Episode_11+α.02 戦闘訓練


「まったく……恐ろしい子ね」


 カトレアは息を整えながらそう呟くと、手に持った長い棒をトンッ、と地面に突き立てる。刃先も石突も無い只の切りっ放しの棒なのだが、それはズブリと地面に突き立つ。そして、十メートルほど吹き飛ばされて糸の切れた操り人形のように崩れ落ちているリリアの元へ向かうのだ。そんなカトレアは今日の戦闘訓練の推移を頭の中で反芻していた。


 お互いに最初はかなり距離を置いた状態で開始するのがカトレアのやり方だった。その状態で先ず遠距離攻撃を主体に進める。リリアはこの段階で短弓を良く使う。威力と言う面ではイマイチもの足りないが、狙いの正確さは申し分ないものだ。対するカトレアは古代樹の長弓で撃ち返したり、風の精霊の力で「鎌鼬ウィンドカッタ」を放ったりして応戦するのだ。


 この段階では、森の木々に邪魔されてお互いの視認は難しい状態だ。しかし、リリアは大地と風の精霊を巧みに操りカトレアの場所を特定しつつ、逆に自分の場所は隠蔽する。生まれた時から、凄腕の暗殺者であった養父ジムに叩き込まれた隠密術と弓術、それに生来のエルフの血がもたらした精霊との親和性の高さ、それらはリリアの最大の強みだった。


 カトレアはこの遠距離攻撃の段階で、最近はリリアに押され気味になる。勿論「訓練」という括りの中の行動なので、リリアに合わせている側面は多分にある。しかし、それを差し引いても、かなり有能な弓使いで、且つ精霊術者でもあるカトレアが「押され気味」になるという点でリリアは格段の進歩を遂げていると言える。特に大地と風の精霊は、二人の術が拮抗したときは、リリアに味方するような素振りを見せるのだ。


 結局、遠距離攻撃の段階では決着が付かないので、お互いは徐々に距離を詰める格好になる。そして、中距離でさらに精霊術や矢の応酬を繰り広げた後、最近はリリアの方から果敢に間合いを詰めて来て接近戦に突入するのが常だ。


 接近戦の段階では、精霊術の複合術とも言うべき俊足ストライドものにした・・・・・リリアの動きは非常に素早い。しかし習得したばかりの効果を自分の物に出来ていないリリアの動きは、カトレアから見れば「素早いだけ」だ。一気に上がった動きの早さにリリア自身がまだ対応できていない。その上、一角獣との盟約の恩恵として強力な「加護」を受けているカトレアの身体能力に、リリアは毎度の如く苦戦する。


 また戦い方の種類の豊富さでも、リリアとカトレアの間には埋められない溝がある。リリアは近接すると、双剣を振るい剣術一辺倒になるが、カトレアはその間合いでも精霊術を絡めてくる。今日の訓練も最後はカトレアの「強風ブロー」をカウンター気味に喰らったリリアが失神するという結末になっていた。


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 戦闘訓練の推移を頭でなぞりながら、指摘すべき事を考えるカトレア、そんな彼女はふと背後に馴染みの気配を感じると振り返る。そこには、純白の毛並が美しい一頭の一角獣がいた。


(ナンダカ、苦戦シテイタヨウニ見エタゾ)

「スプレニ……何時もどおりリリアを起こしてあげて」


 相棒の一角獣スプレニは、守護者カトレアの言葉を聞くまでも無く、倒れ込んだリリアの元に近付いて行く。その後ろ姿にカトレアは言葉をかける。


「最後の方は本気だったわよ」

(他ノ娘達ヘノ稽古ト明ラカニ内容ガ違ウゾ)


 スプレニの思考は少し抗議と非難の色を帯びている。あまねく全ての乙女の守護者たる彼の目から見れば、毎日繰り広げられる訓練はやり過ぎ・・・・に見えて仕方ないのだ。毎回毎回リリアが昏倒するまで続けられる訓練は、他の守護者の乙女達に対するカトレアの指導・・と比較しても、常軌を逸していると感じる。特に、毎回「治癒」の力を使わなければ起き上がれないところまで痛め付けられているのだから尚更だった。


 一方言われたカトレア側は、相棒であるスプレニの言いたい事・・・・・は充分承知の上でのことなのだ。彼女として、決して面白ずくでいじめている訳では無い。彼女自身も「やり過ぎ」に成らない一歩手前を模索しながらリリアと対峙しているのだ。


