Episode_10.33 新たなる旅立ち


 ユーリーは、覚束ない足取りを支えるように路地の壁に手を付く。その様子にリリアは慌てたように、壁を支えにしたユーリーの手を取ると自分の肩に担ぐように回してユーリーが歩くのを助けるのだった。


「ゴメン……ちょっと今日は無理をしたかもしれない」

「……良いのよ……私こそゴメン」

「……」


 サハン男爵の屋敷まで、約二百メートルという道。ユーリーはリリアにもたれ掛るように歩く。なるべくリリアに重みが掛からないようにしたいユーリーだが、急に冷え込んだ外気と長く続いたアズールの話によって予想以上に消耗していたようで、思うように身体の自由が利かなかった。


「まだ、本調子じゃないんでしょ……駄目じゃない歩き回ったりしたら」

「うん……」


 責めるような響きがあるリリアの言葉にユーリーは反論せず素直に謝っていた。


「でも、もしかして……私に会いに来てたりした?」

「まぁ……そうだよ。マルグス子爵の屋敷に寄っていた」

「そう……なんだ……やっぱり、ゴメンね」


 そんな会話をするうちに二人はサハン男爵の屋敷の門に到着していた。驚いた事に、門の前にはチェロ老人が立っており、帰りが遅いユーリーの姿を認めると駆け寄ってきた。


「ユーリーさん、そんな薄着で。こんなに寒いのに……」

「じゃぁ、ユーリー……またね」


 リリアはそう言い残して立ち去ろうとする。しかし、ユーリーは立ち去り掛けるリリアの手を掴んでいた。


「え?」

「……」


 問いかけるようなリリアの視線にユーリーは無言だ。しかし握った手に力を籠める。一方チェロ老人は、若い二人の様子に肩を竦めると、


「早く屋敷にお入りくださいね、この上風邪でもひかれたらかないません……」


 と言って、さっさと自分は屋敷に入っていってしまった。


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 ユーリーは自室となったサハン男爵の屋敷の一室でリリアと対面していた。別に何かを意図して招き入れた訳ではなかった。しかし、わだかまる思いはあったのだ。それをハッキリとさせたい。それは若さ故に沸き起こる青い実直さだったのかもしれない。


 ベッドに腰掛けるユーリーの前、小さなテーブルを挟んで座るリリア。二人の間のテーブルにはチェロ老人が茶を淹れたカップが置かれている。最近王都リムルベートでも買い求めやすくなった飲み物だった。


 しかし、湯気を上げるカップを手に取ろうともしない二人は無言の時間を過ごす。そして無言の時間が流れると、意を決したようにユーリーが口を開いた。


「リリア、俺は、リリアを足手纏いなんて思ったことは無い」

「……本当?」

「本当だよ……だけど、守りきれる自信も無い……」

「私は……守られるつもりは無い。そのはずだった」


 ユーリーの心に蟠るのは、あの時、馬車の下敷きになったリリアが言った言葉だった。あの血を吐くような言葉は、ユーリーの心に深く刻まれている。それを思い出しているユーリーに対して、リリアは言葉を続ける。


「ねぇユーリー。貴方は知ってると思うけど。私……あなたの事が大好きなのよ」


 そのストレートは表現に不意を突かれたユーリーはたじろぐ。


「でも、好きだって思いながら貴方の無事を遠いところから祈り続けるなんて……ちょっと私には無理かな」

「でも……」

「でも、じゃないわ。本当の気持ちよ!」


 決意の滲んだ強い言葉にユーリーは言い掛けた言葉を呑み込む。そして、別の言葉を掘り出すとリリアに投げ掛けるのだ。


「そう言うなら、リリアだって。俺がどんなにリリアの事を好きでいて大切に思っているか、分かっているだろ?」

「わかるわよ。だから辛いのよ」

「……どうして?」

「貴方に庇われたくない。でも貴方と一緒にいたい……私がノヴァさんくらい強ければ……」


 そこで一旦区切ると、リリアは決意を籠めた言葉を語る。それは自分の可能性を信じた、只管ひたすら前へと向かう決意の表れだった。


「だからユーリー……私強くなるから、貴方の隣に立っても決して守られる事の無い、そんな存在になるから!」


 リリアという少女、ユーリーにとって最愛の女性の力の籠った声が部屋に響いた。それを聞いたユーリーに出来ることは少なかった。ただ、折れそうに細い身体を力一杯抱き締めるだけだった。それでも、服の上から少女の身体をなぞる手はそれ以上深入りすることは無かった。冷たい空気を伴った冬を告げる強風が、サハン男爵の屋敷の一階にある部屋の窓をカタカタと揺らし続ける。それを聞く若い男女は時間が経つのも忘れて抱き締め合う。まるで、身体の境界線が無くなれば良いのに、いっそ二人で一つの存在に慣れればいいのに、そんな切なく熱い感情だけが熾火のように二人を温めるのだった。


