Episode_13.11 砂上の楼閣


 ドルフリーは自陣の中央で慣れない軍の指揮を行っていた。今回の演習には参謀や副官に相当する者達をアートン城から連れて来ていない。元々、横から色々と口出ししてくるような武官達を好まないドルフリーは、何でも言う事を聞くドリッド将軍一人がいれば良いと思っていた。しかし、そのドリッド将軍はアーヴィルに打ち倒された後、自陣に戻っておらず、各戦闘中隊に指示をする人間はドルフリー自身しかいなかったのだ。


「第一から第三中隊は敵陣正面へ、第四は右翼、第五は左翼から突っ込んで相手の守りをすり潰せ!」


 しかし、我被の戦力差が倍以上ある状況での指揮ならば、余程の愚鈍でも無い限り目的を達することが出来るはずだ。そして、ドルフリーは決して愚鈍の類ではない。慣れない指揮も其れなりに道理にかなったものであった。しかし、


「アトリア騎士団は何故動かん!」


 ドルフリーは自軍の直ぐ左に位置するアトリア騎士団を差して喚く。


「シモン様がいないため、指揮系統が混乱しているものと……」

「馬鹿者! 全員で目の前の雑兵を叩け、と伝えろ!」


 ドルフリーは配下の騎士にそう伝えて隣の陣地に走らせる。そして、自陣からみて右翼、つまり演習場の出入り口付近で負傷した騎士アーヴィルに襲い掛かった第四中隊からの戦果報告を待つのだが、


「第四中隊より報告します、一個小隊壊滅、もう一つの小隊は現在敵の騎兵隊と交戦しておりますが、お味方劣勢!」

「第三中隊より報告します! レイモンド王子の陣中にシモン卿と思しき騎士の姿を見かけたという者がおります! また、単騎で演習場に飛び込んだ何者かが第四中隊の小隊を打ち破ったとの事です!」

「第一中隊より報告! 大隊長戦死!」

「斥候隊より報告! 背後の麦畑で大勢の農民が終結しております!」

「輜重兵隊より報告! ――」


 ドルフリーは矢継早に飛んでくる各隊からの報告を全てしっかりと聞いていなかった。ただ、自分の出した命令の結末のみを知りたがる。


「うるさい! 余計な報告は要らない! アーヴィルはどうした!? 討ち取ったのか?」


 その問いに最初に報告しに来た伝令兵が答える。


「アーヴィル卿は、レイモンド王子の陣内に収容されたとの事です。別の報告にあった単騎の騎士とシモン卿と思われる騎士の手によって、ドリッド将軍共々陣内へ運び込まれたとの事です!」


 ドルフリーは、思いもかけない事態に必要以上の焦りを感じた。そして、焦りから少し判断を間違えていた。


 老騎士シモンが相手側に付いたのならば、アトリア騎士団を前に出すべきでは無かった。アトリア砦は自身の長男アルキムに任せていたが、砦の騎士や兵士の全員を掌握したとは言えない状況だった。依然としてアトリア砦の騎士団は副官の立場である最古参の老騎士シモンを信望していた。その事はアルキムの報告には書いていなかったが、独自の調査で把握していたドルフリーだった。そのため、レイモンド王子側に立ったかもしれない老騎士シモンのいる相手陣に、彼の子飼いの騎士団を向かわせるのは敵に援軍を送るようなものなのだ。


 別の報告にあった、背後に集まる農民達の集団にアトリア騎士団を向かわせ、正面のレイモンド旗下遊撃隊の陣への攻撃は手勢だけでも充分だったはずなのだ。しかし、この時のドルフリーは、アーヴィルがレイモンドの陣内に収容されてしまった事に焦り、全力でその陣を叩く事しか思いつかなかった。だから、


「左翼に回った第五中隊を右翼へ回せ! 空いた右翼にアトリア騎士団を向かわせろ! 大軍を以て一気に押し潰すのだ、生きて捕えるのはレイモンドだけで良い!」


 という指示を飛ばしていた。


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 ヨシンは来た道を引き返すように裏街道を進んでいた。先を行くのはエトシア砦を出発した五十騎の騎士達、中にはエトシア騎士団長マルフル、副長オシアが含まれている。そんな彼等は、トトマを経由するのではなく、裏街道を東に進み、そこから北上することで演習場所に直接出ようとしているのだ。


 場所については、周到な副長オシアが既に農夫の姿をさせた斥候兵を放っており、特定しているとのことだった。だから、エトシア騎士団五十騎とヨシンは迷うことなく全力で裏街道を疾駆する。


 裏街道の道は余り整備されていない。森の中を行く道だから所々に石や木の根が張り出している。しかし、先を走る騎士達は鮮やかな手綱さばきと、元々馬を疾走させられる場所を心得ているように、一列の長蛇となって街道を駆けている。その最後尾に付いたヨシンは本職の騎士の馬捌きに舌を巻いていた。


