Episode_11.03 旅ゆかば
アーシラ歴495年6月 コルサス王国国境付近
東西に続く街道は、かつて頻繁に隊商が行き来し、その往来を当て込んだ宿場町が三十キロメートル毎に在ったというが、それは昔の話である。今は街道の両脇に伸び放題となった背の高い草が生い茂り、路面は荷馬車の
空模様は相変わらず、既に初夏といっても良い季節なのに、雨のち薄曇りという日々が続いている。そんな空の下、馬に乗った二人連れの旅人が荒れた街道を東へ進んでいる。
「なぁユーリー、そろそろ国境を越えるくらいだよな?」
大柄な青年が、隣の轍を進む青年に声を掛ける。その姿は、灰色掛かった麻地の外套を纏い、頭もすっぽりとフードに覆われているが腰の辺りからは長剣を納めた鞘が飛び出している。そんな彼の乗る馬は、乗り手同様に大柄で如何にも馬力が有りそうだ。その栗毛色の馬体には、最低限の野営道具と携帯食料の入った袋、それに大振りの
「ヨシン、地図くらい自分でみてよ」
「へへ、悪い」
「……あと一時間も進めば、国境線代りの小さな川に出るはずだ」
ユーリーは相棒ヨシンの言葉に少しの抗議をした後、その悪びれることの無い返事を聞きながら、懐から折り畳んだ地図を取り出す。念のため確認するのだ。その格好はヨシン同様だが、跨った馬は黒毛だ。そして、馬の背に括り付けた荷物もヨシンと同じような物だが、斧槍の代りに短弓と矢筒が括りつけられている。そんなユーリーは地図を見つつ、これまでのことを思い出していた。
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ユーリーとヨシン、今年の四月に
そんな状態で旅をすること二か月余り、二人の青年はどうにか旅人の姿が板に付いて来たように見える。特に先月初めにデルフィルの街中で出会ったスカース・アントとその元部下ゴーマスの指摘と協力によって、今の二人は何処から見ても傭兵か冒険者にしか見えない。
まず、深緑色だったウェスタ侯爵領哨戒騎士団仕様の
「なかなかいいぞ、二人とも貧乏臭くなった」
とは、デルフィルのドワーフ鍛冶職人を手配してくれたスカースの言葉だった。その言葉が示すように、今の二人は如何にも荒野を彷徨う旅人といった風情である。
勿論ユーリーもヨシンも開拓村出身の平民である。身なりが貧乏臭くなる事には全く
「でも、そんな状態の奴が馬に乗っているというのは釣り合いが取れないな……馬は置いて行った方が良い」
というゴーマスの言葉には全力で猛反対したのだった。なぜなら二人の乗る馬は、恩人であり剣の師とも言えるデイルとハンザ夫婦、つまりラールス家の上等な軍馬だったからだ。それは、ガルス中将、筆頭騎士デイル、そして妻のハンザからの贈り物だった。手柄を評価されるどころか、言い掛かりに近い罪を着せられ政治的な決着点として追放同然に王都を後にした若者達に対する心尽くしの
「……仕方ないな、騎士にとって馬は相棒か……せめて馬具を貧相にするか……」
話の分かるスカースは、反対する二人の剣幕に押し切られた風でもあったが、そんな妥協点を見い出してくれたのだった。そして、彼が知っている情報も惜しげも無く提供してくれた。
「君たちは知っておいた方が良いと思うが、先月、王子派の軍が王弟派の軍と
ユーリーとヨシンにとっては、重大な情報だった。ハッキリと決めた訳では無かったが、デルフィルとの国境に近い場所、アートンという内陸の都市に本拠地を構える王子派の様子を伺った後に、首都コルベートに本拠を構える王弟派の様子を見ようと思っていたのだ。
「両軍の損害は僅差だったが、僅かの所で王子派の踏ん張りが足りず、首領であるレイモンド王子を頂いた本隊が退却……それでアートンの王子派軍は潰走したのさ」
散々手を尽くしてユーリーとヨシンに便宜を図ってくれたスカースには、何か別の思惑があったようだが、結局この二人に何かを頼むという事はしなかった。ただ、アント商会がウェスタ侯爵家から受けた恩義と便宜へのささやかな返礼と、
