Episode_12.26 暴挙
トトマ近郊の街道沿いには広大な田畑が広がっている。北部森林地帯から流れ出た幾つかの川が北から南へ横切り、その豊富な水量を利用した麦類や豆類の栽培が盛んなこの一帯は国境伯アートン公爵家の領地内でも有数の穀倉地帯だ。
今年の春先から続いた冷涼な天候は、八月に入ると一転して猛暑の連続となっていた。そんな悪条件によって、今年の田畑の作柄は良くない。税の徴収を融通しなければ飢える農村も出て来るだろう。そんな話が末端の兵士の間でさえ囁かれるようになっているのだ。
そんな状況にもかかわらず、今、一人の騎士が一帯に広がる麦の畑を眼前に自分の部隊の兵士に命令を下す。ここ一週間、場所を変えつつ何度も繰り返した命令だ。
「よし、ここら辺に陣地を造るぞ!」
騎士は馬上から目の前の畑を指差す。吹き抜ける生暖かい風が、穂を出す寸前まで育った麦を揺らし、馬上の騎士の
そこには、野戦陣地を構築するための木材や天幕を張るための資材を満載した荷馬車が何台も控えており、その周囲を兵士が取り囲んでいる。ざっと五十人程の輜重部隊だ。
「どうした! 聞こえなかったか!」
馬上の騎士が一喝すると、兵達の中でも年配の兵長が進み出て言う。
「本当に収穫前の畑に陣地を構えるんですか?」
「何度言えば分かるんだ……仕方ないだろ! 命令なんだ!」
「命令……ですか――」
意見する老兵長に、命令だから仕方ないと答える騎士は見れば未だ若さが目立つ面立ちだ。彼は序列下位の騎士であり、上役からの命令で動いているだけなのだ。そして、その命令を心の底から承服して実行している訳では無かった。命令に対する後ろ暗さが、強い口調となって表れている。一方、農民出身者が殆どの兵士達はようやく行動に移り始めるが、その動きは如何にも「イヤイヤやっている」というものだった。命令に対する不服を態度で示すつもりなのだろう。
そんな兵達を含んだ彼の部隊はアートン城に所属する輜重兵部隊だ。そして、今は急に決まった演習の真っ最中だった。ダーリアとトトマの中間地点から開始された演習はこれで一週間目になっている。そして、アトリア砦の部隊とアートン城の部隊に分かれた合計千二百の騎士と兵士達は、街道の南側の田園地帯に展開すると、二日に一度、陣をトトマの方へ移動させながら、設営と撤収を繰り返している。
(おれだって、この時期に演習やるなんて馬鹿げてると思うよ!)
その若い騎士は、決して口外出来ない気持ちを腹の内に溜め込みつつ、作業遅れの言い訳をどうするか考えるのだが、そこへ、
「あんた達! 一体何のつもりだね!」
「おいら達の畑で何するつもりだい!」
「あっちへ行けよ!」
「そうだ、あっちへ行け! 出て行けよ!」
そんな声と共に、近隣の農村の農民と思しき男達が、麦畑の中から姿を現す。彼等は一人や二人では無かった。総勢五十人以上の鋤や鍬を手に持った屈強な農夫達が、背の高い麦畑から
「ちっ……お前達の村にも昨日連絡をやったはずだぞ! 国境伯アートン公爵様の命令でここら一帯の土地を使わせてもらう」
若い騎士は敢えて高圧的にそう言い放つが、対する農民たちは微動だにしない。この状況に、彼は頭を掻きむしりたくなるような衝動を覚える。そして、
「兵長! 本隊に連絡してくれ、農民に邪魔されて築陣できない」
「わかりました!」
先ほどの老兵長が、そう応じる。しかし、その声に被せるように別の声が掛かった。
「それには及ばん! これより妨害を排除する!」
それは、若い騎士が率いる輜重兵部隊ではなく、演習の主役たる戦闘部隊を指揮する騎士隊長が発し声だった。声を発したのは上級騎士の一人、アートン城側の部隊が編制した五つの戦闘中隊の隊長だった。
