Episode_13.03 すれ違い
トトマの南に出来た野営地では、早朝まだ日が昇る前から人々が動き出していた。焚火の後始末を終えた一行は、ここで二手に分かれることになっていた。
「ヨシン、しっかりカテジナさんを砦に送り届けろよ」
「大丈夫だ! ユーリーこそイナシアさんをちゃんとアーヴィルさんの元に!」
そう言い合う二人はここで別れる。ヨシンは侍女のカテジナをつれて公爵マルコナの書状をエトシア砦に届ける。一方、ユーリーはアデール一家と共にイナシアをトトマのレイモンドとアーヴィルの元に届けるのだ。
「あ、そうだ、レイに会ったらよろしく言っておいてくれよ」
「分かってる! じゃぁね!」
そう言葉を交わし、ユーリーは北へ、そしてヨシンはそのまま西へ進むのだった。夜明けの一時間前に出発した彼等が夫々の目的地に着くのは昼過ぎ頃になるだろう。
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その日の夜明け後、午前の早い時間ながら、トトマの東口の詰所前には大勢の人が詰めかけていた。これから演習に向かうというレイモンド王子とその旗下の「遊撃隊」の雄姿を一目見ようと街の人達が集まって来たのだ。
既に白銀の甲冑に身を包んだレイモンドは隣で馬を並べるアーヴィル共々 ――すこし眠そうな顔だが―― 馬上から整列する遊撃隊を見渡す。編制はコルサス王国の伝統的な軍制からは逸脱した遊撃隊特有の騎兵十騎に歩兵五十人の合計六十人を一つの小隊としたものだ。その小隊はさらに細かく五つの戦闘班に分けられていて、その小隊が二つ合わさると中隊となる。今レイモンドの目の前にはマーシュとロージが夫々率いる二個中隊総勢二百四十人が整列していることになる。
騎兵は指揮官であるマーシュとロージは元々騎士の生まれであるため重装備の金属鎧を身に着けているが、それ以外の者は揃いの兜と
そんな遊撃隊の全兵力は騎兵五十騎に歩兵四百五十だが、全ての小隊に騎兵が行き渡っていない。そのため、今回の演習に同行させるのは騎兵を有する四個小隊のみとなる。因みに余りとなった騎兵十騎はレイモンド王子の周囲を固めることになっている。そして、残り二百五十人の遊撃隊歩兵は見送りに来ても良さそうだが、姿が見られなかった。その代り、東口で見送りをするのはベロス率いるトトマ衛兵団だ。
「レイモンド王子、御武運を!」
「ベロス団長、留守居をしっかり頼む」
徒歩で声を掛けるベロスに馬上のレイモンドがそう答える、そして少し馬を寄せて更に小声で言う。
「万一ということがある。街の守りは厳重に。よいな?」
「分かっております……しかし無事のお戻りを衛兵一同お待ちしております」
観衆に聞かれる訳にはいかない小声のやり取り、ベロスの力強い返事に頷くレイモンドは、彼から離れると二個中隊へ向き直る。
「静まれ!」
「静まれ!」
その様子にマーシュとロージの兄弟が兵達に静粛を命じる。そして、充分静かになったところで、レイモンドが口を開いた。
「この度の出陣はアートン公爵が息、ドルフリーが行う演習を視閲することが目的である。しかし私の真意は、このような無意味な演習を直ちに止めさせ、兵をアートンへ引き返させることである!」
堂々とした声に、観衆に詰め掛けたトトマの人々が声援を送る。レイモンドはそれらに手を上げて応えると、更に続ける。
「お前達は、私が誇る遊撃隊だ。あちらはアートン公爵の騎士団だが、何も怖れることは無い。日頃の訓練を信じ、上官を信じ、ドッシリと構えていればそれでいい!」
その言葉に今度は兵の間から気合いの籠った「応!」という返事が返る。そして、
「では、出発だ!」
レイモンド王子の声がトトマの東口に響くと、隊列は回れ右をして順に街を後にする。その雄姿に人々の歓声が上がるが、中でも、
「きゃー! ちょっと見た? 今のカッコいいわねぇ!」
