Episode_13.13 崩壊


 円形陣正面部では、熾烈な戦いが続いていた。死兵の如き強さを見せる遊撃隊の歩兵達に、最初アートン騎士団の兵達の攻めは消極的だった。御旗に対する攻撃を躊躇う心情が大きかったのだろう。しかし、隊列の後方から積極攻勢という命令を再三受けた各小隊長は、背後の自軍から受ける圧力に屈し、押し出されるように距離を詰めると結局槍や剣を交えることになったのだ。


 歩兵同士が正面を向き合い戦う状況では、士気の高さよりも数の多さが重要となる。少数の遊撃隊歩兵は何度も防御線を崩壊させそうになり、その度に奇跡的な盛り返しを見せていたが、それも永遠に続く訳では無い。やがて押され始める防御線は、騎馬による機動戦を放棄したロージ率いる騎馬隊が合流し、何とか支えている状況なのだ。


「ロージさん!」

「ユーリーか! とんでもない時に戻ってきたな」


 ユーリーは、老騎士シモンから御旗を預かり、それを元の旗手に返すとそのまま防御線正面に向っていたのだ。そして、馬上から休みなく槍を振るうロージに声をかけた。声を掛けられたロージは、チラとユーリーの姿を認めると冗談めかした声で返事をする。勿論手は槍を振るいながらである。


「数が多いんだ! 何とかならないか?」

「勿論、何とかするために来たんです」


 ロージの言葉にそう応じたユーリーは、馬上から防御線越しに前方の軍勢を見る。数は三百強といったところだ。そして、相手軍勢の前列後方に狙いを定めると「火爆矢ファイヤボルト」を発動した。


 赤い火線が手前の防御線の頭上を飛び越え、前線の十メートルほど後ろに着弾する。そして、


ドォォン!


 と小規模な爆発を起こし、着弾点付近の兵や騎士を吹き飛ばす。


「なんだ!?」

「魔術だ!」

「アーヴィル卿か?」

「固まるな、散開しろ!」

「無理です!」


 たった一度の魔術による攻撃だったが、それを予期していなかった相手側は混乱に陥る。特に、魔術の攻撃に対しては散開しつつ一気に距離をつめて対応する、と訓練されていた兵士達は、散開する場所もなければ距離も詰められない状況に恐怖が勝った。そして、一時的に防衛線への攻撃が弱まる。


(……一方的過ぎる……)


 一方その光景に、ユーリーは二撃目を躊躇う。戦場ではあるが、まるで抵抗できない相手に一方的な攻撃を加えることに躊躇いを感じたのだ。これまで、降り掛かる火の粉を払い、守るべきものを守るために数多くの敵を打ち払ってきた青年騎士は、しかし、最前列の一歩後ろから、逃げられない敵に致命的な魔術を放つことに迷いを感じてしまった。


 形勢は依然として自軍が不利な状況。一時的に弱まったといっても、今にも防衛線を食い破りそうな敵に対して、迷っている暇は無い。しかし、不意に芽生えたその感情は十九歳の青年の甘さだった。そこに、


「ユーリー! 甘ったれた事を考えるな!」


 弱まった攻勢に束の間の余裕を得たロージが、一列後方のユーリーを叱咤するように怒鳴り付ける。


「お前の甘さが味方を殺す・・・・・ぞ!」


 ロージの目には、本人が思う以上に動揺の色を滲ませたユーリーの表情が見えていた。そんなロージにはユーリーの気持ちの本当のところは分からない。ただ、彼の持つ力が苦しい現状を打開する唯一の望みであることは分かる。だから、厳しい言葉をかけるのだ。


「お前が出し惜しみするこの瞬間、傷付き死ぬ兵士に詫びる言葉を持っているのか! 甘ったれは戦場に来るな!」

「くっ……」


 一方、ユーリーはそんな厳しいロージの言葉に反論したくなるが、その言葉を呑み込んだ。


(何て言い返すつもりなんだ? 「だって逃げられない敵に一方的に攻撃するなんて可哀想じゃないか?」とでも言うつもりか、ユーリーオレは!)


