Episode_11.11 青年と少女と偽善の金貨 Ⅱ
「え?」
そのユーリーの問いに、サーシャは困惑の表情を浮かべる。「やりたい事」など考えたことも無いような表情だった。
「そんなの考えたこともないわ」
「そうなの? 何かない?」
「うーん……やっぱり、思い付かないわ……」
意志の強そうな太目の眉を顰めて考える様子のサーシャだが、結局何も思い付かなかったようだ。落胆したように、肩を落とす。その様子を見るユーリーは、目の前で床に直に座ったままの少女の様子に何となく愛らしさを感じて自然と笑みがこぼれた。
「まぁ、いきなり聞かれても答えられない人の方が多いかな。でも、そのうち何か見つけるかもしれない。今のサーシャは、その時に備えて準備をする時なのかもしれないね」
「準備?」
「そう、準備だ。例えば、サーシャは読み書きや計算は出来るかい?」
ユーリーの問いにサーシャは首を振る。
「出来ないわ……お店のメニューだって読めないから丸暗記だし、お釣りの計算も一々上の人に聞かないと……」
「じゃぁ、手始めに読み書きと計算の勉強をしないとね」
「読み書きに、計算ね」
「あとは、サーシャは巫病に罹ったって言ったでしょ?」
「うん、言ったわ」
「だったら、魔術を使える可能性もある」
「え!? 私、魔法使いになれるの?」
「成れるか分からないけど、可能性はあるよ。俺も昔、巫病に罹ったし、だから」
ちょっと興奮気味のサーシャの言葉にユーリーはそう答えると、天井を指差す。そこには、「灯火」の術で生み出された白っぽい光源が漂う事無く浮いている。
「あ、なんか明るいと思ってたけど、今気が付いたわ! ユーリーさん魔法が使えるの?」
「まぁ、ちょっとだけだけどね。とにかく、読み書きに計算を学んでおけば、給仕以上の稼ぎの仕事が出来るようになる。それに、将来何か『やりたいこと』が見つかった時に絶対役に立つよ」
そういうユーリーだが、サーシャは天井付近に浮かんだ白い光をジッと見ているのだ。
「私……魔法使ってみたいかも……」
「よかったじゃないか、やりたい事が見つかったんだ」
「でも、そういうのを教えてくれる所って高いお代を取るんでしょ?」
「うーん……」
折角やりたい事が見つかったサーシャだが、彼女の問いにユーリーは答えられなかった。ユーリー自身知らないのだから仕方が無い。考え込んで唸ってしまう。しかし、次の瞬間、デルフィルの街の魔術具店で買い求めた魔術書の事を思いだした。買った時は、魔術のことなど良く知らないヨシンでさえ、
「初歩的な本を買って無駄遣いした」
と
「あ、そう言えば良い物を持ってたんだ。ちょっと待ってね」
ユーリーはそう言うと、ベッドの枕元に置いていた背嚢の底から、その本を取り出す。表紙には「図解入り 初歩魔術 付与術編」と書かれたそれほど厚く無い本だ。そして、その本をサーシャに渡して言う、
「はい、未来の魔術師に、先輩からプレゼント」
「あ、ありがとう!」
サーシャは、その本を受け取ると感激したように、ユーリーに抱きつくのだった。母親譲りなのだろうか? 十六歳にしては大きく成長した胸を押し当てられたユーリーは一瞬で顔が真っ赤になるのを感じていた。
「ちょっと、だからそう言うのは無しだって……」
「あ、ごめんなさい、今のは
ユーリーの抗議に、ハッとして体を離すサーシャも少し頬を赤らめていたが、それはユーリーの贈り物によるものだろう。
「あ、でも……ユーリーさんの言う通りね。まず読み書きは絶対に勉強しなくちゃ」
興奮冷めやらない様子で本を開いたサーシャは、しかし、そこで落胆したような表情になった。当然のことだが書かれている文字が読めないのだ。その様子にユーリーは少し笑いながらに言葉をかける。
「午後とか、午前の遅い時間とか、お店が暇な時間を利用して読み書きを教えてくれるところを探したらいい。そこで先ず読み書きができるようなったら、もう少し稼ぎの良い仕事に変えるんだ。魔術を使うのは目標だけど、当分はそうやって出来ることを増やして行けばいいんじゃないかな」
ユーリーはそう言うと、今度は鎧下の綿入れの内側にある隠しポケットに指を突っ込む。そこには、十枚前後の金貨が収められていた。それは、ヨシンと二人で手分けして持っている旅費の一部とは別の金、これまで哨戒騎士団の兵士時代から貯め込んで来た蓄えの一部である。それを指先で掴んだユーリーは、思案顔のままのサーシャの手を取ると、五枚の金貨を握らせていた。
ユーリーは、後になって、その夜の行為を何度か思い出すことになる。そしてその度に自問自答することになるのだ。しかし、それはまた別の話である。この時のユーリーは、いつの間にか妹のように思えてしまった少女の将来を案じる一心で、心の
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ユーリーとヨシンの二人が、年増娼婦ナータ達に
ヨシンは知らない事だが、その深夜にサーシャの訪問を受けていたユーリーは、色々問答の末、サーシャを
「お、おはよう……」
「
人気のない一階ホールに降りてきたユーリーは、丁度外から戻って来たヨシンを見つけると、少し罪悪感を孕んだ挨拶をする。ヨシンの方は、片手に長物の武器 ――山の王国製の
「ごめん、寝れなくなっちゃって……結局寝坊した」
「まさか、お前ナータさんを?」
「ばか、次言ったら
思いも掛けない親友の勘違いに、ユーリーは珍しく物騒な冗談を返すと、そのままホールの適当なテーブルに着いた。ヨシンも斧槍と隣のテーブルに立てかけてユーリーと対面して座る。
「その様子だと、朝食は未だ?」
「うん、いま、起こしに行こうと思ってたところだ」
そんな言葉を交わす二人の元に、奥のカウンターから年配の女性が出て来た。この宿の女将といった雰囲気の女性だ。
「食事でしたら、パンとスープ位しか出来ないのですが?」
「じゃぁ、それでお願いします」
「大したものが出来なくて、ごめんなさいね」
店のメニューが選べないのは、最近の食糧事情のせいだということは、昨日仕入れた情報で既に理解している二人。質素な食事には慣れっこなこの二人がそんな献立に文句を言うことは無かった。女将は少し申し訳なさそうにカウンターへ引き返そうとするが、その背中にユーリーが声を掛けた。
「あの、すみません」
「なにか?」
「サーシャは?」
そう問いかけるユーリーに、女将は愛想の良い表情で答える。
「あの子なら、ご出発のお客さんが一段落してから、何を思ったのか『読み書きを教えてくれる場所を教えてくれ』だって」
「それで?」
「近所の路地を入ったところに、昔コルベートで魔術ギルドに居たって言うお爺さんが居るから、その人の家を教えてあげたら、飛び出して行ったわ」
そう言うと女将は可笑しそうに笑い、そしてカウンターの奥へ引っ込んで行った。女将にしてみれば、給仕の娘が読み書きを習いたいというのが可笑しいのだろう。しかし、ユーリーはその言葉に何処か、ホッとした、気持ちに成るのだった。
「なぁユーリー、飯を喰ったら出発しよう。この宿に二晩は流石に嫌だ」
「……そうだな、わかったよ」
そして、二人の青年は出された粗末な昼食をアッと言う間に片付けると、そのまま荷物を纏めてトトマ会館を後にしたのだった。
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