Episode_11+α.01 森の乙女達
アーシラ歴495年6月
――王都リムルベート西の森――
「はぁ、一人で遠乗りって……つまらないわね」
白馬に跨る銀髪の女性は、自然と足を止めた馬の上で独り言を呟く。肩の下辺りでプッツリと切りそろえられた銀髪は糸のように細く艶が有り、薄雲と若葉を透して投げ掛けられた六月の日差しに輝いているようだ。そんな美しい銀髪の下の整った容姿は、すまし顔をさせれば貴婦人のようでもあるが、生来の活発な性格が表情に滲みだしており、生気に漲る明るい印象を与えるのが常だ。
しかし、その女性にしては珍しく、立ち止まった馬の上で漏らした言葉は溜息混じりの物だった。そんな言葉の意味が理解できるのか、白馬は抗議するような嘶きを上げる。
彼女の跨る馬は立派な体格に純白の毛並が美しい馬だが、体の至る所に
「あらルカン……別に貴方といるのがつまらない、って言っている訳じゃないのよ」
(フン、ソノ割リニハ頭ノ中ハ、アルヴァン、アルヴァン、ジャナイカ……)
「やぁねぇ……今日の約束をすっぽかされて私は怒ってるのよ……もう」
(ハイハイ……デ、ドウスルノヴァ? コノママ予定通リ、コーサプール迄駆ケルカ?)
「うーん、どうしようかしら?」
ルカンに跨ったノヴァは、傍から見ると延々と独り言を言っているように見える。しかし、盟約で結ばれている二人(一人と一頭)の会話はしっかり成り立っているのだ。そんなノヴァとルカンの会話が示す通り、今日のノヴァは、アルヴァンと共にルカンの調子を確認するために遠乗りをする約束があったのだが、
「すまない、急に会合が入って行けなくなった。この埋め合わせはいつか必ず」
済まなさそうにそう言うアルヴァンの姿を思い出すノヴァは、しかし、余り文句を言う気持ちには成れなかった。
(
そう思うノヴァは大きく変化した周囲の環境に思いを馳せるのだ。
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アルヴァンの父、ウェスタ侯爵領当主のブラハリーが正式にウェスタ侯爵の地位をガーランドから譲り受けることが認められたのは、ガーディス王が即位した翌週の事だった。それを受けた侯爵ブラハリーは、直ぐにウェスタの街に本拠を移していた。急増する王都復興のための木材需要に対応するため、領地の開拓村を総動員し、混乱気味だった現場の指揮に当たるためだった。
そんな状況であるから、残された王都の邸宅は自動的にアルヴァンが預かることとなっていた。因みに祖父であるガーランドは未だ健在。一時期は、親密だったローデウス王を亡くし塞ぎ込んでいたので、周囲の人間を大いに心配させていたが、一旦復調すると
「塞ぎ込んでいた頃のガーランド様が懐かしい」
と周囲に零させるほど見事に復活していた。今は、王都リムルベートに呼び寄せた辺境の賢者メオンを手元に置き、宮中大伯老という役職を得て、即位したばかりのガーディス王を補佐している。しかし、筋を通すことに重きを置く性格から、ウェスタ侯爵家の
そのため、王都におけるウェスタ侯爵家の代表は文字通りアルヴァンが一手に担うことになった。勿論幼い頃から
そんなノヴァを悩ませるのは、アルヴァンの周囲に立ち込める不穏な空気であった。今年の初春から二度ばかり登城するアルヴァンを暴漢が襲うという事件が発生していたのだ。
(まぁ、デイルさんが居るし滅多な事はないと思うけど……)
襲ってきたのは二流の爵家の息の掛かった者だと思われた。反乱を起こしたルーカルト王子に恭順した爵家は全て取り潰しという断罪を受けていたが、それを受けて繰り上がりを期待する爵家の連中の中で、いざこざが起きていたのだ。アルヴァンに言わせれば、
「あの時、自家の騎士を出して王都を守ろうとした爵家がどれだけあったか? 日和見を決め込み屋敷に籠った連中を繰り上げる必要は無い!」
との事だった。しかし、それを思っているだけでなく、公の場で公言憚らないアルヴァンは、そういう意味では「若い」と言える。結果、身に覚えのある連中から反発を買ったらしい。
ノヴァの心配はそこに尽きる。本当は他人任せにせず、外出の際は自分が護衛したいほどに思っているのだが、中々そうもいかない事情があった。
「次代のウェスタ侯爵が護衛にうら若い乙女を連れているのは、いささか……」
とは、元アルヴァンのお側係りで、今は秘書に抜擢されたゴールスの言葉だ。彼が心底言い難そうに言ったのは、主人であるアルヴァンがそう言っているのではないからだ。口さがない連中が悪い噂を流すことを心配して家中で話し合った結果なのだ。そして、その心配をノヴァは理解してやる必要があった。将来アルヴァンに嫁ぐため、と言う意味ではない。今を精一杯の努力で乗り切っている、愛する青年の負担を少しでも減らすためだ。
(健気ダナ……今度
ノヴァの思考が手に取るように分かるルカンは、からかうような思考を投げかけてくる。しかしノヴァも言われっぱなしではないのだ。
「馬鹿な事言わないで……そういえば、齧りつく、で思い出したけど」
(ナンダ?)
「アルヴァンの馬、ルアのお腹、最近大きくなって来たわね……」
(ソウカ……?)
