Episode_11.20 王子様と放逐騎士Ⅰ


 正午過ぎの賑わうダーリアの街、その中心は街を東西に貫く街道と、そこからやや南に逸れた常設市場の周辺だ。古くから賑わう市場は綺麗に整備されており、売り買いをする人々で大いににぎわっている。しかしそんな明るい雰囲気も、市場の周辺から少し外れると様子は一変する。どことなく陰気な雰囲気の漂う薄暗い路地を進むと、やがて安宿や日雇い労働者達が住み暮らす長屋が軒を連ねる区画へ出るのだ。大きな街にはどこにでもある、表と裏の落差。ダーリアにも当然裏の顔と言える区画があるのだ。


 そんな路地を一人の青年が歩いている。長身ながら鍛錬を重ねた引き締まった身体付きに、金髪碧眼の顔は容姿が整っており身につけた服も上等なものだ。全体として品が良く、比較的貧しい人々が多く住み暮らす区画には似合わない雰囲気の青年は物珍しそう・・・・・に、路地にひしめく崩れかけの長屋、掘っ建て小屋に近い住居、そして昼間から酒と安い白粉おしろいの臭いを漂わせている店などを一々眺めては歩いている。その様子は路地の雰囲気とは合致しておらず、挙動不審とまでは言わないが、浮き上がるように目立つものだった。


「ちょっと兄さん、良い娘が揃ってるよ」


 その青年が路地に面した建物の入口に差し掛かったところで、擦り切れたドレスを着崩した年増の女が青年に声を掛ける。青年は少し戸惑ったような表情になると、曖昧な笑みを浮かべてその場をやり過ごそうとするのだが、この界隈で生きる年増の女にはそんな曖昧な辞去は通用しなかった。あっという間に近づいて来て、ガシッと腕を掴むと、そのまま店内へグイグイと引っ張り込もうとする。


「な、なにをする。無礼であるぞ!」

「はは、お兄さん、無礼とは振るってるね。昼間から『黒蝋』キメてるのかい? 若いのにだらしないね!」

「こ、黒蝋だと……!」


 青年 ――レイモンド王子―― はその女の余りの物言いに思わず絶句する。しかし、女の方は構う事無くレイモンドの腕を小脇に抱えると薄暗い店内へ連れ込んでしまった。


「女、ここはどんな店なんだ? 看板も無ければ……他の客も見えない」


 結局店内へ連れ込まれたレイモンドは、そう問いかける。見回せば殺風景な一階は、以前は酒場だったのかもしれない。窮屈なカウンターが店の奥まで続いていて、棚には申し訳程度の品揃えの火酒の瓶、それにワインの樽が積まれている。そして、そのカウンター沿いには、埃を被った椅子が数脚置かれているだけだ。奥には二階に続く階段が薄暗く見えている。


「やだね……本気で言ってるのかい?」


 一方年増の女のほうは、連れ込んだ青年が本当に何か分からないといった風に店内をキョロキョロと見回している風なのに驚く。変な客を呼び込んでしまったかもしれない。と少し後悔めいた気持ちになるが、そこは海千山千の商売女である。どんな店か説明すれば、どんな田舎者だって男である限りは興味を示すはずだ、と信じて疑わない。


「どんな田舎から出て来たか知らないけど、お兄さんだって聞いたことあるだろ、ここは金を払って女を抱く店だよ」

「なんと……」


 レイモンドは、内心薄々想像していた通りの店だったことに、再び絶句する。アートンにもそのような店や女達が居ることは聞いていた。伯父であるドルフリーやその取り巻き達は、


「嘆かわしい、下賤な民のする事……これでは王子のお膝元の名が汚れる」


さげすみ嘆いていたものだ。しかし、レイモンド王子の理解は、唯一の側近であるアーヴィルからの教えに基づいている。


「職に貴賤を設けるべきではありません。彼の者達も家へ戻れば養う家族があります。手に職も無く、戦や怪我、病気で伴侶を無くした女達が出来る仕事、と考えれば外聞の良し悪しは別として、決して卑しい仕事ではありません」


 アーヴィルが教えるところによれば、そのような女を増やさないため、安定した政治を行い、教育に力を注ぎ手に職を着けることを推奨し、経済を活発として働き口を作っていくことこそが肝要なのだという。


 レイモンドがそんな事を思い出している内に、店の二階から一人の女が降りてきた。女、というよりも未だ娘といった年頃の娼婦だ。誰に教わったものか品の無い厚塗りの化粧を施した顔は全体として丸顔で、これでまとも・・・な薄化粧でもしていれば可愛らしい顔であるのだろう。そんな娘はやる気なさげに階段を下りて来たが、一階のカウンターの椅子に浅く腰掛けるレイモンドを見た瞬間、顔がパッと明るくなる。客商売の顔になったというよりも、美男子であるレイモンドが客であることに気を良くしたのだろう。


