Episode_12.02 荒野の旗揚げ


(やっぱり王子様だったのか)


 そのやり取りを聞いていたユーリーは、確信無く想像していたことが現実だったことに合点がいった気分になる。しかし、レイ、いやレイモンドが王子であろうが無かろうが、目の前のトトマの街では今まさに危難に面している人々がいることには変わりは無いのだ。「力を貸してくれ」などとは、言われるまでも無い事だった。


「レイモンド王子」


 少し躊躇う気持ちはあるが、ユーリーは自分の思い付いた最善の策を口に出す決心をすると、レイモンド王子に声を掛けた。


「なんだ?」

「荷馬車を……飼葉を載せただけの荷馬車が三台ほどあったはず。それを使いたい」

「荷馬車を?」


 ユーリーは、そう問い返すレイモンドの視線を受け止める。そして、レイモンドの横に立つアーヴィルとゴーマスにも一瞥を投げかけてから、自分が考えた策を言うのだ。


「敵の数に比べて、我らは少数。一気に撃滅は出来ない。だから……」


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 肌寒い夜気に満ちた荒野は、街を襲う炎に照らされて影が揺れるように浮き立っている。そこには、五騎の騎士と二十人前後の戦士、そして十数台の荷馬車を馬蹄形の陣地のように並べた一団の姿があった。五騎の騎士の一人、正確には騎士ではないが、ゴーマスは長い竿の先で夜風を受けてはためく旗を見上げる。


 そこに在るのは「紫禁の御旗」かつてアーシラ帝国の西方鎮守府として建国された都市コルベートのあるじたるコルサス王家の宝というべき旗だ。それは、リムル海を象徴する濃い紺色の下地に金の縁取り、そして赤い色彩で浮き立つように刺繍されたコルサス王家の紋章は、レイモンドの腰に納まっているミスリルの片手剣「守護者ガーディアン」の意匠と同じ、東の地平線からの昇る太陽をかたどったものだ。


 ゴーマス、そして彼の配下バッツと護衛の戦士達は、一様に旗を見上げる。その旗はその下に集う者に勇気と活力を与えると伝えられているが……


(なるほど……こんな俺達でも、やってやろうって気になるんだな)


 バッツはそう思うと巨大な両手斧の柄を握り締める。そんな彼の部下は、先日の襲撃で十名弱が負傷したまま荷馬車に乗っていた。戦力には成らないから退避しろ、とバッツも隊商主のゴーマスも再三言ったのだが、彼等は退避しなかった。護衛の戦士だけでは無い、隊商の使用人であるトーラスを始めとした者達も残ったのだ。


「我々だって、投石紐スリングを使うくらいは出来ます! レイモンド王子の旗揚げの戦、逃げ隠れるなんて勿体無い」


 腕っぷしの強さとは程遠いトーラス達使用人にも旗の効果はあったようだ。手近な石を拾い集めて数か所に塚のように積み上げている。


 バッツがそんな後方の様子を目の端で確認していると、不意に視界の隅で動きがあった。旗を掲げたゴーマスの直ぐ前、前方をアーヴィル、左右をユーリーとヨシンに囲まれたレイモンドが右手を挙げたのだ。


「皆聞け! これよりトトマの街を救う。しかし敵に対し我らは少数。先ずは敵の一部をこちらに引き付けて、殲滅する。その後、街へ突入だ」


オウ!


 護衛の戦士、負傷者、使用人も含めた四十人の一団が声を揃えて気合いを入れる。その声が荒野に響く。


「では、ユーリー、ヨシン、頼んだぞ!」


 レイモンドは左右に位置する騎士を見る。既に兜を被り面貌を下ろしたヨシンの表情は読み取れないが、ユーリーは、兜の奥の目で「わかった」と頷き返すと馬を進める。ヨシンも同様だ。そして、二人は前に引き出してあった三台の荷馬車に左右から近付くと、抜き放った剣の腹で馬の尻を叩くのだ。


 目隠しをされた馬は突然叩かれたことに驚くと大きく嘶きを上げて前方へ突進を開始する。三台の荷馬車に六頭の馬車馬。くびきで繋がれた馬達は全てが何かに憑かれたように飼葉を満載した荷馬車を曳いて、燃え上がる街へ突進していく。前方にはこちらに気付いていないオークの集団の影が蠢いていた。


