Episode_11.04 憂国の王子


 小高い丘の上に石造りの重厚な建物が建っている。周囲を城壁のような高く頑丈な石壁に囲まれ、更にその外周には水掘りと空堀を二重に巡らせている。明らかに防御が固そうな城と言っても良い建造物である。この建物の事を街中の人々は「アートン城」と呼んでいる。つまり、ここはアートンの街である。


 王子派と称され、レイモンド王子を擁立する勢力の本拠地であるアートンは、百年前からコルサス王国の西方国境伯を務めてきたアートン公爵家の勢力地である。アートン公爵家は、元々内陸の都市アートンに本拠地を置く一伯爵家であったが、現在の当主マルコナ・アートンの祖父は当時のコルサス国王の実弟だった。当時、西の隣国リムルベートとデルフィル・ダルフィルの支配権を争っていたコルサス王国は、国王の弟を西のアートン伯爵家に送り込み、そして西方国境伯という国境を守る職を与えたのだ。以来アートン家は公爵と称するようになった。因みにコルサス王国においては、国境伯は役職に相当し爵位ではないとされる。アートン家は「アートン公爵」又は「アートン公」と称されるのが通常である。


 王家の内戚ないしゃくとなったアートン家は以後代々西方国境伯として、一爵家では成し得ない広大な領地を管理運営している。その支配地域には元来トトマ子爵家、ダーリア子爵家、ストラ子爵家、ディンス伯爵家といった爵家貴族の領地本拠地と多くの小領主の土地が含まれていた。しかし、現在ではそれらの都市や地域を管理監督するのはアートン公爵家から派遣された行政管理官になっている。


 国境伯として、支配地域の統治を進める上で夫々の土地の領主が実権を持つ状態は好ましく無かった。そのためアートン公爵家は年月を掛けてそれらの爵家出身者を取り込んでいき、現在の当主マルコナ・アートンの代で、支配地域は全て直轄領地となっていた。


 勿論、この動きはコルサス王家内部で「行き過ぎ」と問題になったが、マルコナはその状況において、美姫と評判の高かった自身の娘アイナスをまだ若かった先王ジュリアンドに嫁がせるという政治的剛腕をふるった。そして、王家の内戚としは血が薄まっていたアートン家を外戚の立場にすることで諸方からの批判を封じ込めたのだ。


 そんな政治的な駆け引きとは全く次元を別にして、熱烈に愛し合った先王ジュリアンドと王妃アイナス。その結実として、生まれたのがレイモンド王子である。


 今、アートン城の最奥部で、そのレイモンド王子と、後見人で祖父のアートン公爵マルコナ、それにアートン公爵の長男ドルフリー・アートンが話し合いをしている。実際に話しているのはレイモンドとドルフリーの二人だが、その剣幕は口論のような強い調子を含んだものだ。周囲には、数名の騎士らしい男がいるが、口を挟める様子では無かった。


「レイモンド王子、以前から話していた通り、リムルベートへ向かって頂きます」

「これだけの人々を巻き込んで置いて、先の戦いでは多くの兵を死なせておいて、今更『国外へ逃れろ』と? 伯父上は正気なのか!?」

「なにも逃げるといっているのではない、リムルベートへ助勢を願うのです」

「ならば、尚更承服できない。国内の王位継承問題に他国の助力を借りたとなれば、長く禍根を残すことになる!」

「……王子はそのような些細な事に気を回す必要は無い!」


 レイモンド王子に伯父上と呼ばれるドルフリー・アートンは、父である公爵マルコナから領地経営の実権を引き継いだ四十半ばの壮年の男性だ。気力と体力が充実し、それに広大な領地を支配する実力と自信が加わったドルフリーは、喩え相手がコルサス王国の正当な王位継承権者であっても、まるで命令するように高圧的な物言いをする男だ。そんな彼の言葉には、息子ほども歳の離れたレイモンド王子に無理矢理でも言う事を聞かせようという意図が隠される事無く滲み出ていた。


 しかしもう一方の若者、金髪に碧眼の美丈夫レイモンド王子は、黙って言われた通りにする様子は無く、精一杯の正論で反論するのだ。その反論は自明の理であり、対するドルフリーは答えを用意していても良いようなものだが、実際には少し言葉に詰まってしまった。ドルフリーにとって小さい頃から良く知るレイモンドは我が子同然、自分の言う事を聞いて当然と思っていたのだ。


 そんな状況を見守る齢七十近くのマルコナ・アートン公爵は、深く皺の刻まれた年齢相応の風貌で小さく溜息を吐く。こちらは年齢に裏打ちされた経験と人物を見極めるしっかりとした眼を持つ老貴族である。そんなアートン公爵マルコナは先のディンスとストラを巡る戦を経てレイモンド王子は少年から青年へ、自分の考えを持つ一人の大人へ成長しつつあると見ていた。