「まったく……レオノールが次の大満月・・・までにリリアを他の守護者並みに強く・・しろ、などと言うから……」


 そう言葉を続けるカトレアは、レオノールからの無理難題を思い出して顔を顰める。それは今年の初め、カトレアの元にリリアを伴ったレオノールが訪れた時のやり取りだった。


 カトレアは、最初レオノールに対して「それは無理だ」と一度断ったのだ。考えてみれば当然で、一角獣との盟約の恩恵である強力な「加護」がある訳でも無い、ただの少女を次の大満月の日まで、約一年でレオノールの言う「強い」水準まで持って行くのは無理だと思ったのだ。また、その時レオノールに連れられて来たリリアの、何処か「申し訳ない」とか「迷惑を掛けている」という表情が気に入らなかったのも、断った理由の一つだった。


 しかし、結局は引き受けることになってしまった。レオノール自身は否定しているが、実質的にドルドの森に女王として君臨している彼女からの再三に渡る頼み込みは、守護者として屈指の実力を誇るカトレアにも断りきれないものであった。


(まぁ、直ぐに根を上げるでしょう)


 その時のカトレアはそう思っていた。しかし、実際はその予想は大きく裏切られたのだ。


(まったく……よくやるようになったわ)


 相棒スプレニから「癒し」を受けて、立ち上がろうとするリリアを見るカトレアの感想である。あの華奢で可憐な少女の体の一体どこに、自分の「訓練」に付いて来られるだけの闘志と忍耐力が秘められているのだろう? と思うのだ。レオノール曰く、


「それが『愛』……いや、この場合は『恋』かもしれないわね」


 とのことだ、唯一人ただひとりの対象に向けられた愛だの恋だのという感情は、一角獣の守護者たるカトレアには縁の無いものだ。守護者となって既に五十余年、そう言った「愛欲」に繋がる感情を「不純」「穢れ」として遠ざけていた彼女にはレオノールが語った言葉の意味は完全には分からなかった。ただ、


(こんなに人を強くする思いならば、「愛」も「恋」も悪い物では無いのかもしれないわね)


 と思うのである。


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「スプレニ、いつもありがとう」


 意識を取り戻したリリアの言葉に、スプレニは鼻先をリリアの額に一度押しつけるとまるで励ますような仕草を取る。言葉を交わしたり意志を共有できる訳では無いが、何となく目の前の一角獣の考えていることが分かるリリアは、立ち上がると全身の具合を確かめる。受け身も無く地面に叩き付けられたわけだから、相当酷い怪我をしていただろうと思うが、一角獣の「癒し」の力は凄まじく、リリアの体には何処にも怪我や違和感は無かった。ただ、少し頭がフラフラして体の芯が重い感じがする。体力、魔力、共に限界に近いせいだろうと思う。


(まぁ、これくらいなら後で「古代樹の実」を食べればお釣りが来るわね)


 そんな逞しい感想が出てくるようになったリリアは、自分では意識していないが、既に以前のか弱く守られるだけの存在ではなくなっていた。


 立ち上がり、首と肩を回してから手足を振ってみるリリアは納得したように頷くと、師匠・・の方を見て問いかける。


「カトレア、どうでしたか?」


 年上であっても相手を呼び捨てにするのは、ドルドの流儀だ。未だ少しぎこちなさが残る呼掛けで、問われたカトレアは、笑みを浮かべてリリアに返事をする。


「遠距離は悪くない、むしろ良いと思うわ。でも、中距離以降、距離が近付くにつれて戦い方が一辺倒になるのね。この前も言ったと思うけど」

「うーん」

「もっと、近接戦闘に精霊術を絡める事を考えた方が良いわ」

「……はい」


 カトレアは簡単そうに言うが、近接戦闘に魔術や精霊術を絡めるのは至難の業だ。只でさえ相手の間合いに近付き、その一挙手一投足に集中する必要がある状態で、常に「術を使うだけの余力」を心に持つ必要があるのだ。それは、口で言うほど生半可なものでは無い。


(ユーリーも、ノヴァさんも普通にやっていたけど……)


