Episode_11.10 青年と少女と偽善の金貨 Ⅰ


「誰? ヨシン?」


 ユーリーは、そう問いかけるが、ノックの主は答えずに更にドアを叩く。


「わかったよ、開いてるから」


 ユーリーは酔いの影響もあって、少し投げやりな返事をする。すると、扉がゆっくりと開いた。


「……あれ? サーシャちゃんだっけ? どうしたの?」


 ユーリーがそう問いかける先には、湯桶と水差しを載せた盆を持ったサーシャの姿があった。給仕服であるエプロンを取り払って、灰色のスカートと同じ色の上着という質素な姿だ。一つ変わった所といえば、先ほどは後ろで束ねていた髪をほどいているという所だ。肩の下あたりに掛かる程度の長さの明るい茶髪の毛先がユーリーの部屋から漏れる「灯火」の明かりを受けている。


「あの……身体を拭きたいからって、ユーリーさんが」

「あぁ、そっか……ありがとうね……そこに置いておいて」

「……あの」


 サーシャはベッドに腰掛けたユーリーを見ながら、湯桶を小机に置くと、おずおずと右手を差し出す。そこには丸のままの銀貨二枚と小銅貨三枚があった。


「ん? なにそれ?」

「えっと、お釣りです」


 そういうサーシャは少し頬を赤らめているが、酒に酔ったユーリーはそこまで気が回らない。サーシャの手にある硬貨は、一階での酒盛りが終わる時に、勘定が足りないと言ってきたサーシャにユーリーが追加で渡した銀貨三枚のお釣りであるらしかった。その上で、体を拭きたいから湯を持って来てくれ、とユーリーはサーシャに頼んでいたのだ。


「いいよ、取っておいて……遅くまで迷惑を掛けたんだ」


 ユーリーは投げやりな風でそう言うと、湯桶の湯に両手を浸し、次いで両手で掬った湯で顔を濡らすように洗うのだ。


「……じゃ、じゃぁお手伝い……します」

「え……えぇ!?」


 サーシャの言葉にユーリーは顔を洗う格好のまま、言葉だけで疑問を発するのだった。


「えっと……どういう意味?」

「お体を拭くんですよね。お手伝いします」


 驚いて訊き返したユーリーに対して、サーシャはハッキリと返事をする。しかし、その内容は幾ら奥手・・なユーリーであっても察することのできる内容だった。


「いや、ぼ、僕……いいよ」


 ユーリーは明確に拒否するが、サーシャは部屋の中に入ると後ろ手で扉を閉めた。そして、視線を外しつつ、小机の上の湯桶で顔を洗う格好で固まっているユーリーに近付くと、鎧下の綿入れの上から羽織っていた上着に手を掛ける。


「べ、ベッドに……腰掛けて」


 ユーリーの上着を取り去ったサーシャは、まるで石化の術に掛かったように硬直しているユーリーをベッドへ座らせる。幾ら線が細いといっても十九歳の鍛えた身体を持つユーリーだ、それをベッドに座らせるために、サーシャはユーリーの両肩を強く押して、突き飛ばすようにベッドへ押しやる。


ギシィ……


 茫然とした表情のままで、されるがままにベッドに腰を下ろすユーリー。その重みに粗末なベッドが軋みを上げる。そこへ、サーシャは丁度ユーリーの前に膝を付く格好になる。ベッドに腰掛ける青年と、床に膝立ちになる少女の視線が合う。


「あの……私……初めてなんで」


 はにかんだ・・・・・ように言う少女の頬は赤く染まり、灰色の瞳は少し潤んだように揺れている。しかし、意志の強そうな眉と引き結んだ唇が、何かしらの決意を持ってユーリーの部屋へやって来たと事を示していた。全体的に丸顔で容姿が整っているとは言えないが、良く動く表情は、見る者に溌剌とした印象を与える。整った美しさよりも愛嬌で人を好きにさせるのがサーシャという少女だった。


 そんな少女が、何かを問うようにユーリーの瞳を見詰めている。顔形かおかたちは似ているとは言えないが、その表情に、ユーリーは否応も無く去って行った少女の事を思いだすのだ。


「ど、どうして?」


 酔いに支配されたユーリーの頭の中には、かつて経験したことの無いほど、様々な心の声が渦を巻いていた。


(中々可愛い子じゃないか、リリアとどっちが可愛い?)

――リリアに決まってるだろ……


(ここで手を出したら、途端にナータが出てきて金を払えっていうかもな)

――手を出すって、どういう意味だよ


(でも、随分思い詰めた顔をしているな、このまま帰したら可哀想だぞ)

――このまま帰すんだよ!


(そうやって、意気地の無い事を言ってるからリリアは姿を消したんじゃないか?)

