Episode_10.29 光翼の覚醒


 リリアは、目の前に立つユーリーの変容に思わず問い掛ける声を上げていた。そんな彼女の目の前に現れ、彼女の問いに短く頷き返すのは、姿形はユーリーのまま、しかし「光の翼」としか形容の仕様が無いものを背中に生やし、体全体が薄く発光した存在。愛おしく感じる黒曜石の瞳を冷たい水のような蒼色に変じた……しかし、見間違えるはずの無いユーリーの姿だった。


 リリアはその姿に、普段訪れる幸運の神フリギアの神殿に掲げられた絵画「光翼使降臨」を思い浮かべる。それは、神の法を知らない野蛮だった人間に九柱の神の存在を伝えた光翼使と呼ばれる存在を描いた絵画で、構図こそ違えど、人々の信仰を集める六神教の各神殿に必ずある絵画の主役と言うべき存在だ。


「あ、ああぁ……」


 リリアは、畏怖する感情が湧き上がり言葉が繋がらなかった。そして、その様子を見たユーリーは少し困ったような、寂しそうな表情を一瞬見せる。


「リリア、ほら、掴まって」


 と言う言葉と共に左手を差し出す。しかし、リリアは混乱した様子でその手を茫然と見つめるだけだ。そんなリリアの様子にユーリーは刹那、表情を曇らせると自ら歩み寄り、立ちすくむリリアを左手に抱く。


「あっ」

「大丈夫、僕はユーリーだ……」


 立ちすくむリリアを抱き締めたユーリーは、次の瞬間、宙を飛んでいた。一際大きな闇の投げ槍を魔神が撃ち出したからだった。


ドォォォン!


 つい一瞬前までユーリーとリリアが立っていた場所は、巨大な闇の爆発によって地面が抉り取られていく。しかしユーリーの纏った光の翼に守られた二人に対して、闇の波動は何の危害も及ぼさなかった。


 リリアは、加速度的に上がる速度 ――ユーリーが飛翔する速度―― に身体全体が、自分を片手に抱きかかえたユーリーに押し付けられる感覚を覚える。それは、良く知った青年騎士の体臭と温もり、それに息遣い、つまり心地良さを伝えてくる。しかし、心地良い時は一瞬で終わる。ユーリーが養父メオンの蹲る場所に降り立ったのだ。


「お爺ちゃん、大丈夫!?」

「う、うぅ……」


 ユーリーは、瓦礫や土に半ば埋もれる格好で蹲るメオンの傍らに跪くと切迫した声を掛ける。一方のメオンはその声に呻き声で答えるが、ユーリーが「治癒ヒーリング」の魔術を発動すると意識を取り戻した。


「……ユーリーか? その姿は……」

「うん、また、こうなっちゃった……それよりも、お爺ちゃん」

「なんじゃ?」

「このリリアと、あっちの無角獣ルカンを連れて安全な場所に跳んで」


 ユーリーは、その言葉と共に掌に握った魔石をメオンに渡した。それは謁見の間でメオンから受け取った物だった。まだ全体の魔力の三分の一ほどを残した状態の魔石である。メオンは無言でその魔石を受け取る。そして「この|娘(リリア)」と呼ばれた少女を見るのだ。そこには、明るい茶色の髪にハシバミ色の瞳を持ったエルフの血を引く少女が立っている。しかし、その両手は心配そうにユーリーの左手を掴んだままだった。


「……今度、ちゃんと紹介するんじゃぞ」

「分かってるよ……それより早く!」


 メオンもユーリーも、一瞬相好を緩めるが直ぐに真面目な顔付きになる。そしてユーリーが急かすように養父である老魔術師に言うのだった。


「リリアさんかな? 儂らがここにいてはユーリーの邪魔になる。今は愚息を信じて――」


 メオンはそう言うと手を差し出す。リリアはその意図を悟ると、一瞬だけユーリーの顔を見た。蒼く変じたユーリーの瞳が「大丈夫だ」と頷き返す。そして一瞬後、第一城門前の広場からリリア、メオン、それにルカンの姿は掻き消えるように見えなくなっていたのだ。


****************************************


 ユーリーは動く者が誰も居なくなった第一城門前の広場で魔神と対峙する。髑髏の頭に虚無の眼窩、その奥に灯る赤い光が自分を舐めるように観察しているのがユーリーには感じられた。一方で、ユーリーも魔神を観察する。少し前にも観察した相手だが、光の翼を纏った今は、別の事が見えてくるのだ。


(魔神……こいつ・・・は極属性闇、そのものが具現化した存在だな)


 ユーリーの瞳には、魔神の胸骨の中にある心臓から短い周期で闇の波動が発せられているのが見える。不思議な事に、今のユーリーにはその心臓こそが魔神の中心であり「核」と言うべき物であることが分かった。


(しかし、どうやって攻撃すれば……)


 ユーリーは慣れない力の使い方が分からずに逡巡する。これで三度目の覚醒であるが、最初は意識不明の状態、二度目は無我夢中であった。しっかりとした意識を保ち覚醒したのは今回が初めてのユーリーにとって、体に纏った光と背中の翼の使い方が分からなかった。


