Episode_12.27 レイモンドの苦悩


「アーヴィル、私は間違っているのか……」


 その日の夜、偵察から戻ったダレス班の報告を遊撃隊副長のロージから聞いたレイモンドは、苦悩に顔を歪めつつ呟くようにそう言った。そして、それを聞く騎士アーヴィルも面持ちは沈痛だった。「演習に参加せよ」という使者がトトマを訪れてから既に一週間、その間、アートン公爵の軍勢は徐々にトトマに近付きつつ、周辺の田畑を荒らしていた。


 荒らされた田畑を持つ農村の人々は、その惨状と直ぐに止めて貰うよう訴えるためにトトマのレイモンド王子の元に駆け込んでくる。そして、彼等の怨嗟の籠った陳情を聞く以外に術が無いレイモンドは「すまない、直ぐに止めさせるから、しばらく辛抱してくれ」としか答えようが無かったのだが、


「まさか、農民達に直接危害を加えるとは……」


 ということだった。今日、トトマ近郊で起きた農民への加害行為は一連の騒動で始めての出来事だった。


「これは、私への警告だろうな……演習に応じないならば、被害は田畑の作物に留まらないと言いたいのか……伯父上は何を考えておるのだ!」


 その言葉を聞くアーヴィルも心中は穏やかでは無かった。アートン公爵、正しくはその長子ドルフリーの率いる軍が行っているのは「青田刈り」そのものである。本来敵地に侵入して収穫前の田畑を荒らし、敵に損害を与えるれっきとした作戦だが、自国領内の民に対して行うものではない。特に不作が現実となりつつあるこの時期、農民達は麦の穂一本でも大切にしたい心情だろうし、それは為政者にとっても同じはずなのだ。


(昔はそのような事をする人物に見えなかったのだが……)


 十五年来、アートン公爵家に厄介となりレイモンド王子の養育を行っていた騎士アーヴィルは、当然昔からドルフリーを知っている。少し生意気で偉ぶったところが有るが、それを補って余りある才覚の持ち主だと思っていたのだ。とても、このような愚策を実行する人物では無かったはずなのだが……


(変わってしまわれたのだな)


 とアーヴィルは思う。国境伯領の実権を父マルコナから引き継いだ五年前から、徐々にドルフリーは変わって行った、とアーヴィルは考える。そして、特に最近の二年間はそれが顕著になったと感じるのだ。ディンスの街を王弟派に奪われ、その奪還に何度か挫折していた頃から、まるでコルサス王国の正当な王位継承権者であるレイモンド王子を自身の権力と権威を正当化する道具のように扱うことが多くなっていた。


 アーヴィルが特にそう強く感じるようになった理由の一つには、ドルフリーが娘イナシアとレイモンド王子の婚姻を画策するようになったことも含まれている。元々姉弟同然に育ったイナシアとレイモンドだ、如何にイナシアが前王妃アイナスの生き写しと言われるほどの絶世の美姫に成長したといえ、レイモンドには姉としか思えない。それは、イナシアも同じのようで、二人揃ってその事には頑なに反対しているのだが、何かにつけてドルフリーは高圧的に婚姻を迫っているのだ。


(貴族や王族の婚姻はそのようなものかもしれないが……)


 レイモンドの苦悩する様子を見つつ、アーヴィルは差し迫った問題とは別の「婚姻問題」を考えてしまう。特に、イナシア姫からの「想い」を聞いてしまった今、アーヴィルには本来家臣としてするべき心配以外の物が内心にわだかまる。それは、一人の男として、仕方の無いものと言えるだろう。


(……私は、何を考えているんだ)


 しかし、自分の思考が余所へ逸れていることに気が付いたアーヴィルはそれを振り払う。そして、今後どうするか、について苦しい考えを巡らせているレイモンドを注視するのだ。


****************************************


 しかし、レイモンドにもアーヴィルにも良い案は浮かばない。そもそも「演習に参加を」という求め自体も額面通りに受け取るわけには行かない状況だ。寡兵を率いて参加すれば、それこそ身柄を拘束されアートン城に幽閉されかねない。かといって、衛兵団と遊撃隊の大部分を投入して、相手の勢力に見合う兵力を繰り出せば、トトマの街が無防備となってしまう。流石に先のオークによる襲撃がもう一度起こるとは考えにくいが、手薄になったトトマの街をドルフリーの兵に押えられてしまう危険性は考えざるを得なかった。


 結局、良い策が浮かばない二人は黙り込んだままになる。その時、廊下の方から金属鎧の立てる音と控えめなブーツの足音が聞こえてきた。その足音はレイモンドとアーヴィルのいる部屋の前で止まると、次いで扉を叩く音と入室を求める声が聞こえてきた。


「マーシュです、ただ今戻りました」


 扉を開けたアーヴィルに促されて室内に入ったマーシュは、隠しきれないほど、力の無い表情をしている。彼は、レイモンドの命を受けてトトマの南にあるエトシア砦へ増援を願い出るために赴いていたのだが、


「……やはり難しかったか」


 力の無い表情で結果を察したアーヴィルがそう語り掛けると、マーシュは申し訳なさそうに頷き、レイモンドを見る。


「エトシア砦のマルフル殿は理解を示して下さいましたが、エトシアの守りを薄くする事は出来ないと……」

 マーシュは部屋に入るなり、力無い声でそう言う。


 マルフルはドルフリーの末子、年齢は十八でレイモンドの一つ下である。歳が近い事もあり、レイモンド同様アーヴィルの養育を受けて育った若者だ。レイモンドの事を「レイ兄」と呼び実の兄や父以上に慕っていたが、今はその態度を父ドルフリーに疎まれアートンから遠く離れた国境の砦の防備を任されている。そんなマルフルはレイモンド同様聡明な若者であるが、聡明故に、砦の人員を動かすことが出来ないようだった。


「残念だが仕方ない。マルフルも難しい仕事をしているのだ……マーシュはご苦労だったな、今日はゆっくり休めよ」


 レイモンドは、そう言うとマーシュにねぎらいの言葉をかける。しかし、マーシュは部屋を立ち去ることは無かった。深刻そうな表情でその場に留まると声を発する。


「道すがら聞きました……アートンの軍は農民にまで手を掛けたようで……」


 マーシュの昏い声にレイモンドが応じる。


「うむ……これ以上の猶予は被害を増やすだけ……マルフル、いやエトシア砦の兵や騎士が動けないならば、マーシュ、お前の遊撃隊・・・・・・の力を借りて叔父様の言う『演習』とやらに出向いてみようと思う」


 レイモンドは覚悟を決めたように話す。対するマーシュは、


「レイモンド様、この期に及んで『お前の遊撃隊』ではありません。皆、王子レイモンド様の兵、私も含めお供いたします……」


 その言葉にアーヴィルがゆっくりと頷き、レイモンドの口元が緩む。そして、武人の決意が部屋に満ちたころ、宵の口を過ぎた夜空に浮かぶ満月は、男達のいる部屋の灯りを助けるように、窓から月明かりを差し入れるのだった。




Episode_12 放逐騎士と荒野の王子(完)

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