Episode_13.14 老臣達の宴


 話は四日ほど時を溯る。


 侍女のカテジナを送り出した公爵マルコナが住まう避暑離宮では、その日の午後遅く、ちょっとした騒ぎが起こっていた。


「公爵様、そのような事はオラ達がやります!」

「いいではないか、避暑の離宮といっても、こうも庭の草が伸び放題では気が滅入るのじゃ」


 草刈鎌を下男達と取り合っているのは公爵マルコナその人だった。丁度眼下のアートン城でドルフリーの出陣式が終わった頃を見計らって、急に


「庭の草が鬱陶しい!」


 と、言い出したのだ。しかし、マルコナが言うほど庭の草は伸び放題では無い。ただ、庭の隅には、手つかずのかやの藪があり、去年から残っている枯れ草と昨今の暑さにやられてしまった若草が黄色っぽい色合いとなっている。そして、公爵マルコナはその草を刈ろうとしているのだ。


「わかった! じゃぁお主らに任せる故、刈り終わったら庭の中央に積むのだ」


 マルコナはそう言うと下男に枯れ茅を刈らせ、それを庭の中央に積み上げさせる。折から無風の午後のひと時に、青い空には大きな入道雲が幾つも積み重なるように浮かんでいる。


「ささ、公爵様、お申し付けの通りにいたしましたです」

「よしよし、早かったな」


 下男の報せにマルコナは庭に出ると、スッと懐から火口ほぐちを取り出し、ついで火打ち石を打ちつける。


「なにを為さいます!」

「危のうございます!」


 マルコナのその動作に下男達は驚くが、止めに入る前にマルコナは火口に火を移すとそれをポンッと枯草の山に投げ入れた。そして、懐から拳大程の巾着袋を取り出すと口を縛った紐を緩めてから、袋ごと炎の中に放り込んだのだ。


 乾ききった茅の山に掛けられた炎はたちまち燃え上がるが、不思議なことに、まるで生木を燃やしたように黙々と白い煙を上げだした。


「ははは、季節外れの焚火じゃのう……ほら、芋を持って来て焼いても良いぞ、駄賃代わりに焼き芋でも食べるが良い」


 そう言うと、マルコナは笑いながら離宮の屋敷の中に入って行った。その様子を見送る下男達は首を傾げてヒソヒソと話合う。


「どうしたんだろ?」

「いよいよ、ボケちまったか?」

「うぇー、ボケ爺さんの面倒までみるのかよ、オラいやだー」


 そう言い合う下男の頭上には、白い煙が綺麗な一本の筋となって空に立ち上っていた。


 そして翌日、午後の遅くに離宮の公爵マルコナを訊ねてくる者達が有った。二十人近くの集団でアートン城の兵の監視をすり抜けてやって来たそれらの者達は皆白髪、又は禿頭の老人たちだ。しかし、ただの老人ではない。みなマルコナが現役時代の重臣や騎士団の重鎮である。それらの者はアートンの南にある、田舎町リムンに、ドルフリーによって半ば強引に移され引退させられていた者達だ。


 それらが、どういう訳か示し合わせたようにこの日一同に会していた。普通ならドルフリーの命により、それらの者達は離宮まで辿りつくことも出来ない。しかし、その口やかましいあるじが出払った後のアートン城は、この老人達にしてみれば馴染み深い庭のようなものである。抜け道など幾つも知っているのだ。


 そして、彼等が尋ねる公爵マルコナは、実は昨晩から体調不良を訴えており、今日は朝から床に伏せったままだった。そんな事情だったから、老人達の訪問を出迎えた若い家老の一人は、


「生憎、マルコナ様はお加減がすぐれず面会は……」


 という。そこに、すかさず禿げ頭の老人が受け答えした。


「そうであろう、そうであろう。主様の具合が悪いと聞いて我ら見舞いに訪れたのだ。ほら、こうやって精の付く食べ物も用意してきた。後で台所へ届けるぞ。さ、通してくれ」


 この禿げ頭の老人は元アートン城の家老の一人、まだ辛うじて現役でのこっているジキルの同僚だった男だ。元家老の老人にそう言われると、若い家老はジキルが指示した見舞いと勝手に解釈し、老人達を屋敷に招き入れた。


「おい、儂らしばらく積もる話もある故、邪魔立てせんでくれよ」


 これは、薄い白髪のガッシリと体格の良い老人の言葉だった。先代エトシア砦騎士団長の老人だ。普通に言っただけなのにまるで抜身の剣を突き付けられて命令されたような剣呑な雰囲気に、若い家老は無言で何度も頷く。