「私は、君たちのことが気に入ったよ……もしも騎士以外の仕事に興味があるならば、いっそのことウチの密偵部で雇いたいくらいだ」
というスカースの言葉が示すように、個人的な好意によって、ユーリーとヨシンは多大な援助を受けていたのだった。
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「それにしても、スカースさんて、いい人だったな」
「ああ、でも何か、言いたそうで言えない、っていう雰囲気があったからそれが気になるんだよね」
「そうだったか? ユーリーの考え過ぎだろ」
純真なヨシンの言葉にユーリーが返事をする。そんなユーリーの返事が示すように、彼はスカースが何度か「何か言いよどむ」雰囲気を発していたことに気付いていた。しかし、スカースほどの鑑識眼を持たないユーリーには、それが何を意味しているのかまでは分からなかったのだ。結局は、
(気にしてもしょうがないか……)
と思い、
そんな道中の二人はやがてデルフィルとコルサス王国の国境となっている小さな川に差し掛かった。渡し船の必要がない川幅五メートル程度の浅い川だ。そして、そこには簡易的な関所が設けられている。
「とまれー!」
少しやる気のない風の関所の兵が声を駆けて来る。デルフィルの兵士のようだった。その声を合図に十人程の兵が掘っ建て小屋のような関所の建物から出てくると、近づくユーリーとヨシンを制止させるのだ。
「随分と物騒だな」
「馬を下りろ! 鑑札は持っているか?」
ヨシンの言葉を無視した兵士が二人に下馬を求める。他の兵達は穂先を向けることはしないが、その手に槍を持った状態だった。特に抵抗する理由もないユーリーとヨシンはその関所の兵士の求めに応じて下馬すると、冒険者鑑札を差し出す。
「ユーリー・ストラス、ヨシン・マルグス……二人ともリムルベート王国出身か?」
「そうです」
ユーリーの鑑札に書かれた姓はメオン老師のものだ。一方ヨシンの鑑札に書かれたのは「芋子爵」として有名になったマルグス子爵の名前である。本当は二人とも姓に当たるものは無いのだが、鑑札を得るためには身元保証人が必要なため、このような姓を名乗る事にしたのだった。勿論夫々の保証人の了解は取り付けた上での話である。
しかし、一介の国境警備兵には、その名前に心当たりがあるはずも無かった。そのため、形式的な質問が続くのだ。
「目的地は?」
「アートン経由でターポへ出て、それからベートを目指すつもりです」
「ベート? 目的は……職探しか?」
「そんなところです」
会話の途中で鑑札を受け取った兵士が、それを二人に返す。しかしその兵士の手は鑑札を返したあともひっこめられることなく、二人の前に差し出されていた。その様子にユーリーは苦笑いをかみ殺すと、懐から銀貨を人数分取り出して、その兵士の差し出されたままの手に握らせるのだった。
「若いのに話が分かるな……」
「何処も同じようなものですよ」
「そうか、通っていいぞ」
その言葉でユーリーと不満そうなヨシンは自分の馬の所へ戻り掛けるが、ふとユーリーは足を止めて兵士の方を振り返ると、問いかけた。
「そう言えば、ここまでの道中で、コルサス側から来る人を見かけなかったけど、何かあったのですか?」
「ああ、二週間前から鑑札を持たない越境者を取り締まっているんだ。まぁ、追い返すだけだが。連中、お前らと違って話が分からないし、金も持ってない。だからここ三、四日は誰も通していないよ」
地獄の沙汰も金次第、という言葉があるが、この国境も結局「金次第」のようだった。恐らく、街に留まる難民が急増し、治安の維持が危ういと感じたデルフィルの判断でそうなったのだろう。
「コルサス側から来る人は結構多いのか?」
とはヨシンの質問である。賄賂を取る兵士の態度に気分を害したのか(又は易々と賄賂を払ったユーリーに腹を立てたのか)少し棘のある口調だった。対する兵士は両手を肩の上に持ち上げるような仕草をして見せる。
「今週初めまでは、毎日数十人来ていたけどな。鑑札がないと通れないと知れ渡ったのか……最近は余り来ないよ」
