Episode_11.02 デルフィルの夜Ⅱ


 アリサは店の隅のテーブルから戻った後、女将の小言を聞き流しつつ別の料理を別のテーブルへ運んでいた。


(お客さん満員なのは良いけど、もっとテーブルの間隔を開けて欲しいなぁ)


 という事を内心で考えている。アリサだけでは無い、最近働き始めた少年少女の給仕達は皆同じように考えていたのだが、


「慣れればどうってことないわよ!」


 という女将の一言で、皆の意見は敢無く却下されていたのだ。「海の金魚亭」の主人は料理人気質で、余り接客の事には口を出さない。精々自分の作った料理の名前が客にちゃんと伝わることを気にする程度だ。そしてそれ以外の全般はくだんの女将が仕切っている。何事にも口煩く、ガメツイ女将が席数を減らしてまで給仕達の働き易さに気を配るはずは無かったのだ。


(あと、三時間……頑張らなくっちゃ)


 店の二階の奥で、住み込みで働いているアリサには幼い弟が二人いた。コルサスから流れてきた人々の多くがそうであるように、アリサの両親は戦いに巻き込まれて数か月前に死んでしまった。当時は途方に暮れたが、生きている者は生き続ける義務がある。芯の強いアリサは自分が弟二人の面倒を見ると決心し、一念発起、国境を越えてデルフィルを目指した。最近景気が良く、職には困らないという噂を聞いたからだった。


 そして上手く職には有り付けたが、思った通りというべきか、日々の暮らしは貧しいものだ。月々の給金は銀貨七枚だが、そこから色々と費用を差っ引かれると手元に残るのは銀貨五枚がやっとであった。それだけに、先ほどの客がくれたチップの銀貨二枚は大金ということが出来る。


(変な勘違いして、あのおじさん怒ってないかな?)


 片手の盆に飲み物の入ったコップを載せ、もう片方には料理を満載した盆を持つ。そうやって混みあった店内を縫うようにして進むアリサはふと、そんな事を考えるのだ。弟達の将来を考えると、今のままこの店で給仕の仕事だけでやって行ける自信は無かった。もう少し稼ぎの良い仕事をするべきだろうか? そんな事を常日頃から考えていたからこそ、先ほどのような勘違いをしてしまったのだ。


(嫌だって……言ってられないのよね……)


 稼ぎの良い仕事、手に職の無い少女に出来るそんな仕事と言えば一つしかない。現に両親が健在だったころ、コルサスの王子派寄りとされたストラの街で暮らしていたアリサにとって、そんな仕事をする女性達は隣人であった。若い者では十六歳から、自分とそれほど変わらない歳の少女が夕方近くなると路地に立つ。そして、長く続く内戦で疲弊し荒んだ兵士達を相手に慰めの代償として生活の糧を得るのである。


「はぁ……」


 そんな少女と自分を重ね合せると、アリサは自然とため息を吐く。その時――


ドンッ


 店の出入り口近くのテーブルで、下品な話題に盛り上がっていた水夫の格好をした四人組。その一人が大仰な手振りで何かを説明している、その手がアリサにぶつかったのだ。弾みで、飲み物を載せた盆の上でコップの中の酒が跳ねると、飛沫が男の禿げあがった頭に掛かった。


「あ、す、すみません!」

「なにしやがるんだ! このガキッ!」

「きゃっ」


 話の腰を折られた水夫は、太い腕で乱暴にアリサを突き飛ばす。大の男に突き飛ばされたアリサは抗うことも出来ずに、小さな悲鳴と共に床に倒れ込む。寸前で何とか手に載せた盆の中身が他の客に掛からないようにするが、そのお蔭で熱い魚介の煮込みが鍋ごと突き出した男の腕に掛かった。


「あっちぃ!」

「ばかだな」

「ハハハハッ」

「間抜けか、おまえは」


 思わず悲鳴を上げる男に、連れの三人が余り上品とは言えない笑い声を上げる。当然、それだけで済むはずがなかった。鍋の中身をひっ被った男は、酔いの勢いも手伝ってだろう、日に焼けた顔を真っ赤にすると立ち上がる。手には、自分に向って中身をぶちまけたばかりの土鍋を持っている。


「このクソガキが!」


 語彙の少ない男は、同じ言葉を繰り返しつつ手に持った土鍋を振り上げる。そのまま床に倒れ込んだアリサへ叩き付けるつもりなのだ。その様子に、周囲のテーブルの客達は心配気な視線を投げかけるが、誰も激昂した男を止めようとする者は居なかった。


