Episode_12.24 イナシアの決意


 ユーリーの質問を受けたイナシアは、アートンを離れた経緯を説明する。それは丁度五日前の出来事に端を発した。


 毎年、夏の間はアートン城の北にある避暑用の離宮で祖父である公爵マルコナと過ごす事が恒例となっているイナシアは、ここ数日元気のない祖父を気遣い、父ドルフリーに祖父を見舞うように願うためアートン城を訪れていた。マルコナの元気の無さが、丁度一週間ほど前に、アートン城へ赴いて以降の事だったので


(もしや喧嘩でもしたのかしら?)


 と、思ったことも一因だった。


 イナシアには兄が一人と弟が一人いるが、夫々アトリア砦とエトシア砦の騎士団を任されており、長くアートンを不在にしている。そして、彼女ら兄妹の母親はアートンから南に下ったリムンという田舎町に別荘を建て、そこに引き籠っている。表向きは病気療養という名目だが、傍目にも仲の良くない夫婦だったので、実質的には別居といっても良い状況だった。


 そのため、最近反りの合わない・・・・・・・父と祖父の間を取り持つのはイナシアの役目になっていた。そしてイナシアが訪れれば、いかに機嫌が悪かろうともドルフリーは面会に応じるのが常だった。しかも、イナシアが去った後もしばらくは機嫌が良い時間が続くので、家臣達は密にイナシア姫の来城を心待ちにしていたのだ。


 一方イナシア自身は、毎回顔を合わせる度にレイモンド王子との縁談を迫り、彼女が思いを寄せる騎士アーヴィルを悪し様あしざまに言う父親にはウンザリしていた。しかし、身近に居る肉親として父の苦労が分かる部分があるので、自分が行くことで少しでも慰めになれば良い、と割り切って考えている。


 しかし、その日はこれまでと違った対応となった。見慣れたアートン城の内部は鎧を身に着けた騎士や兵達が忙しく動き回り、騒然とした雰囲気に包まれていたのだ。そんな中、


「ドルフリー様はお忙しいとのことで……ご面会は出来ないとのことです」

「……そうですか……」


 面会を求めたイナシアに対して、申し訳なさそうにそう返事をしたのは年老いた家老の一人だった。元々祖父マルコナが現役だった頃には筆頭家老を務めていた人物だが、今その世代の者はこの老臣しか残っていないのだ。その家老は、少し言い難そうに、


「今のお城は戦支度の真っ最中、可憐なイナシア姫には似つかわしくありません。公爵様のお見舞いには私が行くようにとのことでした……宜しければ、一緒に離宮まで参りましょう」


 と、イナシアに告げた。現在の家老衆の中で、先代から仕えているのはこの老臣のみとなっている。流石に筆頭家老を長く続けていただけあり、この老臣の影響力は未だに強い。そのため、父親の息の掛かった家臣を排除しようとするドルフリーも未だ手元に置いている状態だった。しかし、何かにつけて蚊帳の外にされることが多く、今も突然決まった時期外れの演習準備には加わっていないのだ。


「そうですか……でもジキルが来てくれるならば、お爺様も元気が出るでしょう」

「そうだと良いのですが……」


 気を取り直したイナシアの笑顔に、ジキルと呼ばれた老家老は何処か引っ掛かりのある言い方で返事をする。その時のイナシアは、ジキルが父ドルフリーに煙たがられて落ち込んでいる、位にしか考えなかった。


 その日の午後遅く、離宮に戻ったイナシアとジキルは、そのまま公爵マルコナと面会した。しかし、不思議な事にマルコナはジキルの訪問を前もって知っていたようで、イナシアには席を外すように伝えてきた。そして、その日の夜、イナシアの元に珍しくマルコナから呼び出しが掛かったのだ。


「イナシア……気を確かにしてお聞き」


 マルコナの私室に入ったイナシアは、そこに自分の侍女のカテジナと老臣ジキルが居ることに驚いたが、祖父マルコナにそう言われて嫌な予感に身を硬くする。つい数か月前、旅立つレイモンド王子とアーヴィルを見送った時の祖父の言葉を思い出したのだ。


