんて言われたら、普通は困るだろ?」

「あーなんか……分かった気がする」


 ぼそぼそと声を交わすユーリーとヨシンの話の通り、それは少し性急な訴えだった。そして、それを受けたレイモンドは一人で返事を思案するしかなかった。常に側に控えていたアーヴィルはまだ昏倒から目を覚まさない。レイモンドは、頼れる者、相談できる者がいない事に途轍もない心細さを覚えていた。そして、


「お爺様……仰りたいことは分かりました。しかしこのレイモンド、今この時も一人で返事を決められぬ若輩……いましばしお力をお貸し下さいませぬか」


 若い王子の切実な願いに、マルコナは返事を躊躇う。息子ドルフリーの亡骸を前に、一旦は廃嫡を決めたとはいえ、その喪失感は大きかった。そんな老人の答えは、


「今は、ドルフリーを葬ってやりたい……後の事はいずれ……」


 と答えるにとどまった。


 そしてその日、トトマ近郊で槍を交えた兵達は夫々が帰るべき場所に帰って行った。ドルフリーの亡骸はマルコナによってアートン城に運ばれた。また逃亡した兵達は、居残った各騎士団により回収され夫々の本拠地へ引き上げる。そして、レイモンド王子もまた、遊撃隊を伴いトトマに引き上げるのだった。


 アーシラ歴四百九十五年、近年稀にみる暑い夏はこうして過ぎて行った。


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