「ミサ、いい男だろ」

「びっくりしたわ、姐さん……さぁ、お客さん、二階へ上がりましょう」

「ちょっと、お待ちよミサ。お代が未だだよ……お兄さん銀貨三枚なんだ、この子は若いからね」


 レイモンドはいつの間にか、お膳立てが整っていることに驚くと、女の声に気圧されるように懐へ手を入れる。財布というものを持っていない彼は、テーブルの上にあったアーヴィルの財布から銀貨数枚を持ち出していたのだ。その内の三枚を掴んで女に渡しつつ、レイモンドは言う。


「済まないが、金は払うので話を聞かせて欲しい。二階でどうこうというのは、今日は無しだ」

「なんだよー、気を持たせておいて!」

「まぁまぁミサ、良いじゃないか。話するだけで銀貨をくれるってんだ、悪い話じゃないだろう」


 女からすれば、この手の客は稀にいるのだ。殆どが役に立つ・・・・のか覚束ない高齢の男に多いのだが、若い女と話しながら酒を飲むだけで満足して帰る変わり者の類だ。一方のミサと呼ばれた若い娼婦は、膨れっ面に成りながら、カウンターの中へ入ると適当な酒瓶を取り出して陶器のカップに注ぐと、ドン、と乱暴にレイモンドの前に置く。しかし、レイモンドはそのカップには手を付けず、思い付くままに色々な事を訊ねるのだった。


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「レイ様は見つかったか?」

「いや、それっぽい人は見掛けなかった」

「こっちもだ」


 そう言い合うのはユーリーとヨシン、それにアーヴィルだ。東西を貫く街道と南の市場へ向かう大通りが丁字で交差する場所に建つ「陸の灯台亭」を出発した三人は西と東、それに南の三方向に分かれてダーリアの街の主だった場所を一通り探したのだが、それらしい人物は見つからなかった。


 アーヴィルの語るレイ様の外見とは、背丈はヨシン同じほどだが体格はそこまで逞しくは無く、明るい金髪に濃い碧眼で、髪は肩に掛からない程度。とにかく男前だという。身なりに関しては、上等の服を身に着け立派なこしらえの片手剣を下げている、という程度の情報なのだ。これでは見つかる方が奇跡に近い。


「アーヴィルさん、そのレイさんが行きそうな場所は?」

「ダーリアは数か月前に一度通っただけだ……特に土地勘がある訳でも無い」

「そいつ十九歳なんだろ……宿屋で待ってれば、そのうち戻って来るって」


 ユーリーの問い掛けにアーヴィルは見当もつかないといった風、そしてヨシンは尤もらしいことを言う。


「いや、もしも万が一の事があれば……とにかく、もう一度探してくれ、今度は市場の方を重点的に探してみよう」


 アーヴィルはそう言うと二人の返事も待たずに南の市場へ向かって駈け出していた。一方ユーリーとヨシンは一度顔を合わせると、やれやれといった風な表情で頷き合い、小走りにアーヴィルの後を追うのであった。


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「――それで、ストラ村から逃げ帰って来た連中は荒れてたのさ」


 そう言う女 ――ミサからは姐さんと呼ばれている―― は言葉を区切ると火酒のカップを煽る。かなり飲んでいるはずだが、ケロっとした風だった。


「やはり、王子派の軍の戦い方がまずかったのか?」

「さぁねー、私はそんなのは分からいけどさ、みんなドルフリーとドリッド将軍、それに王子様の悪口で盛り上がってたわ」

「姐さん、レイモンド王子ってとってもいい男・・・なんでしょ? そんな人を悪く言っちゃ駄目よ。帰ってきた兵隊さん達は皆『ドルフリーとドリッド将軍が悪い』って言ってたじゃない」

「ミサ、そうやって良い男に甘いと今に痛い目に遭うわよ! 男ってのはちょっと不細工なのが丁度良いのよ……あら、お客さんは別よ、ホホホ」


 難しい顔をして聞いていたレイモンドの表情をみて女は取り繕うように言うと自分で瓶から酒を注ぐ。


「それで、最近ダーリアの街の様子はどうなんだ? 景気が良いとは聞いているが」

「どうかねー、景気が良いのは穀物を扱う商人と役人達でしょ」

「どういうことだ?」

「あら、本当に何もしらないのね……今年の秋は不作になるだろうって噂で、役人達が穀物を中心に食料品の価格を上げたそうよ。それに穀物商が便乗して価格は去年の倍だってさ……」


 コルサス王国では昔から、税として納められる穀物類は一括して王家が流通を管理していた。市場の価格を見て上がり過ぎたり、下がり過ぎることが無いように管理していたわけだ。その仕組みを小規模ながら模倣している国境伯アートン公爵の領地では、しかし、きたる不作の年に備えて統制とは真逆の価格操作が行われているようだった。


