Episode_10.11 哀しき親子


王都リムルベート 第一城門前


 硬く閉ざされた第一城門、そして城壁の上には百人程の兵が弓矢を携えて眼下の集団を見下ろしている。眼下の集団 ――アルヴァン率いるウェスタ侯爵領の正騎士を中心とした勢力―― は城壁から一定の距離を取りつつも、何かの準備に追われているように忙しく動き回っている。


「攻城梯子の準備、もう少しです!」


 第二城郭城門の警備に当たっていた衛兵隊、それに第二騎士団詰所を包囲していた中隊から投降した兵士達を再編成したアルヴァンは、総勢三百人にまで増えた兵士達に第一城郭の城壁を乗り越えるための装備を準備させているのだ。


 既に先程の第一騎士団の中隊との衝突で発生した犠牲者は詰所内部に収容済みだったが、作業にはかなりの時間を要しており、時刻は真夜中を過ぎた頃だろう。


 先ほどまで、ガルス中将を始めとした年配の騎士達が第一城壁の上を固める兵士達に投降と開門を呼びかける説得を行っていたが、結局徒労に終わっていた。恫喝と懐柔を繰り返す説得にビクとも応じない城壁の上の兵士達の姿に、ガルス中将を始めとした騎士達は自然と、先ほどの第一騎士団の中隊所属の騎士達 ――最後の一人まで抵抗し全滅した―― の姿を重ね合せていたのだ。


 アルヴァンとしては、無用な衝突は避けたい一方で城門の中、王宮に留め置かれているポンペイオ王子や、ローデウス王の安否が気になる。結局、それ以上の説得は無駄と判断せざるを得ず、第二城郭内の兵器庫から攻城梯子を準備させるに至ったのだ。


「アルヴァン様、攻城梯子二基の準備が整いました。しかし……少し心もとないような」


 とはガルス中将の言葉だった。報告しつつもその視線の先は城壁に向かっている。そんな城壁の上の兵士達はにわかに弓矢による攻撃を始めていた。二基の攻城梯子を城壁に近付けないようにしているのだろう。


「ガルス、あまり兵達の被害が大きくならないように。攻城梯子はあくまでも『振り』だけだ」

「心得ております」

「なるべく、城壁の上の者達の目を此方に惹き付けるんだ」


 そう指示を出すアルヴァンは第一城門から三百メートル離れた場所に待機している。周囲を固めるのは自家の正騎士だが、先ほどと比べると幾分数が少なくなっていた。特にいつも目を惹く若い騎士、ユーリーとヨシンの姿が見当たらないのだ。


 アルヴァンは城壁に近付こうとする兵達の様子から一旦視線を外すと、一度第二騎士団の詰所の方を振り返る。そして、毎度毎度困難な任務を親友に押し付けてしまう自分を恥じるような気持ちになる。そんな彼の隣には、美しい白馬ルカンに跨るノヴァの姿があった。


「アルヴァン、そんなに心配そうな顔をすると皆が不安がるわ……ユーリーとヨシンなら大丈夫よ」


 ノヴァの声は優しくアルヴァンの耳に届く。自分が何を考えているのかはお見通し、といった風の言葉に苦笑いを浮かべつつ、アルヴァンはノヴァに返事をしようとするのだが、そこへ思わぬ声が割って入った。


「ノヴァさん! ユーリーがどうしたんですか?」

「あ、え? り、リリア……」


 そこには、両腰に剣を下げ、短弓と矢筒を背負ったリリアの姿があった。明るい茶色の髪にハシバミ色の瞳は、常に周囲に快活な印象を与えるが、夜の闇の中、更に目の前で展開される攻城戦にその表情は曇っていた。


「アルヴァン様、ノヴァさん……ユーリーの姿が見えないようですけど?」


 夜目の効くリリアの瞳に、明らかな不安の色が走っていた。


****************************************


 第一城郭の城壁から兵達が弓矢による攻撃を始めた頃、城郭の奥にある王の居館には相変わらず二人の人影が向き合っていた。先程と変わった点と言えば、双方共に手に武器を持っているということだった。


「ルーカルト、馬鹿な考えは止めるんだ。お前に国の舵取りは荷が重すぎる」


 静かに言い放つローデウス王の両手には白銀に輝く刀身が美しい大剣が握られている。リムルベート王国の国宝、山の王国を建国した際にドワーフ達から贈られた魔剣「転換者コンバーター」である。大振りの大剣でありながら病身のローデウス王が持ち支えることが出来るのは、剣に籠められた「軽量」の魔術のお蔭だった。しかし、魔剣を構える王の顔色は既に土気色となり、額には粘りつくような脂汗が浮いている。


