Episode_12.17 北の沼地Ⅰ


 北部森林地帯という呼び名は、コルサス王国からみて国土の北側を占める森林地帯の呼び名である。実際は西方辺境の屋根といわれる天山山脈の南に広がる大森林地帯の一部を指し、同じ森林が東はオーチェンカスクとベートから西はドルドにまで広がっている。ユーリーとヨシンの出身地である樫の木村も、リムルベートの北部に広がる同じ森林地帯を開拓した村の一つである。


 広大な森林地帯の奥地は魔境と呼ばれ、その名が示す通り魔獣や幻獣、魔物の類が跋扈ばっこする人の手が及ばない場所だ。しかし、長く続く中原地方からコルサスに掛けての戦乱から逃れるため、稀に人が足を踏み入れることもあった。また、それ以外にも人間社会に馴染めなかった者、例えば犯罪者や自然崇拝者ドルイド、エルフやハーフエルフなどの種族が夫々小規模な集落をつくり点在していることでも知られている。どの国にも所属しない彼等は「まつろわぬ民」と呼ばれ、中には独自の生活文化圏を持つに至った集団も幾つか知られている。


 オーチェンカスク北部からベート北部に掛けて広がる一帯はローランド・オークの部族が多く存在する森として有名だし、より北の大森林中央部には大きなエルフの居住区が有る事も知られている。そして、コルサス王国の北部には「森人もりびと」と呼ばれる人々が独自の自然崇拝を軸とした文化圏を形成していた。


 そんなコルサス王国北部森林地帯、トトマの直ぐ北に広がる森林の中、ユーリーとヨシンは潜んでいた。彼等二人だけでは無い。周囲にはトトマ衛兵団の団長となった森人出身のベロスを始めとした弓兵五名、トトマの住民で元コルベート魔術ギルドの老魔術師アグム、そして元解放戦線の指揮官マーシュとダレスを始めとした十名の部下から構成される総勢二十人弱の遠征隊が同じく潜んでいる。更に森人の集落オル村や周囲の集落からも三十人程の狩人が来ているはずだが……


(流石森人の狩人だ……全く気配を感じない)

(全くだ……全員ルーカさんみたいな狩人だもんな)


 とユーリーとヨシンが小声で言葉を交わすように、彼等の気配は「加護」の付与術を掛けたユーリーにも感じ取ることが出来ないものだった。


 そうやって森に潜むこと二時間、特に変化の無い状況にユーリーは緊張を少し緩ませると、これまでの経緯を思い出していた。


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 トトマの復興が始まったころ、国境伯アートン公爵家からの支援物資、さらにトトマの財政資金を投入してデルフィルやダーリアから買い集めた物資は問題無く揃いつつあったが、木材だけは不足がちな状況が続いていた。


 北の森には、森の浅い所でさえ建築資材に向いた木材が豊富にあることが分かっていたが、伝統的にトトマの人々は北の森に入ることは無かった。魔獣やオーク、ゴブリンなどが多いという理由もあるが、森で暮らす森人との無用な衝突を避けるという意味合いが大きかった。


 しかし状況が状況だけに、今回は北の森からの調達を視野に入れる必要が有った。また、マーシュ達元解放戦線部隊は森人の集落オル村の村長と魔物退治の約束をしており、何とか約束を果たしたいという律儀な願いを持っていた。そこで、


「衛兵団の中の森人出身者に先導してもらい、なんとか木材を分けて貰おう」


 ということになったのだ。更には、


「今年の収穫は不作になる可能性が高い。食糧調達の一手段として森で狩猟が出来れば尚良い。また、今回の襲撃のように大きく迂回すれば軍勢が送り込めるということが分かってしまった以上、北の森に住み暮らす森人達と友好的な関係を築くことは背後の守りを固める意味でも重要となる」


 という、元コルベート魔術ギルド出身の老魔術師アグムによる指摘もあったので、それらを踏まえて今後森人達と友好的に付き合うという方針が決められたのだ。そして、友好の足掛かりとして、マーシュ達が森人と交わした約束を果たすこととなったのだ。


 遠征隊として派遣する人員の選定はアーヴィルとマーシュに一任となったが、レイモンド王子は何とか理由を付けて自分も参加しようと画策した。勿論この要望は二人の騎士によって却下されたが、レイモンド王子はしつこく食い下がり、結局ユーリーとヨシンを部隊に加えることで妥協したのだった。


「苦労をかけるが、ついでに面白い土産話を待っているぞ」


 と言うレイモンド王子の言葉に送り出されたのが七月末の或る日、十日前の話である。普通はそういう苦労を、あまり苦労と思わない二人だが、森人の集落オル村で魔物の正体を聞いた時は少しだけレイモンド王子を恨めしく思ったものだった。何故ならば、