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アーシラ歴495年1月


「そんな話は納得できません!」


バンッ


 とテーブルを叩く音と共に激昂したアルヴァンの言葉が部屋に木霊する。声の調子が示すように、アルヴァンは珍しく怒って、いやそれを通りこして顔面を真っ赤に染め激昂していた。テーブルを叩き付けた拳はそのまま小刻みに揺れている。それは、彼の怒りの度合いを表現して余りあるものだった。


「もう一度言います! 今回の動乱、治めたのは何を置いてもユーリー。アイツが居なければ今頃国は倒れていた!」


 アルヴァンの言葉は甲高く、裏返る寸前の調子に達している。そしてそれを聞くのはウェスタ侯爵となったブラハリー、そして宮中大伯老という聞きなれない称号をあたえられたガーランドだった。その他に、ウェスタ侯爵の邸宅の奥にある侯爵ブラハリーの執務室にはガルス中将と筆頭騎士デイルの二人しかいない。しかし、この騎士の親子は顔色を無くして激昂する若君の声と言葉の内容を聞くしかなかった。


「アルヴァンや……落ち着け。よいか、なにも罪に問うという訳ではないのじゃ」


 ガーランド大伯老が、孫を落ち着かせるような言葉を吐く。それに便乗するように侯爵ブラハリーも言葉を重ねる。


「我らウェスタ侯爵家は、今回一連の件で余りにも功を積み過ぎた。それは私の不徳の致すところだ。しかし、実際にはリムルベート王国を思って成した事。それはユーリーという騎士・・にも同じだと思っている」

「ならば!」

「黙れ! いいかアルヴァン。敢えて言うが、あの時謁見の間でルーカルトと対峙した面々、その中で一番上位に在ったのはお前だ。本来ならば全てお前に責任がある!」

「くっ……」

「貴族会議は、今回無法の内に王族を討ったことを問題視する風潮にある。それは、すべて強く成り過ぎたウェスタ家の勢いに歯止めをかけるためだ。奴らの精一杯の牽制なのだ。だから奴らは最初、お前を裁判に掛けるべきだと言って来たのだ」

「……ブラハリー、もうちょっと言い方があるじゃろう……」

「いえ、父上……アルヴァンは本当の事を知る必要があります」


 厳しい中に子を思う気持ちのあるブラハリーの言葉は、それを受け止めるだけの度量が息子に有る事を確信しての発言だった。


「今回は折れた、折れてやった・・・のだ。その上で、最終的にユーリーは裁判も死刑も免れた。そして、国外追放を、二年間の東方見聞職と言い換え、任務を与えられるのだ……分かれよアルヴァン」


 ユーリーの知らぬところで、彼の処遇は大きな政治問題に発展していた。ブラハリーがアルヴァンに言い聞かせる内容は真実で、一時「王族を無法に殺害した」としてユーリーを死刑とするべきという声が貴族達から上がったのだった。


 それは、ユーリーの死刑を口実としたウェスタ侯爵家への揺さぶりであった。対処に苦慮したブラハリーは、最大限の根回しを行い、寸前の所で自家の騎士ユーリーの罪を不問に処する確約を得た。アルヴァンに対する口調は厳しいが、侯爵ブラハリーとて、騎士ユーリーや、息子のアルヴァンが取った行動が間違っているとは思っていない。


「クソッ……くそ……」

「わかってくれ、アルヴァン」


 アルヴァンには、父ブラハリーの言葉が重くのしかかっていた。その上で、ウェスタ家を挙げた運動の末、親友の死罪が免れたことも理解していた。だからこそ、自分が不甲斐なかった。


「分かっています!」


 アルヴァンは誰に向けた物でもない言葉を発すると、直立不動の姿勢を取るデイルとガルスの間をすり抜けてブラハリーの執務室を後にしていた。冬の寒さが身に染みるが、一層のこと、この寒さの中何処までも馬を駆りたい衝動に駆られるアルヴァンであった。