 一方、対峙するルーカルトは細身の片手剣を手に持ち、苛立ったような表情を向けている。先程まで顔面に張り付いていた不気味な薄ら笑いの仮面は既に剥がれ落ちていた。


「父上……そのような物騒な物を何故私に向けるのですか? 父上は私の事がお嫌いなのですか? 兄上のように、私を疎んじておられるのですか! なぜ王位を譲ってくれないのですかぁ!」


 そう言い立てながら、自分の言葉に興奮の度合いを高めているのだ。剣を持つ腕が興奮の度合いを示すように小刻みに震えている。


「落ち着くんだルーカルト。人は自分の器を知らなければならない。お前は可愛い我が子であるが、王を継ぐ器では無かった。お前には責任ある役割は荷が重すぎるのだ」

「うるさい! どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって! ガーディスもブラハリーも二人揃って、いつも俺を笑いものにしてるんだ! その上、父上、貴方までこの俺をそのようにそしるのかぁ!」


 そう叫ぶルーカルトの声は後半が、ただの絶叫のようになり何を言っているのかローデウス王の耳には聞き取れなかった。しかし、喚き散らしながら振り回す剣が自分に向けて振り下ろされる光景を、まるで時間の流れを遅くしたように見ていた。


(……儂の育て方が悪かったのか……すまぬな、ルーカルト)


 ローデウス王は若かりし頃、その手に持つ魔剣「転換者」の力も合わさり、強い騎士として恐れられていた。戦乱が未だリムルベートを覆っていた時代に王となった彼にはその強さが必要だったのだ。しかし、今、避けようと思えば避けられる、そして退けようとすれば斬り捨てることなど造作もない、目の前の我が子が振るう剣の前に何もする気が起きなかった。


 第二王子として恥ずかしくないように、と自分が与えた業物の剣が自分の右の鎖骨を叩き折る。そのまま熱い切っ先は肋骨を砕きながら肺臓を切り裂き、長年苦痛をもたらしてきた胃の腑を突き破り止まった。


(左から斬ってくれれば……楽だったものを……)


 斬られたこと自体は初めてでは無かったが、これほど深く斬り付けられると不思議と痛みを感じない事に驚く。そんなローデウス王は、ただ、ボタボタと止め処無く零れ落ちる自分の血が作った血だまりに膝を付くと、破れた肺に残った最後の息で一言だけ言葉を発する。


「ルーカルト、愛している……」


 その言葉が、この錯乱した王子に届いただろうか? 自らの親を切り捨てたというのに、何の感慨もなく剣を放り出すように投げ捨てる彼の動作を見れば、答えは自ずとわかるというものだ。


 血のこびり付いた細身の剣を放り出したルーカルトは、自らが手に掛けた父親の亡骸の傍らに屈みこむと、その手から魔剣をもぎ取る。両手で持っても重そうな外見とは裏腹に魔剣はルーカルトの手に丁度良く収まっていた。満足気に口を歪める彼は、次の瞬間部屋の片隅に気配を感じて、そちらの方を振り返る。


「ドレンド……か?」


 その問いに答えるように、部屋の隅の闇の中から闇のように黒いローブを着た男が進み出てきた。そして、その男はルーカルトに対してうやうやしく頭を下げると、言う。


「王子、いや、ルーカルト王。お見事でしたぞ」

「うむ……これからどうすれば良い?」

「今頃、ガーディス王子は戦場の真っ只中で暗殺された事でしょう……貴方様が正当なリムルベート王国の王である事実は揺らぎませぬ」

「それは分かっている。だからどうすれば良いのだ?」


 ルーカルトは苛立たし気に黒の導師ドレンドに詰め寄る。しかし、ドレンドは全く動じた様子も無く答えた。


「城門前に、陛下・・に従わぬ輩がおります。その者共を大人しくさせ、慌てて戻ってくるはずの、王子を失った軍勢を掌握すれば……」

「……分かった」


 そう返事をするルーカルトは、斬り捨てたばかりの父の亡骸を一顧だにせず、王の居室を後にした。扉の向こうで控えていた五人の近衛騎士は当然のようにその後ろに続く。一人ドレンドだけは、一瞬憐みの籠った視線をローデウスの亡骸に向けるのだ。


 ドレンドからしてみれば、この王位簒奪さんだつ劇は穴だらけのものだった。しかし、彼は構わない。寧ろ望むところであった。彼の企みは、決してルーカルトを王座に据えることでは無い。寧ろその後この国を襲うであろう「大混乱」こそが彼の狙いだったのだ。


(多少、美しさに欠けるが……結果が良ければ、元師も文句は言わないだろう……なにより、あの生意気な女死霊術師にデカい顔をされずに済む)


