Episode_12.16 アートンの確執


アーシラ歴495年 8月 ――アートン城――


「なに? それでは、王子はトトマを動かないということか!?」


 八月初め、内陸の街アートンはだるような蒸し暑さの中にあった。冷涼な天候は七月の中頃まで続いていたが、七月末に入ると一変し、今度は例年にない猛暑となっていたのだ。陽炎かげろうが立ち昇るほど強い日差しの中「アートン城」と呼ばれる国境伯アートン公爵の居城の中は、重厚な石造りの建物が災いし、風通しも悪くむせ返る熱気が籠っている。そんな建物の一階大広間で声を荒げたのはアートン公爵の嫡子ドルフリー。額から顎にかけて伝う汗は熱さのせい・・ばかりではないようだ。


「はい……再三使者を立て、アートンへ帰還して頂くよう説得しておりますが……」


 そして、その詰問するような調子に答えるのはアートン公爵家筆頭騎士、国境伯軍将軍のドリッドであった。こちらは、ドルフリーに輪を掛けて額に汗を滲ませており、しきりそれを袖で拭う仕草を見せている。そんな様子を示すドリッド将軍にドルフリーは納得が行かないように言う。


「戻らぬ理由は何なのだ?」

「先のトトマ襲撃事件の後始末、及び前線であるエトシア砦の士気を高めるため……ということです」

「フンッ……あのレイモンドがそのような事を言うはずがない……ならば誰かの指図か……」


 レイモンド王子を未だ子供扱いするドルフリーは、王子が自分の要請を拒んだのは誰かの指示によるものだ、と考えているようだ。


「アント商会か……いや、奴らは金ずくの商人だ……ならば、やはりアーヴィルか? あ奴はもともと余所の国の者。父上が何かと目を掛けるから見逃しておったが、レイモンドがアートンを離れたことをいいことに何か吹き込んだのか……」

「はぁ……」


 ドルフリーは勝手な妄想で推測を進めていく。そんなあるじの様子にドルフリーは流石に「考えすぎでしょう」とも言えず、返事を濁すのみだった。そこへ、


「ドルフリー、儂がどうかしたか?」


 老公爵アートンの張りのある声が響いた。夏の間は同じアートンの街の北にある避暑離宮にいることが多い老公爵は、今日トトマへ派遣していた使者が戻ったということを聞き付けて城へやって来たのだ。


「父上、このような場所に来られるとお体に触りますぞ」

「はは、流石にここは暑いが……これくらいで具合が悪くなるほどやわな年寄りではないわ」


 アートン公爵マルコナは息子の言葉に笑って答えると、ドリッド将軍に席を外すように、と手で合図を送る。そして、ドリッド将軍が大広間を出たのを見届けると再び口を開いた。


「それに、可愛い孫娘が使者の持ち帰った答えを気にしていたのでな……レイモンドが、いや、イナシアにとってはレイモンドとアーヴィル・・・・・が帰還するのか気になるのだろうよ」


 そう告げる父親の言葉に、ドルフリーは苦虫を噛み潰したような表情となる。娘のイナシアがアーヴィルへ特別な想いを寄せていることは侍女達から聞き取っているドルフリーだが、彼としてはレイモンドへ嫁がせたいと考えているのだ。


「親子ほどに歳が離れている。それに素性も良く分からぬ放浪者同然の者をはしたなく・・・・・思慕するなど……我が娘ながら嘆かわしい」


 ドルフリーは吐き捨てるようにそう言う。


「アイナスとジュリアンド様は文字通り愛し合っておったからな……あれは政略結婚と言えるようなものでは無かったが……」


 「お前は未だにイナシアをレイモンドへ嫁がせる気なのか?」と問い掛けようとして、公爵マルコナは言葉を呑み込む。息子であるドルフリーが苦い顔を崩さないこともさることながら、今日はその事を話しに来たのでは無いのだ。


「トトマの行政管理官から書状が届いたぞ……大方お前の所に入っている情報と同じだと思うが」

「分かっております。権限移譲の制約上レイモンド王子の指示には逆らえない、などとは、こちらの指示を無視する言い訳でしょう。この件が落着した後には任を解き追放してくれる」


 ドルフリーは忌々し気にそう言う。というのも、トトマやダーリアなどの西方国境伯支配地域の都市への行政管理官の任命は、国境伯アートン公爵が国王に願い出て、国王の名に於いて権限移譲される、というのが昔からの習慣なのだ。今は前王ジュリアンドの名を使う訳にはいかないので、正当な王位継承権者・・・・・・・・・であるレイモンド王子の名に於いてなされている。そのため、レイモンド王子の意向と行政管理官の意向が相反する場合、行政管理官にはそれを跳ね除ける法的権限がないのだ。敬虔な法神ミスラの信者である現行政管理官は、その点をもって何度もドルフリーの指示を無視している状況だった。