「……はい」

「ドルフリーが兵を挙げた。演習という名目だが、実際はトトマに留まるレイモンド王子を力尽くでも連れ戻す魂胆らしい」


 アートン城の状況を見てきたイナシアは、なんとなく予想していた話だったのでその言葉には驚かなかった。そして、驚きよりも疑問が湧き上がると、素直にそれをマルコナにぶつけた。


「力尽くとは……そもそも私達はレイモンド王子こそコルサス王国の正当な王として、臣下の礼を取っているではありませんか? 御意志にそぐわぬことは出来ないのが道理ですわ」

「うむ。確かにそうだが……ドルフリーは、レイモンドが逆臣にそそのかされている、と吹聴しているのじゃ」

「逆臣……まさか、アーヴィルのことを!?」


 そう言って絶句するイナシアに、老臣ジキルが口を開いた。


「ドルフリー様はレイモンド王子の守り役であるアーヴィル卿が、王弟派と結託して王子を孤立させている、と言っております。家中の者はそれを濡れ衣と思い信じない者が多数ですが、表だって間違いを指摘できる者が……おりません」

「そんな……」


 イナシアは、そう呟くのが精一杯だった。そこに公爵マルコナが声を発する。


「アーヴィルを悪者に仕立て上げ、逆臣から主君を取り戻す、という大義名分を作る。そして、王子を取り戻す過程でアーヴィルを葬れば死人に口無し、誰にも咎められる事無くレイモンドを手中に取り戻すことが出来る。ドルフリーはそう考えたのだろう……愚かなことだ」


 マルコナはそこで溜息と共に一区切りすると、続きを話す。


「レイモンド王子の性情を考えれば、もしアーヴィルに濡れ衣を着せて殺害すれば逆上し、何をするか分からん……そうでなくても、この度の企み臣下としての分を逸しておる!」


 マルコナはそこまで言うと、少し興奮した気持ちを静めるように深呼吸をする。対するイナシアは血の気の引いた青白い顔で足元が覚束ない様子となっていた。その様子にカテジナが彼女の隣に寄り沿った。


「儂の手元で身動きの取れる者は、この離宮にいる者のみ。しかも兵や護衛の騎士はドルフリーの言いなりだ……そこで、お前の侍女カテジナにひと働きしてもらいたいのじゃ……」


 公爵マルコナは、カテジナに二通の書状を持たせトトマとエトシア砦に走らせるというのだ。二通の書状、一つはトトマにいるレイモンドに対して、挑発して街の外に出るよう仕向けてくるはずのドルフリーの騎士団に対して挑発に乗らないよう自制を促す書状。そしてもう一通は、エトシア砦の騎士団を任されているイナシアの弟マルフルに宛てた物だと言う。


 侍女のカテジナが選ばれたのは、騎士の家に育ったカテジナは護身の心得もあるし、パスティナ神の神蹟術の使える修道女でもあったからだ。既にイナシアが部屋を訪れる前に話は済んでいたのだろう、そう言われたカテジナは緊張しつつも


「一命に変えても」


 と騎士のような返事をした。そして、


「出発は、明日の宵の口。ドルフリーの軍が明日の日中出発だから、その後とする」


 という公爵マルコナの言葉でその夜の話は終いとなった。


 しかし、想いを寄せるアーヴィルに危機が迫っているという状況に、イナシアは予想外の行動に出た。その夜の内に離宮を飛び出すと、単身トトマへ向ったのだ。イナシアの寝室がもぬけの殻・・・・・になっていたことは、翌朝まで誰も気が付かなかった。そして、気付いたところでアートン城は出陣式の真っ只中であり、結局、軍勢が城を出発する午後遅くまでジリジリと待ったマルコナは、その日の夕方になってカテジナにイナシアの後を追わせた。


「見つけ出して連れ戻すには時間がない……恐らくトトマに向ったのだろうから、道中探し出してそのままトトマのレイモンド王子に預けるのじゃ」


 そう指示を受けたカテジナは、夜通し馬を走らせると、翌日の昼前にアートン近郊の村レムナの西の森で裏街道を進んでいたイナシアを発見したのだった。そして、今日ゴブリンと魔犬の群れに襲われるまで、森の中の裏街道を、トトマを目指して進んでいたのだった。



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