Episode_10.32 木枯らしの街角で
アーシラ歴494年10月30日
「リムルベートの長い夜」又は「悪夢の夜」と言われる事件から既に二週間余りが経過したこの日、ユーリーはサハン男爵の屋敷の一室で目を覚ましていた。実に二週間振りに意識を取り戻したユーリーは、ガランとした部屋の様子に、自分の居場所が何処か分からなかった。しかし、次第に意識がハッキリするにつれて、この場所がサハン男爵の屋敷の一階に在った部屋だと思い出していた。以前彼自身が寝泊まりしていた部屋だったのだ。
ユーリーはベッドの上から身を起こそうとするが、体に全く力が入らないことに気付いて驚くと、誰かを呼ぼうと声を上げる。
「ぉーい、だれかー、チェロさーん」
変に上擦った、蚊の鳴くような声しか出ない。そこへ、誰かが部屋に入って来る。サハン男爵家の使用人であるチェロ老人だった。チェロは、何とか声を上げているユーリーに気が付くと、悲鳴のような声を上げて部屋のドアを開けっ放しにしたまま駈け出していた。
それから一週間、体力が回復するまでの期間ベッドに張り付けとなったユーリーは、先ず養父メオンがサハン男爵の屋敷に居候していることに驚いた。
「いつまでも喧嘩しておるわけじゃないわい!」
というメオンの言葉だったが、二人の老魔術師の距離感は中々微妙なようで、二人揃ってユーリーの部屋に顔を出すことは一度も無かった。
そんな期間中、ヨシンとアルヴァンはほぼ毎日ユーリーの元に顔を出していた。ヨシンの話によると、王都の損害は可也大きいらしく、その上再併合したノーバラプールの治安維持が重石となり、復興は余り進んでいないと言う事だった。
「最近じゃ、野盗の類が王都に侵入して好き勝手にやり始めた。パーシャさん達哨戒騎士の部隊は寝る間も無いくらい忙しいよ」
そう言うヨシンも目の下クマを作っているほどだった。一方アルヴァンは、ローデウス王亡き後の王城の様子を伝えて来る。
「国の一大事だって言うのに、伯爵連中は責任のなすりつけ合いだ。今は
アルヴァンは、責任転嫁ばかりに気を取られる伯爵・子爵家の連中に相当頭に来ているらしく、終始愚痴めいた言葉を吐いている。因みに、ガーディス王子は事件後いち早く王都に凱旋すると、かなり簡単な戴冠式を済ませてリムルベート王に即位していた。そして、アルヴァンの父親で、当主のブラハリーはウェウスタ侯爵領正騎士団と共にノーバラプールの治安を一手に引き受けているとのことで、祖父の侯爵ガーランドが老体に鞭打って(実際には嬉々として)王都復興の陣頭指揮を執っているということだった。
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意識を取り戻してから更に一週間、親友達の訪問を受けつつ、ようやく歩けるまでに体力が回復したユーリーは、久しぶりにウェスタ侯爵の邸宅に出頭した。一時期邸宅内を埋め尽くしていた避難民の幕屋は一部を残して撤去されている。そして残された一部は本来の役割として哨戒騎士団の寝泊まりに使われているようだった。そんな邸宅の中庭にはまばらな兵士の姿があったが、皆忙しそうに駆け回っている。そんな中で、邸宅の建物近くで大声を発しているのはガルス中将だった。
ヨシンの話通り、筆頭騎士のデイルは当主ブラハリーと共に、未だノーバラプール周辺に残った敗残傭兵の討伐平定に忙しいらしく、屋敷の騎士や兵士達を束ねるのは相変わらずのガルス中将だった。齢六十を超えても尚前線に立つ老騎士は、変わらぬ元気さを発揮している。その老騎士は、ユーリーの姿を認めると無言で近寄ってきていきなり肩を鷲掴みに掴んで言う。
「どうした、少し筋肉が落ちたんじゃないか? アルヴァン様から、後一週間は休養するようにと命令が出ている。しっかり休んでくれよ……戻ってきたらこき使ってやる」
そう言うと、ワハハと笑う。そして、肩を掴んだままユーリーを回れ右させて邸宅の門の方に押しやるのだった。余計な気を回さずにサッサと休養に戻れ、と言ったところだろう。
結局邸宅を追い出される格好となったユーリーは、帰り道の途中でハンザの家に寄ってみることにした。
「ごめんくださーい」
「あら……えっとユーリーさんでしたか?」
そういってユーリーを出迎えたのは五十過ぎの年増女だった。その腕には今年の春に生まれたデイルとハンザの娘パルサが抱かれていた。
「ハンザ様なら、商業地区の自警団の会合に出ています」
どうやら、治安維持機能が著しく低下したリムルベート王国では各地域の有志が独自で自警団を結成しているようで、ハンザも引っ張り出された(実際は商業地区の自警団の発起人がハンザだった)ようだった。
結局何の成果も無い外出になってしまったユーリーの足は、自然と或る場所へ向かう。そこは「芋子爵」として一躍有名人となったマルグス子爵家の屋敷だった。しかし、マルグス子爵に用事がある訳ではない。その屋敷に住んでいる少女に逢いたいのだった。
(なんで、リリアは一度も会いに来てくれなかったのだろう?)