 そう考えたユーリーは、敢えて鞘に納めていた「蒼牙」を抜き放ち魔力を籠める。そしてもう一度「火爆矢」を発動するのだ。現れた大きな炎の矢は先ほどよりも白身が増し文字通り白熱している。そして、


「そんなの、分かっている!」


 と大声で迷いを打ち払うように「蒼牙」を振るう。その切っ先は、敵兵の奥で指示を飛ばしていた指揮官らしい二騎の騎士を指し示していた。そして一際大きな炎の矢がその指揮官に襲い掛かった。


ドォォォォッン!


 直撃を受けた指揮官二人は文字通りに消し飛び、次いで溢れ出した爆炎が周囲の兵士を呑み込む。相次いで起こった二回の魔術による爆発に三個中隊分のアートン騎士団は指揮官を失い恐慌状態に陥っていた。


****************************************


「正面の中隊共は何をしているんだ! 何故もっと攻勢に出ないのだ!」


 ドルフリーは眼前の戦況が思い通りに進まないことに腹を立てていた。その上、実子であるエトシア砦のマルフルが自分に対して剣を向けるような行動に出たのだ。怒りは最高潮に達する。その時、


「ほ、報告します!」

「なんだ!」


 転がるように陣に飛び込んで来たのは数少ない斥候隊の兵士だ。彼は、体のあちらこちらに麦の葉や顔を出したばかりの若穂を張り付けて泥まみれで自陣に飛び込んできた。そして、鬱陶しそうな声を出したドルフリーに後方の様子を伝えた。


「陣地の背後に農民に偽装した兵士多数。恐らく千以上の大軍です。東から接近しています……もうすぐそこに来ています。撤退するべきです!」


 その斥候が伝えたのは、一日前にトトマを出発した農民に偽装した遊撃隊歩兵と彼等に扇動された近隣の農民達だ。「紫禁の御旗」が掲げられると同時に行動開始した彼等は、斥候の報告では千以上と伝えられるが、実際はダーリア近辺の農村からも人が集まっており、その数は二千を超えている。当然準備した槍や弩弓なのどの武装は足りていないが、皆鋤や鎌、鍬を武器代わりに持ち、老若男女問わず総出で農地を荒らす者達を追い払いに来たのだ。


「た、たわけが! 農民相手に軍を退けるか!」


 しかし、ドルフリーはその斥候の言葉を一蹴する。すると、追い討ちを掛けるような報告、いや轟音が轟いた。


ドォォォッン!


「なんだ?」

「魔術のようです!」

「魔術……アーヴィルか?」

「分かりませんが、第一から第三中隊、後退……いや潰走! 逃げて行きます!」


 本陣警護の兵士が言うように、レイモンド王子の円形陣を正面から攻めていた第一から第三の中隊は兵士を中心に前線から逃走を開始していた。逃げる兵士達を押し留めようと騎士達が大声を張り上げているが、それ以上に兵士達が「隊長がやられた! 逃げろー」と口々に叫んでいる。そして彼等は自陣ではなく、演習場の北を目指して逃走、いや潰走していくのだ。そんな瓦解した兵達の逃げる途中には、戦力を温存している第五中隊があるのだが、兵達の恐慌状態は伝播し、第五中隊も早速混乱状態に陥っていた。


「おのれ……退却だ……」


 その光景に流石のドルフリーもボソリと呟いた。正面三個中隊の瓦解と北側の一個中隊の混乱、それは戦力の崩壊を意味したのだ。このままでは、レイモンド王子を捕えるどころか、逆に自分が捕えられてしまう。


「退却だ!! ダーリアまで退くぞ!」


 ドルフリーはそう言うと、自身の愛馬に飛び乗る。一度挫けた戦意は再び戻ることはなく、頭の中は最短距離でダーリアまで逃げ帰ることで一杯だった。


「ど、ドルフリー様! お待ちください!」

「お待ちくださーい!」

「早くしろ! 置いて行くぞ!」


 ドルフリーは少ない供回りを掻き集めると、陣をそのままに北へ逃れるのだった。

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