Episode_10.23 魔神召喚
ドレンドは懐に差し入れた左手で、掌に乗る大きさの黒曜石のような質感の宝玉を取り出す。それは「黒魔の封玉」と呼ばれる魔術具だった。メオン老師が使う「光導の杖」同様、魔力を籠めるだけで極属性「闇」の高度な魔術を発現できる強力な魔術具である。しかし、この宝玉にはもう一つの忌々しい力が封じられている。
魔術具には夫々、魔力を発現するための「核」がある。例えばポンペイオ王子の鍛えた「
そしてドレンドの持つ「黒魔の封玉」の核は、この世の者ではない存在 ――古代ローディルスの魔術師達は「魔神」と呼んだ―― の心臓が用いられているのだ。
――魔神―― かつてこの世界を支配していたローディルス帝国の魔術師達がそう名付けた存在は、名付け主である魔術師達によってこの世界の次元に召喚された、異次元の存在の総称である。
秩序と|理(ことわり)の巨人から|魔力(マナ)の力を用いる|術(すべ)、魔術を学んだ|古(いにしえ)の人間達は、師であり祖でもある秩序の巨人が授けた魔術の範疇では飽き足らず、その教えの範囲外にある知識を求め出した。
始めは小さな試みだった。しかし、この次元に召喚された異次元の存在は、これまで得られなかった英知を人間達に与える存在だった。これによって中期以降のローディルス帝国は爆発的な栄華と繁栄を手に入れた。しかし、やがてエスカレートしたこの行為は、魔術師達に「自らが神を創造できる」という傲慢な幻想を抱かせることになった。そして魔術師達は、自分達の文明を破滅に導く「大崩壊」の日を迎えたのである。
その破滅に至る過程で、英知を求める貪欲の糧として数多くの「魔神」がこの次元に召喚されたのだ。そんな「魔神」達は英知を授け役目を終えると元の次元に送還されていたが、一部の強力な存在は別の利用法を模索する貪欲な魔術師達によって
世界や次元を皮袋に喩えるならば、魔神達が閉じ込められた亜次元は皮袋の内と外を隔てる皮に浮き上がった水ぶくれのような場所だ。そこは、時間の流れも、縦横高さの概念もいい加減な、無理矢理押し広げられた空間だという。その場所に、几帳面にも「上位」「中位」「下位」と区分けして魔神達は留め置かれた。
今、黒衣の導師と呼ばれたドレンドは、その亜次元の一つと繋がる「黒魔の封玉」を用いて、閉じ込められた魔神を召喚しようとしていた。召喚される魔神は「中位」に区分けされる存在だ。そして、その目的は一つ、「破壊」である。
魔神をこの世に呼び出す方法は現在にも幾つか伝わっている。大勢の生き物の
しかし、召喚した魔神を使役するためには周到な準備と強力な
左手一本で空間に複雑な魔術陣を描くドレンド、その傍らには魔術陣に充満した魔力を受けて宙に浮遊した「黒魔の封玉」がある。そして、鈍い紫色の燐光を放つ複雑な術陣に吸寄せられるように、黒曜石の宝玉が空中を移動する。しかし、ドレンドにはその様子を見る余裕は無かった。
既に肉体的に瀕死の重傷を負っている彼は、その生命力同様に魔力もまた底を尽きかけている。それでも歯を喰いしばり、自身の生命力が燃えるように魔力に転じていくのを感じつつ、極限状態の魔力欠乏症を跳ね除けて魔術陣を展開していく。
(もう、すこし……だ……)
頭が弾け飛ぶのでは無いかと思う程の頭痛。
その瞬間、魔術陣が昏い紫の光を放ち、中央の宝玉が脈打つように球形を失った。そして、音も無く、何の前触れもなく、夜の闇の中でも尚黒い物体が宝玉の表面を突き破り飛び出す。
ビシィッ
突き出た黒い物体は、物に喩えるなら人骨、それも腕の骨であった。それは鋭く黒い槍のように、召喚者であるドレンドを貫く。
「うっぐぅ……」
ドレンドの身体からあふれ出た血が黒い人骨を伝い流れる。そして――
ブォォォォンッ!