「ねぇ、ちょっと私、いま目が合っちゃったかもぉ!」
「えぇーちょっと、ずるい! 王子! こっち向いてぇ!」
と、黄色い歓声というにはドスの効いた酒焼けした女達の声が上がる。言わずとしれたトトマ街道会館に
「ちょっと、母さん、みっともないから、はしゃぎ過ぎだって」
そんな女達の様子を恥ずかしそうに諌めるのは、給仕服を身に着けたサーシャであった。
「もう、放っといてよ! きゃー、王子ぃー!」
興奮したままの母ナータの様子に、サーシャは諦めたよう肩を竦めて首を振る。そして、トトマからいなくなったはずの若者の姿を隊列の中に探してしまうのだった。
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レイモンド王子と遊撃隊がトトマを出発して数時間後、トトマ近郊の街道を南に逸れた田畑の中に造られた陣には総勢千二百の騎士と兵士が集合していた。そこは、もともと麦畑であったが、大勢の男達や馬の蹄に踏み固められ、今や見る影も無い荒れ地となっている。ちょうど、数日前に設営を阻止しようとした農夫達を殺して奪った場所でもある。
そんな騎士や兵士達が何重にも取り囲む陣の中央部、踏み固められた地面の上に建つ幕屋の中では、アートン公爵の息子で公爵領の実権を握るドルフリーがドリッド将軍ら取り巻きの騎士達と言葉を交わしている。
「ようやくトトマから出て来たか……」
「はい、ドルフリー様。斥候の報告によると、トトマの街を出発したレイモンド王子の手勢は二百数十。騎兵が混じっていますが殆どは粗末な
「『レイモンド王子の遊撃隊』というのだろう……フンッ、所詮子供の思い付きだ」
ドルフリーとドリッドの会話である。ドリッドの放った斥候からの情報はあながち間違いとは言えないだろう。確かにレイモンド王子の遊撃隊の主要メンバーは余り精強に見えない歩兵達だ。しかし、その報告を鵜呑みにして
しかし全体として、ドルフリーの言葉が示す通り「所詮子供」とレイモンド王子を侮る風潮が陣には蔓延していた。そこに、別の報告が入る。
「報告します!」
「なんだ?」
「演習場の周囲に農民達の姿が見えます。何やら見物を決め込むように大人数で見晴しの良い場所数か所に集まっております」
斥候の兵が告げる内容は、昨日使者が言っていたことを合致していた。ドリッド将軍はそれを受けてドルフリーの顔を見る。
「はは、演習なぞを農民どもに見せて何になるのか……まぁ下々の者とも心を通じたいなどと甘いことを平気で言うレイらしい思い付きではあるが……」
ドルフリーは
「よい、放って置け……農民どもにもわが軍の威容を見せつける良い機会だ。そうすれば先日のように楯突かれることも起こるまい」
そう決めつけるドルフリーは、父である公爵マルコナも認めるほど、諸方に目端の利く人間だ。軍事についても大局を見据える戦略的な視点は持ち合わせているが、個別の戦場に於ける戦術にはそれほど長けている訳では無い。また民草の暮らし向きや、その思う処に目を向けるような為政者の優しさとも言える心情も持ち合わせていなかった。
また、その腹心ドリッド将軍は剣や槍の腕ならば間違いなくアートン公爵領騎士団随一の腕前であるが、その才能は大軍を率いて勝利を得る術、作戦や戦術を語るに足る器では無かった。
そんな二人の意見で大勢が決まる陣では、誰も
「なぜ農民達は、先日危害を加えてきた我々の姿を見物しようという気になったのか?」
という疑問を発する者がいなかった。訝しく思う者はいたかもしれないが、それらが自身の考えを口にする前に、たまもや別の報告が入ったのだ。
「ドリッド将軍、レイモンド王子の手勢が見えました! 街道を逸れてこちらへ向かっております」
「おっ! いよいよか」
「よいなドリッド、打ち合わせ通りにやるのだぞ」
「分かっております、ドルフリー様」