「あれ、貴方じゃない?」
(……)
思考が分かるというのは良し悪しだ。今のルカンは明確にルアと呼ばれる雌馬に対する思慕が湧き上がっている。
「さてと、遠乗りはまた今度にしましょう。ポルタさん達を手伝ってあげなきゃね、貴方はルアの所に戻りたいでしょ?」
(……モドロウカ)
認めたようなルカンの思考に満足するとノヴァは少し微笑む。彼女の目指す場所はマルグス子爵家に隣接して
(ソウイエバ、アノ娘ハ未ダ戻ラナイノカ?)
思い出したようにルカンが思考を送ってくる。不意の投げ掛けにノヴァは少し考え込むと答える。
「リリアの事ね。
(レオノール様ニ苛メラレテイルンジャナイカ?)
「まさか、見込みが無ければ直ぐに戻ってくるはずよ。それが未だ帰ってこないのだから、上手く行っているんじゃない?」
(ソウダト良イガ)
「あら? なに、もしかしてリリアの事も気になっているわけ? 浮気は駄目よ、それに彼女にはユーリーがいるんだから」
(ナ……何ヲ言ウ、私ハ全テノ乙女ノ味方ダ。ソレダケダ)
「ふーん、ルアが聞いたらどう思うかしらね……」
(ヤメテクレ、絶対ニ言ウナヨ)
そこまで会話を交わすとルカンは少し速度を上げた。その背に跨るノヴァは腰の剣がカタと鳴る音を聞きながら、ドルドの森へ旅立っていった健気な少女の事を想うのだった。
(あの娘に、森の精霊の加護が有りますように……)
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大柄な純白の獣、一角獣の背に対照的なほど小柄なエルフの女性が乗っている。その女性はエルフ族特有の年齢を感じさせない風貌であるが、その雰囲気は侵し難い威厳を帯びていた。そんな彼女、レオノールは、跨る
その二人の人物は、片方が少し大柄な人間の女性。そしてもう片方が小柄なクオーターエルフの少女である。森の中に出来た広場 ――かつて大きな古代樹が立っていた場所―― でその二人は途切れる事無く剣を打ち合わせている。
「あの子をカトレアに任せたのは正解だったわね」
レオノールが呟くように言うとバルザックも同意するように頭を小さく動かした。
カトレアとは小柄なクオーターエルフの少女と剣を打ち合っている赤毛の人間の女性の事だ。ドルドの森を守護する
そんなカトレアは、これまで何人もの後輩守護者に力の使い方、戦いの方法を教えてきた指導者でもある。ドルドを離れてしまったノヴァもかつては、カトレアの弟子であった。その指導は厳しいものの、夫々の個性を見い出して伸ばすという点で、余り他人に興味の無いエルフには出来無い行き届いた指導となっているのだ。
(無力感ト悲壮感、ソレニ自信ノ無サノ塊ダッタ娘ガ、変ワレバ変ワルモノダナ)
「変わっていくことは、人間の特権よ……」
(
「貴方の言う『穢れ』は、普通『愛情』と言うのよ……って分かってて言ってるでしょ?」
(……)
バルザックは無言ながら、機嫌の良い感情を返してくる。いつも通りの
(頑張りなさいリリア、努力して変化する。思い描く自分に近付く努力こそが人間の美徳よ)
心の中でそう応援するレオノールだった。
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カトレアと対峙したリリアは荒く肩で息をしている。彼女が握る剣は右が短めの
何とか呼吸を整えようとするリリアに対して、カトレアは息こそ切らしていないが真剣な表情をしている。その彼女が持つのは木の枝と大差のない長い棒きれ一本だけだった。カトレアも同じように矢筒を腰に結わえつけているが、中の矢は未だ五本以上残っており、美しい光沢を持つ古代樹製の
ドルドの森、ドリステッドの街の近くにある木々が開けた場所は、かつて立派な古代樹が聳え立っていた場所だ。しかし、数十年前の或る事件でその古代樹が消滅しまったため、今は空き地のようになっている。その場所で睨み合うように対峙する二人の女がやっていることは、決してお遊びの
リリアの疲労は極限に達している。既に持っている戦略、戦法は出し尽くし、手元にあるのは底を尽きかけた
(負けてばっかりじゃ、いられないのよ!)
言葉には出さないが、心がそう叫ぶ。その叫びに呼応するように大地と大気が揺れる。そして、リリアは大地を蹴る。一瞬姿を追い切れないほどの加速でカトレアの懐に踏み込んだのだ。
――
それは、風と地の両方の精霊に呼びかけ、その効果を重ね合せることで発現する状態である。丁度、ロディ式魔術でいう「付与術」にあたり、さらに高度な「複合魔術」と捉えることの出来る高度な精霊術である。この術はリリアがつい最近体得した物の一つだった。
ダンッ!
リリアは、一瞬目で追い切れないほどの速度で一気にカトレアの懐に飛び込む。それは常人には対処不能な飛び込みであるが、対するカトレアは、リリアが行動に移る数拍前にはその意図を見抜いている。カトレアほど熟達した精霊術師になれば、周囲の精霊の動きから次に起こる出来事の予兆さえも読み取ることが出来る。
カンッ!
リリアが繰り出した鋭い突きは、カトレアの棒によって切っ先が払われる。右手を突き出した状態で剣を払われ、リリアの体勢は左に流れ……なかった。咄嗟の判断で手に持った剣を手放したのだ。そして、
「っ!」
声に成らない気合いと共に左手の短剣をカトレアの胸目掛けて突き立てる。切っ先がカトレアの革鎧の鳩尾辺りに吸い込まれようとする――刹那、
ゴバァァン!
風と言うには余りにも密度の濃い空気の塊にリリアは弾き飛ばされていた。
(……駄目だ、また負けた……)
宙に飛ばされたリリアは、落下の衝撃が訪れる前に意識を失っていた。
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