Episode_12.05 宣教師の誤算


 トトマ街道会館、周囲で一番大きな宿屋は小規模な厩舎を備えており、その周囲には外壁が張り巡らせてある。元々は馬泥棒から馬を守り、且つ馬の脱走を防ぐためのものだが、今は押し寄せるオーク兵から身を守る唯一の頼みの綱となっている。


 しかし、高さ二メートルも無い薄い石壁は今まさに突き崩されようとしていた。これよりも頑丈なトトマを取り囲む外壁を乗り越えて北から侵入したオーク兵の本隊にとってみれば、それほど難しい作業では無かった。しかも、防衛側は宿の上階から矢を射ていたが、もう長い間沈黙している。妨害を受けることも無くなったオーク兵達は、最後の壁を崩す準備を悠々と進めているのだ。


 そんなオーク兵を指揮するのは族長の息子のうち長男の方だ。次男は東に陽動を仕掛けている。そして、族長は離れた所から西を攻める別働隊を指揮しているのだ。


 族長なりに、後釜である長男に華を持たせてやろうという配慮した布陣なのだろう。野蛮な印象を受けるオークという種族だが、一族内の上位者達には情の通ったやり取りもあるし、それなりに知能も高いのだ。


 そう言う経緯で北の本隊を任された次期族長の長男は、率いるオーク兵らに号令を掛ける。


「壁を崩して一気に雪崩れ込め! 中の女達は好きにしてもいい!」

「うぉぉぉ!」


 その言葉に部下達、特に下級の兵たちの士気が高まる。統率というたがは外れるが、いきり立った兵達の戦闘意欲は何倍にも膨れ上がる。そして、その指示を我ながら上手い指示だと自賛する彼は、ふとある事を思い出した。


(そういえば、筋書き・・・通りならば、ここでアフラ教の坊主が出てきて、俺達は退散するんだったよな……)


 ついさっきまで、これが作戦の本筋だと思っていたが、族長である父から「それは見せかけ」と言われていた彼は、豚の鼻で笑うようにする。


「フン、考えてみればくだらない茶番劇だったな。こうやって思う儘に略奪するほうが余程に良い」


 そう言うと、壁を突き崩すための丸太を持つ部下達をどやし付けるのだった。


 やがて、大して堅牢でもない外壁に大穴が開けられると、オーク兵達は競うように中へ雪崩れ込んでいく。壁の向こうには垂涎の獲物が待っているのだ。サカリの付いた動物のように無我夢中で、先を争って中へ突入する合計五百のオークの軍勢は、待ち構えた衛兵隊からの矢の洗礼を物ともせず、トトマ街道会館の敷地内へ雪崩を打って突入する。


 対して、これを迎え撃つのは、敷地内に待機していた北の防衛線を担当する百人の衛兵隊。トトマ街道会館の庭を舞台にした攻防戦が始まった。


****************************************


 喜ばしくない状況で満員御礼となったトトマ街道会館は、収容出来る限りの近隣住民が詰め込まれた状況だった。しかも、みな一階のホールを嫌い、二階よりも上に上がると固唾を飲んで外の様子を伺っている。そんな状況で誰かが悲鳴のような叫び声を上げる。


「おい! 壁が破られたぞ」


 絶望的な言葉に、集まった人々、特に女子供は悲鳴を上げる。すると、二階の廊下の階段付近で一人の男が立ち上がった。その男はアフラ教の聖職者が身に着ける黒いローブを纏った人物 ――オゴティス――だった。彼は良く通る美しい声を響かせて、恐怖に震える人々に語り掛けるのだ。


「みなさん、恐れてはなりません。みなさんには、アフラ神の加護がついています。さぁ、神に祈りを捧げましょう。やり方は簡単です。胸の前で手を握り眼を閉じて、アフラ神よ、と心の中で念じるだけで良いのです」


 そう言うと自らやって見せる。しかし、突然始まった説法に周囲の人々は呆気にとられた表情をするだけだ。そこへ、


「アフラ神よお救いください!」

「アフラ神よ、どうかお助けを!」


 と二人の若者 ――サクラ役のセブムとドッジ―― がオゴティスの真似をして見せる。しかし、暗い夜の辻ならまだしも、全員が目の前に迫った恐怖に震える状態では、サクラの効果は無かったようだ。