ドレンドの血が宝玉を濡らす。その瞬間が合図であったかのように宝玉が一気に膨張すると、周囲に波打つ闇の衝撃波を撒き散らした。城壁の上を爆心地とした闇の爆発は、極属性闇の高位攻撃術である「
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黒い光、それ以外に形容の仕様がないものが夜気を駆け抜けると、続いて低い振動を伴う衝撃波が走り抜ける。爆心地は城壁の上であったが、その衝撃波は少し離れた場所で会話をしていた侯爵ガーランドやリリアを始めとする人々にも襲い掛かっていた。
「きゃぁ!」
「うおっ!」
丁度城門を右手に見る格好で、ポンペイオ王子と並んで立って遠話の術を使っていたリリアは、その衝撃波を真横から受けた。距離が離れていたため、威力は大幅に減衰していたが、それでもドンッという衝撃と、何故か足の力が抜けるような「重たい感覚」に襲われる。
「これは……『
ポンペイオ王子と共に王宮から脱出してきた一行の中にいた宮中魔術師ゴルメスは、極属性闇の高位攻撃術の余波に似た感触を受けて驚きの声を上げる。しかし、大部分の人々はそんな事よりも城壁の上の異変に注目していたのだ。
「何じゃ、あれは!」
「なっ……なんだ」
馬車の|室内(キャビン)から半身を乗り出して話をしていた侯爵ガーランドは衝撃波の影響は受けなかった。そのため周囲の人々よりも早く、異変の原因を認めて驚きの声を上げていた。釣られるように、頑丈なドワーフの王子ポンペイオも侯爵の視線を追い驚愕の声を上げる。
彼等の視線の先には、異形の存在があった。それは巨大な漆黒の人骨、としか言い表せないものだ。その姿は、命有る者に本能的な嫌悪感を抱かせる存在感を放ち、城門の上に立っている。そして、先ほどの衝撃波でなぎ倒された人々の様子を見渡すように頭を巡らせているのだ。
漆黒の人骨はしばらくの間、そうやって眼下の人々を眺めていたが、不意に高さ十メートルを超える城門の上から、不気味なほど
地面に降り立ったその異形の怪物は、身長が優に五メートルはありそうだ。それが城門を背にして直立している。良く見ると、その漆黒の腕の骨には黒いぼろきれの様なものがまとわりついているが、その人骨は腕を払う一動作で、そのぼろきれを振り飛ばす。そして、衝撃波から生き残った人間の集団にむけて、眼球の無い眼窩を向ける。漆黒の頭蓋骨の奥、闇より更に昏い眼窩の奥で怪しい赤い光が瞬いていた。
一方、ロージアンの騎士や兵士達は初撃を不意打ちで喰らい、城壁の近くにいたものから順に総勢の三分の一前後が絶命、または戦闘不能に陥っている。その上で目の前には、異形の存在が立ち塞がった状態である。しかし、勇敢な騎士達は混乱する兵を纏めると、目の前の巨大な漆黒の人骨に対して防衛線を張ろうと声を上げる。
「怯むな! 立ち上がれ!」
「横隊陣形を取れ!」
「あんなのは、こけ脅しに過ぎん!」
口々に声を上げると、怯む兵士を纏め上げて、城門の前に立つ異形の存在に対して横隊陣形を取り盾と槍を構える。しかし、これがいけなかった……いや、どうあっても結果は同じだったかもしれない。
異形の存在、魔神は自分に対峙した百前後の人間に対して、右手を振るう。その動作で右腕の骨が変形し巨大な鎌の形状に変じる。そして、続いて左腕で何かを投げ付けるような動作をする。
魔神の左腕にはいつの間にか巨大な漆黒の投げ槍が握られていた。それを前方の騎士や兵士達に向けて投げ付けたのだ。漆黒の投げ槍は、夜の闇を切り裂いて飛ぶと横隊陣形を組んだ兵士達の真ん中の地面に突き立ち――
ドオォォォォンッ!
地面に突き立つ瞬間に投げ槍の姿は砕け散り、辺りに闇と衝撃波を再び振りまいた。それは、先のものよりも一段強力な攻撃、現在には伝わっていない「
先ず溢れ出した闇によって着弾点付近の兵士達の身体が引き裂かれる。まるで粘土細工のように簡単に人間の四肢や体幹が千切れていくのだ。そして、次に襲う衝撃波が闇の直撃を免れた騎士達を吹き飛ばす。余りにも強力な衝撃波は一瞬周囲に白い雲を生じさせ、巻き込まれた騎士達は、頭蓋が弾け割れ、腹が裂けた。更にその余波は、百メートルほど離れていたウェスタ侯爵の一行にも襲い掛かるのだ。
「いかん!」
殆ど咄嗟の判断で、宮中魔術師ゴルメスは力場魔術の一つ「
バンッ!
衝撃波が侯爵ガーランドの乗る馬車を横倒しにする。周囲にいた人々 ――リリアやポンペイオ王子―― は今度こそ強烈な一撃を受けて悲鳴を上げることも儘成らず横薙ぎに倒されていった。
やがて舞い上がった土埃が治まったあと、城門の前に立っているものは異形の存在である魔神の姿だけであった。その魔神は先ほどまで全くの骸骨であったが、今はその漆黒の骨に、毒々しい暗血色の筋肉が薄く貼りついている。また、肋骨の奥では、その巨体に不釣り合いなほど小さな心臓が踊り狂うように邪悪な脈を打ちはじめていた。
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