 身近な二人がこなしていたことが、自分には難しい。その事実にリリアは悔しい気持ちになる。そこへ、


「もしかしたら武器が合ってないのかも……」

「武器って、コレですか?」


 カトレアの指摘に、リリアは足元に落ちていた片手剣と短剣を拾い上げつつ言う。


「その剣と短剣、お父さんの形見だって言っていたわよね?」

「はい……」


 その返事にカトレアは少し考え込むが、すぐに確信めいた表情でリリアに言う。


「次の訓練では『短槍』を使ってみましょう。きっと相手との間合いが近いから術を繰り出す余裕が無いよ」

「でも……」


 リリアは少し不服そうに返事をする。不服な理由は幾つかある。養父ジムの剣を大切に思っていることはその一つだが、何と言っても「想いの人」であるユーリーが剣を縦横無尽に振るっている姿を何度も間近で見ているのだ。


(いつか、ユーリーの側で共に戦い、彼を助けられる存在になりたい。必要とされたい)


 純粋にそう願う少女が思い浮かべる自分の理想像は当然剣を持っているのだ。そこへ「槍」という可能性が提示されれば、戸惑うしかなかった。


 そんな戸惑いの表情を「父親の形見を諦める」という風に捉えた結果だと誤解したカトレアは、慌てて付け加える。


「何も剣を棄てなさい、と言っている訳じゃない。でも、リリアの剣技はとても接近戦向きなのよ。殆ど格闘戦と言っても良いくらい間合いが近いの。多分お父様が護身のためを思って教えたのでしょう。でも、その間合いで積極的に戦うには、貴女は腕力が足りなさすぎる……」


 この指摘にリリアは頷かざるを得なかった。悔しいがその通りだと思う。現にカトレアの両碗は筋張っていて如何にも筋肉が付いている風なのだ。それでも屈強な兵士とは比較にならない細さだ。思えば、ノヴァなどは、どちらかと言うと柔らかい曲線を保った実に女らしい体型だったと思う。それにレオノールに至っては、強く叩かれると折れてしまうのではないか? と思われるほど華奢なのだ。しかし一角獣の守護者たる女性は全員、リリアから言わせれば「怪力の持ち主」なのだ。そんな相手から「腕力が足りない」と言われれば、認めざるを得ない。


「わかりました、次から槍を使ってみます」

「それがいいわ。間合いが離れればそれだけ余力が出来る。貴女は間違いなく精霊との親和性が高い。心に感じ取る余裕さえあれば、精霊の方から発せられる働き掛け・・・・にきっと気付けるわよ」


 訓練を受けるようになって半年、リリアとカトレアの間には明確な師弟関係が生まれている。師であるカトレアが太鼓判を押す内容は、リリアにとって次の段階へ進む重要な手がかりになるのだ。明確に断言されれば、自然と表情は明るくなり、顔に生気が戻る。若い彼女は疲労困憊の体であっても、心持ち次第で活力を取り戻せるのだ。そこへ、


「カトレア! リリアも毎日そんな激しくやってるの?」


 リリアとカトレアが話し合う広場に、レオノールの声が響く。普段は低く思慮深い声だが、今日はどこか嬉しそうな感情が声に漲っている。


「レオノール! 見ていたの?」

「そうよ、接近戦に入る直前くらいから見てたわ……流石『守護者の母』カトレアね。槍を使えという指示は私も賛成よ」


 リリアは思いも掛けない闖入者ちんにゅうしゃに目を丸くしているが、カトレアは少し頬を赤らめて視線を逸らす。褒められたのが照れくさいのだろう。そして吐き捨てるように言う。


「母だなどと……」


 しかしレオノールはそんなカトレアの反応に構わずに話を続ける。


「リリア、半年で凄く良くなったわよ」

「え?」


 良くなった、という言葉が何を指しているのか分からないリリアは言葉に詰まる。対するレオノールの言葉は明快だった。


「顔が良いわ! ここに来た頃のへちゃむくれた・・・・・・・塞ぎ顔じゃなくなってるわ。とっても可愛らしくて素敵よ! 今なら鈍い・・ユーリーもきっと強引に押し倒して奪ってくれるわよ」


 そう言うレオノールはニコニコと笑っている。が、言われた側は堪ったものではなかった。茹で蟹のように顔を赤くして俯くリリアは両の掌を揉む仕草をするだけだ。そのやり取りに、呆れたようなカトレアが声を上げる。


「レオノール! あんたは馬鹿なのか?」


 ドルドの森にカトレアの声と、それに同意するようなバルザックとスプレニの嘶きが響いていた。


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