偽竜ドレイク……ですか……」

「そうなんじゃ……儂は、お前らが律儀に約束を守りに戻ってくるとは思っておらなんだから、オルの村の仲間と共にもっと西へ引っ越そうと考えておったのじゃ」


 「解放戦線」の部隊が去ったあと、オル村に戻っていた森人達は総勢三百人。その代表である村長は、マーシュが約束通りに戻って来たことに驚くと、彼等を悩ませている魔物の正体を明かしたのだった。


 それは「偽の竜」と呼ばれる事もある魔獣ドレイクであった。幾つか種類が確認されている魔獣で、森の中を棲家とするものは一般にフォレスト・ドレイクと呼ばれている。体の大きさは荷役用の大型馬よりも一回り以上大きく、肩の高さが二メートルを超える個体も存在している。その身体的特徴は、全体として蜥蜴トカゲワニを連想させるが、偽竜の名が示す通り頭部はドラゴンに似ている。体高の平均は二メートル、体長は尻尾を含めて四から五メートルで、竜と違い尻尾は地面に付かない程短く、翼を持たない。種類によって行動様式が違うが、フォレスト・ドレイクは一般的に一頭の雄と複数の雌による群れを形成している。


 ユーリーの持つ「粗忽者のための実戦魔術書:著メオン・ストラス」にも記述があり、曰く、


 ――雄は体が大きく獰猛だが、より注意すべきは雌である。複数で連携して狩りをする習性を持っているため、気付かない内に追い込まれていることが有る。群れと遭遇し此方に戦力が充分でない場合は逃げるに限る。空を飛べない上にブレスも吐かないので十メートル以上上空に浮遊レビテーションで逃れるのは一つの手であるが、執拗に獲物を追う性質があるため我慢比べとなる。魔術の類には特別な耐性を持っていないが、竜に準じると言われるほど強靭な鱗に覆われているため、弓矢による攻撃は柔らかい腹の方を狙うのが良い――


 という記述があった。その他には博識な著者らしく、ドラゴンとドレイクが同族の亜種なのか、全く別の種なのかについての論説。そして、戦利品として得られる強靭な外皮と鱗の活用方法。更に、牙がしばしば「竜牙兵」の素材として有名な「竜の牙」の偽物として出回るという情報までもが記載されていたが、ユーリーにしてみれば、


「てっきり梟頭熊オウルベア大山猫リュンクスの類だと思っていたのに……」


 ということで、意外な強敵であったのだ。そんなフォレスト・ドレイクの群れはオル村の村長が言うには十二頭だと言う。メオン老師の本が示すとおり、一頭の大きな雄に対して雌が六頭、そして子供と思われる小柄な個体が五頭の構成であることは、森人の狩人達が調べていた。それらの魔獣は、オル村から更に北へ森を分け入った場所にある小さな沼地の周辺を自分達の縄張りと定めて、周囲の動物を食糧として狩っているとのことだった。


 対象となる魔物は思った以上に強敵であるが、トトマの街の復興には北の森の木材が必要なことには変わりない。更にオークの集団程ではないにしろ、街の近くに危険な魔獣が住んでいるというのは看過できない状況であった。そして何よりも


「強敵過ぎるので、我々は帰ります」


 などと言えるはずが無かった。特に一行を率いるマーシュは出自が騎士であり、さらに「民を守る」と誓いを立てているため、何の躊躇いも無くオル村の森人達に協力を再度約束したのだった。この事に、オル村側の人々はとても感銘を受けたようで、森の浅い場所での狩りや木の伐採に関してはかなり前向きな態度を取ってくれた。


 結果として、目論見は成功しつつあるが、それもこれもフォレスト・ドレイクの群れを退治してこその話である。そして、今ユーリーとヨシンを始めとする遠征隊に三十人の森人の狩人を加えた総勢五十人弱の討伐隊は、その沼地の風下にある窪地に陣取っているのだ。


****************************************


 天山山脈から吹き下ろす乾いた風は、大森林地帯の上空で湿度を取り戻すと大陸の上空を一気に流れてリムル海へ吹き込む。その偉大な自然の営みの途中、大森林地帯の南端に近い森の中で息を潜める人々の上を吹き通る風は、彼等の頭上に生い茂る木々の枝を揺らすだけだ。


 例年にない暑さに見舞われているコルサス地方でも、森の中に何日分も分け入った場所は暑さとは無縁の別天地となる。森特有の土と朽木くちきの匂いのする澄んだ空気を透して頭上で揺れる枝の影が下草の上に揺れ踊る影を作り出す。これまでの事を思い出していたユーリーは、その様子に一瞬注意を奪われる。その時――


「ん? ……来たぞ!」


 衛兵団のベロスが緊張した声を発した。流石に元森人だけあって、周囲の気配を読み取ることには長けているようだった。そして、その言葉を受けて視線を森の奥へ向けるユーリーも、何かが動く明らかな気配を感じ取ることができた。その間、ベロスは周囲に潜む兵達に注意を促す声を発する。小さいが鋭い声だ。そして、その声を受けた者が順にそれを離れた仲間へ伝えていく。その次の瞬間、


 シャァァァ!