(レイも良く言うようになったな。それに引き替えドルフリーめ、欲目が強すぎてレイの成長を見誤ったか……)


 というのが公爵マルコナの素直な感想であった。我が息子としての贔屓目を取り除いてもドルフリーは次代の国境伯として申し分のない才覚を持っていると思っている。頭が良く打算が効き、役人や騎士達を使う術を心得ている。しかし一方で、他者に対し高圧的でややもすると独善的と映る傲慢さが息子の弱点だとも思っている。そして、最近ではそんな息子ドルフリーの心中に分不相応な野心があるように感じるのだ。


 そんなアートン公爵の目の前で、ドルフリーは一旦言葉を呑み込むと、強面だった声音を一変させる。まるで物分りの悪い子供に言って聞かせるような声色で言うのである。


「いいか、レイ。リムルベートは王都の騒動で今は苦しい時期だ。その上、新しい王のガーディスは未だ若い。今は、東にある我らコルサスとよしみを通じたいと願っているはずなんだぞ」

「しかし……」

「しかしでは無い! 先の戦い、僅差とはいえ敗北を喫し、今や巷では、兵や人心の離反は著しい。このままでは我らは座して死を待つのみ。この期に及んで嫌も応も・・・・ない!」


 そもそも僅差、いや実際にはかちに手を掛けたところで軍を退いたのはドルフリーであり将軍のドリッドなのだが、その事を棚に上げた彼はレイモンドが反論の様子を見せるとやはり言葉の調子を強めてしまうのだ。しかし、それでもレイモンドは言葉を続ける。


「ならば国外ではなく、国内の……民衆派、解放戦線と合力したほうが余程に良いと思います!」


 未だ十九歳の若者でありながら、レイモンドの風貌は先王ジュリアンドと、ドルフリーにとっては妹であるアイナスの面影を色濃く残した金髪碧眼。中々の美青年である。その王子が、切り札とも言うべき言葉 ――解放戦線との協力―― を切り出したのだ。その言葉に傍で聞き役に徹していたアートン公爵の眉が動き、皺に覆われた眼が少し見開かれる。しかし、その変化に気付かないドルフリーは、


「王子は未だ若い! 世の中を知らなさ過ぎる!」


 と、一言で断じてしまった。その上でやはり高圧的な物言いで続ける。


「統治には権威が必要。民衆を盲目的に従わせる権威が王家には絶対必要。それを今、民衆におもねるような態度を取れば、王家の権威は失墜。統一後の国家運営に支障をきたすは必定。民衆との協力など、もっての外なのだ!」


 ガランとした室内にドルフリーの断定的な声が響く。レイモンド王子は、更に反論し掛けるが、しかし開きかけた口を閉じてしまう。これ以上の議論は無駄だと思えたからだ。


(国とは、民のためにあるのではないか? 王家とはそれほど大切なものなのか?)


 レイモンド王子は自問していた。それは王族として、いやこの時代に生きる人として常識外れの問いだった。そんな王子はチラと自分の隣に立つ騎士に視線を送る。その視線に気付いた騎士は小さく、しかしハッキリと首を振るのだった。


(アーヴィルが教えてくれた国。昔、北に在ったと言う国。そこでは、王は君臨したが統治は人々の手で行われていたという……コルサスがそんな国に成れるなら……私はどうなっても)


 それは、幼い頃から守り役を務めるアーヴィル ――レイモンドの隣に立つ騎士―― から聞かされたお伽話のような小国の話だった。しかし、その国の在り様こそがレイモンド王子にとって理想的な国家像となっていたのだ。


 レイモンド王子は、無言で部屋の天井を見上げる。何故これほどまでに想いが通じないのだろう? そう考えると泣けてくるような気がする。王子とはいえ、治める土地も無ければ、盤石な収入があるわけでもない。家臣といえば、子守り代わりに寄り添ってくれる騎士アーヴィル一人なのだ。そんな、実力の無い自分に、大き過ぎる「王子」という名前ばかりが圧し掛かってくる思いだった。


「良いですか、王子は一旦リムルベートへ赴き、ガーディス王から協力の言質を取り付けてください。その手引きはアント商会のスカースが行います。既に話もついております。その間、我らはアートンを中心に勢力を立て直し、きたる時に備えます。そして、王子に率いられたリムルベート国軍と合力、一気に海沿いを南下してストラ、ディンスを奪還し、コルベートを落とすのです!」


 一気に捲し立てるドルフリーの表情は何処か浮世離れした恍惚が浮かんでいる。何度も何度も頭に思い描き、自らを信じ込ませた渾身の策なのだ。もうこれ以外に、苦しい現状を打破する方法は無い、と思い極めている。しかし、無力感に苛まれつつも、レイモンドは最後の一線を譲らない。