「……お前さん、アフラ神とやらも良いが、今は女子供を三階へ上げることにしないか?」


 そんな声が掛かった。声の主は老齢の男性だ。学者か魔術師のような灰色のローブを着ている。


「そうだな、女子供を上に上げよう、男達は下だ。若い連中は一階で、もしも連中が入ってきたら戦うんだ!」


 別の男がそう言う。普段は一階ホールの奥のカウンターで働いている中年の男だ。その中年男が言った内容への賛同や非難で二階は一気に騒がしくなった。


「ちょっと、アフラ神……」


 すっかり聴衆の注目を失ったオゴティスは何か言い掛けるが、大勢の声で掻き消されてしまう。それらの声の内容は学者風の老人や中年男の言う内容に賛成するものもあるが、大半は非難するような声だった。皆、外の災難からやっとのことで逃れてきた人々なのだ、今更下で戦えといわれても、出来るはずがなかった。そして、不満を言いつつ結局動かない男達に邪魔されて、サーシャを含む女子供は三階に上がれない。その時、


「なんだい、男の見た目をしてるわりには、玉も竿も何処かに落としてきたのかい! 下に降りたくないってんなら、私達が下でオークの相手をしてやるよ!」


 少し酒焼けした声で啖呵を切るのはナータだ。それにつられて商売服・・・を着た年増の娼婦達が立ち上がる。


「そうだね、客だったとしても、意気地の無い男はこっちから願い下げだよ!」

「最期のお客はオークってか、お前らみたいな愚図を相手にするよかイイかもね!」


 威勢のいい啖呵が続く。そして、


「そ、そうだ! アフラ神は勇気をもって困難に立ち向かう人を見捨てない!」


 オゴティスは何とか人々の関心を惹こうとして、そう言うと階段を駆け下りる。その後ろ姿に、娼婦達の声援が掛かる。


「宣教師さん! あんた男前だね! 生きてたらロハ・・で相手してあげるよ! ホラ、あんた達もいつまで腑抜けた顔をしてるんだい!」


 ナータの囃し立てるような声に、オゴティスの後ろ姿を見送っていたセブムとドッジが渋々といった風で彼の後を追って階段を下りる。そんな三人の姿を目の当たりにした他の男達は、ナータ達の叱咤もあって、ようやく重い腰を上げると一階へ降りていくのだ。そして、人が少なくなった二階では、女子供に老人達が三階へ向かうが、


「先生は上に行かないんですか?」

「あぁ、サーシャちゃんかい。儂はここで良いよ。老いれても未だ出来ることがあるんでね」


 先ほど声を上げた学者風の老人はサーシャが読み書きを習っている老先生だった。彼は少し緊張した面持ちではあるが、キッパリとサーシャの問いに答えると、逆にサーシャを急かすよう腰の辺りを押す。心なしか尻の辺りを触っているように見えるのは気のせいだろうか?


「ほら、後ろが閊えている。早く三階へ行きなさい!」

「でも」


 残ると言う老先生にサーシャが戸惑っていると、母親ナータから、凡そ母親らしくない言葉が掛かった。


「サーシャ、早くしな! 初めての相手・・・・・・がオークで良いのかい!」


 それは彼女にとって聞き慣れたはずの下品な冗談だったが、状況が状況だけにゾッとするような情景を思い浮かべてサーシャは蒼褪める。


「はは、大丈夫じゃ、儂に任せておきなさい」


 老先生はそう言うと、サーシャの尻をパンッと叩くのだった。


****************************************


 一階に降りたオゴティスは、側に寄って来たセブムとドッジの顔色が悪いことを認めて小さい声で話し掛ける。


「大丈夫だ、打ち合わせ通りだ」

「しかし……」

「明日の早朝だったはずでは?」

「何かの手違いだ、こんな作戦には良く有る事だ」


 不安気に筋書きとの違いを言うセブムとドッジだが、オゴティスの受け答えには深刻さが無かった。それもそのはずで、彼は「解放戦線」の首領で且つ、西方教会司教の任に就いているアルフ・ゾーダンと共に立てた作戦の筋書きを信じ切っていたのだ。その作戦では、トトマを襲うオーク達はオゴティスの「奇跡」によって退却し、次いで駆けつけるマーシュ率いる「解放戦線」の部隊の活躍によって追い払われる手筈になっている。