 というかすれた甲高い咆哮が静寂を切り裂く。そしてドシドシという地響きを伴った足音が響きてくると、次の瞬間、背の高い藪を身軽に飛び越えて、若い森人の狩人が姿を現した。その狩人は必死の形相で後ろを振り返らずにユーリー達が待ち構える窪地を目指す。そして、


 ジャァァァァッ!


 その狩人の直ぐ後ろから、藪を突き破って二頭のドレイクが姿を現した。それはまさに「ドラゴライク」と呼ぶに相応しいドラゴンの頭部を持った大きな生き物だった。そんなドレイクは頭部を地面近くに下げ、森の中を疾走する体勢となっても体高は二メートル強、艶のある深緑色の鱗に覆われた全身を躍動させると、大きな鉤爪のついた四つ足で大地を蹴りながら凄まじい勢いで迫って来る。


「まて……焦るな!」


 ユーリーの左側から、マーシュの声が聞こえる。想像していたよりも大きく見える実物のドレイクに、兵が焦って攻撃か逃亡をしようとしたのだろうか? 姿が見えないその声に、ユーリーはそんな事を考える。


 今彼等が取っている戦法は、待ち伏せである。一人の狩人が先行し、囮となる。そして囮を追う魔獣を、他の者達が待ち構える窪地へ誘い込むのだ。その窪地には大型の獣を撃退するための罠が幾つか仕掛けてある。


 囮となった狩人は、窪地の手前に作られた罠の一つ、落とし穴を飛び越えるとそのまま窪地へ転がり込んでくる。そして、


ギャアァァァァァァツ


 先ず一頭が、地面に偽装していた落とし穴の天板を踏み抜き、その下に設置していた杭に貫かれ悲鳴を上げた。深い落とし穴ではないが、設置した杭には木製の|返し(・・)が細工されており、一旦体に刺さると自力で引き抜くのは困難なものだ。その落とし穴が、窪地へ向かって下り斜面になる始まりの場所に幾つか設置してあるのだ。


 しかし、もう一頭のドレイクは、先を行く仲間が罠に掛かったのを見ると、反射的にそれを飛び越えて窪地の中へ飛び込んでくる。そして、


「今だ! 腹を狙って撃て!」


ヒュン、ヒュン、ヒュンッ


 というベロスの掛け声と共に、森人出身の弓兵五人が一斉に矢を射った。彼等は窪地の一番下に潜んでおり、下から見上げる角度で鋭い矢を比較的柔らかいドレイクの腹へ打込んでいく。


シャァァァッ!


 矢は三本が魔獣の腹部に突き立つが、それだけでこの凶暴な魔獣を倒すことは出来ない。そこへ、


「うぉぉらぁ!」

「いやぁぁ!」


 と二つの気合いが響き、「首咬み」を持ったヨシンと短槍を握ったダレスが飛び出す。そして、その二人の頭上を青っぽい光が飛越していくと、


パシィィン


 と渇いた音が響き、ユーリーが発動した「雷撃矢ライトニングアロー」がドレイクの鼻先に炸裂する。それは、攻撃というよりも牽制といった方が良い一撃だったが、それでも魔獣はドラゴン似の鼻面を少し引き裂かれて赤い血を迸らせながら仰け反る。そして、首元から胸部に掛けて比較的柔らかな外皮に覆われた弱点を、突進する二人の戦士に曝していた。


ギャァァァァッ!


 先ずヨシンの持つ「首咬み」の鋭い穂先が魔獣の喉元に突き刺さる。真上から見れば辺を抉った三角錐の形をした斧槍の穂先はズブリ、という感触を持って魔獣の外皮を貫くと次いでゴツン、という堅い骨に突き立つ感触を伝える。そして、その傷口から鮮血が噴き出す前に、今度はダレスの構えた短槍が胸部に突き立った。ダレスの短槍の平らな穂先は偶然にも魔獣の肋骨の間へ滑り込むと心臓を一突きにしていた。


シャァァ……


 ダレスの一突きが致命傷となり、ドレイクは断末魔を上げると最後の力で身を捩る。


「うわぁぁ!」


 咄嗟にヨシンは「首咬み」を引き抜いたが、ダレスは深く突き刺さった槍ごと、窪地の右側の斜面に跳ね飛ばされていた。


「ダレス! 大丈夫か!」


 ユーリーは声を掛けるとダレスの方へ向けて駆け寄ろうとするが……


「なに、これ位大丈夫だ!」


 という元気の良いダレスの返事を聞く、と同時にその彼の頭上を見て一瞬動きが止まっていた。そこには――


ギャァァァッ!


 と威嚇するような咆哮を上げる、新手のドレイク二頭が窪地とその斜面に転がるダレスを見下ろしていたのだった。


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