【コルサス王国編】悲裂の大国

Episode_11.01 デルフィルの夜Ⅰ


アーシラ歴495年5月 独立都市デルフィル


 夕暮れ時を少し過ぎ、春の空気は急激に冷気を帯び始める。例年ならば、一年で最も過ごし易いと言われる晩春の季節であるが、今年は冷え込みが長く続き、街を行き交う人々は一枚上着を多く着ている状態だった。


 そんな季節、そんな時刻、港湾地区に続く大通りは、仕事帰りの人々でごった返している。殆どが、デルフィル港で働く海運業に従事している人々だ。逞しい労働者もいれば、水夫の格好をした者もいる。大通り沿いに出た屋台に足を止める者も居れば、目当ての飲み屋に駆け込む者もいる。そんな人々の顔には一日分の仕事の疲労が浮かんでいるが、何処か明るい雰囲気と、通り沿いの屋台主の上げる威勢のいい売り声、それに同じく通り沿いの飲み屋から聞こえてくる機嫌の良い酔っ払いの声が相まって、暗澹あんたんとした雰囲気は感じられなかった。


 そんな賑わう大通りの光景からも見て取れるように、今デルフィルは約二十年振りの好景気に沸いていたのだ。


 独立都市デルフィル。双子の都市である内陸のダルフィルと併せて、海運と陸運の要衝といえる土地にあるこの都市は、長らく二つの大国 ――西のリムルベート王国と東のコルサス王国―― の間で中立を保ってきた。それら二つの大国にとっては、お互いに直接国境を接しないようにする緩衝地帯としての役割がある一方で、前述の通り東西の交易を橋渡しする重要な場所に位置した都市がデルフィルなのである。


 政治的には中立であるが、経済的には両大国との結び付きはとても緊密なものである。そのため、交易で賑わう街の人々の暮らしは比較的裕福なものだったという。しかしそれは、十九年も昔の話であった。


 十九年前、コルサス王国は前王ジュリアンド・エトール・コルサスの急死を受けて、その弟であるライアドール王弟派と、当時生後数か月のレイモンド王子を擁立する王子派の二つに分かれて覇権を争う内戦状態へ突入したのだ。世にいうコルサス王国内戦である。今も決着の付かない内戦の結果、陸路による物流が不便となり、デルフィルは痛手を受けていた。


 そして次は十年前、リムル海の島嶼と沿岸都市によって結成された四都市連合が台頭すると、強力な海軍力に裏付けされた四都市連合の海運勢力に押される形で、デルフィルは海路による交易でも不利を強いられるようになった。特に中原からの交易船がカルアニス経由でリムルベート王都へ直接乗り入れるようになってからは、デルフィルの海運業界の勢いは目に見えて弱くなっていた。それ以後十年、リムルベート王国の配慮による、戻り船の中継港としての役割で何とか食い繋いでいたのがデルフィルという都市だったのだ。


 そんな状況を一変させたのは、昨年起こったリムルベート王国の王都を揺るがすクーデター事件だった。四都市連合の明白な軍事介入を受けたリムルベート王国は一時的にそれらの都市からの船の入出港を禁じる命令を発していたのだ。そして、その禁令がデルフィルの景気に奏功することになった。


 昨年末から急遽増加した王都リムルベート向けの復興物資の需要は、中原地方はもとより、リムルベートと敵対したはずの四都市連合からも物資を呼び寄せることとなった。そして、それらはデルフィル港に集結すると、そこからインヴァル半島の沿岸を周回し、四都市連合の一角であるインバフィルの沖合を素通りしてリムルベートやノーバラプールへ乗り入れる航路を取るのだった。また、一部の物資は陸上を行く隊商によって運ばれることもあった。近年海運に主役の座を奪われつつある陸上交易路だが、日程が読みやすく、荷が手元に届くまでは隊商主が荷物に責任を持つという古風な商習慣によって一定の需要を取り戻していたのだ。


 上向いた景気は、周辺から人々をデルフィルに呼び寄せる結果となり、集まった人々が新たな需要を生み、それを目当てに更に人が集まる。そんな好循環にあるのが今のデルフィルという都市なのだ。


