Episode_11.21 王子様と放逐騎士Ⅱ
――王の持つ剣は自らの民に向けられてはならない――
それは、レイモンド王子が剣を学ぶようになった十三年前から、一貫して騎士アーヴィルが言い続けていることだ。レイモンドの脳裏に擦り込まれたその言葉は今、自分に向って振るわれる白刃を目の前にしても揺るがなかった。
「ッ!」
自分に対して突進してきた三人の男の持つ剣、その切っ先をレイモンドは大きく後ろに飛び退いて躱す。しかし、それほど広く無い裏路地での話、直ぐに背中を長屋の板壁に付ける格好で追い込まれてしまう。
「なんだ、威勢がいい割に何にもしてこないのか……ビビっちまったのか、兄ちゃんよ?」
そんなレイモンドの様子にヤクザ者の男が拍子抜けしたように言う。その声に反論したいレイモンドだが、手近に武器の代りに成るようなものは無かった。この段階で仕方なく腰の剣に手を掛けると、剣帯と鞘を繋いでいた留め金に手を掛ける。
レイモンドが腰の剣に手を掛けたので、彼を取り囲んでいた手下の男達は動揺したように半歩ほど後へ下がる。彼等は街の
「な、なんだ、やる気になったのか!?」
ヤクザ者が虚勢を張った声で言うが、レイモンドはそれを無視して剣帯から鞘を外すと、不意にそれを差し出す。鞘に入ったままの剣をだ。
その剣は彼の父、前王ジュリアンドが王妃アイナスの懐妊を知った際に、わざわざ遠くモリアヌス鉱床のドワーフ職人に造らせた宝剣である。総ミスリル造りで全長は八十センチの
「これをやる。借金の代りにはなるだろう」
思いも掛けない行動に、ヤクザ者は何かの罠ではないか? と勘繰る。そして警戒した素振りでレイモンドに近付くと、その手から剣をもぎ取るように奪った。
「なっ……こ、これは……」
ヤクザ者はその剣が見た目に反して軽く、柄ごしらえが美しく、この国の人間ならば誰でも知っている王家の紋章が彫り込まれていることに絶句する。そして、急に渇きを訴え始めた口で、手下に言う。
「や……やっちまえ」
「で、でも……」
「いいから、やっちまえ!」
ヤクザ者がそう判断した理由は、本当のところ良く分からない。明らかに王族の持ち物を手に入れて、後腐れを恐れたのか、或るいは、目の前の青年の正体に気付き王弟派に売ろうと思ったのか、それは定かでは無かった。しかし、やれと命じられた方はその通りにするしかない。手下の男達はもう一度剣を構えると切っ先を明らかにレイモンドに向けるのだった。
「ちくしょう、しねー!」
男達は口々にそう叫ぶと、腰だめに構えた剣をレイモンドに突き入れた……ように見えた。
しかし、絶体絶命の危機にあって、レイモンドは眼を閉じることは無かった。長年の鍛錬により、そのような
(アーヴィルか?)
咄嗟に師であり、唯一の側近である騎士の名前を思うが――
「ユーリー! アレだろ?」
「多分! 面倒だから、斬るなよヨシン!」
路地の向こうからそんな若い声が聞こえる。そして、陰気な路地を二人の若い騎士が矢のように走り込んでくるのだ。
ドガッ、バゴォ!