そんな疑問は、意識を取り戻してから一週間、ずっとユーリーの頭の中にあった。それとなくヨシンやアルヴァンにも聞いてみたが、二人とも明確な返事をしてくれなかった。
(これって……やっぱり嫌われたのかな?)
ユーリーが不安に思うのは、それなりの心当たりがあったからだ。それは、光の翼を纏った自分の姿をリリアに見せていたことだった。
(あんな普通じゃない姿を見たら、怖いだろうし……)
自分がリリアだったらどう思うだろうか? 好意を寄せる相手が人外のような存在だったら? その疑問にユーリーの胸は押し潰されそうになる。そんな思いを抱えたままフラフラと道を歩くユーリーは、やはりいつの間にかマルグス子爵家の門とは名ばかりのアーチの前に立っていた。建物の敷地からは、子供達の明るい笑い声が聞こえる。つい三週間前の夜にこの場所で自分が死闘を繰り広げていた記憶と、明るい子供達の笑い声がどうにも結びつかないユーリーは、門とは名ばかりのアーチの前で中に入るか逡巡してしまうのだ。そこへ、
「ユーリーだな。少し話したいんだが?」
思わぬ声がユーリーの背後から掛かった。そこには、買い物籠一杯に野菜や肉類を詰め込んだ金髪碧眼の偉丈夫、アズールが立っていたのだ。
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「ああ、アズールさん、いつもありがとうございます」
「アズールおじちゃん、ありがとう!」
「あじゅーるおいちゃん、あんと!」
アズールとその後ろに付いて歩くユーリーは勝手口から屋敷の厨房へ入る。そして、買い物籠を厨房のテーブルに置くアズールに、ポルタと手伝いをしていた年長の女の子、それに手伝いなのか遊んでいるのか分からない幼い女の子が声を掛ける。
「これくらい大したことではないですよ」
対するアズールは少し照れたような表情で静かにそう言うと、後ろのユーリーを促して厨房側から屋敷に入っていった。そして、中庭沿いに続く短い廊下を経て二人は一つの部屋に入った。嘗て、マルグス子爵が買い集めた美術品が集められケバケバしく飾られた応接室だったが、今は田舎の風景を模した風景画が一枚掛けられているだけ質素な部屋に様変わりしている。そこで、アズールは椅子に腰掛けると、対面する長椅子にユーリーが座るように促すのだ。
「さて……まずはユーリー、君と私の関係を話そう」
ユーリーがソファーに座ったところで、アズールが切り出す。
「お前の父親、だと思うのだが、それは私の弟だ」
「え?」
アズールが切り出した話に、流石のユーリーも絶句する。突然生みの親の話をされたのだ、驚いて当然である。
「お前は、どういう訳か魔術師のメオンという人物に育てられたようだが、その生みの親の片割れは間違いなく我が一族の者だ。光の翼が何よりの証明なのだよ」
「そう……なんですか」
ユーリーにはそれ以上の言葉は浮かばなかった。生みの親を気にしたことが無いほど、養父メオンから良い養育を受けていたのだから当然だった。
「人間の親子の絆というものがどれ程強いか、私には分からない。ここに居る子供達は皆親を亡くしたか捨てられた子供だということだ……」
「それは事情によって色々でしょう」
「そうだな。お前がもしも私の弟に『捨てられた』と感じているならば、事情を聞いてほしい」
アズールは真摯な瞳をユーリーに向けている。それに対してユーリーは軽く首を振るのだった。
「実の父親がどんな人か、そんなことで悩んだことは有りません」
「そうか……私の弟ジュリームは一族の禁忌を破り地上に墜りたった……」
アズールの言葉は続く。彼の一族の使命、この世界を見守ること。彼の一族の未来、子を成す世代が居なくなり緩慢な滅びの道を歩んでいる事。一族の禁忌、地上に墜りること。そして、地上の生物と交わること。それらを順に語っていくのだ。
