Episode_12.21 アデール一家
アートンの街から出発した軍勢、国境伯アートン公爵家の長男ドルフリー率いる騎士団がダーリアの街に入ったのは八月半ばのことだった。
王子派と呼ばれる勢力を実質的に支配しているドルフリーの兵力はアートンの街に騎士五百、兵二千五百、衛兵団千、ダーリアの街に騎士百、兵五百、衛兵団千、そして、ダーリアとアートンの中間に位置するアトリア砦に騎士三百、兵千五百、トトマとストラの中間に位置するエトシア砦に騎士二百、兵千を配している。
そのような自勢力の中から、アートンの騎士団から騎士百、兵五百、そして、アトリア砦から騎士百、兵五百を選び出し、総勢千二百の勢力を形成したドルフリーの目的は、ストラに陣取る王弟派を攻撃するためではない。彼の目的は、トトマとダーリアの間に広がる平原で「演習」を行うことであった。
秋の収穫を前にした時期に、しかも田畑が多いアートン公爵領一の穀倉地帯で演習を行うのは勿論通常の沙汰ではない。行軍の命令を受けた騎士や兵士達はこの状況を訝しく思いながらも、戦時であること、そして来年春から夏にかけてストラの王弟派軍に対して反転攻勢に出るという噂が流れているため、それに向けた準備だろうと思っていた。
実際ドルフリーの真意を知るものは、彼の周囲を固めるドリッド将軍ら数名の上級騎士に限られていた。そんな状況で、ドルフリーは自分の真意の末端を父親である公爵マルコナに話してしまったことを「軽率だった」と後悔していたが、対する公爵マルコナは、先日のアートン城内での口論以来、アートンの北にある避暑離宮に籠りっ放しとなっていた。
(父上も、もはや手足をもがれた状態。何も出来まい……)
そう思うドルフリーは、実際父親マルコナから領内の実権を引き継いだ五年前から一貫して父親の影響力を排除しようと努力を続けて来たのだ。急に行動すれば怪しまれるため、徐々に徐々に、父親の息の掛かった家老や上級騎士、そして行政官を遠ざけ、自然に老公爵が孤立するように仕向けていたのだ。
そんな用心深さが示す通り、ドルフリーは決して愚かな男ではない。皮肉なことながら、父親マルコナが評した通り「頭が良く打算が効き、役人や騎士達を使う術を心得ている」人物なのだ。
そんなドルフリーは、ダーリアの街で徴発した宿「陸の灯台亭」の一室で一人、今後の計画を思い描いている。
(力尽くでもレイモンドを捕え、私の騎士達から護衛を出してリムルベートに送り届けよう。アーヴィルは……この際消してしまうか……そうすれば、イナシアも諦めてレイモンドに嫁ぐだろう)
今、奇しくも数か月前にレイモンドが滞在し、ユーリーやヨシンと夜通し語り合った部屋で、ドルフリーは一人、杯の酒を舐めるように飲みながらそう考えているのだ。彼は、自分では意識していないが孤独な男だった。傲慢で独善的な性格は、家臣からの意見や忠告を受け入れず、逆にそのような家臣達を遠ざける。そしていつの頃からか、ドルフリーは一人で物事を考えることが多くなっていた。そんな彼の思考は、一足飛びにリムルベートからの助力を得た後のことに至っている。
(ディンスは必ず奪還したい、あの街には港がある……その上で王弟派と休戦し、ターポの民衆派を支援するか……王弟派と民衆派が争う状況で両者が弱った所を……)
そう考えるドルフリーは杯の酒を一気に煽ると、大きな音を立ててそれをテーブルに叩き付ける。
コンッ!