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アーシラ歴495年4月


 旅支度を終えた若い騎士二人がアルヴァンの前に進み出る。その凛々しい姿にアルヴァンは努めて冷静な声で言葉をかける。


「今、東のコルサス王国は内戦の最中。王弟派、王子派、どちらが勝つか予断は許さぬがいずれにせよ、大勢が決した後は我が国に少なくない影響をもたらすのだ」


 そこで、区切るとアルヴァンは目の前の二人を見る。少し眠そうな顔をしたヨシンは普段通りとして、明晰な視線を返してくるユーリーは何時も通りの冷静さを纏っている。


「聞くところによると、王弟派は四都市連合とも、南方のアルゴニアとも通じていると聞きます。これらの領土的野心は我が国に危害を加えると思いますが……」


 全くどこで調べて来たのか? 呆れるような情勢分析を披露するユーリーにアルヴァンは溜息を押し殺して言う。


「しかも、王弟派は優位ということだが、人心の離反は著しいとも聞く。二人には、そんなコルサス王国の現状を見聞してきてもらう」


 その言葉にユーリーとヨシンは踵を揃えて鳴らし敬礼する。


「期間は二年間。極力どちらの勢力にも介入しないように。しかし、機会が有れば今後の友好に役立つような切っ掛けを作っておくことは……」

「分かっているよ」

「……そうだな、ちょっと格好をつけすぎだったな」

「いや、中々堂々としてたよ」


 緊張感を伴った雰囲気は、あっという間に崩れ去る。それもそのはずで、今三人は修練の間に居るのだ。しかも周囲に他の人の姿は無い。完全に人払いした上で三人だけの壮行会だったのだ。


「アーヴ、お爺ちゃんと……」

「リリアだろ、居場所が分かったら報せるよ……」

「ありがとう」

「それも良いけど、アーヴも外歩きは気を付けろよ」


 ユーリーの言葉に察したようにアルヴァンが答える。そして、ヨシンは最近物騒になって来たアルヴァン周辺を気遣う言葉をかけていた。


「大丈夫さ、オレの嫁さん最強だから」


 アルヴァンがおどけた調子でそう言うと、事情を良く知っている二人は釣られたような笑い声を上げる。しかし、その笑い声は直ぐに途切れてしまう。アルヴァンが深刻そうな顔をするからだった。


「しかし……本当にすまない」

「なんだ? これの事を気にしてるのか?」


 謝罪の言葉を発するアルヴァンにヨシンは尚もおどけた風に甲冑の胸の辺りを指し示す。そこには本来、朱で塗られた炎を吐き出す竜の刻印 ――ウェスタ侯爵家の紋章―― が有るはずなのだが、ヨシンとユーリーの甲冑からは、その刻印が乱暴な削り跡を残して、掻き消されていた。


「不名誉除隊、又は逃亡……二人には似つかわしくない」

「いや、こうなっていた方が、コルサス王国では馴染み易いだろう。アーヴ、気にすることじゃ無い、任務だ」


 謝るアルヴァンにユーリーが声を掛ける。彼が本当にそう思っているのかどうかは分からない。今回の経緯の裏側を既に察知しているかもしれない、いや完全に知っているだろうと思うのだ。しかし、それでも親友ユーリーの涼し気な視線にはアルヴァンを責めるものは感じられなかった。それだからこそ、アルヴァンは、心の底から「すまない」と思うのだった。


「じゃぁ、そろそろ行くよ」

「そうだな、夕暮れまでにはスハブルグ領の村に着きたいからな」


 ユーリーとヨシンの二人はそう言い合うと、笑顔をアルヴァンに向ける。そして、春の日差しに照らされた修練の間の外へ足を踏み出すのだった。見送るアルヴァンは言葉なく、二人の後を一歩追い掛けるように踏み出して、その場で止まらざるを得なかった。


(役目が違う……一緒には行けないんだ)


 そんな思いをどうにか押し殺すと、大きな声を上げる。


「二人とも……二年後必ず戻れ、いいな!」


 アルヴァンの言葉に、戸口に立った二人は振り返りざまに片手を振って返事とする。その表情は逆光となってアルヴァンにはよく見えなかった。


Episode_10 ノーバラプール攻防戦 後編:完

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