 戸惑う様子のユーリーだが、一方の魔神はそんな事情に構うはずは無かった。ただ、目の前に突然現れた光の翼を纏った存在が、自分の攻撃を易々と防いだ事への警戒から攻撃手段を一段階強力なものに変更するのだった。


 魔神は漆黒の骨で出来た左手を夜空へ高く掲げる。真夜中を過ぎた夜空は、未だ白み始める時刻ではないが、王都を襲った火災の黒い煙が夜空にそれと分かるようにたなびいている。そんな夜空へ掌を上に向けて左手を掲げた魔神の頭上に、夜空を丸く切り取ったように虚無の球体が現れる。


 一つ、二つ、三つ、と数を増やした球体は夫々が両手の握り拳を合わせたような大きさだ。その表面には凝集した力の強さを示すように、時折青白い火花が走る。膨大な量の魔力マナが蒸発しエーテル化できる限界を突破し、飽和したマナとエーテルが摩擦を起こしているのだ。


バチッ、バチバチッ


 乾いた木の枝を折るような音を響かせる闇の球体が一際大きな音を発した瞬間、魔神は左手をユーリー目掛けて振り下ろした。掲げられた掌に在った三つの球体はその動作を合図として瞬時に移動し、ユーリーの目の前に現れる。そして次の瞬間――


ブオオオオオオオン!


 膨れ上がった闇の球体は、一瞬青白い閃光を放つと破裂し「闇の光」と形容すべき圧倒的な漆黒を辺りにまき散らす。それは、触れる物の形象を崩し、命有る者の生命力を奪う闇の光だ。ユーリーの立っていた場所のすぐ近くにあった第二騎士団の詰所の頑丈な外壁はその「闇の光」を受けて、まるで砂で出来ていたように脆く崩れる。詰所の壁だけではない、硬い地面も、木立も、離れた場所にある第一城壁の一部さえ、砂とも灰ともつかない細かな粒子に形を変じると崩れ去っていく。それは、圧倒的な闇がもたらす虚無的な破壊だった。


 そして、その破壊に追い討ちを掛けるように次の破壊が起こる。あふれ出た闇の光と共に広がったマナが一気にエーテルへと蒸発したのだ。それは巨大な衝撃波を伴った大爆発という現象となってボロボロになった第一城門前の広場を隅々まで嘗め尽くした。


ドオオオオオオオオオン!


****************************************


 魔神がその左腕を振り下ろした時、ユーリーは咄嗟の判断で上空へ逃れていた。先程の闇色の投げ槍ならば再び光の翼で防ごうと考えていたが、実際に繰り出された攻撃はケタ違いに強力であると予感した結果だった。しかし、先ほどまで自分が立っていた場所を中心に放射状に広がる闇の光は上空へ舞い上がったユーリーをも呑み込もうと広がる。


(…っ!)


 ユーリーはゾクリとする気配を感じると、上昇を止め下方へ向けて左手を突き出す。そして本能的に、頑丈な光の壁が左手の先に展開する光景を強く念想する。魔術の発動のために鍛えられた念想力は、確固たる形象をユーリーの脳内に形成した。通常の魔術ならば、この後、体内に蓄積された魔力マナを糧として事象が発動する。しかし、今ユーリーが行ったのは、別の力 ――生命力エーテル―― を糧とした全く別系統の技法である。


 この世界の大気に充満しているエーテルから力を得たユーリーは光の盾を目の前に展開する。


ブンッ


 厚みを伴った光の盾は小さな振動音を発して闇の光を堰き止める。空中に止まった状態で左手を突き出すユーリーは、光の盾が闇に侵食されていくのを感じて更に力を籠める。光と闇の刹那のせめぎ合いは、闇が途絶えた瞬間、唐突に終了した。咄嗟に出現させた光の盾は薄膜ほどの厚みになるまで闇に侵食されていたが、寸前の所でユーリーを守り切っていた。しかし、


ゴヴァァァン!


 その闇を追い掛けるように続く衝撃波を受けて、光の盾は脆く崩れ去る。そして空に浮いた状態のユーリーはまともに衝撃波に全身を晒すことになった。


「うわぁ!」


 まるで重たい戦槌メイスに全身を殴られたような衝撃を受けてユーリーの意識が一瞬途絶える。その一瞬でユーリーは上下左右の感覚を失うと錐揉み状態になり、高度を落とす。


「うわっと!」


 あわや墜落という地面すれすれの高さで体勢を立て直したユーリーは、一度大きく光の翼を羽ばたかせると速度を弱めて着地した。その場所は先ほどまで硬い地面だったが、今は闇の光に侵食され砂のような、灰のような柔らかく頼りない感覚をユーリーに伝えてきた。


(こんな強力な攻撃が……これ以上攻撃されたら……)


