Episode_10.28 乙女の叫び


 リリアには、その光景は絶望以外の何物でもなかった。常に心の中にあって、そうならないように願い続けた状況 ――自分のせいでユーリーに迷惑を掛ける―― の最たる出来事が目の前で展開されたのだ。


「ユーリー! イヤァー!」


 しかしその悲鳴は、次いで巻き起こった闇の爆発と衝撃波に掻き消される。そして、リリアは衝撃波の渦の中で揉みくちゃにされながら地面を転がって・・・・ていた。


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 乙女の叫び声。


 ルカンはそれを耳では無く、心で聴いた。聴こえたのだ。無意識との境界線を漂っていた無角獣の意識は一気に明瞭になる。そして項垂うなだれていた頭を上げる。そこには、ユーリーという若い騎士と、闇そのものと言える魔神の姿があった。そして、魔神が今まさに再び闇の投げ槍を投げ付けようとしていた。


(マタ男ヲ守ルノカ! ヤッテラレナイナッ!)


 率直な感想と共にルカンは、自分の中の「生命力エーテル」を励起する。そして、自分自身を盾にするように、ユーリーと闇の投げ槍の間に身を投じていた。


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チリ、チリ、チリ……


 闇に呑みこまれる寸前、ユーリーは鎧の下、綿入れの下、自分の胸に直接当たる首飾りから微かな振動を感じる。ついで、白い巨体が自分の前に割り込んでくる。


(ルカン!?)


 ユーリーは声にならない声を上げる。まさかこの無角獣が自分を守るとは思っていなかった。既に光の障壁を纏ったルカンは、そんなユーリーの様子などお構いなしだった。


 しかし、瀕死に近い重症を負った無角獣の展開できる光の障壁は弱かった。闇がその外縁から順に氷を解かすように侵食している。


(持たない!)


 ユーリーがそう直感した瞬間――


ブォォォン


 突然胸の辺りから光の膜が生じる。それは、かつて養父メオンから、ユーリーの持ち物として渡されたネックレスから発せられたものだった。そして、その光の膜はルカンの光の障壁を補強するように展開し、侵食する闇を押し返すのだ。


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 荒れ狂った衝撃波が治まったあと、リリアはユーリーの狙い通り、馬車の下敷きから解放されていた。しかし自由となったリリアは、ユーリーの思惑とは別、いや逆の行動を取る。


「ユーリー! 返事して!」


 彼女の頭の中に「逃げる」という選択肢は無かった。自分のために身を犠牲にしたユーリーを失い、その上生き延びて何が有ると言うのか? 若さ故の思い詰めた心が、リリアを爆心地へ向かわせる。感覚の戻らない左足を引き摺るようにして、何度も地面に倒れ伏しても諦めずに進むのだった。


 そんなリリアの視線の先、もうもうと立ち込めた土埃が治まった後に、倒れ伏した人影が映る。一つはユーリーの前に出て彼を庇ったルカン、もう一つはユーリーの物だった。ルカンはピクリとも動かないが、庇われたユーリーは早くも立ち上がろうと上体を起こしている。


「ユーリー!」


 その光景に、愛する青年の無事を知ったリリアの声が上がった。


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 ユーリーは朦朧とした意識のまま、目の前に横たわる無角獣の身体を見る。純白の美しい毛並に覆われていた馬体は見るも無残に切り刻まれ赤い血を吹き出している。その腹は微かに上下しており、弱い呼吸が残っていることを知らせるが、その動きは目に見えて弱くなっていく。


「ユーリー!」


 視線を上げて眼前の魔神を確認しようとしたユーリーの耳朶にリリアの声が飛び込んでくる。その声に咄嗟にそちらを振り向くユーリーは、地面に這いつくばりならが此方・・をめざしている少女の姿を発見した。


「駄目だ! 早くに――」


 早く逃げろ。ユーリーは、少女に向けて声を発し掛ける。しかし、言い切る前に魔神が動く気配を感じて視線をそちらへ向けざるを得なくなった。


 ユーリーが視線を戻した先、相変わらず第一城門前に立ちはだかる魔神の表情は骨ばかりの髑髏のために読み取れない。しかし、その虚無の眼窩は赤い光を発しつつ明らかに視線の先をユーリーとルカンから、その先へと転じていた。そこには、声を発しつつ近付いてくる少女リリアの姿が有った。魔神はその光景に何か邪悪な発想をしたように、顎の骨をカタリと鳴らすと再び左手を虚空に掲げた。


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 リリアは、赤い光の灯る髑髏の眼窩から発せられる視線が自分に向けられていることを知り、本能的な恐怖から前へ進むことが出来なくなっていた。ユーリーの居る場所まで後二十メートルも無い距離だが、すくんだように身体に力が入らないのだ。


「リリア! 駄目だ、逃げて!」


 ユーリーの必死の叫びが、何故かとても遠くに感じた。そんな彼女の視線は自分に向けて闇色の槍を投擲する魔神の動作に釘付けとなる。そして、漆黒の骸骨が滑稽なほど滑らかな動作と共に、死をもたらす槍を自分へ投げ付けるのを見ていた。


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ドク……


 ユーリーの目は、魔神の左手に再び現れた絶望の象徴と言える闇色の槍を見ていた。そして、それを投げ付けようとする魔神は、自分では無く少し離れた場所に立ちすくむリリアを目標としていることを感じていた。それはまさに絶望だった。


ドクッ――


 脳裏に、足元に横たわったルカンの全身を覆う醜く悲惨な裂傷が浮かぶ。そして、それがリリアの像と結びつくと、ユーリーの脳裏には引き千切られ肉塊と化したリリアの姿が浮かんだ。急激に視界が青味掛かっていく。


ドクンッ――


 魔神の左手を離れた投げ槍は、酷くゆっくりとした速度で自分頭上に差し掛かっている。空気を揺らす低い振動音が、心臓の鼓動に邪魔されて聞き取れない。右手の感覚が無くなるほど強く握った「蒼牙」が頭に響く心臓の鼓動を煽り立てるように、掌の内で脈動する。


(アレを、止めなくては!)


 揺るぎない決意と単純化された目的を持って、ユーリーは地面を蹴る。


ドンッ!


 次の瞬間、第一城門前の広場に光が出現していた。それは、極属性光の魔術が発するきらめく一瞬の光ではない。実体を持った発光体から発せられる純白の光だ。そして、その光は地面に近い所を走るように飛翔するのだ。


 ユーリーは純白の光に包まれて、地面を蹴る。まるで引き絞られた弓から撃ち出される矢のように、光の矢を化したユーリーはそのまま地面を舐めるように飛翔ぶと、リリア目掛けて飛ぶ闇の投げ槍を追い越し、その前に回り込む。そして――


「消えろ!」


 大喝と共に、ミスリルの仕掛け盾を着けた左手を一閃させる。中心から外へ向けて払い除ける動作と呼応し、ユーリーの目の前の空間に純白の光を帯びた翼が出現すると、それは闇色の投げ槍を受け止める。


ブォォォンッ!


 微かに共鳴するような振動を残して、投げ槍はかき消すように消滅する。爆発も衝撃も無く、ただ掻き消えたのだった。


 そして、何事も無かったような静寂が戻る。しかし、そこには、立ちすくむ少女を背後に庇った青年 ――光の翼を纏った騎士―― ユーリーの姿があった。


「……ユーリー、なの?」


 背後のリリアから発せられた問いに、ユーリーはゆっくりと振り向く。そして、蒼色に変じた彼の瞳がリリアのハシバミ色の瞳を捕えると、小さく頷き返すのだった。


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