(これはアートンに帰ったら、お爺様に言わなくては……)


 レイモンドはそう考える。アートン城の奥深くで育ったレイモンドにとって、先月のストラ村とディンスの街を巡る戦で戦陣に立つべくアートンの外へ出たのを除けば、これが初めての外界だった。ましてや、平民と直接言葉を交わす機会など望むべくもなかったのだ。


(さて、そろそろ戻らないと、さすがにアーヴィルも心配するだろう……)


 そんなレイモンドが宿を抜け出て来たのは、一途いちずに平民の暮らしを見てみたい、直に話をしてみたいという想いによってだった。リムルベートに向かうこと自体は未だに反対だが、かといって勝手にアートンに戻るつもりもない。そんなことをしても、周囲の人間を困らせるだけだ、という分別はあった。


「そうか、色々聞けて楽しかったよ」

「あら、もう帰っちゃうんですか?」


 立ち去ろうと椅子から腰を浮かせるレイモンドにミサが残念そうに声を掛ける。その時、


「邪魔するぜ」


 剣呑な声の響きと共に五人の男達が店に入ってきた。見たところ、土地のやくざ者という風体だ。その男達の出現に一人で酒を呷っていた女が声を荒げる。


「なんだい! 返済は明後日って約束だっただろ! それに今はお客が居るんだ、帰っておくれ!」

「うるせぇババア、二回も返済を待たせているお前に何でこっちが大人しく約束を守らないといけないんだ! サッサと金貨三枚出しやがれ!」

「呆れたね! 金貨二枚がどうして一枚増えるのかね? 一か月借りて利息が五割は無法が過ぎるよ!」

「なんだと、しっかり貸付証文が残ってるんだぞ!」

「何と言っても、そんな利息は払えないね! なんだったら、出るとこに出て白黒つけようか?」


 凄みを効かせて怒鳴るやくざ者に、女も負けてはいない。元々はそういう利子の約束で納得して借りているのだが、言う通りに返すのが嫌なのでゴネているのだ。如何にもガラの悪いヤクザ者に対して、約束を反故にしようとするのだから、この女はかなり肝の据わった人物である。しかし、今回金を借りた相手のヤクザ者達は最近名前を聞くようになった、要は「売出し中」の連中だった。堅気の人間に舐められる訳にはいかない、と意気込んでいたのだ。


「てめぇ……店を開けねぇようにしてやる……おい、やれ!」


 怒鳴っている内は良かったが、その声が低く殺気を帯びると、後ろに控える手下に言う。手下はニヤケ顔でミサの方へ近づくと、


「ミサちゃんだっけ……上に居る他の女達もまとめて、暫く客を取れない身体にしてやろうか」


 そう言うとヤクザの手下は鞘に納めたままの粗末な剣でミサを殴り付けようとする。


ガシィ!


 しかし、その剣は根本をレイモンドに抑えられてミサに達することは無かった。


「お前は関係ないだろ、引っ込んでろよ!」

「いや……聞けば月に五割の利息とか、それは違法ではないのか?」

「だから、関係ねぇ――ぐわっ」


 言い掛ける手下の言葉は途中で悲鳴に変わる。レイモンドが手首を逆に固めて捻り上げているのだ。


「次は、表に出ろ! と言うのだろう?」

「な、なめやがって!」


 月並みなセリフを目の前の美丈夫に奪われ、ヤクザ者は悔しそうにそう言うと店の外に出る。逃げ帰るのではない、表で決着を付けようと言うのだ。


****************************************


 表に出たレイモンドは、少し動揺していた。店の中に入って来たのが五人だったから、当然やくざ者は全部で五人だろうと思っていたのだ。しかし、店の外には同じような格好をした男達がもう五人、つまり全部で十人のヤクザ者が待っていたのだ。


「へへへ、まさか五人だから何とかなると思ったのか? まぁいいや、変に生きていると後々面倒だ……てめぇの死体は北の森に捨ててやるぜ!」


 ヤクザ者がそう言うと残りの全員が剣を抜く。勿論これは脅しである。こうやって相手の意気地を挫いておいて暴力による制裁を加えるのが彼等のやり方だ。一方、そんな事を知るはずも無いレイモンドは、男達の様子に逡巡する。腰の剣に手が伸びかけるが、それを抜くか抜かないか、迷っているような素振りだ。そんな素振りが、男達から見ればレイモンドが怯んでいるように見えたのか、男達を威勢付かせることになった。一番近くにいた三人が調子に乗ったように、ふざけた大振りで剣を振るってくる。


「うらぁ!」


 日が傾いた午後の路地、薄暗く陰気な街の裏通りに男達の怒声が響いた。


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