****************************************


「――ったく、この宿の食堂、夜は凄く混むの忘れちゃったの?」

「そんなこと言ったって、土地勘が無いんだから道に迷ったのは仕方ないだろぉ……」


 店内の緊張をまるで無視するような会話を交わしながら、二人の客が「海の金魚亭」の扉を潜り中に入って来る。その二人連れはまだ若い風貌をしているが、見た目が冒険者か傭兵といったよそおいだ。二人揃って似たような深緑色の軽装板金鎧ライトプレートを身に着けているが、二人とも同じように胸甲の左に掻き削ったような跡がある。赤髪の大柄な青年は柄拵つかごしらえも無骨な長剣を腰に差している。そしてもう一人の、線が細く、この辺りでは珍しい黒髪の青年は、優美な護拳の付いた片手剣を腰に差して両手には黒金に光る手甲ガントレットを着けている。この店の二階にある宿の泊り客だろうか?


「大体なぁ、今更そんな初歩の魔術書なんて買ってどうするんだよ? 金の無駄……」


 大柄な青年が言い掛けるが、もう一人の黒髪の青年に制止される。そして直ぐに、店の出入り口近くで繰り広げられている騒動を見て取るのだ。一方、連れの言葉を遮った黒髪の青年は、目の前の光景にスッと身体を動かしていた。


「このクソガキが!」


 青年は、水夫風の大男が振り上げた土鍋と、床に倒れ込んだ給仕の服装をした少女の間に音も無く割り込むと、


「オイ、それでどうするつもりだ?」

「なんだよ、邪魔するな。どけよ!」

「どうするつもりか? と聞いているんだ」

「うるせぇ、このクソガキにお仕置きするん……ぐぇ」


 右手に土鍋を掴んだまま大男が喚くが、その言葉が途中で不自然に途切れた。見れば、黒髪の青年が、腰に差した剣の柄頭を大男の鳩尾に突き込んでいたのだ。


「うぐぇっぇ」

「な、何しやがる!」

「てめーやるのか!」

「上等だぜ!」


 大男の連れ、三人の水夫風の男達がその光景に席を蹴るように立ち上がる。全員が船乗り御用達の片刃の短剣カットラスを手にしている。突如として起こった刃傷沙汰に、周囲のテーブルの客からどよめきが上がった。しかし、それを気にした様子の無い黒髪の青年は、足元にうずくまった大男の鳩尾に一発、更に顎にも一発、容赦無くブーツのつま先を蹴り込んでいる。


「おい、やめろよ!」


 一応仲間意識があるのだろう、倒れた大男を助けようと水夫の一人が黒髪の青年に詰め寄ると、右手に握った短剣を振り下ろす。


ゴキィ


 黒髪の青年目掛けて振り下ろされた短剣は空を斬る。その代わり、短剣を握った男の顔面にはその青年の手甲ガントレットが鈍い音を立ててめり込んでいた。鈍く黒光りする金属製の手甲で顔面を殴られた男は、糸が切れたように、その場 ――先に倒れた大男の上―― に倒れ込む。そして、


「やめとけ、やめとけ。怪我するばっかりだぞ」


 大柄な方の青年は苦笑いを浮かべながらそう言うと、無骨な長剣を鞘ごと剣帯から外し、背後から黒髪の青年に斬りかかろうとしたもう一人の水夫の右手首を鞘に入ったままの長剣で叩く。軽く叩いたように見えたが、可也かなりの衝撃だったらしく、その水夫は短剣を取り落とすと腕を抱えて悶絶する。


「あ……え、えぇ……」


 あっと言う間に三人の仲間が倒された光景に、残った一人は言葉にならない驚きの声を上げる。そこへ、


「このテーブル、譲って貰っても良いか?」


 と、赤髪の大柄な青年が言うのだった。


「あ、はい……ど、どうぞどうぞ。好きに使って下しあ……」


 残った男は態度を一変させると、顔面に卑屈な愛想笑いを貼り付かせて言い掛けるが、途中で黒髪の青年の方と目が合い、舌を噛んだようになる。


「……お友達も忘れずに連れていって、あとお勘定も忘れちゃいけないよ」


 水夫の怯えたような視線を受けて、黒髪の青年は無表情に近かった表情をフッと緩ませると、静かな声で男に言い含めるように言う。そして、床に倒れ込んだ少女の隣へ屈みこんだのだ。