「ちょっと待ってください、排除って?」
「どいていろ、輜重兵!」
その上級騎士は、若い騎士の疑問に一切答えずに、そう言い付けた後、自分の隊へ命令を下す。
「良い実戦訓練だ、槍隊二列横隊で前進。弓隊はその後ろに待機。騎士隊は逃げる
聞えよがしにそう命令する上級騎士の声に、若い騎士と輜重隊の兵たちがどよめく。しかし、
「邪魔だと言っただろうが! 退け飯炊き兵!」
「ちょっと、本気なんですか!」
「おい、やめろよ!」
上級騎士は、輜重兵達を罵倒する声を発して、自分の隊の兵を前進させる。輜重兵達も若い騎士もそんな戦闘部隊の前進を、体を張って阻止することは出来ず、制止する声を掛けるのみだ。しかしその声は無視され、戦闘中隊の歩兵隊は輜重兵隊の間をすり抜けると、麦畑を守ろうとする農民の人壁に対して斜めから接近し、冷酷に長槍を振り下ろす。
「ひぇぇ!」
「人でなし! 人殺し!」
「に、にげろー!」
何人かの農民が槍に殴られ、突き刺されてその場に倒れ伏す。それを合図に他の農民たちは一斉に麦畑の中に逃げ込もうとするが、
「弓隊、放て!」
冷酷な命令と共に、約三十本の矢が一斉に放たれる。それらは雨のように麦畑の一角に降り注ぐと、農民の退路を制限する。
「騎士隊、突入だ!」
そして、仕上げとばかりに戦闘中隊を指揮する上級騎士の号令が掛かった。その冷酷な声に、思わず若い騎士は眼を背けていた。
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そんな様子を、麦畑の反対側にある緩い起伏の稜線に隠れて見守る者達がいた。彼等はレイモンド王子に従うトトマの街の兵力、その中でも最近設立された「遊撃隊」の面々だ。数日前から顕著に田畑を荒らすようになったアートン公爵の演習軍の様子を偵察に来ていたのだ。そして、稜線の
「班長! ダレス班長! アイツ等農民に攻撃してますよ!」
「なっ!? 本気なのか? 只の農民だぞ」
「本当です」
その兵士が必死で手招きするので、ダレスは稜線から頭が出ないようにしゃがんだ状態でその兵士の横から顔を出す。そして、絶句した。
「本気かよ……」
「班長、どうします?」
「どうするって……」
ダレスは、その問いに逡巡する。目の前では麦畑の中を逃げ惑う農民達を、まるで獲物を弄ぶ猫のように痛め付けて遊んでいるように見える騎士達の姿があった。少し前のダレス、少なくともトトマ襲撃事件の前のダレスなら我を忘れて農民を助けようと突入しただろう。しかし、
「だめだ、どうにもできねぇ……」
血を吐くようなダレスの声に、隣の兵士は無言で地面を叩く。今ダレスが率いているのは、遊撃隊の最小行動単位として編制された一班十人の歩兵と自身を含めた二騎の騎兵のみだ。近くには、もう一班偵察に出ているが、何処にいるか分からない上集結出来たとしても、百を超えるアートン公爵の戦闘中隊にどう立ち回っても勝てるはずが無かったのだ。
(くそっ……)
奥歯を噛締めて、惨劇を見詰めるだけのダレス。そんな彼の想いが通じた訳では無いだろうが、騎士達は逃げ惑う農民全てに手を掛けることはせずに、二十人程を打ち倒すと他は逃げるに任せて追うことは無かった。
「……とにかく、トトマに戻って報告だ」
ダレスは必死の様子で逃げて行く農民の後ろ姿と、満足したように指揮官の元に集結するアートン公爵の騎士を見比べると、そう判断するのだった。
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