Episode_13.02 前夜
その日の夕暮れ時、ユーリーとヨシン、アートン公爵の孫娘イナシアとその侍女カテジナ、それにヤクザ者崩れのアデール一家を加えた十四人の一行は、トトマの南まで来ていた。ゴブリンと
このまま夜通し進めば、夜明け前にはトトマに辿り着くという距離であるし、エトシア砦へも同じころに辿り着けるだろう。しかし、ユーリーとヨシンは、野営に適した小川が流れている少し開けた場所を見つけると、その場で夜を過ごすことを決意した。
「気遣いならば無用に願います。私達はずっと馬上、皆さまより楽をしておりますので」
というイナシアの言葉は気丈なものだが、その様子は「疲れ切った」と言えるものだ。そもそも長時間の乗馬に慣れていない者にとっては、馬の背であってもそれほど楽とは言えないものだ。普段使わない筋肉を酷使する上、行く道が整備されていない裏街道ならば尚更である。
ユーリーはそう言うイナシアを見ると黙って首を振り、公爵令嬢が下馬するのを手伝うために手を差し伸べる。二人視線がしばし合わさる。若い騎士の黒曜石のような瞳に、イナシアは、
(アーヴィルと同じ目の色なのね)
ふとそんな感想を持つのだ。そして、まるでアーヴィル本人から促されているように感じて、素直に馬を降りる動作を始める。
「失礼します」
「お気になさらず」
というやり取りの後、ユーリーの手に片足を掛けて身体を支えられながら鞍から降りた。そんなイナシアだが、地面に降り立った瞬間タタラを踏むように転びそうになるのは、両足に思った以上に力が入らなかったからだ。
「おっと、大丈夫ですかい、姐さん」
すかさず手を差し伸べたのはアデール、どういう訳かイナシアの事を「姐さん」と呼ぶことに決めたようだった。イナシア自体はレイモンドからも、マルフルからも「姉さん」と呼ばれているため、違和感はないが、その意味する所には鈍感だった。
とにかく、野営をして明日朝に再出発することに決めた一行は、街道の脇の少し開けたところで旅荷を解いた。そして、アデール一家の手下たちが拾ってきた薪に火が灯ると、それに合わせるように森の中の裏街道は急激に暗くなっていく。一行はたき火を囲むように思い思いの場所に腰を落ち着けると、何となく火の側で作業をしている者達を見詰めるのだった。
「兎も、鳥もさ、肉にしてしまうと……寂しい量だよな」
「だったら、次からは毛が付いたまま食べるか?」
「いやいや、冗談だよ冗談……」
ユーリーは日中に仕留めていた兎三羽と野鳥一羽を焚火の灯りを頼りに捌いている。それを覗き込むように見ているヨシンが不満めいたことを言ったが、ユーリーのムッとした声に慌ててはぐらかすのだった。
「お二人は仲が良いのですね」
火に掛けた鍋には乾燥野菜と途中で採った野草、それに香草の類が煮えている。その様子を見ていたカテジナは二人のやり取りを微笑ましく思いながら声を掛けた。
「まぁ幼馴染ですから」
「そうそう、なんだっけ……ちくわの友?」
「竹馬の友な」
「そう、それです」
兎の皮を剥ぎ内臓を取り除いたユーリーは、ヨシンの言い間違いを訂正しつつ、それをぶつ切りにして、鍋に放り込む。それから野鳥をそのまま串に刺して焚火に突っ込んだ。矢羽根に使えそうな風切り羽は取り除いて、それ以外は火で炙って毟り取るのだ。
「本当はしっかり血抜きをしたいんですけど、川で洗うと危ない野獣とか魔獣を呼び寄せてしまうかもしれないので……味は二の次ですよ」
ユーリーはそう言いつつも手際良く野鳥の羽を毟り終える。狩りの方法や獲物の捌き方は、故郷である樫の木村のハーフエルフの狩人ルーカとフリタに仕込まれている。ヨシンも出来ない事は無いのだが、ユーリーに言わせると。
「肉が勿体無い。その上皮もボロボロにしてしまう」
とのことで、及第点が貰えずこの手の仕事はユーリーの担当だった。そんなヨシンの担当は味付けなのだが、今はカテジナにその役を譲っている。やがて兎肉と野鳥の肉を加えた鍋が煮立つと、仕上げに乾燥させて砕いた麦を加えて全体にトロミを持たせる。臭み消しに大量に入れた香草と混ざり合った少し獣臭いがギリギリ「良い匂い」と言える香りが辺りに漂うと鍋の中身は完成といったところだ。
