Episode_10.17 玉座の簒奪者
謁見の間へ続く大扉の前で少しだけ冗談を言い合っていたのは、本能的に感じる緊張を緩和するための自然な振る舞いだったのかもしれない。そう思うアルヴァンはひとしきり笑った後で、真顔に戻ると扉を開けるように指示を出した。その指示を受けた兵士が両開きの大扉に手を掛け一気に押し開ける。その先には薄暗く明かりの無い謁見の間がガランと広がっていた。
一行は兵士達を先頭に広い謁見の間を警戒しつつ進む。ユーリーやヨシン、それにアルヴァンは今日の午後に一度立ち入っていた場所だが、今は全く人気が無く寒々しい印象を与えている。そんな謁見の間の最奥、三段程高くなった玉座の据え付けられた場所の右側に目当ての扉があるのだ。そこから先は王家の私的空間となっているが、数か月前のトルン砦に関する作戦会議の際にアルヴァンは足を踏み入れた経験があった。
「ん……アルヴァン、ちょっと変よ!」
「どうした?」
「ユーリー、明かりを!」
薄暗い空間を前室から漏れる明かりだけで進む一行だが、不意にノヴァが立ち止まると周囲を警戒する。それまで何も伝えてこなかった風の精霊が不意に周囲に人の気配が有る事を伝えてきたのだ。ノヴァはアルヴァンの疑問に返事をせずに、ユーリーに「灯火」の明かりを出すことを要請する。
ユーリーも何かから「見られている」ような、気配とも言えない薄い存在を感じていたので、ノヴァの声に反応し「灯火」の術を発動する。
音も無く光の玉が謁見の間の天井付近に上がる。白っぽい明かりに照らされて一行は謁見の間の丁度中央付近に居ることを認識するのだが……
「危ない!」
奥の玉座の付近で大きな気配が動くことを察知したノヴァは、警戒の声を上げてアルヴァンに飛び付くと床に引き倒した。その瞬間――
ドヴァァン!
玉座の付近から一直線に飛んで来た青色の光が先頭を進む兵達の手前の床にぶつかり轟音と共に冷気を撒き散らした。
「うわぁ!」
「ぎゃ!」
「ひぇぇ!」
爆発的な冷気の嵐は、投射型の攻撃魔術「
「くそ! 魔術師が居るのか」
「ユーリー!」
「わ、わかった!」
騎士の誰かが上げた声に、ヨシンがユーリーを呼ぶ。その意図を察したユーリーは「
(今のは火爆矢の氷属性版の術だと思うけど……あんな威力、お爺ちゃんの術みたいだ)
「固まるな、散開しろ!」
ノヴァに押し倒された状態から起き上がりつつアルヴァンは号令を掛ける。突然の攻撃術にかなりの被害を出したが、それでも主の号令に身体が反応する兵達や騎士達は、周囲に間隔をあけて謁見の間に展開する。
そんな彼等の周囲には、急激に冷やされた空気から発生した薄い霧が掛かり、灯火の白い光によって見通しが効きにくくなっていた。そんな視界の奥側 ――玉座の付近―― から、不意に神経質そうな甲高い声が発せられた。
「ウェスタ侯爵公子アルヴァン、貴様を王家反逆の罪で捕える! 武器を捨てて前へ出ろ」
その声は、ルーカルト王子の物だった。しかし、その内容はアルヴァンには承服できないものだ。逆に腹の底から言いたいことが湧き上がってくると、そのまま叩き付けるように大声を出す。
「ルーカルト王子! 王都の惨状はご存じか? 何故貴方の息の掛かった騎士や兵達は王都を防衛しないのか? 山の王国ポンペイオ王子を捕えんとするのは何故か? ローデウス王の御意志なのか?」
「我が父、先王ローデウスの意志など最早この世の何処にも無い!」
「どういう事だ!?」
「先王ローデウスは先ほど息を引き取った。今はこの私がリムルベートの新しい王だ!」
ルーカルトの発した言葉は、アルヴァンを始めとした皆が密に危惧していた最悪の状況を語っていた。皆の中に動揺が広がるのを感じるアルヴァンは周囲を見回す。謁見の間の四隅、上座側からは近衛騎士や第一騎士団の残存勢力が二手に分かれて近付いてきている。その数は騎士が二十に兵士が四十前後という少数だった。