 ユーリーは外壁が崩れ去った詰所の建物や、辺り一面が砂とも灰ともつかない物に変質した地面の様子に戦慄を覚える。このまま好き勝手に魔神に攻撃されれば、頑丈な城壁もその中の王宮も、そしてその王宮に居るヨシンやアルヴァンも危ないと感じる。更にこの攻撃が、火災の消火に躍起になっている街へ向けられれば未曾有の大惨事となることを予想し戦慄するのだ。


「好きにはさせない!」


 強い決意を滲ませる言葉と共にユーリーは右手を魔神に向ける。そして、突き出した手の先に「火爆矢ファイヤボルト」に似た大きな矢が浮かぶのを念想する。魔術陣ではない、矢そのものを念想しているのだ。


ブゥゥン……


 ユーリーの念想を受け、周囲の大気からエーテルが凝集すると一本の光輝く投げ槍程の大きさの矢が形成される。一見すると「火爆矢ファイヤボルト」と同じように見えるが、その輝きは極属性光のものに酷似している。そしてそれは、魔神が何度も投げ放った闇色の投げ槍の光属性版とも言えるものだ。


「喰らえ!」


 ユーリーは気合いの籠った声と共に光の槍を解き放つ。眩い輝きを放つ槍は夜の闇を切り裂くと魔神の巨体に襲い掛かった。対する魔神は右手の鎌を突き出すとその光の槍を受け止めようとする。


カッ!


 槍の先端が鎌に触れた瞬間、閃光と共に膨大な熱の爆発が生じる。それは、先ほどメオンが放った一連の極属性光の魔術による攻撃を上回る威力で魔神の巨体を打ち据えた。


ドオオオオオオンッ!


 そして、耳をつんざくくような轟音が響く。しかし、その轟音の中にあってユーリーは攻撃の手を緩めない。次々と光輝く槍を出現させると立て続けに解き放っていく。大気を揺らす轟音は何重にも折り重なって脆くなった城壁を揺らし、柔らかくなった地面には衝撃の波紋が浮かび上がる。そして、連続して生じる閃光はまるで地上に太陽が降り立ったような輝きと熱を撒き散らした。


 合計十回の閃光が終わると、熱と衝撃で巻き上げられた砂塵と灰の中でユーリーは荒い呼吸を繰り返していた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 魔力マナを糧とする魔術では到底成しえない火力が生じるのは、大気中に充満するエーテルを用いる技であるからだ。しかし、無尽蔵に存在するエーテルを用いるからと言って使用者に負担が無い訳では無い。周囲の大気から一時的にエーテルが欠乏したため、ユーリーの体内に在った魔力マナが凄まじい勢いで蒸発しているのだ。結果として、魔力欠乏症に似た症状、しかし、それよりも遥かに激しい眩暈と吐き気、頭痛がユーリーを襲っている。立っている事も覚束おぼつかないユーリーは、ガクリと地面に膝を付く。その状態で蒼い瞳が前方の魔神がいた場所を睨みつけている。


 やがて巻き上げられた砂塵と灰が再び地面に舞い降りると、遮られていた視界が明瞭になる。そしてそこには、四肢の骨や腰骨、髑髏の頭部を削り取られ、吹き飛ばされた魔神の胸部が地面に直立していた。


 大きさは人間の背丈ほどになる魔神の胸部は、胸骨と肋骨、それに背骨の一部だけが残った状態で、それを見たユーリーは何故か大きな鳥籠を連想していた。そんな鳥籠のような胸部の中の空間を、小さな魔神の心臓が跳ねるように飛び回っている。ユーリーの目には、一際短い間隔で周囲に広がる闇の波動が見て取れた。


「あれを、壊さなければ……」


 ユーリーは、膝を付いた状態から腰の「蒼牙」を抜くと立ち上がる。立ち上がった拍子に強烈な眩暈と吐き気が襲う。ユーリーは堪らずにその場で嘔吐すると、胃液と唾液に血が混じった物を手甲で拭い、魔神の胸部を目指して歩みを進める。


 途中で何度かこみ上げる吐き気に足を止めつつ、ユーリーはようやく魔神の核たる心臓と肋骨を挟んで対峙した。その心臓はどす黒い赤色でユーリーの握り拳程度の大きさしかなかった。それが、鳥籠のような肋骨の中で跳ねまわりながら脈を打っている。


トントントントントントントントン――


 脈と同時に闇の波動が周囲にまき散らされるが、純白の燐光を纏ったユーリーには何の影響も無かった。そんなユーリーはこれでトドメとばかりに蒼牙の切っ先を心臓に向ける。しかし――


ドンッ!


 不意に強烈な殺気が左手側で炸裂すると、反射的に光の翼で左側を防御するユーリー。しかし、猛禽類の翼に似た形の光の翼を突き破って漆黒の鎌の刃先が飛び込んでくる。


ガキィィン!


 咄嗟にミスリル製の盾でその切っ先を受け止めるが、その瞬間、切っ先を中心に小さな闇の爆発が発生した。ユーリーは構えた蒼牙を魔神の心臓に突き立てる寸前のタイミングで大きく横へ吹き飛ばされていた。


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