Episode_11.19 ダーリアの夜


「そうか、君たちはアートンへ向かっていたのか……でも良いのか?」

「大丈夫ですよ、特に急ぐ旅でもありませんし」

「ゴーマスさんにはデルフィルで色々世話になったからな!」


 ゴーマスとユーリー、それにヨシンの会話である。結局あの襲撃の後、隊商の護衛戦士の負傷者を収容し、敵の犠牲者の遺体を街道脇の荒れ地に埋葬し、放棄された武装を回収した一行は、ダーリアの街へ到着していた。思いの外時間が掛かり、街へ辿り着いたのは日が暮れる直前という時間になっていた。


 ユーリーとヨシンからするとダーリアへ逆戻りした訳だが、今のユーリーの言葉が示す通り、特に先を急ぐ旅では無いのだ。何も気にした風ではない二人の青年は、寧ろデルフィルで色々と便宜を図ってくれたお返しが出来たと喜んでいる素振りさえ見せていた。


 そんな彼等が話しているのは、ダーリアの街中にある宿「陸の灯台亭」の最上階の一室だった。角部屋になる隣の部屋はゴーマスが「同行人」と語った騎士風の男と青年の二人に割り当てられており、ゴーマスはその隣の幾分小さな部屋に滞在していた。


「それでゴーマスさん、これからどうするんですか?」


 ユーリーの問いは、何気ない風でありながらゴーマスには答え難いものだった。勿論ユーリーも、そうであることを見越した上で訊いているのだ。ユーリーには仔細は分からなかったが、積み荷を満載していると思われた荷馬車の荷台は、まるで偽装するかのように大きな岩と藁が積まれていただけだったのだ。それを上から幌を掛ければ遠目には積み荷を満載しているように見えた。そんな偽装をしたからこそ、野盗まがいの者共に襲われる結果となった、といっても過言ではないとユーリーは考える。何か理由があるはずだった。


「詳しい話は明日、改めてする。今晩はこの宿で休んでくれ」


 対するゴーマスはそのようにしか答えられなかった。同行人の身分は彼の一存では明かせないものなのだ。


「わかりました、じゃぁ部屋で休んでいます」


 そんなゴーマスの気持ちを察したのか、ユーリーは素直に引き下がると何か言いたげなヨシンを引っ張って部屋を後にしたのだった。その後ろ姿を見送るゴーマスは何処かホッとした雰囲気を醸し出していた。


 一方、廊下に出たユーリーとヨシン。ヨシンはなにか抗議しようとするが、口を開きかけて立ち止まる。ユーリーも廊下の途中で立ち止まる。二人の前には四十代半ばに見える騎士風の男が立っていた。


(たしか、同行人の護衛とか……かなり強い人か?)


 濃い茶色の髪は手入れされた風でもなく、髭も同様に伸びた状態。その風貌は幾つか刻まれた刀傷と、深い皺に彩られて厳しい印象を与える。そして何より、ただ立っているだけ、なのだが隙が無かった。しかし、その雰囲気に似合わず、彼の黒い瞳は何処と無く温かみのある優し気な光を湛えているのだ。その騎士は、少し掠れた低い声で言う。


「アーヴィルと言う。貴殿らの名は?」

「ヨシンだ!」

「ユーリーです」

「……そうか、昼間の戦い見事だった。若いのによくやる」


 名を問いかけてきたアーヴィルにヨシンとユーリーは答える。ヨシンの警戒したような硬い返事と裏腹にユーリーの返事は丁寧なものだった。そんなユーリーは自分が名乗った瞬間、その騎士の瞳が揺れたように感じた。思えば最初から騎士の視線は自分に向けられている気がする。


(なんだろう?)


 そんな疑問を持って、アーヴィルの視線を受け止めると逆に見つめ返す。ユーリーの問い掛けるような視線にアーヴィルは視線を逸らしつつ言葉を続ける。


「君たちは、何処かの君主に仕える騎士なのか?」

「いえ、職探しの傭兵です」

「……そうか……」


 アーヴィルの問いにユーリーは用意していた自分達の「設定」を話しておく。若い頃から食うに困って傭兵や冒険者をやっていたという設定だ。しかし、アーヴィルはそれ以上何も訊く気は無いようだった。


「じゃぁ、これで」

「ああ、おやすみ」


 そう言葉を交わして廊下の奥の階段を下りていくユーリーとヨシン。見送るアーヴィルは廊下を動くことはなかった。この場所で万が一の侵入者に備えて夜を明かすつもりなのだろう。階段を下りながら、そんな気配を察したユーリーは、やはり束の間見せたアーヴィルの瞳の動きが気になっていた。そこへ、不意にヨシンが声を発する。彼なりにあの騎士に対して感じることがあったのだ。それは、


