Episode_10.27 身を捨ててこそ


 ユーリーは、養父のメオンが魔神と対峙する様子を途中から目撃していた。それは丁度、メオン老師が光の矢を立て続きに魔神へ叩き付けているところだった。ユーリーには想像もつかないような強力な魔術を惜しげも無く解き放つメオンの姿にユーリーは畏怖に似た感情を覚える。


 それからほんの一時、呼吸を十も繰り返さない内に、一際大きな光の爆発が魔神を中心として発生した。


(勝った!?)


 その光景に、余りのまばゆさに目を覆いながらもユーリーはそう思う。それは、ユーリーだけではなかった、横転した馬車を起こそうとしていたポンペイオ王子を始めとするドワーフ戦士達、リムルベートの役人達と侯爵ガーランド、そして身動きの取れない状態のリリアもまた、地面近くからその光景を目撃していた。彼女もユーリーの養父という老魔術師の魔術が魔神に打ち勝ったと思っていた。


 しかし、光が治まり、土埃も治まった後、すり鉢状に変じた地面には変わらず立つ魔神の姿があったのだ。


「ああぁ……」


 誰のものか分からない嘆息がユーリーの耳に聞こえてきた。それは、リリアの物だったのかもしれないし、ユーリー自身の物だったのかもしれない。そして、次の瞬間、魔神の右腕がまるで別の生き物のように虚空を飛ぶと、メオン目掛けて襲い掛かった。


ビシィィッ!


 ユーリーは、養父のメオンが咄嗟に光の障壁を張って、その鎌の一撃を防いだのを見た。しかし、その直後に、強力な魔術具である「光導の杖」が砕け散り、その勢いでメオンが後方へ吹っ飛ぶのを目撃したのだ。


「お爺ちゃん!!」


 悲鳴のような叫びが口をついて出る。そして、咄嗟に駆け寄ろうとする。が、一歩踏み出したところで足が止まってしまった。


(ダメだ、僕が行っても何も出来ない……皆を逃がさなきゃ)


 皆を逃がす。つまり養父メオンを放置し、リリアを馬車の下敷きにしたまま、動ける人々を遠くに逃がす。この冷酷な判断が自分のすべき事・・・・だと、ユーリーの頭の中の冷静な部分がしきりに・・・・そう訴えかけている。


ギリィ……


 頭の中に音が響く、自分が奥歯を噛締めている音だ。そう自覚したユーリーは、横転した馬車に取り付き作業を再開するドワーフ達の中からポンペイオ王子を見つけると鋭い声を発した。それは、およそ王族に掛ける言葉とは言えない厳しい響きが籠ったものだった。


「王子! 今すぐこの場から逃げてください!」

「しかし……」

「命の恩人の言う事を聞いて下さい!」


 ユーリーの厳しい声に、侯爵ガーランドも同調する。


「私も退きます故、どうかご一緒に」


 侯爵ガーランドの声は、厳しいばかりのユーリーの言葉と違い、有無を言わせない響きがあった。その二人の言葉に、ポンペイオ王子は渋々という風に首を縦に振る。そして、王子を守る使命を持つドワーフ戦士団を引き連れて第二城郭の方へ退避を始めるのだ。立ち去り際、ポンペイオ王子はユーリーに声を掛けるが、全てを言い切る事は出来なかった。


「ユーリー殿……」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 ポンペイオ王子の言い掛けた言葉、この少女リリアを助け出せなくて済まない、その謝罪が口から出る前に、ユーリーは被せるように言い返していた。


 やがて後方へ退避を始めたドワーフ戦士団と侯爵ガーランドの様子に、他の人々も追随する。そして、あっという間にユーリーの周囲には足元のリリア以外の人がいなくなっていた。ユーリーはもう一度念のために周囲を見渡し、後方へ逃れている人々の後ろ姿を確認すると再び前を見据えた。目の前には、第一城門を背に立つ魔神、そしてやや離れた手前に蹲ったまま動かない無角獣ルカン。左手には第二騎士団の詰所の入口附近まで吹き飛ばされ動かない養父メオンの姿が遠くに見えた。


 すると足元からか弱い声が聞こえる。他の誰のものでもない、愛する少女リリアのものだった。


「ユーリーも早く逃げて……」

「……だめだ、逃げない」

「……私が居るからなの?」


 リリアは細い声で呻くように言う。その声にユーリーは「そうだ」とは言えなかった。先程、血を吐くような言葉で自分を責めていたリリアの、その傷ついた心に追い討ちを掛けるような言葉を言えるはずがなかった。だから、


「ちがうよ……考えてごらん。今逃げている人達、離れるまで時間を稼がなくちゃならない」

「それなら私が!」

「だめだ! ……僕の仕事だ」


 リリアの細い悲鳴のような声を、ユーリーの声がかき消す。そして、ユーリーは視線を正面の魔神に移した。


 城門の前に立つ魔神は、動かず佇んでいるように見えて、実際は傷ついた自分の身体を修復していた。先程まで吹き飛んで消滅していた背骨はいつの間にか修復しており、細かい穴によってボロボロになっていた四肢の骨も修復されつつある。そして、切り離して魔術師へ投げ付けた右腕の肘から先もまた、同じく鎌の形状に修復していたのだ。そんな魔神の肋骨の中では、巨体に見合わぬ小さな心臓が跳ね回るように踊り狂っている。


(どうする……?)


