Episode_11.08 トトマ会館の事情通
ユーリーとヨシンのテーブル、周りを年増の娼婦五人に囲まれたそのテーブルにワインの入ったカップが運ばれてくる。合計七つのカップを器用に盆に載せて運んできた給仕のサーシャは、一度だけユーリーの方を見ると愛想よくニコッと笑って見せる。後ろで一つに束ねた明るい茶髪に灰色掛かった瞳、そして少しそばかすの浮いた頬は年相応の溌剌とした生気が漲っている。そんな少女の微笑みに、ユーリーは思わず顔を反らしていた。
そこへ、先程自称「女盛り」と称していた一人の娼婦が立ち上がると、未だ盆に載せられたままのカップをひっ掴み「乾杯!」と言うと、一気にカップの中のワインを飲み干してみせる。その様子に他の娼婦達は歓声を上げている。
「ちょっと、危ないじゃない。待てないの?」
「あんたが、サッサとしないからだよ!」
サーシャの抗議の声に、その娼婦は悪びれることも無く言う。そして、カップをテーブルに置く作業をするサーシャの前に早々と空になったカップを置くのだった。サーシャは呆れ顔を作ると、盆に空のカップを載せて店のカウンターへと戻って行った。その後ろ姿を何となく見送るユーリーは、視線を引き剥がすようにしてナータに話しかける。
「えっと、ナータさん?」
「なんだい? サーシャの事を買う気なら相談に乗るよ? 余所で男を咥え込んでなければ未だ処女だと思うけど」
「……そんな事じゃなくて!」
ユーリーの声に、ワインの入ったカップへ舐めるように口を付けていたナータは凄い内容の事をサラッと言う。しかし、続くユーリーの悲鳴のような抗議の声に彼の目的を思い出していた。
「ああ、そうだった、そうだった。それで何が訊きたいんだい?」
「……そ、そうだな、先ずは……」
ユーリーはつい今ほど言ったナータの言葉を無理矢理頭から追い出すと、考える素振りを見せる。その上で、先ずはトトマの街の現状、特に外の活気の無さについて訊いてみることにした。いきなり王弟派と王子派の戦いの行方について質問してもいいのだが、それでは相手に変な警戒心を与えてしまうかもしれない、そう思ってのことだ。そんなユーリーの意図を知らないナータは、彼が思った以上にしっかりと質問に答えてくれた。
「トトマの街の様子なんて、大分前から似たようなもんだよ。でも、最近デルフィル側が国境の監視を強化したって言うんだろ。結構な数の人達が引き返して来たんだよ。それで、金無し、宿無し、職無しの連中が街に溢れてるのさ」
「その人達は何処から来たの?」
「あ、そっか、アンタ知らないんだね。ちょっと前……四月の初め頃、街道を南へ行った所にあるストラの街で大きな
「戦? よく知らないけど、王子派と
「王弟派だよ」
その話自体は、デルフィルの街でスカース・アントから聞いていたユーリーだが、知らない振りをして驚いた顔をつくるのだ。ナータはそんな様子のユーリーに少し得意になって説明を続ける。
「元々、ストラの街の更に南の海沿いにディンスっていう街があって、その街の南を流れるトバ河を挟んで南が王弟派、北が王子派の勢力っていう風に別れたんだけど、三年前にそのディンスが王弟派に奪われたのさ」
ユーリーは首を振るだけで相槌とする。
「それで、ディンス奪還のために国境伯のアートン公爵がレイモンド王子を担ぎ出して挙兵したのが今年の三月。トトマの街からも大勢の兵隊さんが戦に出掛けたよ……でもねぇ」
ナータの語るところによれば、今年三月の挙兵時点ではストラの街を拠点とした王子派が優位に立っていたらしい。しかし、徐々に物量に勝る王弟派が盛り返し、四月初めにはストラ近郊まで逆に押し返されたとの事だ。
「戦から戻って来た兵隊さんに聞いたらさ、そこまで負けた戦いでもなかったんだってさ。ディンスとストラの間の道は海と森に挟まれているから、そこを狙う作戦があったらしい。でも、戦線が押し返された途端、レイモンド王子を頂いたアートン公爵の本隊がアートンの街へ一目散に逃げちまった」
つまり、戦線が少しでも不利になった瞬間、総大将が撤退。伸びきった王弟派の補給路を叩いて、前線部隊を孤立化させ、それを拠点ストラの付近で一網打尽にする計画を立てていた王子派の軍は、思わぬ本隊総大将の撤退によって士気が低下し、敗退ということらしい。
「じゃぁ、今はトトマの街が最前線ってこと?」
「トトマの南で、丁度ストラとの中間の場所にエトシア砦っていうボロい砦があって、今はそこが前線らしいよ。騎士さん達も兵隊さん達も、大勢がそこに詰めてる。まぁ私達にしたら良い客だったんだけどねぇ」
嘆くように言うナータはカップの中身を半分ほど飲むと続ける。
「今、トトマに残ってるのは四百人ほどのシケた衛兵だけだね。今頃になって慌てて街の南の外壁と詰所を砦みたいに補強し始めてるよ……副長は良い男なんだけど、ありゃ、団長が良くないね」
「へぇ」
ユーリーは調子よく喋り続けるナータに相槌を打つ。きっと団長という人物はそれほど男前では無いのだろう、と勝手に想像していた。