 この卑怯なやり口は、実はアフラ教会の極秘の布教活動の一例だった。同じような手口を使い中原地方の小さな村や街で信者を増やしている実績もある。このやり方では、襲う側にもそれなりの役者根性を要求するのだが、中原に近いアフラ教会では極秘に専門のオーク傭兵団を雇っているほどだった。勿論教団の極限られた上層部の一部しか知らない話だが、アルフ司教に言わせると、


「他の信仰から改宗させるには金も時間も掛かる。愚かな民衆の事だ、この方が全体で見ればずっと安上がりなのだ」


 ということだった。しかし、西方辺境のコルサス王国ではそのような気の効いたオーク傭兵団の手当が付かず、職にあぶれた適当なオーク傭兵団を使っている。それでも、


(アルフ様の御手配だ、先ず心配はないだろう)


 とオゴティスを安心させる程度に、アルフという人物の信仰は熱心なものだったのだ。更に、今回の企みが成功すれば、オゴティスは一介の宣教師から西方教区の副司教に大抜擢されることが確約されていた。否が応でも、彼の心は信仰心以外の気持ちで昂ぶっている。


「大丈夫だ、隅に隠れて居なさい。そして、連中が入ってきたら……」

「分かってます」

「はい」


 その言葉にセブムとドッジは胸に忍ばせた「魔水晶」を服の上から確かめる。それは奇跡を演出する小道具だった。


 そんな時、乱暴に一階ホールの玄関が叩かれる。それはノックをするというよりも、突き破ろうと体当たりするような振動と音を伝えて来る。ちょうど、その扉の前に立つ格好のオゴティアは生唾を呑み込む。そして、


ドカッ、ドカッ


 と何かを叩き付ける音に続いて、閂を下ろされた扉が蝶番を引き千切られて弾け飛ぶように内側に向って倒れる。そして開けた視界の先、トトマ会館の玄関先には大勢のオーク兵の姿があった。彼等の後ろでは未だ、衛兵隊が善戦しているが、それでもトトマ街道会館の敷地の隅まで押しやられているようだった。


「へへへっ、女は上かぁ」

「お、酒があるな!」

「頂きだー!」

「おおー!」


 オーク兵達は、目の前に立ち塞がる聖職者のローブを纏ったオゴティスなど目にも入らないように口々に勝手な事を言いながらホールに踏み入ってくる。


「待て! 穢れし不浄の者共よ!」

「なんだコイツ?」

「さぁ……ヤっちまおうか」


 オゴティスはこの段階になっても相手の反応に違和感を持っていない。そして自信に満ちた表情で掌を天井の方へ向けて高らかに宣言する。


「大いなるアフラ神の名に於いて命ずる、卑しき者共よ、立ち去れい!」


 その瞬間、打ち合わせ通りに、セブムとドッジは「閃光フラッシュ」の術が封じられた魔水晶をテーブルの下からオーク兵の足元目掛けて投げ付ける。


カッ!


 辺りは一瞬にして眩い光に包まれた。


 もしも、この時打ち合わせ通りにオークが退散したならば、この情景はオゴティスの祈りにアフラ神なる神が応えた奇跡の瞬間として語り継がれただろう。しかし、冷酷な現実は違う結末をアフラ神の信徒に与えていた。


「うがぁ!」

「こいつ、魔術師だ!」

「殺せぇ!」


 突然の閃光に逆上したオークは手に持っていた斧を闇雲に振り回す。そして、同じく閃光によって視界が奪われてしまったオゴティスはその斧を避けることが出来なかった。


 ザックリと胸から腹を引き裂くように体に食い込んだ斧の感触に、オゴティスの意識は混乱の中で途絶えてしまった。彼に絶望と長引く苦痛を与えなかったのは、彼が信仰を寄せたアフラ神からの慈悲だったのかもしれない。


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