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食事を終えたイナシアは、ユーリーの持ち物である一人用の
その代わりに色々な思いが胸を過る。アーヴィルの事、レイモンドの事、エトシア砦の弟マルフルの事、そして、父親ドルフリーやアトリエ砦の兄の事も気掛かりだ。感情に任せて城を飛び出した自分の軽挙を恥じる気持ちもある。そして、父親ドルフリーがレイモンドに対して臣下の礼を取らないのは何故だろう? という疑問もあるのだ。しかし、
(だめね、考えても答えが出ない事ばかりだわ……パスティナ神よ、私の心に平穏をもたらしたまえ……)
毛布に包まったまま胸の前で手を合わせるイナシアが寝息を立てるのはもう少し時間が経ってからだった。
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同じ夜、トトマの南の居館では明日の打ち合わせが行われていたが、心許ない準備は既に「やれることはやった」という状態だった。そして明日午前の出発を再確認すると打ち合わせは解散となっていた。
そして今、居館のバルコニーにレイモンド王子が一人で立っている。レイモンドは、南向きのベランダから、南のエトシア砦、そして視線を左に巡らせると暗く広がった南部のコルタリン山系に広がる森林地帯を見ていた。
遠ざけてしまった二人の若い騎士は、街の人の話によると街道を南にそれて森林地帯へ向かったという。
(南部森林伝いにディンスへ向かったか、それとも裏街道を進みアートンを目指したか……)
二人の行方が気になるレイモンドだった。ユーリーとヨシンがリムルベートの間者といえる立場だと明かした時、レイモンドは驚きと共に裏切られたような気持ちを抱いた。それ故に
他国の勢力を内戦に招き入れるべきでは無い、そんなレイモンドの信念は変わらないが、あの二人はリムルベートの騎士という立場で自分に協力を申し出たのではないだろう、と今のレイモンドは確信していた。そもそも、間者が自分の身分を進んで明かすこと自体が、害意の無いことの現れだった。
「はぁ……」
どうしようもない喪失感から、レイモンドは溜息を吐く。その時、ベランダに人の気配が動いた。
「誰か?」
「私です」
そう言って近づくのは、良く知った騎士アーヴィル。血のつながりこそ無いものの、物心付く前からずっと一緒にいた騎士は、レイモンドにとって肉親以上の存在だった。
「どうされましたか……早くお休みにならねば」
「いや、眠れるような気がしなくて……ところで、アーヴィルこそどうしたのだ? こんな夜に。まさか私を探していたのか?」
そう問いかけられたアーヴィルは、彫像のように深い皺の刻まれた顔に逡巡を浮かべる。
「言いたい事があるなら、聞くぞ。どうせ我らは明日の夜には、どうなっているか知れない身だ」
長年の付き合いから、騎士アーヴィルが何か胸中に秘めたものが有る事を察知したレイモンドは、すこし砕けた感じでそう言う。そう言いながらも、
(イナシア姉のことか? やっと想いに応じるつもりになったか……いや、まさかこの期に及んで「ドルフリーに従え」と言うつもりではないだろうな?)
と、アーヴィルが言わんとすることを想像するレイモンド。それだけアーヴィルは言葉を発するのに時間が掛かっているということだ。
そしてしばしの沈黙の後、突然アーヴィルはその場に跪く。
「なんだ、急に?」
「このアーヴィル、レイモンド王子にお伝えしなければならないことが有ります」
アーヴィルの顔には深い苦悩が浮かんでいる。その上で気迫めいた迫力もはらんでいた。
「わかった、聞こう」
「実は、ユーリー殿の事なのですが――」
騎士アーヴィルが何故このタイミングで、ユーリーに係わる話をしたのか? 真意は彼でなければ分からないだろう。ただ、明日の成り行きに不安を覚え、事後を託す訳では無いが、内に秘めた想いを
そんな彼の長い話が終わる。気が付くと天頂の高さまで上った月がベランダの二人を照らしていた。
「……そうだったのか……他ならない、アーヴィルの頼みだ。分かった」
そう返事をしつつ、レイモンドは、本格的に今晩は眠れそうにないと感じるのだった。
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