Episode_10.22 黒魔の宝珠
第一城郭、城門の上に一人の人影が佇んでいる。黒いローブの右半身はボロボロに引き裂かれ、更に右腕は上腕から先が千切れ飛び、悲惨な傷口を晒している。常に深くかぶっていたフードも肌蹴落ち、夜明け前の夜気にカサ付いた皮膚とバサバサの白髪を晒している、その人物は黒衣の導師ドレンドである。
彼の周囲、城壁の上は今無人であった。ついさっきまでは自分の術の支配下にあった兵士達が守っていた場所だが、その兵士達は既に駆逐されてしまっていた。そんな城壁の上には今、彼以外の人影は無い。静寂に包まれた周囲を見渡すドレンドの耳には夜風にのって断続的に戦いの音が聞こえて来るが、それも徐々に小さくなっている。
徐々に途切れていく戦いの音は、ルーカルトが企んだ ――実際にはドレンドがそう仕向けた―― 王位簒奪劇の終焉を意味している。しかし、ドレンドにとって
大量の出血と容赦なく襲い掛かる寒気によって、生れつきの白い肌は土気色の変化している。このまま放置すれば朝日が昇る前に絶命してしまうだろう、と思われるほどの重傷だ。しかし、この魔術師は己に「
「何故、
|茫洋(ぼうよう)たる呟きが、潤いを無くしたヒビ割ればかりの唇からこぼれ落ちる。
ドレンドは朦朧とする意識の中で思い返す。「正塔の魔術師」と名乗った老魔術師は強力な実力と
「なぜ、なのだ……」
口では「何故」と呟きつつも、彼には理由が分かっていた。各所に散った導師や術士達の「最後の命綱」と言える帰還陣が何等かの問題で機能不全に陥るとは考えられない。その事を良く知るドレンドだからこそ、冷酷な答えに辿り着くのに多くの時間を要しなかった。その答えとは、彼が「エグメル」から放逐された、という事だ。
冷涼な風が東北から吹き抜けて、ぼろきれ同然のローブを揺らす。その風が吹き抜けた後、ドレンドは不意に人の気配を感じた。
「……酷い怪我ね……」
「……死霊の導師アンナ……引導を渡しに来たのか……」
黒いローブを纏った女魔術師アンナが不意に虚空から姿を現した。彼女は怪我を負ったドレンドの様子に驚くと、「止血」と「治癒」を立て続けに施す。一方のドレンドは、その事には礼を言わずに、彼女が来た目的を悟った上での問いを発したのだ。
「もう気付いていたのね。……元師も冷たいわね……とにかく『扇動の小杖』と『黒魔の封玉』を渡して貰えるかしら? 貴方にはもう必要の無い物よ」
「……」
アンナの要求にドレンドは無言のままだった。
「素直に渡してくれれば、後はお役御免だそうよ。何処か人里離れたところでゆっくり養生しろ、とは元師の言葉よ」
同じ「エグメル」の仲間といっても、反目し合うことばかりだった二人だ。しかし今のアンナの言葉には、ドレンドに同情するような響きが籠められている。そして、その響きがドレンドには、憐みを掛けられているようで、許せなかった。
「元師がそのような言葉を言うはずがない……お前のような新参者に情けを受けるとはな……しかし『扇動の小杖』は渡せんよ、もう壊れてしまった」
「あら……ああ、そう言えばアレは元々貴方の持ち物だったかしら?」
「そうだ……我が師から引き継いだ物だ」
「なら仕方ないわね」
そう言うとアンナは左手を差し出す。「黒魔の封玉」を渡すように催促する手振りだった。しかし、これにもドレンドは首を横に振る。その様子にアンナは眉をひそめる。
「元師より承った使命、西方辺境に混乱をばら撒くという使命を果たせずに、エグメルを去るのは辛い……」
「気持ちは分かるわ、でもドレンド、もうエグメルは貴方を必要としていない」
冷酷なアンナの言葉にドレンドは僅かにたじろぐ。しかし、激昂する訳でもそっぽを向く訳でもなく、淡々と次の言葉を語るのだ。
「エグメルが私を必要としていなくても、私にはエグメルが必要なのだ……まぁお前には分からないだろう……」
ドレンドの言葉は、その端々から強い「帰属意識」を滲ませる。それは、特異な容姿のために遺棄された幼子だった彼を拾い、育て、見い出し、役割を与えた組織への思慕に似た想いである。そして、当然アンナには理解できない気持ちだった。
「……それで、どうしたいの?」
「お前がここに辿り着いた時には、既に『黒衣の導師』として私が
「最期の事……それに、その魔術具『黒魔の封玉』が必要なのね?」
「そうだ、
アンナは少し考え込む。新参者の彼女にとって「エグメル」が所有する多数の魔術具には効果が分からない物が多かった。奇妙な形で融合を果たした古代の魔術師ラスドールスの知識にも「黒魔の封玉」という魔術具の心当たりは無かったのだ。しかし、