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 ユーリーとヨシンは夫々の騎馬の速度を疾走する荷馬車に合わせる。二人の手元には各自の馬の手綱以外に一本の太い縄があった。その縄は荷馬車を曳く馬車馬に繋がっている。馬ごと荷馬車を敵の集団に突っ込ませれば、馬は犠牲になってしまう。それには流石に気が引けたヨシンが結び綱を工夫し、寸前で馬を荷馬車から解放できるようにしたのだ。これには、隊商の面々から感謝の言葉があった。彼等にしてみれば長い旅路を共に行く馬は家族と言ってもいいのだろう。


(結局は、馬ごと突っ込むのには変わりないんだが……)


 馬を走らせながらそう思うヨシンは、自分が嘘を吐いたような気持ちになるのだ。そこへ、ふと体の力が湧き上がるような感覚を覚える。お馴染みのユーリーによる付与術「加護」だった。ヨシンは荷馬車を挟んで反対を走るユーリーに視線を送る。その先には、次の付与術に取り掛かるユーリーの姿があった。そしてすぐに、効果を実感しにくいが何かの付与術が掛かった感触を覚えた。きっと防御力を高める術を掛けたのだろう。ヨシンがそう見込みを付けるのとほぼ同時に、ユーリーはヨシンと同じく縄を持った手で少し先を走る六頭の荷馬車を指し示す。突っ込む馬にも防御術を掛けた、という仕草だった。その仕草にヨシンは心が少し軽くなった気がすると、前方を見据える。オークの軍勢までは距離はもう少しだ。


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 オーク、特にローランド・オークという種は、知能はあるが、目の前に興味を惹くものがあると、他への注意が向かなくなる傾向にある。トトマの街の東口にある衛兵詰所を襲う二百匹のオーク達はまさにそういう状態だった。


 彼等が押し寄せたとき、詰所にいた衛兵達は街中へ続く道を封鎖しようと試みたが、押し寄せるオークの圧力に負けて、封鎖は失敗していた。そんな衛兵達に出来ることは、頑丈に造ってある詰所に立て籠もることだった。しかし、そんな詰所からは既に反撃の矢も飛んでこない。先程オーク兵の中でも特に屈強な連中が頑丈な扉を破って中に突入したのだ。詰所の中から悲鳴のような叫び声が聞こえてくる。そして、しばらくすると扉から何人かの衛兵を引き摺って仲間のオーク達が出てきた。


「ひぇぇ」

「た、助けてくれぇ……」


 五人の衛兵達は、殆ど裸に近い状態まで装備を引き剥がされると地面に放り出される。そしてそれを、詰所の攻撃に加わらなかったオーク達が取り囲むのだ。彼等は全員、目を血走らせ、いきり立っていた。


 オークの集団は厳しい序列社会だ。獲物 ――例えば食糧だったり女だったり―― にありつく順番は特に厳しく決められている。トトマの東口を急襲し制圧したオーク兵の総勢は三百だったが、今、街中に侵入して放火と略奪、蹂躙を行っているのは、その集団でも上位に位置する百匹のオークだった。残った者達は、上位者が略奪行為を堪能している間、指を咥えて見ているしかないのだ。それは、ローランド・オークにとって途轍とてつもなく大きな焦燥感を感じる状況といえる。そして、その焦燥感が戦闘意欲と残虐性へと昇華していくのだ。


 そうやって、残虐さを増した二百匹のオーク兵の前に引き出された十人の衛兵の生き残りは、正に下級オーク達の憂さ晴らしの的となる悲惨な運命が待っていた。豚の顔を潰したような醜悪なオーク達はニヤニヤと笑うような表情で無力化された衛兵達を見下ろす。その人垣から巨漢のオーク兵が進み出ると、嘲った笑みを貼り付かせたままで、地面に伏せた衛兵の一人を蹴りつける。


「うぐぅ」


 それを見た他のオーク達が、我も我も、と真似をするように近くの衛兵に蹴り掛かると、悦に入ったような笑い声を上げるのだった。そして、無抵抗な衛兵達を散々に蹴りつけたオーク達は、思い出したように武器を取り出す。その中でも際立って巨漢のオーク兵が、両手で持っても余りが有りそうな巨大な戦槌を持ち上げると、よろめきながら振り上げる。その様子にまわりのオーク達は囃し立てるように喝采を送っている。


ブンッ


 振り上げられた巨大な戦槌は風を鳴らすと振り下ろされる。


ドンッ!


