Episode_13.09 幻影の祖国


 レイモンド王子を守るための円形陣、その外輪は比較的錬度の高い遊撃隊の歩兵で囲まれている。彼等の持つ中型の円形盾は遊撃隊だろうが騎士団だろうが衛兵団であろうがつぶし・・・の効く汎用的な装備だ。そして、歩兵にしてはやや長い槍は四メートル弱の長さを誇る。それは、水平に構えて突き刺すよりも、垂直に構え振り下ろす用途に向いた長槍だ。地面に斜めに突き立てて騎兵を阻止するパイクの役割を果たすことも出来るが今は整然と垂直に立てて保持されている。


 そんな円形陣の内側の兵達は一斉に弩弓の先端を足に掛け全身の筋力を使い弦を引き上げ引き金に掛ける。そして素早く腰の矢筒から短く太い弩弓用の矢を取り出しそれをつがえる。一度の射撃に要する時間は二十秒、要領よくやれば一分に三回放てる弩弓は短弓や長弓と比べると連射は効かないが、短期間の訓練でそれなりに矢を放つことが出来る便利な兵器と言える。


 元々斜面の上に陣取っていた遊撃隊の射手達は、眼下の窪地を駆けあがってくるアートン騎士団の兵士達に狙いを付けるが……発射の号令は掛からなかった。なぜなら、


「どうした! 前へ進め!」


 先ほどの馬上試合でダレスに敗れた騎士がそう叫ぶが、周囲の兵達は目の前やや上方に翻る「紫禁の御旗」に明らかに動揺して、レイモンド王子の防御円形陣に近付けないでいたのだ。


「ええい、腑抜け共が!」


 その騎士は、馬上槍で手近な兵を数人打ち据える。そして、


「前進せよ! 命令だ、違反者は処刑する!」


 と喚くのだ。その声に兵達はようやく重い足取りで前進を始めるが、直ぐに斜面上から弩弓を射掛けられ、後退する。彼等に射掛けられた弩弓は斜面に沿ってほぼ仰角無し、地面と水平に放たれた強い矢だ。革鎧に当たれば難なく貫通してしまう威力に負傷者が続出する。そして、


「ぎゃぁ!」


 狙いを外して流れた矢が、その騎士の兜の面貌の間隙に飛び込み、顔面に突き立った。その騎士は悲鳴を上げて落馬すると地面をのた打ち回るが、周囲の兵に彼を助ける者は居なかった。


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 今や戦場と化した演習場を俯瞰すると、南北に伸びた演習場の西側に陣取るレイモンド王子旗下の遊撃隊は防御円形陣を組み、守りに徹している。それを攻めるのはアートン騎士団が主体だが、攻撃は消極的なものとなっている。また、指揮官である老騎士シモンが出奔したアトリア砦の騎士団は、まともな動きが出来ず未だ陣地に留まっている状態だ。


 しかし、一人北側に孤立したアーヴィルは別だった。「紫禁の御旗」を持つレイモンド王子の本陣から離れた負傷騎士一人を討ち取れという命令は兵士達にも従い易いものだった。そして、アーヴィルの元に数十人の兵達が大挙して押し寄せている。


 アーヴィルは束の間の時間で、痛みをどうにか堪えると一度だけ「身体強化フィジカルリインフォースメント」を発動する。しかし、初歩的な付与術であるそれでも、何度か集中を乱し失敗していた。そして、やっと術の効果が発動した頃に突進してくる兵達を迎え撃つ格好となった。


(くそ、数が……)


 思考すらまともに繋がらない狂乱の時間が訪れる。同時に十人近くの兵があらゆる方向から剣を振るい、槍を突き入れてくる。その内の幾つかを盾で防ぎ、剣で薙ぎ払うが、如何に技量の差が有ろうとも、全てを覆す数の差にアーヴィルは呑み込まれつつあった。