「なんか、陰気なおっさんだけど……強いな」

「うん、ヨシンもそう思った?」

「おう、もしかしたらデイルさんより強いかも」

「そこまでは分からないけど……世の中広いね」


 ということなのだ。こうして、ダーリアの夜は更けていく。


****************************************


「歯を喰いしばれ、ダレス」

「はい!」


 そんな怒鳴り声の一瞬後、パンと鈍い音が野営地に響いた。マーシュの拳を受けてダレスが地面へ吹っ飛ぶ。


「うぅ……申し訳ありませんでした!」

「立て!」


 口の端から血を滲ませたダレスは、立ち上がろうとしてよろけると膝を付く。そんな彼を心配するように、輜重兵長の初老の男が手を貸そうとするが、ダレスはその手を無視して自力で立つ。


パン!


 そうやって立ち上がったダレスに容赦無くマーシュの拳が飛ぶ。もう何度目か分からない光景が再び、繰り返される。


 吹っ飛んだダレスは、舌で口の中を探る。血の味はするが、歯が折れている気配は無かった。指揮官マーシュの絶妙な力加減の賜物だと、ダレスは変な所で感心する。決して目の前の上官が怒りに任せて拳を振るっているのではないことをダレスは百も承知だ。これは、兵の暴走を防げなかったダレスに対する制裁であり、暴走した兵に対する見せしめなのだ。


 一方、マーシュはこれで充分と思ったのか、殴るのを止めると一度だけ右の拳を振ってから手甲をはめる。素手の拳骨で殴ったのだ、マーシュの方も少し痛かったのだろう。そして、


「今後同様の事が有れば、軍法会議に掛ける。重要作戦中であれば指揮官権限に於いて、その場で処刑することもある! 分かったか! ……手当を受けろ」


 そう言うとマーシュは野営地の奥へ引っ込んでいく。一緒にいたロージはその後を追おうとするが、一度立ち止まると地面に蹲るダレスと、その後ろで直立不動の姿勢を保つ兵達へ向けて言う。


「手当を終えたら、詳しい報告に来い。いいな?」


 ロージはそう言うと、顔だけ上げて頷くダレスの脇に手を差し入れて、グイッと引っ張り上げて立たせる。そして、土埃に塗れた服の表面を叩いてやると、じゃぁと言って立ち去って行った。


 そんな指揮官と副官の後ろ姿とを見送るダレスは、自分に対する仕打ちを恨むような気持ちでは無かった。寧ろ命令違反であっても、三十人以上の死傷者を出してしまったこと。そして、気の合う副官を失った事で自分を責めていた。


「クソ……」


 ダレスは噛締めるように言う。そんな彼の背後には命令違反を犯した兵達の生き残りが直立不動で立っていた。全員が目を背けることを禁じられ、自分達の軽挙により、若い部隊長が痛め付けられるところを見ていたのだ。そんな兵の殆どは冒険者や傭兵としてやっていく実力の無かった食い詰め者、隣国ベートで罪を犯し国境を越えて逃げて来た者、縄張り争いに敗れて居場所を失ったヤクザ者などだ。トリムやターポ近郊の農民や都市の住民も交じってはいるが、殆どが社会から落ち零れた者達なのだ。


 そんな彼等がこの光景をどう受け取るか? それはマーシュにもロージにも、ましてやダレスにも分からない事だった。だが、ダレスは思う。


(俺だって切っ掛けが無ければやり直せなかった。コイツらにも切っ掛けさえあれば……)


 そんな想いを抱くダレスは、背後の兵達に向き直ると短く、


「解散」


 と告げる。そして、自分は指揮官や他の下士官が車座で座っている焚火の方へ向かう。しかし、三歩ほど歩いたところで声を掛けられた。


「親分! ダレスの親分、これを!」


 近づいてきた兵がざるのような浅い入れ物に盛られた野草を差し出す。一人では無かった。ダレスの目の前には六人の兵が集まっていた。そんな兵の中で声を掛けて来たのは、ターポか何処かの街のやくざ者だった男だ。上官を「親分」と呼ぶ当たりは如何にも娑婆しゃば慣れしていない風だ。


「これは?」

「へい、こっちが止血に効く薬草で、こっちが腫れを治める薬草です。食べても苦いだけですぜ。叩き潰して、腫れてるところに貼り付けとけば明日の朝には元の男前に戻ってます」


 そう言うのは冒険者だった三十手前の小男だ。なんでも、美味い仕事を取ることが出来ず、ずっと森で薬草を摘んでは市場に卸していたらしい。


「そ、そうか……ありがとう」


 ダレスは素直に感謝を示す。その後も、傭兵崩れの者が隠していた携帯口糧を分けてくれたり、ベートでお尋ね者になっている盗賊上がりの男と、件の冒険者の小男が、薬草と毒草の違いについて口論しだしたり、いつの間にかダレスの周りは賑やかになった。腹が減っているのは変わらないが、それは皆一緒の事。自分達の代りに制裁を受けた上官に破落戸ごろつきと変わらない兵士達は少しだけ心を開いたようだった。