「
アルヴァンは殊更大声で罵倒するように声を返す。一方のルーカルトは、甲高い声が裏返り金切り声のようになりながら、傍らに控える魔術師に命じるような声を発した。
「ドレンド! あの無礼者を殺せ!」
「……御意」
黒衣の導師ドレンドは、
「亡者よ、いでよ」
その言葉に従い、謁見の間の下座側の隅、灯火の明かりの影になった場所から五体の異形の魔物が飛び出してきた。それらは、人間の背丈よりも大柄だが、人の姿をしている。人と大きく異なる点は、全身が体毛の無い真っ黒な皮膚に覆われていること、両手の先に長く鋭い爪を持つこと、そして頭部にある細く血走った両眼と一際大きな口を持つことである。
「なんだ?」
「たぶん
「手強いのか?」
「分からないけど、
ヨシンの疑問にユーリーが舌打ち混じりの投げやりな答えを返す。屍喰鬼は一般的に
(きっと、何処かに閉じ込めていたのを
ユーリーはそう見込みを付ける。とにかくそこまで強力な敵ではないが、油断できる相手ではない。
「ヨシン! 後ろの魔物は僕が受け持つ。前の騎士の方を!」
「わ、分かった!」
ユーリーは、ヨシンにそう声を掛けると、自分を含めた騎士達を対象に「加護」の強化術を掛ける。しかし、後方から迫る屍喰鬼との距離が無いため、それ以上の術を掛ける余裕は無かった。そして、
シャァァ!
ビッシリと並んだ黄ばんだ牙の隙間から掠れた鳴き声を上げる屍喰鬼は、間隔をとって謁見の間に散らばった兵の一部に襲い掛かる。ユーリーは、その一匹に狙いを定め、古代樹の弓を引き絞る。自分用にあつらえた軽装板金鎧は弓を引く動作を妨げず、ユーリーは素早い動作で二本の矢を立て続けに放っていた。
古代樹の短弓から撃ち出された矢は、強い闇の極属性を纏う
「トドメはそっちでやってくれ!」
「たすかった!」
襲われかけていた兵士にそう声を掛けると、別のもう一体へ矢を放つ。真正面から矢を受けた屍喰鬼は先ほどの一体同様に、後ろへ弾き飛ばされる。しかし、ユーリーにはそれ以上矢を放つ余裕は無かった。別の方向から残り三体の屍喰鬼がユーリーに向って来たのだ。真っ黒な顔面に細い線のように開いた赤い目がユーリーを最初に排除すべき脅威と認めて光る。
「三匹同時はキツイかっ?」
ユーリーはそう吠えるように言うと、素早く右の方へ飛び出す。飛び出しつつ、ミスリル製の仕掛け盾を展開し「蒼牙」を抜き放つ。そして鈍い青色の光沢を持つ片刃の剣に魔力を籠めたところで、自分の右手側から迫って来ていた一匹の屍喰鬼と接敵する。ユーリーの最初の挙動は、丁度左右と正面から同時に殺到してくる魔物の内、左と正面を躱し、右側の一体とだけ交戦できる位置へ移動するものだ。
屍喰鬼の攻撃は狡猾で驚異的だった。二メートル強という体格の割に素早く動き、両手の先にある鋭い爪で相手を掻き毟る。その爪元は腐食性の毒を分泌しており、ネットリとした光沢で爪を光らせている。そうして、爪と毒で相手を弱らせた上で、鋭い牙がビッシリと並んだ頭部の大きさに不釣り合いなほど巨大な口で噛みつき、トドメを刺すのである。トドメを刺された獲物はそのまま
しかし、そのまま食われるようなユーリーでは無い。見た目の気色悪さは生理的な嫌悪感を与えてくるが、その武器である両手の爪は、
(良く考えたら、タダの爪じゃないか)
と、ユーリーは判断していた。大柄な体格から繰り出される攻撃のリーチは広いが、それでもヨシンが「折れ丸」を振っている事を考えれば、まだ短いのだ。その上、剣ならば刀身全体が加害の可能性を持つが、爪は先端のほんの二十センチ程度だ。
その爪がユーリーの左側から横薙ぎに襲い掛かってくる。
バキィン!