(まぁ、あんまり強力な魔術具がエグメルに集まるのも
何やら
「それにしても、秘められた力って、何かしら?」
「知りたいならば、その目で見届ければ良いではないか……巻き込まれるかもしれぬがな」
アンナの問いに、ドレンドは唇を歪めて答える。少し挑発するような響きが言葉に籠っているのは、ドレンドが本調子に戻ったからかも知れなかった。
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ロージアン侯爵家の騎士二十騎に兵士百人の隊列は、一路王宮を目指している。そしてその隊列の最後尾には、少ない供回りの兵士に囲まれたウェスタ侯爵ガーランドの乗る馬車が続いている。その隊列は第二城郭の城門を抜けると建物の間を縫う狭い通路を抜け第二騎士団の詰所の手前に到着していた。
先ほどまで激しい戦闘の繰り広げられていた詰所前や、第一城門前の戦闘は既に終息しており、周囲には負傷兵が固まって座り込んでいたり、戦死者の遺体を運ぶ兵士達が行き交っている。疲労困憊で憔悴した表情の兵士達は衛兵団所属の兵のようで、新たに現れたロージアン侯爵家の騎士達に視線を向けるのみで特別な反応は返してこない。
そんな疲れ切った兵士達を後目に、第一城郭の城門前で停止した隊列は、目の前の城門から出て来た騎士達とドワーフ戦士達、それに数人の役人を含んだ一団と合流すると何事か言葉を交わす。そして、城門から出て来た集団はそのまま最後尾に位置するガーランドの元へやって来た。やって来たのはウェスタ侯爵家の正騎士の甲冑を身に着けた老齢の騎士ガルス中将と、数名の騎士達に護衛されたポンペイオ王子率いる山の王国使節団の戦士達、それにリリアだった。
「大殿! ポンペイオ王子をお連れしました」
ガルスの呼掛けに侯爵ガーランドは馬車の扉を開けて外を見る。そしてポンペイオ王子の姿を認めると、安堵したような表情となるのだ。
「王子、御無事でしたか!」
「何とか無事に脱出できました、これもアルヴァン殿のお蔭です」
「それは何より……して、アルヴァンは?」
山の王国の王子が無事に戻ったことに安堵しつつ、侯爵ガーランドは孫の安否を気遣う。その言葉にリリアが進み出て説明する。
「アルヴァン様は、ローデウス王の安否を確認するために王宮内部に留まっています。今は……王宮を抜けて、王様の居館へ繋がる渡り廊下を進んでいます」
リリアは、謁見の間に続く廊下で別れた際にユーリーやアルヴァン達が言っていた内容と、風の精霊が伝える彼等の現在地を老侯爵に伝える。その声は、血生臭い戦闘後の疲れ切った雰囲気に不釣り合いな凛とした声だった。侯爵ガーランドはその言葉を発した者が少女である事を認めると怪訝な表情となる。
「お主は……たしか?」
「はい、ノヴァ様と仲良くさせて頂いている……」
「おお、たしかリリアと言ったな。今のは精霊術じゃな。ちとアルヴァンと話ができるか?」
「はい」
そんなやりとりの会話になる。リリアは侯爵ガーランドの求めに応じてユーリーに纏わり付かせていた風の精霊に呼びかける。離れた距離でも言葉を通す「
「ユーリー?」
『リリア! そっちは無事か?』
「大丈夫よ、今第一城門を出た所だわ。それよりも侯爵様がアルヴァン様と話がしたいって」
『分かった。アルヴァン!』
リリアの周辺に、ユーリーの声が響く。それに伴い彼の周辺に居る人々の息遣いや歩くたびにカタカタと鳴る甲冑の音も聞こえてくるのだ。そして、ユーリーが少し離れていたのだろう、アルヴァンを呼びかける声が聞こえてきた。
その時、城門前に待機していた騎士達が緊張した声を上げるのがリリア達の所にも聞こえてきた。
「おい、なんだあれ?」
「城壁の上に誰かいるのか?」
「おい、ちょっと行って見て来い!」
城壁の上、城門の真上近くに佇む人影に気付いた騎士達の命令を受けて、従卒兵の数人が城壁の上に行くために第一城門を通り抜けようと進み出す。
――それは、そんな瞬間に突然起こった。
ブォォォォンッ!
耳がオカシクなるような低い破裂音と共に、城門上の空間から「闇」が溢れ出る。夜明けまで未だ時間のある、暗い空の下にあって、明らかに周囲の暗さとは質の違う「闇」がまるで溢れ出るように空間に広がっていくのだ。
その闇の波は、進み出た従卒兵達はもとより、城門前に待機していたロージアン侯爵家の騎士や兵士達をも呑み込む。突然の異変に唖然とした者達は、その表情のまま無音で闇に呑まれていったのだ。
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