 そんなデルフィルの大通りから一本奥に入った細い路地に「海の金魚亭」という酒場と宿屋を兼業している中規模の店がある。古くからこの場所に店を構えるデルフィルでは老舗の部類に入る店だ。景気が良くなる前から、周囲の似たような店と比べると少し高めの料金設定で、その代わり酒と料理を、格と値段が高い他の高級店と比較しても遜色のない品質で提供することで周辺の住民にはそれと知られた店だった。そんな「海の金魚亭」は好景気で懐事情が温まった人々で連日大賑わいといった状況なのである。


 そんな店内は一階が食堂兼酒場で、四人掛けの丸テーブルがところ狭しと置かれている。しかも殆ど満員状態で、喧騒に包まれたテーブルの間を行き来する給仕の少年少女は正に、人を押し退けるようにしながら各テーブルに飲み物と食べ物を運んでいる。


 そんな店の一階の角に、二人の男が陣取ったテーブルがある。テーブルに着く二人の内一人は、二十代半ばだろうか? 引き締まった身体に上等だが華美ではない服装で装った……しかし余り美男子とは言えない若者だ。ギョロっとした目つきに低い鼻で、愛嬌があると言えない事もないが、悪い意味で人目を惹きそうな顔つきをしている。しかし、その表情や振る舞いに下品な所は見られない。一方、その若者に対面で座るのは筋骨逞しい五十絡みの中年男性である。こちらは如何にも「隊商主」といった出で立ちで、実際コルサス国内の街ダーリアとの交易を終えてデルフィルに戻ったばかりの人物であった。


 対面して座る二人は、賑やかな店内に反して言葉少ない。お互いに相手の手の辺りに視線を置いているのだ。ちょうど、話す切っ掛けが見つからない、といった風情である。そこへ、注文していた料理を運んだ給仕の少女がやってくる。年の頃なら十五にもならないくらいだろう。まだ、あどけなさの残る顔に商売用の笑顔を張り付けてテーブルにやって来る。


「おそくなりましたぁ、マテ貝のバター蒸しにアカザ海老の炭焼き特製ソース掛け……あれ、これなんだっけ?」


 「海の金魚亭」は近海で取れる魚貝類の料理に特に力を入れており、店構えは大衆店ながら、料理は凝ったものが出る。それだけに店主の料理に掛ける熱意は尋常ではなく、給仕達は料理名をしっかり客に告げるのがこの店の流儀なのだった。しかし、この少女の給仕は新入りらしく、運んだ料理の最後の一皿の名前を忘れてしまい、動揺した素振りを見せていた。


「アリサーッ! 次が待ってるんだ、なにやってるんだい!」

「あ、はいっ! 今行きます」


 そんな少女へ、厨房の方から声が掛かる。やや年配の女性が急かすような声を掛けて来たのだ。


「その料理はな、マナガツオの酢橘ライム蒸しだ」

「あ、そうそう、それです、お客さん。どうもすみません」

「なに、いいさ、ほらチップだ。取っておきな」


 中年男の方が、少女の給仕に銀貨を渡す。普通ならば大銅貨一枚が相場だが、銀貨を、それも二枚渡したのだ。少女は手渡された二枚の銀貨を見て驚くが、次いで顔を赤くして怖れるように震えだすと、一拍おいて意を決したように言うのだ。


「あの……お客様、このお店も私も、そういう仕事・・はしていませんので、受け取れません!」

「な……」

「……ぶっ……ははははっ」


 少女の給仕の思い詰めたような言葉に、中年の男は絶句し、対面にいた若者は堪えきれないように吹き出したのだ。そして、若者の方が噴き出した笑いをどうにか押えながら、上気した表情の少女に言うのだ。


「済まないね。この男はそんな気・・・・が合って銀貨を渡したんじゃないんだよ。君は、コルサスの出かい?」

「は、はい……」

「そうか、大変だったろうな……」


 尚も戸惑った様子のまま少女が若者の問いに答える。それを聞いた若者は、ウンウン、と頷くと、中年男の代りに銀貨二枚を乗せたままの少女の手を押し戻す。


「このおじさんにお礼を言って、もう行きなさい」


 その言葉を聞いていたかのように、厨房の方から一層苛立った声が掛かる。


「アリサ! 何やってるんだい! 夕食は抜きにするよ」

「あ、はーい! 今行きます」


 その声に返事をするアリサという少女の給仕は、二人に向かって頭を軽く下げると混みあった店内を縫うようにして厨房へ戻っていくのだった。


****************************************


「……さすがに驚きました。デルフィルであんな歳の小娘から、あんな勘違いをされるとは……」

「結局、景気が良いからさ。昔はデルフィルを素通りしていた難民達が、街に留まり暮らすようになったせいだよ。今の女の子もコルサス出身だって言う、コルサスで見聞きした話から咄嗟に思ったのだろうよ……」