「そうですか……ところでコルサス側の次の街まではどれくらいあるか、分かりますか?」
「ああ、馬で行けば日暮れには着くだろうよ。一本道だ、迷う事もない。でも……」
「でも?」
「最近鑑札を持った隊商達が、頻繁に野盗に襲われているらしい……コルサスの連中もいよいよ食い詰めて来たんだろう、物騒なことだ」
「……」
どこか他人事のように言う兵士に、流石のユーリーも少し頭に来た。しかし、ここで揉めても始まらないと、自制心で怒りをやり過ごす。そしてチラと隣を見ると、案の定ヨシンも同じような様子だった。
国境を閉じるのはデルフィル側の自由だし、それを采配したのは目の前の兵士達では無いのは分かっているのだが、どうしても、行き場を失った人々の事を考えてしまうのだ。
「ヨシン……行こう、な?」
「……わかった……」
「お前達も気を付けなよ。特に鑑札を奪われたら、お前達も帰って来れなくなるんだぜ」
馬の手綱を引いて徒歩で川を渡る二人の若者の後ろ姿に、関所の兵の声が掛かった。しかし、その声に二人の若者は返事もせずに川を渡り切ると、背の高い草に紛れて、その姿は見えなくなったのだった。
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デルフィルの中心街、港から続く大通りと、都市への出入り口である東西の門を繋ぐ大通りが交差する場所にアント商会デルフィル支店の瀟洒な建物がある。白っぽい色調で整えられた三階建ての石造りの建物だ。その一階は、商談に訪れるデルフィルや隣町のダルフィルの商店主のための応接室や、小口の輸送物を受け付ける窓口となっており、二階は従業員の事務仕事の空間となっている。そして三階はスカース・アントが占有している状態だった。その三階の一室で、重厚な樫材でつくられた執務机に着くスカースは、しかしどこか浮かない表情を隠そうともせず、盛大に溜息を吐いていた。
ギョロ目に低い鼻、
彼の頭の中には二日前にデルフィルを後にしたユーリーとヨシンの事があった。彼等が主家であるウェスタ侯爵家から受けた処遇については、恐らく彼ら自身以上にスカースは良く
「どうしたのですか? 先ほどから溜息ばかり」
「うん……いや、なんでもないさ……」
そう言って声を掛けてきたのは、父の代からアント商会に勤める老齢の女性だった。サッと淹れたばかりの熱い茶の入ったカップをスカースの机に置いた。
「マルチナ……人に惚れるってことが……あるんだなぁ」
「まぁ、坊ちゃま。お好きになった女性が出来ましたか」
マルチナの早合点した言葉にスカースは頭を振る。前々から適齢期のスカースが何処の名家の子女と婚姻するかは、ちょっとした話題になっていたので、マルチナという中年秘書は少し早合点したのだろう。しかし、そんな言葉を咎める気にもならないスカースは、やんわりと言う。
「女性か……いっそ彼等が女ならばな……しかし、
呟きのようなスカースの言葉にマルチナは眼を細める。そして、それ以上何も言わずにスカースの執務室を後にするのだった。
(ユーリーにヨシン、あの二人が私の手下になってくれたら……どんなにか心強いか)
スカースは思う。今、自分が抱えている企み事に彼等を巻き込まなかった理由についてだ。
(彼等を「そっとしておきたかった」……いや違うな、彼等なら、私の思いもつかない動きをしてくれそうな……私はそんな期待をしているのだな……)
ゴーマス隊商が「貴婦人」を受け取るのは一週間後の事だ。そのころユーリーとヨシンの二人連れも順調ならばその附近に居るだろう。運命が噛み合えば、彼等は自分の企みの中に自らやって来る。
(全ては「幸運神」フリギアの思し召しのままだな)
そう思い、スカースは机に置かれたカップを手に取ると、少しぬるくなった茶を一口すする。瞑目した瞼に浮かぶ快活な二人の若者の姿は、鼻腔を抜ける茶の芳香とともにスッと霧散していった。
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