(やっぱり、子供の頃から馬に乗ってる騎士やつらには敵わないな……)


 ヨシンは内心で、この場にいないユーリーに語り掛ける。それは、敵わない、と諦める心情の吐露ではなかった。喰らい付いて行く、という決意の表れだったのだ。


 こうして、裏街道を駆け抜けたエトシア騎士団は、ある場所で止まるとそこから一気に北上する。森が切れ、開けた平地に出る。そして手前を横切るように流れる小川を突っ切ると、周囲は農地へと姿を変える。


「ん?」


 馬を進めるヨシンの耳に、微かに戦いの音が聞こえてきた。その時、


「近いぞ!」


 と副官オシアの声が上がる。そして、


「良いか! 演習が問題無く実施されている場合は、様子を見るだけだ。但し、何等かの異変があった場合は……というか、異変があるようだな!」


 マルフルは作戦を反芻するように言うが、その彼も遠くで響く尋常ならざる物音に気付いていた。


「もう少し近付き、偵察を出す。我らの目的はレイモンド王子の援護だ!」

「応!」


 マルフルの言葉に配下の騎士達は低めた声で応じると、再び隊列を北へ進ませた。


****************************************


 アデール一家が奪った荷馬車と、それを追うゴーマス隊商の荷馬車達は街道を疾走する。本来速度を上げて走行することを想定していない荷馬車は、街道の凹凸を拾って狂ったように跳ね上がるが、アデール一家も、ゴーマスの護衛戦士団も必死で荷台に掴まり、先を急いでいる。やがて、


「親分! あっこじゃないですか? 南に折れる小道が!」

「あっ、あそこに違いない! オイ止めろ!」


 アデールは御者台に陣取った手下の後ろ頭を小突くと馬車を急停車させるが、勢い余って小道を通り過ぎて止まった。そこで、荷台を飛び降りると徒歩で走っていくことにしたのだ。そこへ、


「ようやく観念しやがったな、コソ泥共め!」


 と、声を上げて追いかけてきたのは、バッツ以下三十人の護衛戦士団だ。全員が荷馬車から次々と飛び降りて駆け寄ってくる。皆一様に怒りの形相となっているのは、仕方ないだろう。


「コソ泥なんかじゃねぇ! こちとら、アートン公爵の姫君イナシア様の手下アデール一家だ!」

「はぁ?」


 アデールは掴みかからんばかりの勢いで迫るバッツに事情を説明する。バッツは最初こそ疑わしそうに聞く耳を持たなかったが、アデールの口からユーリーとヨシンの名前を聞くと様子を一変させて詰め寄ってくる。


「お前! 本当なんだろうな!?」

「ほっ、本当だ! この先で演習しているレイモンド王子の所へ向かったんだ!」

「よし、じゃぁ付いて行ってやる! その代わり嘘だったら……その場でバラしちまうからな!」


 アデールはバッツの殺気の籠った言葉に震える気持ちを押し殺して言う。


「ああ、構わねェよ! その代わり本当だったら、一杯奢れよ! 全員にだぞ!」


 そして、アデール一家にバッツ以下の戦士達を加えた一行は麦畑へ分け入っていった。


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「アーヴィル! しっかりしろ!」


 レイモンド王子は担ぎ込まれたアーヴィルに取り付くと、大声で呼びかける。呼び掛けるのみならず、肩を掴んで乱暴に揺すり始めると、流石のユーリーも止めざるを得なかった。


「レイ! 安静にさせるんだ! 止血ヘモスタッドも掛けたし治癒ヒーリングも掛けた!」


 レイモンドは、その声で我に返ったように横たわるアーヴィルの肩を離すと、替りにユーリーに向き合った。


「ユーリー! 戻ってきて……ありがとう」


 そう、切れ切れに声にするレイモンドは、ユーリーの目から見ても涙ぐんでいるように見えた。そこへ、


「一軍の大将たる者! 弱々しきさまは、兵に見せるべからず! 殿下、しゃんとなさいっ!」


 と、古式ゆかしい武人である老騎士シモンの叱咤が掛かる。そうやって厳しい言葉を言うシモンをレイモンドは一度だけ睨むが、直ぐに後ろを向き、両手で目の辺りを拭う。そして再び向き直った時、そこには美丈夫の呼び声高い普段通りの王子がいた。