ユーリーは動きを止めると、左手の盾でその一撃を受け止める。ゴンッという衝撃はあるが、受け止め切れない威力では無かった。対する屍喰鬼は逆の腕の爪をユーリーの右側に叩き付けようとするが、
ザンッ!
振り抜かれる寸前の魔物の腕は手首と肘の間で断ち斬られると宙を舞っていた。勿論ユーリーが繰り出した「蒼牙」による斬撃だ。そして、ユーリーは魔物の腕を切り飛ばした一撃を宙で止めると手首を返し「逆袈裟」に脇腹から反対側の肩口目掛けて「蒼牙」を振り上げる。丁度下段から斬り上げる一撃は、魔力を得て鋭い切れ味を発揮すると魔物の上半身を斜めに切り裂いていた。
斬り付けられた屍喰鬼はその場で動きを止める。血が噴き出す訳でも、臓物が飛び出す訳でも無く、切り口から黒い煤のような物を吹き出してその場に倒れ込んでいた。異様なその光景を見るユーリーは努めて冷静を保っている。これまで何度も「蒼牙」を振るい得た結論に従っているのだ。それは、
(この剣、魔力も切れ味も増すけど、僕の心の動きも一緒に大きくなるんだな)
というものだ。先程第二騎士団の詰所を巡る攻防で不自然な怒りを発した事を振り返りつつ思い至った結論だった。得体の知れない剣と気味悪く思ったが、一旦そのように正体を見極めてしまえば、対処のしようは有ると考えるユーリーであった。
内面ではそのような思考をしているが、外から見たユーリーは次の敵を迎え撃つ体勢を取っている。右に逃れることで躱した二匹の屍喰鬼が、倒されたばかりの仲間の死体を乗り越えてユーリーへ飛び掛かってくる。それをタイミング良く迎え討つユーリーは既に「
ゴゥンッ!
威力を「
順序良く円滑に魔術陣を展開し終えたユーリーの目の前には白っぽく白熱した投げ槍大の炎の矢が出現する。それは、彼の剣が指し示す場所へ向かい火の線を曳いて広い謁見の間を飛ぶと、部屋の隅まで弾き飛ばされ、起き上がろうともがく二匹の屍喰鬼へ直撃した。
ゴバァァン!
火爆矢は魔物に直撃すると、その場を炎で焼き尽くし爆音轟かせる。一瞬広がった炎が消えた後には、床にこびり付いた黒い煤以外に何も残っていなかった。強烈な魔術の直撃を受けた屍喰鬼は跡形も無く吹き飛んでいたのだった。
あっと言う間に三体の屍喰鬼を倒したユーリーの元に最後に残った一匹が駆け寄ってくる。大振りに両手を振り回して何とか爪の一撃を叩き付けようとするが、対するユーリーは冷静にその動きを見切ると、左手、右手の順に爪を生やした手の先端を切り飛ばす。両の手を失った魔物は、最後の抵抗とばかりに大きな口を一杯に広げて噛みつこうと飛び込んでくるが、その目一杯に伸ばした首は「蒼牙」によって叩き落されていたのだった。
最後の一匹の首を刎ね飛ばし、その死体が急激に黒い煤を吹き出して
「ふぅ……なんとか終わった」
気の緩んだ一瞬、緊張の間隙を突くように、突然背中から空気の炸裂する音と紫掛かった閃光が走る。反射的に身を屈めたユーリーは、その音と光が強力な攻撃術の炸裂によって発生したものだと察知する。そして、一拍の後、静寂に包まれた謁見の間にアルヴァンの悲鳴のような声が上がった。
ユーリーはその声に振る。そこには、大勢の兵達に混じりノヴァが倒れている光景が広がっていた。そして叫んだアルヴァンが彼女に駆け寄っているという状況だった。それを見たユーリーは、さらにその先、玉座の隣に立つ魔術師が、次の一撃を放とうと補助動作に入っていることを見抜いた。
「アルヴァン! 駄目だ、逃げろ!」
ユーリーは咄嗟の叫び声を上げる。そして、間に合わないと知りつつ、アルヴァンに駆け寄ろうとする。その時――
「うむ……やはり取り込み中だったか……ちと不味い状況じゃな」
突然自分の横に気配が発生する。そこには、ローブの上から毛皮を纏った老人 ――ユーリーにとって懐かしい気配―― メオン老師が立っていたのだ。
「なんで! お、お爺ちゃん?」
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