「ストラの街から逃げてきた人々に職を与えるっていう触れ込みで南の工事をさせているけど、ハッキリ言ってあんなのは、ただの奴隷労働さ!」
ナータはそう言うと、カップのワインを一気に空ける。そして「飲まないのかい?」という視線をユーリーへ向けて来るのだ。大年増の娼婦の迫力というのは、殺気に満ちた敵とはまた違う迫力がある。そして、この手の迫力にユーリーは慣れていなかった。まるで魔物に魅入られたように、先ほどサーシャが運んできた、薄めていないワインの入ったカップを手に取ると、ナータと同じように一気に煽った。
「うえぇ、まっず」
「あはははは、良い飲みっぷりだね、やっぱりアンタ大物になるよ」
渋くて酸っぱい、その上酒精の刺激で舌がピリピリする。そんな感覚にユーリーは渋面を作るが、それを可笑しそうに囃し立てるナータだった。ユーリーは直ぐに言葉が出ない様子で顔を顰めている。その様子に、隣に座っていたヨシンは、他の四人の年増娼婦が繰り広げる他愛の無い会話から無理矢理抜け出ると、回復しないユーリーの代りにナータに声をかけた。
「その、レイモンド王子ってのは、余程肝っ玉の小さい奴だな」
話の流れを拾ったヨシンの何気ない一言だが、その言葉にナータは眉を吊り上げる。
「ちょっとアンタ! 何にも分かってないくせにそんなこと言っちゃダメよ! レイモンド王子はそれはそれは男前、美男子なのよ。悪いのはあの公爵の息子のドルフリーと
「ど、どういうことですか?」
突然の剣幕に目を白黒させるヨシンを後目に、慣れないワインの味から回復したユーリーが訊く。
「これは、アートン城に出入りする商人の話だけどね。最近アートン公爵、と言うよりもその息子のドルフリーとレイモンド王子の間は上手く行ってないらしいのよ」
「上手く行ってない?」
「元々国境伯アートン公爵の娘のアイナス王妃が前国王のジュリアンド様に嫁いでお生まれになったのがレイモンド様なの。そのアイナス様はドルフリーの妹だったから、ドルフリーはレイモンド様の伯父さんなんだけどね……」
そこまで言うと、少し回りを気にする素振りを見せるナータは、声を潜めて続きを言う。
「幼い頃のレイモンド様はアートン公爵やドルフリーの言いなりだったけど、今ではもう十九歳。色々と分別が付く年頃になって、衝突することが増えたみたいなの。それで、ドルフリーはレイモンド様を邪険にすることが増えたそうよ」
口さがない噂話と言えばそれまでだが、ありそうな話だとも思うユーリーであった。一方のヨシンは、声を潜めるナータに釣られて自分も声量を下げて言う。
「その国境伯のアートン公爵っては、どんな奴なんだ?」
「そうね、公爵のマルコナ様は、何処にでもいそうな爺さんだね。別に平民想いの良い領主って訳じゃない。普通に税も取るし……まぁ普通よ。だけど、息子のドルフリーは、まぁ見た目はそこそこの男前なんだけど、傲慢で利己的で平民の事などまるで考えていない。税も兵隊も好き勝手に取って当たり前と考えてるような奴よ!」
そう言うと「わたしゃ、レイモンド王子派よ」と付け加える。そして、何か話すことを思い付いたようにナータの言葉は尚も続いた。
「ドルフリーがあんな風だから、最近じゃトトマの街でも『解放戦線』の連中の名前を聞くようになったわ」
「解放戦線?」
「あ、これも知らないか……解放戦線はね、民衆派って言われることもあるけど、まぁ早い話が、王家や貴族を追い出して私達みたいな平民で国を作ろう。って奴らよ」
「へー、お伽話みたいだな」
ヨシンが何気なく相槌代わりに軽い感想を述べる。ユーリーにしても同じような感想だった。しかし、お伽話のような理想論が真剣に語られるほど、コルサスの現状は民衆にとって良くないのだろう。
「まぁね、お題目通りならそれは良いかも知れない。実際、最近じゃ連中に賛同する人も増えてるみたい……でも私はなんだか、連中のことは好きになれないわ」
「なんで?」
「言ってる内容が綺麗事過ぎるもの……それに、私は誰が何と言ってもレイモンド王子派よ!」
ナータはそう言うと、一呷りにカップを空けてからカウンターの方に向かい大声を上げる。
「サーシャぁ! おかわりぃ!」
しばらくすると娘のサーシャが、新しいワインと酒の肴の代わりに硬い塩漬け豚の角切りを皿に盛って運んで来た。やがて酔いの回ったナータや他の娼婦達は、訊かれてない事も含めて色々と勝手に喋り出すようになる。そんな状態の酒盛りは、結局その後、一階の食堂が看板を下ろす時刻まで続いたのだった。
夜更けも過ぎて、もう深夜という時間まで年増娼婦の相手をしていたユーリーとヨシンは、ようやく解放されて
娼婦や酒場の女から情報を集めるというユーリーの発想は良かった。お蔭でコルサス王国に入ったばかりのユーリーは可也詳しい情報を仕入れることが出来たのだ。しかし、その代償と言う訳では無いが、酔い潰れる寸前まで五人の娼婦の酒の相手をすることになったユーリーは、今更ながらに、自分の発想を悔いていた。
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