「君、大丈夫かい?」

「あ、はい、大丈夫です」

「ここは僕が片付けるから、このテーブルのお客さんはお帰りだよ、お勘定をしてあげて」

「は……はい」


 アリサの目には、倒れ込んだ自分と同じ目線の高さに屈みこんで、床に散らばった料理の残骸を拾い集める黒髪の青年の様子が映っている。その様子は親切な青年、といった風で、先ほどアッと言う間に大男を倒してしまった姿とは、余りにも落差があり過ぎた。


「怖かったかい……もう大丈夫だよ」


 そんなアリサの様子を察したように、床を片付ける青年が目を落としたままで言う。


(あ、お礼を言わなくちゃ……)


 と、止まり掛けたアリサの思考がそう訴えかけた時、


「お会計は銀貨二枚になりまぁす! はい、確かに頂戴しました。もう来なくて結構ですよ、ごきげんよう、さようなら!」


 と言う女将の声が頭上から聞こえてきた。そして、


「アリサッ、大丈夫かい? 大丈夫なら、お客さんに後片付けさせるんじゃないよ、って大丈夫です! いま片付けますから!」

「……」


 存外心配そうな女将の声にアリサは我に返る。そして、床を片付ける姿勢のまま、店から転がるように飛び出ていく男達に向け何やら右手の指を動かしている黒髪の青年の左腕を抱えるようにして立ち上がらせると、自分も立ち上がる。そんなアリサの目に飛び込んで来たのは、テーブルに並んだままの先客の皿を女将と取り合いしている(恐らく片付けようとしていた)赤髪の大柄な青年の姿だった。


(なんだろう、変わった人達だわ……)


 客なのに、率先して後片付けをする二人連れの若者。危ないところを助けたにもかかわらず、恩着せがましいところ一つ無い様子に、アリサの感想は素直だった。そこへ、


「君たち、腹が減っているんだろう。どうかな? こっちのテーブルで一緒に食べないか?」


 店の隅のテーブルに陣取っていた青年と中年の二人連れがいつの間にか近寄っていたようで、二人の若者へそんな誘いの言葉をかけるのだった。その言葉に二人は顔を見合わせるが、一拍おいて笑顔になると、


「良いんですか? 有難うございます」

「ホント、一日中歩きづめで腹ペコなんです」


 と言う。その砕けた感じが、先ほどの四人組を追い払った様子と全く違うものだから、テーブルの後片付けに取り掛かったアリサはつい吹き出してしまった。そんな少女の笑い声が、緊張の解けた周囲のテーブルに広がると、店の雰囲気は剣呑さとは程遠い明るい雰囲気に戻るのであった。


(ほんと、変わった人達だわ……)


 アリサは、店の隅のテーブルに誘われる二人の青年の後ろ姿を見ながら、改めてそう思うのだった。


****************************************


 ゴーマスは、表面上は穏やかな表情を浮かべるように苦心しているが、頭の中は疑問符が埋め尽くすのを感じていた。それは、同じテーブルに着いて遠慮無く料理を突っついている二人の青年に向けられたものだった。


(なんだこの若者達は? あの落着き……抜身の武器を目の前に至って自然体。余程の修羅場を経験したのか……それともただの鈍感か?)


 ゴーマスは、元アント商会の密偵部門元締めだけあって腕っぷしは立つ。今の元締めのギルはどちらかと言うと荒事は苦手として、部下に任せているが、ゴーマスの代では彼自身が先頭に立って事を処理することもあった。剣でも短剣でも、場合によっては槍でも弓でも使うのがゴーマスという男だった。


 そんな彼の目から見た若者達の身のこなしは「熟練の戦士」顔負けのものだった。自分なら、相手が刃物を持ち出した時点で剣を抜いていただろうと思う。そうなれば、店に多大な迷惑が掛かるのは必定だった。それでも、先ほど給仕の少女の悲鳴を聞いた時は、そうなる事も仕方ないと思い、力尽くで止めに入るつもりだったのだ。それを、


(あんなにもあっさりと片付けるとはな……)


 感嘆というよりも、すこし怖いものを見る目で、ゴーマスは目の前の二人の若者を見るのだ。


 一方で、そんな視線に気付いているのか、いないのか、二人の若者は皿に一匹だけ残った海老の炭火焼を巡ってお互いを牽制している。お互いに相手の視線と手の動きに気を配りつつ隙を伺っているのだ。その時、黒髪の青年の視線が、赤髪の青年の肩口からフッ逸れる。そして、


「あれ、あの娘マーシャにそっくりだ!」

「え、どこどこ?」

「頂きます!」

「あっクソっ。やられた」


 黒髪の青年の言葉につられて視線を後ろへ向けようとした赤髪の青年。勝負はあっさりと決していた。満足気な表情で海老の頭を外し、殻ごと身を口に放り込む黒髪の青年に対して、もう片方は絵に描いたような悔しそうな表情を浮かべている。仲の良さが見て取れる光景だった。