 そんな短いやり取りで、かつての忠臣達はまんまと主との再会を果たしたのだ。


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「主様、お変りないようで……」

「お主らは、みな揃って老け込んだのう」

「ははは、毎日毎日孫の相手ばかりでは、それは老け込むのが道理」

「その上、息子は帰って来ぬし、息子の嫁にも邪魔にされる始末」

「それは、お前さんが嫁御の水浴びを覗こうとするから……」

「コラ、その話はやめんか」


 このまま、嫁の愚痴、連れ合いの悪口、孫自慢に病気自慢が始まれば老人達の他愛も無い寄合という雰囲気だが、そう言う訳ではなかった。その証拠に、公爵マルコナは少し低く籠った声で言う。


「よくも『狼煙』の合図を忘れずにいてくれたものだ……皆に感謝する」


 その言葉に老人達一同が頭を下げる。その様子を見届けたマルコナは、一段声を落とすと、おもむろに語り出した。


「召集を掛けたのは他でもない、実は――」


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 老人達はその日の午後には行動を開始した。何事もせっかち・・・・にやるのがこの年代の性分なのだ。先ず、元アートン騎士団副団長、つまりドリッド将軍の先代に当たる老人と禿げ頭の元家老が連れだって堂々とアートン城に向った。彼等の要件は、


「王弟派の密使を捕えた、内容をジキル殿にお話したい」


 ということだった。素っ頓狂な話であったが、元は公爵領の重鎮中の重鎮であるその二人の話を鵜呑みにした城の兵は、父親の留守を預かるためアトリア砦から呼び寄せられたアルキムへそれを伝えた。しかし、


じじいままごと・・・・などに、付き合っておれるか」


 と、父親似のアルキムは興味を示さず放っておいたのだ。一方、その反応が織り込み済みだったように、家老ジキルと合流した二人の老人は、色々な相談をするという建前で城の奥の区画にある部屋に入る。勿論これは全てが方便、つまり嘘で、目的はドルフリーの執務室がある奥の区画に合法的に入るためだ。


「どうだ、見張りはおるか?」

「おらぬようだ……」

「大丈夫かお二人、お二人とも片や目が不自由、片や耳が不自由では無かったか」

「なにを、ジキルめ生意気だぞ」


 そんなヒソヒソとしたやり取りのあと、部屋を出た三人の老人は一路ドルフリーの執務室へ向かう。そして、ジキルが用意していた鍵束から部屋の鍵を取り出すとまんまと中へ侵入。ついで、事も無く目的の物を入手したのだ。


 彼等の目的の物、それは「アートン公爵家の印璽」と「西方国境伯旗」という二つの宝物である。印璽はアートン公爵が発行する公的文章に正当性を与えるもの。そして「西方辺境伯旗」はアートン以外の所領、つまりダーリアやトトマ、リムンを合法的に支配する権威の象徴だった。


 結局、事も無く使命を終えた三人の老人は、ジキルを城内に残して避暑離宮に引き上げて行った。


 そして、その日の夜に先ず四人の元騎士の老人が夜陰に紛れて離宮を出発、一路アトリア砦に向った。その面子は元アトリア騎士団団長の大柄な老人。そしてその部下だった三人のこれまたガッシリとした一見老人には見えない者達だ。そんな彼等の懐には、アートン公爵マルコナ直筆の印付き命令書があった。


 開けて翌日。早朝から行動を開始した公爵マルコナ率いる元家臣団はアートン城の寝起きを襲っていた。


「今すぐ兵を挙げるぞ! 動ける者だけ準備せよ!」

「なんですと! 一体何の……」

「これを見よ! 主様の命令書だ!」


 そんなやり取りは、城内の兵舎にやってきた元アートン騎士団副団長を始めとする引退した元騎士達と居残り部隊の中隊長達の間で起こった。しかし、中隊長達に差し出された命令書は紛れも無くアートン公爵家の印があった。