――煩いよ……


(ところで、いつまで見詰め合ってるつもりなんだ?)

 ……


「き、君……」

「は、はい、ユーリーさん。ですよね」


 ユーリーは、頭の中の自分との問答で次第に冷静さを取り戻していく。酔いは相変わらず……いや、少し醒めたのかもしれない。若いユーリーにしてみれば非常事態と言うべき状況に、いつも通りの思考が帰ってきた気がする。


「サーシャ。ぼ……、お、俺はこういうのは良くないと思う」

「どうして?」

「だって、そういう事・・・・・を俺からお願いした訳じゃないのはサーシャも分かるだろ?」


 サーシャは一つ頷く。しかし、表情は不満そうだ。


「なのに、なんで……押し付けるみたいにしようとするの?」

「そ、それは……」


 膝立ちだった少女は、俯き加減で言葉を濁すとペタリと尻を床につけて座る。そして、頭を掻くような仕草をすると、再び顔を上げた。そこには、先ほどの思い詰めた少女の顔ではなく、酔っ払い相手にサバサバと仕事をこなす給仕の少女の顔が戻っていた。


「私、先月で十六になったんです。トトマの娼婦組合の決まりでは、もうお客を取っても良い年齢なの」

「……娼婦組合……そんなのがあるんだ」

「お母さんの話だと、大きな街にはどこでもあるって。お互いに助け合ったり、小さい子供の面倒をみあったり。あと、値段が安く成り過ぎないように最低金額を皆で決めたりするって言ってたわ」


 ユーリーは、目から鱗、といった気持ちでサーシャの話を聞く。


「でも、お母さんもう歳でしょ。最近じゃ最低金額でもお客さんが付かなくなったんだって」

「まぁ……そうなんだ」


 ユーリーはふとナータの顔を思い出す。確かに若作りしていたが、四十後半と言われてもそれほど驚かない風貌だった。


「私、十二歳の時に変な病気に罹ったの。お母さんの話だと、色々お医者に見せたけど治らなくて、結局ミスラ神殿にお願いすることになったのね……」

「変な病気?」

「えっと、ふびょう……っていったかな? とにかく、その神殿で神官に治療してもらうのに金貨二十枚……お母さんはあんまり言わないけど、蓄えが一気に無くなった、って前に酔っぱらった時に言っていたわ」


 ユーリーは、巫病ふびょうに罹ったと言うサーシャの言葉に少し驚く。もし本当ならば、自分と同じで魔術の才能があることになるのだ。しかし、サーシャはそんなユーリーの様子に気付かずに話し続ける。


「色々迷惑もかけたし育てて貰った恩もある、お母さんにはもう楽をしてもらいたいの。でも、給仕のお給金だけじゃ、二人でやっていくのは難しくて……それで自分も体で稼ごうと思ったんだけど……」


 そこまで言うとサーシャは言いよどむ。ユーリーはその様子を急かすことも無かった。冷静に考えれば、自分を買ってくれ、と部屋に押し掛けてきた少女の身の上話を聞く筋合いは何処にも無い。しかし、今のユーリーは何となくサーシャの話に聞き入ってしまったのだ。やがて、サーシャは途切れた話を再開する。


「でも……私、男の人の経験がないから……それで、ユーリーさん、なんだか優しそうだし、初めてには丁度良い・・・・かなって……ゴメンなさい」


 少し舌先を出して愛嬌のある顔を作り謝って見せるサーシャの様子に、ユーリーは引っ掛かるものを覚えつつも、納得しようと努める。自分が最初の客なら、酷いことはされないだろうと思われた訳だが、言外に「男らしくない」と批判されたような気持ちになるのは仕方がなかった。


「それで、ナータさんはこのことを知ってるの?」

「どうだろう? いつも『お前はお前の好きにしな』って言うばっかりだし」


 サーシャがして見せた彼女の母親ナータの物真似は流石に親子で、とても似ていた。さっきまで、そのナータに無理矢理酒を飲まさせられていたユーリーは、思わず吹き出してしまう。


「やだ、そんなに可笑しい?」

「いや、似てるなと思って……でも、ナータさんはサーシャには別の仕事をして欲しいって思ってるんじゃない? ぼ、俺は、娼婦の仕事が駄目な仕事だとは思わないけど、ずっと続けられる仕事じゃない。身体を壊し易いし、生活もすさみ易い。実際は卑しい仕事だと思っている人も多い……」

「……うん」


 ユーリーの言葉に、サーシャは少し沈んだ声で答える。娼婦など、まだ少女と言える年齢の若い娘が好んでやりたい仕事で無い事は確かだった。


「サーシャは、何かやりたい事はあるの?」



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