「取り合いしなくても、また新しいのを頼めばいいさ」


 そんな二人の様子にスカースが言葉をかける。その言葉に、未だ海老が口の中にある黒髪の青年は頭を下げるだけだが、赤髪の青年はスカースの方を見て言う。


「すみません、ご馳走になります!」


 因みに、スカースもゴーマスも一言も「ご馳走する」とは言ってないのだが、赤髪の青年は中々都合の良い・・・・・性格をしているようだった。そして、その一言を残すと自ら席を立ち、給仕の少年を捉まえて何やら注文をしている。そんな姿を目の端に捕えつつ、スカースは一人残った青年に問い掛ける。


「ところで、君たちは旅の途中かい?」


 その問い掛けに、口の中の海老を呑み込んだ黒髪の青年が答える。


「はい、西の方はしばらく戦争も無さそうなので、東を目指そうかと」

「へー、じゃぁ君たちは傭兵?」

「まぁ、冒険者をやりながら良い働き口があったら傭兵も、ってところです」


 その受け答えに、スカースは目の前の青年が嘘を吐いていることを見抜いていた。父親ジャスカー譲りの鑑識眼だが、それに依らなくてもスカースがそう思うには理由は幾つかあった。


 先ず、青年達の身に着けている甲冑である。そもそも並みの傭兵では買い求めることの出来ない仕様・・のものだ。軽装板金鎧はちまたにも数多く出回っているが、各自の体型に合わせて、体の動きを妨げないほど精巧に調整されているものは滅多に無い。次に、その甲冑の胸にある、削り取ったような跡だ。恐らく主家の紋章を削り取った、不名誉証と俗に言われるものだ。それは、離反、不服従、逃亡等をした騎士に与えられる不名誉の証しだ。多くの者はその証を消そうと甲冑に塗装をしたり、傷を磨き消したりするのだが、目の前の青年は恥ずかし気もなくそれを晒している。他にも色々と目に着く点があったが、何よりもスカースに「嘘を吐いている」と思わせたのは、目の前の青年の目の輝きだった。


(傭兵や冒険者、日々の生活が荒みやすい連中には無い目の輝きだな……)


 一方、スカースの探るような質問の受け答えする黒髪の青年は至って普通の調子でその質問に返事をすると、逆に質問を切り出してきた。


「お兄さんは商売の人? そちらの方は隊商主に見えますけど」

「ははは、鋭いね。私はこの街でちょっとした店をやってるんだ。親の七光りだけどね」

「じゃぁ、東の方の事には詳しいですか?」

「まぁ、そこらを歩いている人よりは詳しいと思うよ」


 それから、黒髪の青年の質問がしばらく続いた。東、特にコルサス王国の内戦の現状に関する質問が主だった。そんな質問に答えるスカースは、頭の中で目の前の青年の正体について徐々に当たりを着けていた。だから、質問の終わりに鎌を掛けてみることにした。


「それはそうと、アルヴァン様・・・・・・はお元気かな?」

「……なんのことでしょう?」


 至って普通に「何のことか分からない」風の返事をする黒髪の青年だが、一瞬その目が左上を向いた。反応はそれだけだったが、スカースにはそれで充分だった。


「心配しなくてもいい、私はスカース・アント。ジャスカー・アントの息子だよ。今回の件は何となく・・・・伝わっている。干渉はしないが、幾つか忠告したい事があるんだ……それに出来れば……まぁ、色々力になれることもあると思うよ」

「……はぁ……」


 ギョロリとした目に低い鼻という顔に愛想の良い笑みを浮かべたスカースは、何か言い掛けるが、途中で止める。そして、当たり障りのない言葉でその間を取り繕うように言うのだ。一方、それを聞く黒髪の青年は返事に困ったような顔で相槌に近い言葉を返すだけになる。そして二人の視線は、相手の腹の内を探るように一瞬だけ絡み合う。剣呑さとはまた違う緊張感がテーブルを支配していた。


「あ、あの……どうかしたのか?」


 そんな様子のテーブルに戻って来た赤髪の青年は、平たく浅い鉄鍋で米と魚介を一緒に炊いた料理を片手に載せつつ、テーブルの三人に声を掛ける。しかし、返事を貰えなかったため、テーブルに戻っていいのか分からない風情で立ち止まる。そして、立ったまま木匙で鉄鍋に入った米料理を掬うと直接口に運ぶのだった。


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