「伯父様、それは出来ません。この期に及んで、尚他国に逃れ、その助力によって王弟派を打ち払い、コルベートの城に我らの旗を立てた処で内戦は終わりません。我らの動きを知れば、王弟派は必ずベートや四都市連合の軍を国内に引き入れることでしょう。そうなれば、コルサスの内戦は出口が見えなくなります。……どちらが勝とうが、民が残り、国が残る。それならば……」


 ならばいっそのこと、王子などいなくなれば良い。そうレイモンド王子が言い掛けた時、


「問答は尽きた、やれっ!」


 ドルフリーの鋭い声が響く。そして、守り役の騎士アーヴィルを除くアートン公爵家の騎士が二人、一気にレイモンド王子に肉迫する。


「なにを!」

「貴様っ!」


 アーヴィルは言うが早いか、王子の前に割って入ろうとする。しかし、その動きを読んだように動くドリッド将軍から牽制を受ける。ドリッド将軍の抜き放った大剣グレートソードとアーヴィルの片手剣ショートソードが火花を散らす。そして、


「御免!」

「うぐぅっ」


 その間隙を縫ったもう一人の騎士に当て身を喰らったレイモンド王子は呻き声を上げて石床に崩れ落ちていた。


「何のつもりだ!」

「落ち着けアーヴィル卿……」


 剣を握ったままのアーヴィルに声を掛けたのは、アートン家筆頭騎士のドリッド将軍だ。アーヴィルと一合打ち合った剣を鞘に収めつつ、いきり立つ様子のアーヴィルを宥めるような声を掛ける。そこに、アートン公爵のしわがれた声がかかる。


「アーヴィル、お主はレイモンド王子と共に行くのだ。王子の無事安全をお主に託す。今更昔の話を持ち出すまでも無いが……十五年前、お主を拾ってやった恩、仇で返すことは許さぬぞ。よいな?」

「……」


 アーヴィルはアートン公爵の言葉に無言で剣を納める。そして、尊大な様子で視線を送ってくるドルフリーを無視して、その後ろのアートン公爵に向けて、承諾の返事として頭を下げるのだった。


****************************************


 その日の夜、アートン城から出発した馬車は護衛の騎士を一人連れて人知れずアートンの街を後にすると、街道を西へ進む。月も無ければ星も無い、暗い夜の出来事だった。そんな馬車と騎士を見守る人影が二つ、アートン城の西の居館の最上階にいた。


「レイモンド……聡明に育ったものだ」

「お爺様……レイとアーヴィルは……」


 明かりを落とした公爵マルコナの居室。そのベランダから西を見るのはアートン公爵マルコナと一人の若い娘。娘はレイモンドと同じような金髪碧眼の持ち主だが、その金糸のような艶のある髪は、今、微かな月の光を受けて灰色に染められている。


「イナシア……心配か?」


 イナシアと呼ばれた若い娘は老公爵の問いかけに何とも言えない表情となる。彼女はドルフリーの娘、つまりマルコナの孫である。今年で二十三歳の美しい姫は、アイナス王妃の生まれ変わりと言われるほどの美貌の持ち主だ。まるで開いたばかりの大輪の花のように瑞々しく、匂い立つような魅力を放つ女性であるが、今はその表情を曇らせている。


 そんなイナシアが可憐な口を開く。


「私には……お父様の考えることが分かりません。ただ、レイと……アーヴィルが心配なだけで」


 そう言う孫娘の横顔を見詰めるマルコナ。公爵マルコナは孫娘が随分前からレイモンド王子の守り役である騎士アーヴィルに対して特別な気持ちを持っていることは承知していた。一方アーヴィルの方は主従の掟をかたくなに守っているのか、それとも本当に気付いていないのか、定かではない……


「もしも……もしもドルフリーとレイモンドが相争うことになったら、お前はどうする?」

「お爺様! そのような恐ろしいこと、聞きたくありません!」


 マルコナの問いは、いたずらに孫娘を戸惑わせる目的のものでは無かった。いつかそんな時が訪れた場合に備えよ、という意味なのだ。しかし、その意味を受け止めるにはイナシアは繊細過ぎた。


 明かりを落とした部屋にか細い嗚咽が響く。


「済まなかったな、レイモンドにはアーヴィルが付いておる。心配は無い。お前はもう寝なさい」


 マルコナはそう言うと一つ手を鳴らす。扉が開き室内に控えていた侍女がベランダへ入って来るが、身を屈めて嗚咽するイナシアの様子に驚いた表情をする。


「気が昂ぶっているのだ……温かい物を飲ませて休ませるように」

「はい」


 侍女は言葉少なに応じると、イナシアの腕を取り外へ連れ出して行った。その一部始終を見守ったマルコナは、再び視線を西へ転じる。夜の闇に紛れた馬車は、既に見えなくなっていた。


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