 妙な勘違いをされた中年の男は、目の前の若者に恐縮したように言う。対する若者の方は、どこか老成した雰囲気で言うのだ。そんな若者が更に言葉を続ける。


「今は良い。リムルベートの親父おやじ殿も儲かっているようだし、私の受け持ちの陸上交易も順調だ……リムルベートは強い国だ。復興はあっという間に終わるだろう……しかし」

「しかし、ですか坊ちゃま・・・・・?」

「その『坊ちゃま』というのは、止めてくれないか、ゴーマス? これでもアント商会の陸商部門の責任者なんだぞ……」


 若者はギョロリとした目を剥いて、ゴーマスという名の中年男を見る。別に睨んでいる訳では無いのだが、その視線にゴーマスという男は一回り小さくなったように縮こまってしまった。


「申し訳ありません……スカース様」

「ったく。別に怒ってないよ……で何だっけ? あそうだ、今後だけどな……」


 アント商会陸商部門頭取、スカース・アント。西方辺境地域でも指折りの豪商の跡取り息子だ。その割に、目の前に座る一介の隊商主と気さくに話しているのは、ゴーマスと言う中年男が以前はアント商会の密偵部の元締め、つまり今のギルの元上司に当たる人物だからである。


「コルサスの内戦は、このまま行けば王弟派が勝つだろうが……しかし気になるのはこの冷え込みと……」

「民衆派ですか?」

「そうだ、冷え込みがこのまま続けば今年の秋は間違いなく近年例の無い凶作となる。そこへ、最近動きが活発になってきた『コルサス解放戦線』だ。支配層へ憎悪が向くように焚付けられた民衆の気持ちが、飢饉で暴発すれば……」

「コルサスは焼け野原ですな」

「それにな……どこまで関係があるのか分からないが、ロ・アーシラのアフラ教会が南方のアルゴニアなどから大量の小麦を先物買い・・・・していることが分かっている。彼等にしてみれば不必要な量だよ……あの欲坊主・・・共が何か企んでいるような気がして仕方ない」


 最後の方は呟くような言葉だったので、スカースの言葉をゴーマスは訊き返さなかった。今はそれよりも重要な話があるのだ。


「それで、『貴婦人・・・』は予定通りですか?」

「ああ、予定通りだ……大分ゴネているそうだが……最後は力尽くでも・・・というお話だった」

「ならば、もう一度、今度はアートンですか?」

「いや、アートンとダーリアの中間地点に古い砦があるらしい。そこで受け取り・・・・だとさ」


 スカースよりもコルサスの地理に詳しいゴーマスはその言葉で場所の見当が付いたらしく、一つ頷く。


「では、一か月後……」


 ゴーマスがそう言い掛けた時、不意に店内にざわめきが起こり、剣呑な空気が流れる。そして、一瞬後、皿が割れる音と少女の悲鳴が上がった。


「キャッ」


 ゴーマスは舌打ちと共に席を立とうとする。ゴーマスだけでは無かった、二人のテーブルの周囲を取り囲む別の二つのテーブルに着いていた男達、合計八人がゴーマス同様の雰囲気を醸して立ち上がったのだ。彼等は、主であるスカースが外出する際の護衛役なのである。しかし――


「お前達は、待ちなさい」


 主であるスカースから制止する声がかかる。忠実な男達は仕方なくその声に従うと再び席に着く。その様子を確認したスカースは、ゴーマス一人に対して顎をしゃくって見せる。


(お前が行って来い)


 という仕草だった。


 その合図にゴーマスは、にわかに起こった騒ぎの中心へ向かい、他の席を掻き分けるようにして歩き出す。それと殆ど同時に店の入り口の扉が開く。そして、何事か会話しながら二人連れの若者が店へ入って来た。ゴーマスは、その様子をチラと見ると視線を外し再び給仕の少女がいた辺りへ向けるのだった。


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