まっさきに走り込んで来た大柄な青年が、固めた拳を男達へ叩き込む。堅い革製のグローブ越しに殴りつけられた男達は鈍い音と共に吹き飛ぶ。そして、少し小柄で線の細い方の青年は再び「
あっと言う間に八人を倒してしまった二人の青年騎士の登場に、ヤクザ者は明らかに動揺する。そこへ、
「出来れば、話合いをしたいのだが……」
全く動揺することのないレイモンドの声が掛かった。
「は、はいぃ……」
ヤクザ者は、レイモンドの顔と自分の手に持った宝剣を見比べて何度も顔を縦に振るのだった。
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「どうしても返さなきゃ駄目かね?」
「無論だ。利子が高過ぎるという問題は、この男が通常の利子で良いと言っている。そうなれば、今度は返さない方が道理が通らぬ……違うか?」
ヤクザ者の手下をあっと言う間に片付けたユーリーとヨシン、ヨシンは店の外で伸びている男達を監視している。一方ユーリーは、レイという人物と共に店内に戻った。ユーリー自身は利用したことが無いが、明らかに安手の娼館という雰囲気の店内に戻ったレイは、ヤクザ者を椅子に座らせると、利子の件を法の範囲内に治めることを認めさせていた。そして今度は、カウンターの内側でバツが悪そうにしている中年の女にむかって説教するような語り口でそう言うのだ。
「……チェッ、分かりましたよ、払いますよ。ほら、金貨二枚と銀貨二枚、銀貨二枚が利息分、これで良いね!?」
「はい、ようござんす……」
人が変わったように
「おい男。これからは、弱い人々を虐めるんじゃないぞ……人に怖がられるのではなく、好かれるよう。人の役に立つことをしなければならない。いいな?」
歳の頃は倍近くも違いそうな中年男であるヤクザ者に対して、まるで子供に言い含めるように諭すレイ。対するヤクザ者は、一瞬「キョトン」とした顔をしたが、次いでまるで人が変わったように、
「ははぁ、このアデール、これからは性根を入れ替え弱い者の味方になるべく心掛けます!」
膝を床に付き、頭を深々と垂れてそう言う
(どうなってるんだ?)
そんな感想のユーリーはレイという青年の顔を覗き込もうとするが、そこへ、大慌ての訪問者が店へ突入してきた。騎士アーヴィルである。
「レイモ――、レイ様! 探しましたぞ、表の連中は?」
その声に店の入り口へ視線を送る青年は、その途中でユーリーと目が合うと暫く視線を留める。ユーリーも、その視線を受け止める。一拍の時間が流れ、そして、不意に青年の方から視線を外すと、入口へ目を向けるのだ。
「すまん、アーヴィル」
そう言うと、青年はニカッと爽やかな笑顔を作った。心配性な守り役を誤魔化そうとした試みは……当然失敗していた。
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アーヴィルの小言は、宿屋である「陸の灯台亭」に戻ってからも途切れる事無く続いていた。それは、商家の若旦那を心配する護衛の戦士という取り合わせにしては、情の通ったやり取りのように、ユーリーとヨシンには聞こえたのだ。まるで、幼い頃から見守り続けている相手を叱る訳にも行かず、かといって何か言わなければ気が済まないという風のアーヴィルなのだ。そんなアーヴィルは、宿屋に戻ってからようやく思い出したように、ユーリーとヨシンを紹介した。
「ユーリー君とヨシン君、腕は先日の襲撃時に私が見極めました。歳にそぐわぬ手練れです」
「ああ、知っている。先程見事な早業で助けられたものな……そなたがユーリー、そしてそちらがヨシンだな。よろしく頼む」
レイはそう言うと軽く頭を下げる。ユーリーとヨシンは応じるように、こちらも軽く頭を下げて挨拶にするが、ユーリーは内心、
(商家の次男というのは嘘だな。名前も偽名っぽい……騎士か、貴族か、話し方は貴族みたいだな。アルヴァンに少し似ている)
と思うのだ。しかし、相手が嘘を言う理由が自分達への害意では無いと察知したユーリーは敢えて詮索しない。何より嘘を吐いているのはお互い様だ。
「それでは、出発は明日の午前とゴーマスが申しておりますので、それまでは」
「分かっているアーヴィル。先程は済まなかったと言っているではないか。それよりもユーリーとヨシン、少し残ってくれないか。折角だから話をしたい」
その言葉にアーヴィルは未だ尚、何か言いたげな素振りであるが、レイの部屋を出る。その様子を目で追っていたレイは、扉が閉まると同時にユーリーとヨシンの方へ向き直る。先程と違い、明らかに好奇心に満ちた目の輝きをしているのだ。