「戦況をしらせよ!」

「はっ、報告いたします。右翼の中隊は左翼に回りましたが、開いた場所にアトリア砦の騎士団が進出、押されております!」

「中央は防御線が後退しましたが、ロージ副長の騎兵隊と連携し何とか守っています!」

「マーシュ団長の騎兵隊、左翼の小隊を撃破! しかし後詰めの隊に拘束されております!」


 戦況は一進一退、いや、四分の一の勢力でこの状態なのだからレイモンド旗下の遊撃隊は大健闘というところだ。しかし自軍の数が少なすぎる。


「王子、マーシュ団長の隊が優勢を保つ間に兵を退くべきです!」


 とは、遊撃隊に従軍する元ロンド家の古参兵の意見だった。しかし、


「いや、この数の差ではこちらが撤退に転じれば、好きなように後ろから襲われるだけ……陣形の恩恵なければ、多勢の前の無勢……」


 と老騎士シモンが言う。経験豊富な老騎士の言うことは事実だった。機動力で勝る騎士を多く配した騎士団。それと拮抗して戦況を展開できるのは、演習場という限られた空間の恩恵が大きい。一度街道に逃れてしまえば、相手は好きなように機動力を発揮し、こちらを削り取っていくだけなのだ。


「先程まで彼陣にいた身なれど、叶うことならば、この老兵に御旗の旗手を任されたい!」


 シモンの撤退を否定するような言葉に周囲の兵達は押し黙るが、自らが作った沈黙を破ったのは彼自身だった。


「シモン卿、御旗を持って何とする?」

うちの・・・小童こわっぱどもの目を覚まさせる所存!」


 老騎士シモンの言う「うちの小童」とはアトリア騎士団の事だろう。しかし、先ほどまで敵陣に居た騎士を信じて、頼みの綱である「紫禁の御旗」を渡して良いものか? 誰も意見を言えずに押し黙る。


「レイ! シモンさんが信用できなければ、オレが一緒に行く。シモンさんが変な事をしたら、俺が旗を取り戻す! だから」

「ユーリー……」


 しかし、ユーリー一人がシモンの言葉に賛同するような声を上げていた。明確な理由は無い。だが、シモンという老騎士は根っからの武人、喩えるならウェスタ侯爵家のガルス中将のような人物だと直感したユーリーは、その言葉にたばかりが無いことを確信していたのだ。


「わかったユーリー! シモン卿とお前に旗を任せる……してどうする?」

「ありがとうございます。右翼の小童どもを黙らせてご覧に入れます! 若造! ついて来い!」


 シモンはそう言うと、旗手役の騎兵から御旗を引っ掴み、ユーリーに声を掛ける。そして、円形陣の中央から外側へ向けてズカズカと歩いて行くのだ。ユーリーはその後を慌てて追う。そして、


「若造……すまぬな」


 という老騎士シモンの声を聞いたのだった。


***************************************


 アトリア騎士団の四個中隊は、確たる指示も無いまま前進していた。四人の中隊長は陣に向けて兵を攻めさせる者、様子を見ようと距離を置く者、各者各様にバラバラの行動をとっている。それでも、少数である遊撃隊への圧力は相当のものだ。そこへ、


「我が名を忘れた者はおらぬだろうな?」


 円形陣の最前列を割って進み出たのは御旗を持つシモン、そしてその横に立つユーリーだ。シモンは大軍勢を前に大声を発する。


「君主を誤り、コルサス王国の正当なる主レイモンド・エトール・コルサス王子に槍を向け、弓を引きたる諸君らの所業、これは私の不徳の限り!」


 シモンの大音声に、押し寄せていた攻め手も、守っていた遊撃隊も唖然として御旗の旗手を見る。


「アトリア騎士団諸君に告ぐ! 騎士として兵士として、仕える主を選ぶ機会は千載一遇! 良く考え選ばれよ! 選べぬものは、槍を置き、剣を置き、戦いを止めよ!」


 その言葉にアトリア砦の騎士や兵士達は騒然となる。しかし、シモンの口上は終わらない。


「その上、ドルフリーをあるじと仰ぐものあらば、速やかに名乗り出よ! この老骨が一人一人の性根を検分してくれる!」


 シモンのその言葉を機に、アトリア騎士団の約半数が槍を地面に放るか、剣を鞘におさめた。しかし、残りの半数は構わずに攻撃を続行しようとする。そして、剣を引いた者達が、攻め続けようとする者達とレイモンド王子の陣の間に割り込んでいく。


****************************************


「報告します! シモン卿、御旗を手に姿を現しました!」

「なんと、御旗を奪ったか!」


 伝令兵の伝える内容にドルフリーは狂喜する。しかし、


「報告します、アトリア騎士団……攻撃を中止しました!」

「なっ!」


 続く報告にドルフリーは絶句する、そこへ追い討ちを掛けるように凶報が殺到する。


「演習場南端より、騎士五十騎! エトシア砦のマルフル様が指揮されておりますが、アトリア騎士団を攻撃中!」

「演習場北端より正体不明の兵士五十弱、第五中隊を切り崩しております!」


 重なるように響く悪い知らせにドルフリーは茫然とする。血の気が引くとはまさにこのこと、と言わんばかりの蒼白な顔色となっているのだ。そして混乱したドルフリーは直ぐに指示を出すことが出来なかった。

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