と小気味良い音が室内に響くと、彼は機嫌の良さそうな笑みを浮かべるのだった。
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翌日ダーリアのドルフリーが出した使者がトトマのレイモンド王子の元に到着した。迎えたレイモンド側は、これまで通り
「今すぐアートンにご帰還を」
という内容の使者だと思ったのだが、その予想に反してその使者は別の内容を伝えてきた。
「アートン、及びアトリア砦の騎士団総勢千二百で、これよりトトマの東で演習を実施します。是非、トトマからも衛兵団を出し、これに参加して頂きたい」
その内容は、非常識にもほどがあるものだった。トトマの東、ダーリアとの間には広大な田畑が広がっている。今年は作付けが遅れ生育具合も良くないため、麦も米も収穫にはあとひと月は掛かる状況だ、その状況で勝手に演習をされたのでは、近隣の農民たちは堪ったものでは無い。しかし、その事を伝えると、対する使者は悪びれることも無く、
「ですから、土地に明るいトトマの衛兵団に参加して頂きたいのです。我らだけでは土地に不案内。意図せず収穫前の田畑を荒らしてしまいかねません」
この日の使者はそれだけ伝えると、引き返して行った。そして、翌日からドルフリーの軍勢は実際にトトマとダーリア間の平地のトトマよりの場所にドルフリーの軍勢は陣を張ったのだ。
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ドルフリーの使者がトトマの街で演習への参加を要請した日の午後、ダーリアの南の森には十人弱の男達の姿があった。みな旅支度をしているが、その風体は堅気の旅人には見えない。尤も、街道を離れアトリア砦を迂回してアートンに出ようと、森の中の裏街道を進んでいる時点で既に後ろ暗いことがあるのは誰が見ても明らかだった。
「親分……やっぱりダーリアに戻りましょうよ」
「うるさい、イヤなら一人で戻りやがれ!」
「えぇぇ……」
彼等はダーリアで借金の取り立てを生業にしていたヤクザ者の集団、自分達は「アデール一家」と名乗っていたが、駆け出しで規模の小さい一派だった。今年の六月、ある借金の取り立て中に、偶然レイモンド王子の一行と出くわし、法外な利息を求める行為を咎められ反省を約束させられた男達である。
「人々の役に立つようなことをしろ」
と説教するだけで、刃物を向けて斬りかかった自分達を役人に突き出す訳でも無く赦した青年。しかも、仕舞には法定額の利息をつけて借金を返済するように娼館の女将を説得してくれた青年に、一味のリーダーであるアデールは恩義を感じていた。しかも、その青年は名前を告げなかったが、王家の紋章が入ったミスリルの剣を持ち風貌は金髪碧眼。アデールはその青年をレイモンド王子だと信じていた。
(レイモンド王子様から、直々に悪事を諌められたんだ……心を入れ替えるしかねぇ)
そう意気に感じたアデールとその手下達は、その日から生まれ変わったようになった。そして、レイモンド王子の言葉通り、他のヤクザ者達によって辛い目に遭っている庶民を助けようと奮闘したのだが……
「ねぇ親分、詫びれば赦して貰えますよ」
「いや、詫びを入れて元の
「そんなぁ……つれねぇ事を言わないで下さいよ……」
という会話が示している通り、彼等はダーリアの大きなヤクザ者の集団から目を付けられ、街に居られなくなったのだ。そう言う訳で、アデール一家は新天地を求めて旅をしているのだった。
「ねぁ親分、いっそのことトトマへ行って王子様の軍隊に入れて貰いましょうよ」
「ばーか、俺達なんか軍隊で雇ってくれるはずないだろ……」
「まぁなぁ、足を洗って堅気の世界で生きるってのも考えたが……
ヤクザ者の矜持と言うのは常人には理解しがたい。しかし、仲間内ではそれで話が通るらしく、アデールの言葉に九人の手下達は感激したように
「親分、付いて行きやす!」
「俺も!」
などと言って盛り上がっている。街道から離れた森の中を騒がしく進む男達には逃避行の悲壮さは見られなかった。
そんな一行はしばらく森の中を進む。既にアトリア砦を左手に見て、一旦南へ下っている場所だ。この辺りの森は魔犬や熊といった野生動物に加えて、
近隣の猟師村で教えて貰った裏街道は全般的に薄暗く所々に大きな石や木の根が地面から顔を覗かせている。道として馬が行けるほどの幅はあるが、足元が悪く
「……なんだ?」
「親分、どうしたんですか?」
「いや、今、悲鳴みたいなの聞こえなかったか?」
「止めてくださいよ、気味悪い……」
アデールの言葉に手下の一人が怖がって見せる。しかし、その後直ぐ――
「――様! お逃げください!」
「――よ、カテジナ!」
という女性のひっ迫した声が聞こえてきた。
「なんだ?」
「分からねぇが、助けるぞ!」
「お、おう!」
アデール一家は、悲鳴の元へ向かって森を駆け出した。
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