「いや、しかし、つい先日演習の兵を……」

「事情の説明を受けに来たのでは無い! 兵を挙げると命令しに来たのだ。動けるものを集めんか!」

「いや、しかし」


 元副団長を前にそれでも渋る中隊長達に、別の元騎士が低いしわがれた声でボソリという。


「入った頃にはヒヨっ子だったのに……随分と偉い口をきくようになったな」

「え……」

「偉くなったのか?」

「いいいいい、いえめっそうもありません、小隊長殿!」

「なら、言われた通りに動くのだ、また尻をぶたれたいか?」


 小隊長と言われたその老人の一言で震え上がった中隊長達は、兵や騎士を掻き集めるために方々へ散って行った。


 一方、城の居館はもっと大騒ぎになっていた。早朝だったので当直の家老数名しかいなかったが、そこに公爵マルコナ本人が命令書を持って現れたのだ。


「朝早くにすまぬな。この命令を城下と領内の関係各所に発令してくれぬか」


 出し抜けにそう言われた家老は、怪訝な表情でその命令書を受け取り目を通す。そして仰天するほど驚き叫ぶように言う。


「ド、ド、ド、ドルフリー様を、廃嫡ですか?」

「そうじゃ、父親の儂が息子の処遇をどうするか、それを決めただけのことじゃ」

「しかし……」


 その家老の疑問に答えたマルコナだが、その家老はまだ口答えをしかかる。そこへ、元家老の禿げ頭の老人が割って入る。


「お前、主様の言う事をすんなりと聞けぬのか? それもと何か別に良い案があるのか? 有るなら申せ、直ぐに吟味しよう」


 現役の頃は、厳しい上司だったその老人に詰め寄られると、元部下の立場では何も言い返せない。何よりも公爵本人が持って来た命令書だ、その正当性には文句の付けようが無かったのだ。


「い、いえ、公爵様の命令ですから」


 そう言うと、その家老は脱兎のごとく命令書を持って掛けて行った。


 この日アートン城を襲った老臣達の嵐は、厳密に言えばクーデターでは無かった。息子に預けていた権力を、息子が臣下の道を踏み外したことを理由に公爵本人が取り戻しただけのことだ。しかし、このままドルフリーが公爵に成ると思い込んでいたアートン城の人々は上を下への大騒ぎとなる。そして、その騒ぎを完全に沈める間も無く、動けるだけの兵や騎士を集めた公爵マルコナはダーリアへ向けて出兵したのだ。その目的は――


「ドルフリーめが、大人しく武装解除と投降に応じてくれれば良いが……」

「そればかりは……なってみなければ分かりませぬな……」

「やはりそうか……」


 アートン城の全兵力に近い騎士三百と兵士千五百、それにアトリア騎士団の残存勢力騎士百と兵士五百を引き連れ、更に体の自由が利き、未だ馬を操れる元騎士達をも引き連れた公爵マルコナの軍はダーリアの街に急行したのだった。


 それは、レイモンド王子とドルフリーが演習場で衝突する一日半前の話だった。


****************************************


 時は戻る。


 ドルフリーは少ない手勢を伴い、演習場の北端からそのまま麦畑に飛び込み、街道を目指していた。周囲には瓦解し逃亡中の所属隊もわからないような歩兵たちが同様に麦畑の中を闇雲に逃げ回っている。そんな兵達に混じり、ドルフリーは供回りの者達と先を急ぐのだが、その馬足が不意に緩む。


 彼の背後では、投降を呼びかけるレイモンド王子側の声が響いていた。ドルフリーはその声に後ろを振り返る。そこには、逃げ遅れたアートン騎士団の騎士達が中心となり残った兵を掻き集めた集団が幾つか形勢されていた。それらの小勢は、まるで殿しんがりを務めるかのように、レイモンド王子の遊撃軍に対して必死の抵抗を続けていたのだ。麦畑の中のドルフリーからは、そんな彼等を投降させようとする遊撃隊が掲げる「紫禁の御旗」だけが良く見えた。


(……形勢逆転……というところか……私のせいなのだろうな)


 その光景に逃げ続けることを逡巡したドルフリー。一度はダーリアまで逃げ延び、街に駐留する騎士団と衛兵団、それにアトリアとアートンから残存兵を呼び寄せて今度はトトマを直接攻めようと考えていた。しかし、


 馬を止めたドルフリーは、急にその向きを演習場へと向ける。


「ドルフリー様! 一体?」


 その様子に、一緒に逃げていた騎士が声を掛けてくる。対するドルフリーは、


「残った者達を!」


 その答えは、中途半端なもので、問いかけた騎士にも他の兵にもドルフリーの真意は分からなかった。ただ、主が戦場と化した場所に戻ろうとするのだから、彼等は仕方なく後に従うしかなかった。


 やがて、演習場に戻ったドルフリーは開けた視界で戦況を確認する。そこには、三十人程の集団が二つ。演習場の北側に残り、頑強に抵抗していた。そして、それらを包囲しているのは、エトシア砦の実子マルフルが率いる騎士団とアトリア砦の造反した騎士達、そしてレイモンド王子率いる遊撃隊の兵士達だった。


「……もうよい……」


 その光景に、ドルフリーの呟きが漏れた。そんな彼の目の前には、包囲から外れた遊撃隊の騎兵が数騎近付いて来ていた。


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