よろずの事、法の定めを持って粛々と治めていくのが政道の習いだ。しかも今年の秋が不作になるのは確実。幾ら兵糧を確保する必要があると言っても、トトマの倉庫に備蓄してある危難に備えた穀類までも供出させるのは無理がある」


 一方、公爵マルコナは息子が発した命令を無視するトトマの行政管理官の肩を持つような発言をする。そして、その事がドルフリーを苛立たせる結果となる。


「今年が不作になるのは百も承知、来年の春頃には敵も食糧に窮するでしょう。そこで、改めて討って出てストラとディンスを奪還するのです。このような好機に民草の食うや食わぬ・・・・・・は二の次三の次です!」


 そう断言するドルフリーの顔は紅潮しており、対する父親の愕然とした表情を意に介す様もなかった。その上で更に続ける。


「なんとしてもレイモンドにはリムルベートからの援助を取り付けて貰い、来年春の反攻作戦に間に合わせる必要があるのです」

「しかし、当の本人がトトマから動かぬではないか」


 興奮したドルフリーは、そんな父マルコナの指摘でさえ一笑に付すると更に続ける。


「ハッ……レイモンドには少し甘い顔を見せ過ぎました……そろそろ自分の立場をわきまえて貰う必要がありますな」

「どういう意味じゃ?」

「神輿は大人しく担がれていれば良い、ということです。演習を口実にトトマへ騎士団を派遣します。駄々を捏ねる子供には仕置きが必要、自分が我々によって生かされている・・・・・・・立場であることを、この機会に思い知って貰うつもりです。この件、父上は口出し無用に願います!」


 ドルフリーはそう言うと、会話は終了、とばかりに大広間の外に控えていたドリッド将軍を呼び戻した。


「ドリッド、父上を離宮までお送りして差し上げろ!」

「は……はぁ……」


 状況が呑み込めないドリッドは、紅潮し興奮気味のドルフリーと蒼ざめた表情で黙り込む公爵マルコナを見比べるのだった。


****************************************


 ――トトマの街――


 照りつける太陽の下、街道を荷を満載にした荷車が行き交っている。それらの荷は南の森で切り出された材木や煉瓦レンガ、それに漆喰などといった建築資材が多い。デルフィルやダーリア、アートンから運び込まれたそれらの物資は、殆どが焼失又は、打ち壊された街の西側と北側を修復するための物だ。


 一方、それらの物資を受け取り、実際に街を修復する労働者には「解放戦線」を離脱した部隊の兵士達が訓練を兼ねて参加しているが、それ以外の多くは今年初めの戦いで王弟派の軍に占領されたストラから逃れてきた人々である。トトマの街に逃れてからは国境伯アートン公爵の命令によって街の南側外壁と建物の強化に従事していた人々だが、今はレイモンド王子の指揮の下、街の復興に従事しているのだ。


 そんな復興作業自体は辛い肉体労働が多いのだが、それに従事する人々の顔はそれほど憔悴した疲れ切った物では無い。むしろ活力があり意欲的に働いている者が多いという印象を受ける。全体として、オークによる襲撃事件が発生する前に行われていた労役の作業現場の雰囲気とは全く違うものになっているのだ。


 そんな現場の一つが北の外壁の外側・・・・・、丁度オーク達が乗り越えた外壁の辺りに在った。他の現場は焼失、損壊した建物の補修や再建築だが、この場所は他と違い街区の拡充作業となっている。外壁の一部を人が三人並んで通れるほど切り崩し、その先に新しい街区を作ろうとしているのだ。この現場にも多くの元難民の作業者と兵士が投入されている。


 その現場に二人の人物がやって来た。一人は洗いざらしの麻製の上着を羽織った美丈夫レイモンド王子、そしてもう一人は常に王子の周囲に寄り沿う平服姿の騎士アーヴィルである。その二人の他には護衛の兵士や衛兵の姿は無かったが、これは特に珍しい光景では無かった。


 護衛役はアーヴィル一人で充分、というのがレイモンド王子の持論だったし、実際アーヴィルは周囲を納得させるほど強い・・のだ。以前ユーリーとヨシンが「騎士デイルよりも強いかも知れない」と語っていたのは、アーヴィルの立ち振る舞いと雰囲気から剣を操る技術を推測したものだ。しかし、それはこの騎士を部分的に捉えた評価であった。既にユーリーもヨシンもその評価は改めているが、先のオーク襲撃の際に見せた魔術師として力量は相当なものだった。