 それは狙いを外し、地面に横たわった衛兵の頭の横を掠めると、何も無い地面を抉り取った。


「ひぃっ」


 衛兵の上げた悲鳴と、狙いを外した槌にオーク達は盛り上がったように、一際大きくやんや・・・と喝采を上げる。そして、歓声に押されるように、巨大な戦槌を持ったオーク兵はもう一度戦槌を振りかぶる。対する衛兵は起き上がって逃げることも叶わず、ただ身を硬く縮めて目を閉じるだけだ。その時、


ヒュン!


 オーク達の歓声に掻き消された風切り音と共に、一本の矢が夜の空気を切り裂きながら飛ぶと、戦槌を振り上げたオークのうなじに突き立った。鋭い鏃は太い首を貫き、喉仏の横から血まみれの先端を覗かせる。しかし、既に恐怖のあまり失神した衛兵はそれを見ることが叶わなかった。


 巨大な戦槌を取り落として崩れ落ちる巨漢のオーク兵に、周囲のオーク達は騒然となる。その時、


「なんダ?」


 人垣の外側にいたオーク兵達が自分達の背後に迫る、六頭の暴れ馬と燃え盛る荷馬車に気付いたのは、そんな時だった。


****************************************


 ユーリーとヨシンは何故か無音・・の街道で馬を走らせる。既にトトマの東口は眼と鼻の先、手前に見える衛兵詰所の周辺でオーク兵達集団となっている。そして彼等の奥には炎を上げる建物が見える。高く上がった炎に照らされたオーク達の影が地面に伸びているが、そんなオーク兵の表情が読める距離にまで、ユーリーとヨシンは気付かれる事無く肉迫していた。その時、集団の中の一際大柄なオーク兵が戦槌を振り上げた光景で、ユーリーはオーク達が夢中になっている事 ――捕えた衛兵の処刑―― に勘付いた。そして素早く背中から弓を取り外すと矢を番え放つ。


 大いに揺れる馬上から正確に矢を放つのは難しい技能だ。しかし、馬に乗るようになって三年、あるじであり親友でもあるウェスタ侯爵家公子アルヴァンからいみじくも頂戴した「訓練馬鹿」の称号に恥じない研鑽を積んで来たユーリーは、一端いっぱしの弓騎兵の如き腕前で、そのオークを射止めていた。


 そして、二騎の騎士と荷馬車は静寂場の領域から飛び出る。ヨシンが叫ぶ。


「縄を!」


 それを合図にユーリーとヨシンは手元の縄を強く引く。六頭の馬車馬は、燃え盛る荷馬車と自分達を繋ぎとめていたくびきを外され、自由になるが、すでに方向転換出来ない距離までオークの集団に迫っていた。


(なんとか、生き残ってくれよ!)


 そう願うヨシンは自身の馬に括り付けていた斧槍(「首咬み」と名付けていた)を取り出すと頭上で一度振り回す。そして、


ドガガガガッ


 ヨシンのその仕草を合図にしたように、六頭の馬と荷馬車がオークの集団に突っ込む。生身を撥ね飛ばす鈍い音と荷馬車が壊れる音、それにオーク兵達の悲鳴が混じる。バランスを失い三台の荷馬車は広い街道を勝手に空走すると、オーク兵達を轢き、撥ね、そして横倒しになって停まる。そして横倒しになった荷台から飛び出した飼葉は辺り一帯を火と煙で押し包んだ。


 二百前後のオーク兵達は、不意を突かれた格好となり、三十前後のオーク兵が犠牲となった。しかし、抑圧された略奪欲を戦闘意欲に昇華させた残りのオーク兵達は、火と煙の向こうから、この攻撃を仕掛けてきた二騎の騎士の姿を捉えていた。


「たった二人ダ、やっちまエ!」


 誰かがそんな声を上げるが、既に二人の近くにいたオーク兵達はワラワラと二騎の騎士へ迫っている。ユーリーとヨシンの戦闘が始まった。


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