 そんな森の奥の野営地、ひっそりと揺れる焚火の炎は一晩中途切れることは無かった。


****************************************


「えぇ! アーヴィル卿、彼等を護衛にですか?」

「そうだ、ゴーマス殿。先の戦いで腕が立つことを見極めた、是非これからデルフィルまでの道中の護衛に加わって欲しい」

「うむ……君達はどうなんだ?」

「私達は、デルフィルまででしたら構いませんよ」

「報酬をかなり弾んでくれるって約束だしな」

「ふむぅ……」


 夜が明けた翌朝の「陸の灯台亭」、一階の食堂で、ユーリーとヨシン、それにアーヴィルとゴーマスが話をしている。朝食には遅い時間のため、彼等の他に宿泊客の姿は無い。元々収容できる宿泊客が三十人程度の小規模な宿なのだ。その食堂にゴーマスの驚いたような声が響いた。アーヴィルが突然ユーリーとヨシンを護衛として雇いたいと申し出てきたからである。


「彼等は私が雇っているわけでもありませんし……彼等がよければ……」

「それはもう確認した。しかし、貴殿に何の断りも無く勝手に、という訳にはいかないのでな」

「そうですか、わかりました」

「ありがとう。では、ユーリー君ヨシン君、あるじに引き合わせるので付いて来て欲しい」


 アーヴィルはそう言うと席を立つ。ユーリーとヨシンは促されて、その後ろを付いて行くのだが、ヨシンが声を小さくしてユーリーに話しかける。


「なぁ、おっさん……じゃないアーヴィルさんの主ってどんな奴なんだ?」

「しらないよ。知ってる訳ないでしょ」

「そうだな」


 その会話を背中で訊くアーヴィルは、本当の事を伝える訳には行かないので、予め準備していた情報を言う。


「主はベート国の商家の次男だ。大きな店でな、アント商会との取引のためにこうして旅をしているんだ。それで、俺は護衛に雇われた傭兵だ。昔は騎士をしていたから話し方が堅苦しいかもしれないが、許せよ」


 アーヴィルの言葉にヨシンは頷くが、ユーリーはつい反射的に思った事を口にする。


「でもベートからデルフィルだったら、船の方が早いんじゃない?」

「うっ……あ、あれだ、主は船が駄目なのだよ……それに、今回の取引は秘密なのだ。他の商人に知られたくない、ということなのだ」

「そうですか……」


 ユーリーはアーヴィルの語り口に動揺が混じった気がしたが、深く詮索するつもりは無かった。これから一週間ほどでデルフィルに戻る行程の護衛。この仕事で金貨十枚の報酬は破格の好条件だ。断れば「職探しの傭兵」という前提を自分で否定したようなものになる。


 図らずも虚構で自分達の身分を隠す両者は、三階の奥の角部屋に辿り着いた。


「レイ様! お話していた護衛をお連れしました」


 アーヴィルはそう言うとドアをノックする。因みに呼び名も商家の次男という設定に含まれているものだ。


「レイ様? ……ッ!」


 しかし、室内からの返事はない。サッとアーヴィルの顔色が変わる。


「開けますぞ!」


 そう言うとドアを力を籠めて押すが、鍵が掛かっているためノブが回らなかった。ドアに鍵を掛けられていると知ったアーヴィルの行動は素早く大胆だった。


キィンッ


 アーヴィルは、抜く手も見せずに腰の片手剣ショートソードで、ドアとドア枠の隙間から鍵の基幹部分であるかんぬきデットボルト部分を切り裂いたのだ。思わずユーリーとヨシンが目を丸くする。しかし、アーヴィルはお構いなしに、そのままドアを開け放った。


 瀟洒な室内は豪華な絨毯が敷かれている。そんな部屋の隅のテーブルにはレイの荷物や着替えを入れた行李トランクケースが二つ並べられている。そして、その横には立派な白銀色の甲冑が立てかけられていた。しかし、室内に入った彼等の目を惹いたのは部屋の北側の開け放たれた大きな窓だ。シーツを切り裂いて結び合わせたロープ状の物がベッドの脚に結わい付けられて、窓の外へ垂れ下がっている。


「しまった、脱走した!」

「はぁ? 脱走!?」

「すまんが、街を探して来てくれ! 私も行くから手分けして!」


 アーヴィルは言うが早いか、部屋を駆け出して行った。ユーリーとヨシンもその後を追う。


「探せって、顔も知らないのにどうやって!」


 ヨシンの言葉を、尤もだ、と思いながらもユーリーはアーヴィルの後ろを追うのである。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る