「『火爆波エクスプロージョン』なんて、いつになったら使えるようになるのか……」


 とユーリーが嘆いたほど高位の術を使えるのである。そして、剣と盾の技術に強力な魔術が加わることで、アーヴィルという騎士の戦場での真価が発揮されるのだった。勿論「訓練馬鹿」を自負する二人は、そんなアーヴィルに嬉々として挑み掛かり、毎度毎度のことながら散々な目に遭っているのだった。


 そんな騎士を一人護衛に据えたレイモンドは強い日差しをものともせずに、元々色白だった肌を紅く日焼けさせながら、正午を二時間ほどすぎた最も暑い時刻に各所の作業現場を見回ることが多かった。行政管理官との打ち合わせや街の住民からの陳情を午前に済ませ、午後は作業現場や市場などの視察をするのが最近の日課になっているのだ。


 そんな王子に、作業現場の人々は気が付くと挨拶を送ってくる。当初は全員が作業を放り出し地面に平伏していたのだが、これは早々にレイモンド王子自身によって改められていた。だから今は、夫々が作業の手を少し止めると軽く会釈したり笑顔を送ってくるだけという、他国の王族や貴族が見たら卒倒しそうなほど簡略な挨拶となっている。そして、それらの人々に頷いたり手を上げたりして返すレイモンドは、全く上機嫌であった。そこへ、


「レイモンド様、日々の御視察有難うございます」


 と声を掛けてきた者がいた。小柄で華奢だが、日に焼けつくした真っ黒な肌に白い歯が何故か似合うこの男は、ゴーマス隊商の番頭役であったトーラスという三十代半ばの男だ。今は主人であるゴーマスらと別れ一人トトマの街に残り、持前のそろばん・・・・の技術と要領の良い段取り力を発揮しているのだ。


「トーラスか、毎日精が出るな!」


 そうやって声を掛けるレイモンドに、トーラスは頭を下げるだけの礼で返した。


「水や塩は足りているか? 工事の進捗はどうか?」

「お蔭様で、働く者には充分に飲み食いの手当を頂いております。しかし、計画の方でございますが……」


 レイモンドの問い掛けに答えるトーラス、その内容はここ一週間に渡って繰り返されたものになる。


「石材は拡張した北の居住区を囲む外壁に充てる分、ほぼ計算通りに納入されておりますが……」

「やはり材木が足らないか?」

「はい……」


 その問答が示すとおり、今トトマでは住居等の建物の建築に必要な木材が不足する事態に陥っていたのだ。南のストラからディンスへ広がる森林地帯は広大だが、クヌギやナラなどの建物の構造材には向かない広葉樹が多く、樫や欅の木は可也奥に入らないと入手が出来ない。さらにトトマから南の森へは道が整備されていない上に距離が離れているため輸送が困難であった。


 しかし、この街の北の現場の作業は何としても予定通りに行いたいという事情があった。それは、この現場に新しく作られる街区が、現在トトマの街で復興作業に従事しているストラから流れてきた人々の住居である、という理由だったのだ。


 以前から労役に従事する者には最低限の食事と幾ばくかの給金は支給されていたが、彼等と彼等の家族の住む場所までは手配が行き届いていなかった。そのため、労働意欲に今一つ欠けた状態が続いていたのだ。そして、その状況を看破した(実際にはトトマの街の人々からの指摘を受け入れた)レイモンド王子は、この北の新街区の建設を発案したのだった。


「もうしばらくの辛抱だ、ユーリーやヨシン、それにマーシュらが北の森人と話を着けてくれるはずだ……」


 このような木材不足は復興の初期段階から予測されていたため、レイモンド王子らはその対応策として北に広がる森林地帯に目を着けていたのだ。そこには、森人と称される「まつろわぬ民」が住み暮らしているが、レイモンド王子は彼等の協力を得ようと考えたのだった。そして、


「詭弁とはいえ、森人の集落を借りる代償として魔物の討伐を請け負っております」


 というマーシュの告白を契機として、元「解放戦線」部隊の一部とユーリーにヨシンを加えた一団を遠征隊として編制し、北の森へ派遣しているのだった。その遠征隊の目的は、今やレイモンド王子と志を同じくする元騎士マーシュが交わした約束を果たすことと、北の森林地帯に豊富に自生する樫や杉、檜といった建築資材を得ることである。


「しかし、もう十日は音沙汰がございませんが……」


 トーラスとしては、効率よく工程を組み上げ、限られた専門工を有効に活用したいと考えており、その言葉には急かすような調子が現れるのだが、


「まぁ、待とう。そろそろ戻る頃だ」


 そんなトーラスに対して、レイモンドは屈託なく言うと北の現場を後にするのだった。


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