Episode_11.09 ユーリーの独白
「あー、飲み過ぎだ……」
灯火の魔術による明かりが天井付近を漂っている。そんな部屋でユーリーは後悔を吐き出すように一人で唸る。
そもそも、ユーリーは酒がそれほど好きではない。その上、だらしなく前後不覚になる酔っ払いという存在は大嫌いだった。それは、二年前の「黒蝋」事件で潜入した「剥がれ月亭」という
(ダレス……か……コルサスに居るのかな?)
ユーリーは酒の回った頭で、ふとその青年の名前を思い出す。没落貴族の次男として、
「そう言えば、ダレスの事を笑える義理じゃなかったんだな……」
珍しく酔ったユーリーは、独り言を言う。普段なら合いの手を入れるヨシンは、今日は別の部屋に泊まっているため、ユーリーの声は狭い宿の自室に籠るだけだった。いつの間にか皮肉めいた表情になっているユーリーはベッドに腰掛けると、大きく溜息を吐きながら額から後頭部へむけて両手で髪を掻き上げる。少し伸びた黒髪は手櫛にそって後ろに引っ張られるが、やがてサラッと指の間を逃れて額を隠す。その様子は余り他人には見せたことの無い仕草だった。
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今のユーリーには、胸に
そんなユーリーは、自分の処遇で頭を悩ませるウェスタ侯爵家の面々に幾ばくか申し訳ないような気持ちを感じていた。しかし、その一方であの夜、王都リムルベートで起きた事件の際に、対峙した第一騎士団の騎士達には怒りに似た感情を持っているのだ。
――如何に強力な魔術具であろうとも、一度に数百人全員を「洗脳」することは出来ん。騎士の中には周りに流された者、ただ上官の命に従った者が多く居たのじゃろう――
というのは養父メオンの言葉だった。つまり、あの夜アルヴァンや自分達に向って来た騎士の中には正気を保ちつつ、その上で仕方なく命令に従った騎士や兵士達が多く含まれていたのだ。その事実を知ってしまったユーリーは、彼等の姿にドルド河で対峙した第一騎士団の隊長達の姿を重ね合せる。ルーカルト王子の命令に背いて、その後自害せざるを得なくなった第一騎士団の隊長達だ。
(騎士なんて……ただ上の立場の人間の言いなりになって、剣を振るだけじゃないか……命を掛ける
これまで、幼い少年の心に憧れ続けていた「騎士」という存在。もしも、ウェスタ侯爵領内に留まり、純粋に哨戒騎士を目指していたら見なくても済んだかもしれない「騎士」のもう一つの側面を垣間見たユーリーは、絶望よりも醒めた疑問に支配されていた。自分の意志や信念を捨て、時に盲目的に命令に従うことを要求される「騎士」という存在に、以前ほど憧れや尊敬を持たなくなった青年の姿がそこに在った。
勿論、
そう考えるユーリーだが、それは彼自身の考えであって、親友ヨシンの心の内はまた別だとも思っている。自分一人なら「東方見聞職」も大した問題では無いが、それにヨシンを巻き込んだことには、非常に大きな気負いを感じるのだった。そんなユーリーの独白は続く。
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「やっぱり、王子を斬ったのは不味かったよな……」
あの時、あの謁見の間に居合わせた者は全員が、ユーリーの行為を「止むを得ない」と証言していた。その場にいたウェスタ侯爵家の正騎士達の中には、自らの家名に於いて宣言さえした者も居たほどだ。もしもあの時ユーリーが剣を振るわなければ、魔剣の力と、強力な付与魔術の一つ「
(あの時、俺は本当に冷静だっただろうか……)
そう思うユーリーはベッドの端に立てかけた「蒼牙」を見る。
「いや……物のせいにしたら……駄目だよな……」
「蒼牙」と呼称が与えられた魔剣は、所詮ただの道具でしかない。要はそれを使う持ち主次第の物なのだ。そういう風に思ってしまうユーリーは、その生真面目さ故に、今の境遇にヨシンを巻き込んだのが自分のせいだと思えて仕方ないのだ。それでも、ユーリーとヨシンの仲だ「ゴメン!」の一言で済むのかも知れない。しかし、ユーリーはその一言を言えないでいた。何故ならば……
「ユーリーや、ちょっとマーシャに手紙を書いてくれんかのう」
それは今年の三月の事だった。当時まだサハン男爵の屋敷に滞在していたユーリーは養父であるメオン(同じくサハン男爵の屋敷に滞在していた)にそう言われたのだ。「東方見聞職」の内定があってから一週間後のことだったと記憶している。
「マーシャへ? どうしたの?」
「それがじゃな……」
少し深刻そうに話すメオン老師の言葉は、ユーリーにとって衝撃的だった。
「マーシャとヨシンは婚約していたのじゃ……四月に哨戒騎士に昇格が決まっておったろう。そうしたら結婚するつもりだったらしい……」
メオン老師はそう言うと、髭の無い頬から顎を片手でしごく。つまり、哨戒騎士への昇進取り消しと、遠方の国への派遣。それ故の結婚の延期についてマーシャが
――ヨシンは責任を持ってリムルベートに帰す。道中、変な虫が寄って来ようが、君の魅力には敵わないだろう。だが、自分としても全力を以てこれを排除することを約束するので、マーシャはどうか安心して待っていてくれ。あと結婚の話があることは驚いた。でも君とヨシンならばお似合いの夫婦になるだろう。結婚式には必ず呼んでほしい――
という内容の手紙を書かざるを得なかった。
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それは、それで良かった。別にマーシャへの手紙に「自分のせいでヨシンが――」と書いても、マーシャが困るだけだ。しかし、ユーリーには、素直に親友の幸福を祝う気持ちに成れない出来事があったのだ。また、その出来事のために、親友の幸福を祝福できない自分自身に嫌気が差すような気にもなるのだ。それは、
「……リリア……かぁ……」
その溜息を伴った呟きが示す通り、愛する少女リリアとの別れであった。
別れ、もしもそれが決定的な拒絶を伴う破局だったならば、若いユーリーには立ち直る術もあったかもしれない。しかし実際は、昨年の冬、サハン男爵の屋敷の一室で抱き締め合った後、リリアは一切の消息を絶っていたのだ。
――強くなるから、貴方の隣に立っても決して守られる事の無い、そんな存在になるから! ――
そんな言葉を残して少女はユーリーの前から姿を消していた。リリアの消息が知れないことを知ったのは、あの夜の出来事の一週間後だった。なぜ、それまで自分はリリアの行方を気にしなかったのか、例えば、あの夜の次の朝、疲れて寝てしまった自分の隣で同じく寝ていたはずの少女の姿が見当たらなかった時、何故必死になって探さなかったのか? ユーリーの胸中は今もそんな後悔が重く圧し掛かっていたのだ。
――そりゃぁ、お前がしっかりとリリアちゃんを
とは、ユーリーが思い余ってヨシンに相談した時の、彼の回答だった。ユーリーとしても思い当たる節があった。だからこそ、大きく反発することになって、結局珍しく取っ組み合いの喧嘩になりさえしたものだった。
「結局、僕に意気地が無かったから……なのか?」
呟くユーリーは、いつの間にか自分を「僕」と呼ぶ昔の少年に戻っている。しかし、そんな変化に気付くはずもない彼は、酔いに任せて荒れる思考、頭を支配する答えの出ない問いに苛まれている。そして、喉の渇きばかりが強調されて感じられた。そこへ、
トン、トン、トン、
粗末な一人用の部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
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