その報告で、幕屋の中の面目は立ち上がると外に出ていく。
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同じころ、正午近くのトトマにユーリーとイナシア、それにアデール一家の面々が辿り着いていた。相変わらず自分の馬にイナシアを乗せて、その手綱を曳くユーリーは改修が終わり城砦のようになった南門からトトマの街中に入るが、普段は無い雰囲気に嫌な予感を感じていた。
(衛兵の数が多いな……)
外壁の上には普段の倍近い衛兵が立っている。しかもどの表情もピリピリしたものになっているのだ。普段はどこか
そんな物々しい雰囲気に、アデール一家は少しビクつくような素振りを見せるがユーリーは構わず進むと南門と一体になった居館の入口を警備する衛兵に声を掛ける。
「レイモンド王子はどちらにいますか?」
すると、その衛兵はユーリーの顔を見知っていたようで、その声に応じた。
「あれ、ユーリーさん。お戻りですか?」
「はい、ちょっと理由があってレイモンド王子と面会したいのですが」
「ちょっとお待ちください」
その衛兵は少し困った顔を見せたあと、ユーリー達を待たせて居館の中に入って行く。そして、数分もしない内にその衛兵はベロス団長と共に戻って来た。
「あ、ベロスさん。レイモンド王子は?」
「ユーリー、戻ってくるならもっと早く来て欲しかった……レイモンド王子は遊撃隊を率いて東へ、アートン公爵軍の演習場所へ出向いたんだ」
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その会話から一時間もしない内に、トトマの東口から、矢のような速さで一騎の騎馬が飛び出してきた。勿論ユーリーである。その後ろには、徒歩で追い掛けるアデール一家の姿もあったが、みるみる内に距離を離されていく。
しかし、ユーリーは追いすがるアデール一家のことは既に頭の中には無く、今は一つの事だけを考えている。それは、
(レイ、それにアーヴィルさん……何も無ければ良いが)
ということだ。何も無ければ良い、と願いつつも、きっとそうはならないだろうと覚悟するユーリーは馬を飛ばす。久しぶりに主人を背に乗せた黒毛の軍馬は、若い騎士の焦りを感じ取ったように一段と速度を上げ街道を突っ走っていく。
一方置いてきぼりの格好となったアデール一家の面々は、口々に弱音を吐き始める。
「親分、はぁはぁ、もう走っても追いつけるはずないですぜぇ」
「うるせぇ、ごちゃごちゃ言う暇あったら足を動かせ!」
「ひぇ」
対するアデールは走り去っていったユーリーの背を見詰めながら、弱音を吐く手下をどやし付ける。しかし、追いつけそうも無い事は明白だった。
(くそ……どうする? でも何もしない訳にはいかねぇな……くそ)
社会からのはみ出し者、半端者に甘んじていた自分を情けなく思うアデールはふと足を止める。そして、余り頼りになるとは思えない頭を必死で働かせる。そんな彼は考える。自分達は、自分達が出来ることを、やれる方法でやればいい。幾ら気が逸っても、馬に乗れるように成る訳でも、腕っぷしが強くなる訳でも無い。
「お、親分?」
「追い掛けねぇんですか?」
不意に立ち止まったアデールに手下達が驚いたように声を掛ける。その時、
(俺達はヤクザ者、
と、決心したアデールは一番ドスの効いた声で手下に言い放った。
「街へ戻るぞ、馬車をかっぱらって追い掛ける!」
「えぇ、それじゃぁ盗人……」
「構わねぇ、借りるだけだ!」
「今ハッキリと『かっぱらって』って言った……」
そう言い掛けた手下はアデールにひと睨みされると、気迫に気圧されたように黙り込む。そして、東口を少し出たところで立ち止まった一行は、来た時を上回る勢いで街へ戻っていくのだった。
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