 ユーリーは、魔神の様子に意識を集中させる。しかし、目の前の強大な存在に対抗できるような力が自分に有るはずも無かった。だから、魔神を倒すという選択肢は頭の中から排除している。その上で、出来ることの中で最上の選択肢、それは何とかリリアだけでも逃がすことだ。


(アイツの攻撃、衝撃波を伴う攻撃をもう一度手前に着弾させれば、馬車を退かすことが出来るかもしれない)


 それは可能性の薄い賭けのような手段だが、リリアだけでも逃がす、という目的を達成するためには一番現実的な手段のような気がした。そしてユーリーは意を決すると行動に移る。考えに費やせる時間は限られていた。自らとリリアに「加護」の強化術を付与し、更にリリアが横たわっている場所に「対魔力障壁マジックシールド」の力場術を展開する。一方のリリアは、ユーリーの行動に疑問を発する。


「ユーリー、何をするつもりなの?」

「時間稼ぎだよ、大丈夫だ……いいかい、リリア。身体を小さくしてなるべく馬車の陰に隠れるんだ。そして、アイツの攻撃で馬車が動いたら、素早く下から抜け出して……とにかく走って逃げるんだ、分かったね?」

「え? でもユーリーは――」


 ユーリーの言葉に次いで疑問を投げかけるリリアだが、ユーリーはその言葉を聞いていなかった。既に魔神目掛けて駈け出していたのだ。


****************************************


 ユーリーは駆ける。「加護」の術によって強化された彼の足は速く、疾風のように凄惨な破壊の場を駆け抜ける。ユーリーの目指す場所は無角獣ルカンが蹲る辺りだ。そこならば、攻撃の余波で馬車が動き、リリアがその下敷きから解放される可能性があると直感していたのだ。


(本当はずっと一緒にいたかったけど……)


 既に死を覚悟したユーリーの脳裏に、後悔が過る。その後悔の内容は、少し下世話なな男女の事、未だ経験したことの無い事を含んでいたので、つい可笑しくてユーリーは走りながら口角を上げていた。そして腰の鞘に戻していた「蒼牙」を抜き放つとありったけの魔力を叩き込む。先ずは自分に注意を向けさせる必要があった。


 ユーリーは素早く補助動作を行うと「火爆矢ファイヤボルト」の術を発動する。今の彼が使える攻撃術の中で最も強力な物だった。そして、出現した槍ほどの大きさの白熱した炎の矢を魔神目掛けて解き放った。炎の矢は第二城郭内の闇を切り裂き真っ直ぐに飛ぶと、メオンの方へ注意を向けていた魔神の胸骨の辺りに着弾した。


ドォォンッ!


 赤い爆炎が上がり、衝撃が空気を震わせる。しかし、ユーリー最強の攻撃術は魔神に何の損傷も与えなかった。薄く掛かった煙が治まると、変わらない姿の魔神の姿が露わになった。


(くそっ……全然効かないんだな!)


 ユーリーには半ば分かっていたことだが、小さくないショックを感じる。しかし、この攻撃の合間に、ユーリーは既にルカンのやや右側に到達していた。そして、眼前の魔神はユーリーの姿を認めたようで、虚無の眼窩をこの若者に向ける。その左手には既に闇色の投げ槍が姿を現していた。


 勝機が無いのは分かっていた。しかし、実際に闇色の投げ槍が自分へ向けて放たれる瞬間にあって、ユーリーは悔しさがこみ上げてくるのを感じていた。魔神の攻撃動作が酷くゆったりとした緩慢な動きに見える。抗う手段が無く、死が迫っている事を本能的に察知したのだろう。周りの全てがゆっくり動くように感じる。


(ドルドの河原の時のように、あの力、光の翼が使えれば……)


 絶望的な力が自分に向けられる間際、ユーリーの脳裏にはこの事が浮かばざるを得なかった。そしてその思いは、同時に養父メオンの戒めめいた言葉をも連想させた。どのような状況で発動するかも分からない力に頼ってはならない、そう戒めた言葉だ。その時はユーリーも、養父の言葉に全く同意だった。それでも、経験上ユーリー自身が瀕死の状態になった時に発動するのだろう、とおぼろげ・・・・ながら理解していた。しかし、今、死の間際にあっても、ユーリーには何の変化の兆候も感じられなかった。


(少し期待していたけど……駄目そうだな……)


 ユーリーの胸中に諦めの言葉が浮かぶ。


 魔神の左腕から放たれた、闇色の投げ槍は鋭い軌道を描きユーリーとルカンの居る場所に突き刺さる。そして、何度目かの圧倒的な威力を発揮するのだ。


ブウゥゥゥゥゥンッ!


 爆発的に膨れ上がった闇が、ユーリーの姿を覆い隠す。そして一拍も置かない内に生じた衝撃波が、第一城門前の全てを舐めるように薙ぎ払って行くのだ。


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