 敵の剣が右手の手甲ガントレットを打ち据え、槍が矢傷の上から左腕を殴打する。そして、鎧が有ろうが無かろうが、関係なく滅茶苦茶に打撃や斬撃が降り注ぐ。アーヴィルは死を覚悟しつつ何とか最後の一撃を、と願う。しかし、痛みを押し殺して起想した火爆波エクスプロージョンの魔術陣は、兜の上から頭部を殴打された衝撃で霧散してしまう。


****************************************


(くそ……これまでか……)


 そう覚悟したアーヴィルは兜の面貌越しの狭い視界が急に開ける感覚を覚えていた。そして、その視界に広がっていたのはまぼろし……遥か北の国、故郷リーザリオンの風景だった。


(これは……ルザスト近くの平原か……)


 死に際して、アーヴィルが見たのは幻影として映し出された祖国、郷里の近くの平原だった。今、アーヴィルが見ているのは、彼がいるはずの場所から遥か北、天山山脈を越え更に北にある平原の光景。そこは、短い夏を謳歌するように生い茂った、背の低い草花に覆われている平原だった。そんな光景を茫然と眺めるアーヴィルはふと背後から少年の声で名を呼ばれた気がした。


「ヴィル! ねぇヴィル兄さん!」


 幻覚だと知りつつも、アーヴィルは振り返る。そして、


(ヨ……ヨシア?)


 アーヴィルの視界がグルリと動き、目の前には未だ十歳前後の少年、弟のヨシアの姿があった。手には木刀のつもりの木の棒が握られている。


(そうか……俺達は狼退治に来ているんだったな)


 幼い頃の記憶を呼び起こしたアーヴィル、それは、もう三十年以上昔のこと。ルザストという街の郊外の農村に暮らしていたアーヴィルとヨシアの兄弟は、近くの畑を荒らす雪狼スノーウルフを退治しようと無謀な冒険に出掛けていたのだ。


(そうか、あの時の事だな……そして俺達は……)


 そうアーヴィルが思い出したとき、場面が一転する。周囲は背の低い雛罌粟ひなげしの群生地帯。そこで、雪狼に取り囲まれた兄弟は成す術もなく震えていたのだ。


(大丈夫だ、ヨシア。今の私は強いから)


 幻覚の中のアーヴィルはそう思うと一歩踏み出し持っていたはずの剣を振るおうとする。しかし、その手は少年のようにか細く、握っていたのは剣では無く木の棒だった。アーヴィルの一撃は難なく雪狼に躱される。


(ああ、そうか私も子供だったな……)


 どこか、他人事のようにそう思うアーヴィルは、目の前の雪狼が自分に飛び掛かるのをぼうと見ていた。その時、


ヒヒィーン


 少し離れたところで、馬の鳴き声がする。この地方に馬は珍しい。持っているのはリザン城の騎士団位だ。そして、


ドォォン!


 少年アーヴィルの目の前に赤い炎の線が横切ると、それは小さく爆ぜながら十数匹いた雪狼を次々となぎ倒し、吹き飛ばしていた。その一撃によって少年兄弟を取り囲んでいた雪狼の群れは半壊し残りは逃げていく。それを数騎の騎馬が追うが、少年アーヴィルの瞳はこちらへ向かってくる立派な騎馬を見ていた。


「コラッ! お父さんとお母さんが心配しているぞ! ヤンチャ坊主どもめ! このマーティス直々に尻をたたいてやる」


(マーティス? ……マーティス王……ああ、そうか……)


 幻の中のアーヴィル少年は、立派な馬に跨ったマーティス王を見上げる。黒髪黒目の壮年の王は、細面の顔に怒ったような表情を張り付けているが、次の瞬間破顔すると、


「無謀は困るが勇敢は大いに結構! ご両親さえ良いといえば、騎士団に見習いとして入れてやろう、そこで待っておれ!」


 笑いながらそう言うと、周囲に警戒する視線を向け、供回りの騎士に声を掛ける、


「スイン! ヨーザック! 深追いしなくても良い、森に追い払えばしばらくは人里に近付くことはあるまい!」


 そう言うと、マーティス王の騎馬は走り去っていく。


(ああ、お待ちください、マーティス様……王様!)


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