「しかしユーリー、勘違いしないで欲しい。今の我が一族には、折角弟が生み出した命を奪い去る必要性は何もない。命有る者として真っ当な求めに応じてこの世に生を受けた、その命を奪う事は……もしかしたら創造主の思いからかけ離れた我らの傲慢だったのかもしれない」
「……」
アズールの言葉にユーリーは返す言葉が思い浮かばなかった。目の前の人物は、世が世ならば自分を殺したかも知れないと、そういう内容の事を話しているのだ。反発心が湧き上がってくる。
「僕は……俺は、誰にも黙って殺されたりはしない!」
自分で思っていた以上に強い言葉が部屋に響く。それを聞いたアズールは何故か懐かし気な表情で微笑むのだった。
「お前は、父である弟の事は何も知らないはずなのに。お前の歳は次の春で十九。弟が死んだのが同じく十九年前……しかし何故だろうな、なんでこんなに似ているのだろう」
いつの間にかアズールの双眸には涙が浮かんでいる。
「我ら兄弟、天山山脈の頂きで下界を眺めて過ごす月日が二百余年……そして死に別れ、二度と会えぬと諦めていた魂の面影にこうして、再び
そこで絶句したアズールは、一度涙を拭うと更に続ける。
「いいかユーリー、今この世界には大きな企みが胎動している。それは、遥か昔、異次元から異神と呼ばれる存在を呼び出した狂業の再現、お前達が『大崩壊』と呼ぶ出来事を再現させる試みだ」
「異神……それを呼び出す?」
「そうだ、先日相手にした魔神など足元にも及ばない強大な力を新たな神としてこの世界に迎え入れる試みだ」
「それが、再び?」
「そうだ……私は、滅びゆく一族を代表して再び禁忌を破った……いや、もう禁忌と呼ぶ者もいないだろう。とにかく、今回もあの大崩壊の時と同じく一族の総意だ」
「じゃぁアズールさんは、その企みを止めるために?」
ユーリーの問いにアズールはゆっくりと頷く。
「しかし、何処で誰が何を企んでいるかも分からないのでは?」
「そうだな、しかし、この国には無いと見た。ならばもっと東の地へ行くとするよ」
「……もしも東の地へ行くのならば……俺には妹か、いや姉か? とにかく双子の片割れがいます」
そのユーリーの言葉にアズールは表情を変える。
「本当か?」
「……確証は無いですが、恐らく間違いないです。瓜二つの女性が、巡礼者の集団に同行して東の国の何処かに居るはずです」
ユーリーの言葉にアズールは瞑目する。
「……分かった」
それから二時間、日が暮れるまでアズールと語り合ったユーリーは、再会を約束してマルグス子爵の屋敷を後にしていた。
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図らずも飛び出した生みの親の話。ユーリーは相変わらず本調子ではない身体を引き摺るように通りを歩きつつ、その存在に思いを巡らせていた。
(父と母が無ければ、俺がこうやって生きていることは有り得ない……ヨシンにはヨシンの両親が、アルヴァンにはアルヴァンの両親が、そしてリリアにはリリアの両親が……命は鎖のように繋がっているんだな……)
そんな思いを巡らすユーリーは、サハン男爵の屋敷へ向かう路地を折れる。しかし、心を別の考え事に集中したユーリーは通りと路地の角に立つ少女の姿に気付かなかった。
「あの……ユーリー?」
その声にユーリーは足を止める。そして伏し目がちだった視線を上げるのだ。そこには、会いたくてたまらなかった少女の姿があった。
「リ、リリア……」
王都リムルベートに本格的な冬の到来を告げる、冷たい突風が吹きつけていた。
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