「お前達、リムルベートから来たのだろう。あの国はどんな国なのか、教えてくれないか?民の暮らしはどうなのだ? 街の治安は良いのか? 市場に活気はあるのか? 昨年内戦と反乱が有ったと聞くが、民は困窮していないのか? 新しいガーディス王の統治は上手く行っているのか?」
矢継早に畳み掛ける質問に、ユーリーとヨシンは気圧される風になるが、問いかけるレイの表情は活き活きとしたものだった。先程までの鷹揚さは、まるで仮面を外したかのように取り去られ、残ったのは十九歳という年齢相応の活発な青年の素顔であった。
「ちょっと、そんなに一度に訊かれたら覚えきれないよ」
「そうそう、流石のオレも覚えきれない」
ユーリーとヨシンの言葉に、レイはハッとなったように頬を赤らめると、
「すまん。同じ年頃の者と話す機会が殆ど無くてな」
「なんだ、
「ヨシン……
「そうだったか?」
ユーリーの指摘にヨシンが不満気な顔をする。しかし、そのやり取りを聞いていたレイモンドは目を大きく見開くと、次いで破顔、大笑いするのだった。
「ハハハハ、君達は面白いな。仲良くなれそうな気がするよ」
そんなレイの様子にユーリーとヨシンも釣られて笑う。そして、二人は交互にレイの質問に答えていくのだった。午後の遅めの時間から始まった談笑は途中夕食を挟んで夜遅くまで続いた。
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その様子を廊下から扉越しに聞いているアーヴィルは、腕を組み瞑目している。優し気な双眸が閉じられると、その表情は一気に険しい印象を見る者に与える。まるで木彫りの神像のように彫りが深くなった表情は、その内心の動きを外へ漏らすことは無い。
(同年代の者同士、あの年頃は打ち解けるのも早い。良い友を持てばそれが刺激となる。私に出来ない事の一つだな……)
瞑目したまま、そう思うアーヴィルは一つ溜息を吐く。そして組んでいた腕を解くと左手の指先を撫でるような仕草をする。ブーツの中の右足のつま先と|手甲(ミトン)の中の左手の指先が疼くような痛みを発している。それは、彼にとってはお馴染みの「幻痛」であった。
アーヴィルは否応なく、指先とつま先を失った時のことを思い出す。既に十九年も昔の話だ。生まれて間もない双子の赤子と付添役の女騎士、三人を連れて冬の天山山脈を越えた時、彼は手足の先を凍傷で失っていた。しかし、失ったのはそれだけでは無かった。
――こんな事はアーヴィル、お前にしか頼めない。頼んだぞ――
――私は城に戻ります、この子等を頼みます――
記憶の中で、そう告げるのは老齢の男性と若く美しい黒髪の姫。老齢の男はかつて自分が仕えた王マーティス、そして、若い女は双子を生んだ母親でありマーティス王の娘、王女エルアナだ。そんな二人の言葉に送り出されたアーヴィルは双子の赤子の世話役を命じられた女騎士に促され、戦支度に追われる城を逃げ出すように後にしたのだ。城は、いや彼の祖国は、迫りくる北の大国によって滅ぼされる寸前だった。
――兄さん、エルアナ姫はオレが守る。その御子達もその内迎えに行くさ――
栓が開いたように溢れ出る記憶の中でアーヴィルの弟が頼もしくそう言う。十九年前だというのに、つい昨日のことのように蘇る記憶の奔流にアーヴィルは成す術もなかった。そして記憶の舞台は雪深い渓谷へ移る。もう少し、もう少しで山を越えリムルベートと言う国に出る。そんな時、五匹の雪トロールに襲われたのだ。突然襲われた彼等は、何とか魔物を撃退するが、その最中、女騎士とその手に抱きかかえられた双子の片割れは深い谷に転落してしまった。
「……」
何故、あの時もっと注意を払っていなかったのだろう? 何故、咄嗟に身体が動かなかったのだろう? あの瞬間、女騎士は防寒の魔力が籠められた産着に包まれた女の赤子をアーヴィルに投げ渡そうとして、果たせなかったのだ。その瞬間の顔は、長らくアーヴィルの脳裏に焼き、夜ごとに彼を苦しめた。その苦しみに耐え兼ねて自ら封印した記憶、長らく思い出すことも無かった辛い事実。それらが今、アーヴィルの心に蘇ったのは何故だろうか?
扉の奥からは快活なレイモンド王子の声と、落ち着いた青年の声が聞こえてくる。
「ユーリー……ユリーシス……様……」
アーヴィルは誰にも聞こえないように、一言呟く。確かめようとすれば、造作も無く出来ることが、何故か怖かった。それに今の彼には、やるべき事 ――レイモンド王子を守護する―― という自らに課した使命があるのだった。
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