 そう思うドレンドは最後の締めくくりとして、一つの勢力でリムルベートの混乱を治めてしまう可能性がある、と警戒するウェスタ侯爵家に痛手を与えることを決める。当主であるブラハリーはガーディス王子と共に暗殺されるだろうから、自分はその息子アルヴァンと、老いても衰えることなく力を振るう侯爵ガーランドを始末するのだ。


「手始めはアルヴァンだな……しかし、やはり直接手を下すのは面白くない……」


 王の亡骸に向けてそう語り掛けるドレンドは、やや間をおいて、肩を竦めるような動作を一つ残し、部屋を立ち去っていった。


****************************************


 ユーリーとヨシン、それに五名の騎士と三人のドワーフ戦士を加えた十人の一団は地下のトンネルを進んでいた。ここは第二騎士団の詰所から第一城郭を取り囲む城壁の内部に続く秘密の通路である。本来は、詰所の建物が第一城郭の出丸として機能するように、城郭内からひそかに兵を行き来させるための通路である。


 ユーリーとヨシンが並んで進んでも左右に余裕があり、さらに大柄なヨシンが身を屈めることなく通る事の出来る通路になっているが、所々で人が一人やっと通れるかどうか、といった狭さに絞られている。


「第一城郭の中には一個中隊と近衛騎士隊が居るんだろ」

「ああ、兵が三百に騎士が五十と近衛騎士が十ってところだね」


 先を急ぎながら、話しかけてくるヨシンの声にユーリーが答える。この先、城壁内部へ潜入し、そのまま城門を操作する装置を占拠し、城門を開けることがユーリーとヨシンを始めとした十人の騎士と戦士に与えられた任務だった。


「通路の突き当りは当然警戒されているんだろ?」

「分からん、この通路自体、存在を知っている人は少ないという話だから」

「確かに俺も知らなかった。さっきまで詰所が包囲されていたけど、あいつ等誰もこの地下道を通って詰所の中に突入してこなかったからな」


 同行する騎士達もそう言い合っている。実際先程まで詰所に籠城していた騎士が言う通り、王宮のある第一城郭に対して行動を起こしているアルヴァン揮下の騎士達の中でこの通路の存在を知っているのはガルスと、コンラーク伯爵家の老騎士だけだった。その二人の老齢の騎士曰く


「こんな抜け穴を皆が知っていたら、第一城郭に用事がある時近道で使うだろ? だから普段は内緒なのだ」


 と言う事だった。理由はともかくとして、強固な防御を誇る第一城門を少ない手勢で攻めるには不安があるのは事実だし、王宮内に取り残されているポンペイオ王子の安否や、ローデウス王の安否が心配な彼等にとって他の選択を選ぶ余地は無かった。


 やがて一行は一際狭くなった通路の先に扉を見つけていた。同行したドワーフ戦士の感覚では、


「恐らく城壁の真下、地面の下三メートルほどの場所だ」


 ということで、この扉が城壁の基礎部への入口で間違いが無さそうだった。目の前の扉は重厚な木製で表面の大部分が鉄か青銅の金属板で覆われている。如何にも護りの固そうな扉であるが、この扉の鍵はコンラーク伯爵家の老騎士から既に入手しているユーリー達だった。ユーリーは静かに鍵穴に鍵を差し込むとゆっくりと捻る。


カチャリ


 重厚な扉には似つかわしくない軽快な音を立てて扉は開錠される。非常時に通行を堰き止めるためには、城壁側から閂を通す仕組みになっている扉は、少し軋む音を立てつつゆっくりと開く。そして、ユーリーを先頭として扉から顔を出して周囲を伺う。


 因みにこの時点で、ユーリーは「灯火」の術で出現させていた明かりを一旦消している。周囲は完全に闇の中だった。


「ユーリー、どうだ?」

「やっぱり、なにも見えない」

「……そりゃそうだ」


 囁く声で訊いてくるのはヨシンだが、振り返り答えるユーリーには直ぐ近くに居るはずの親友の姿すら見えなかった。


「しかたない……手さぐりで進むしかなさそうだ」


 後ろの方から、騎士の誰かの声がする。ユーリーはその声に内心で溜息を吐きながら闇の中に這い出すように先を進もうとするが――


「誰だ!」


 不意に後方で鋭い声が上がった。完全な闇の中で狭い通路に押し込められた一行に緊張が走る、しかし、


「えっと、アルヴァン様から皆さんのお手伝いをするように言われて来ました……あ、ユーリー!」


 出し抜けに聞こえてきた少女の声は、押し殺しているものの、ユーリーには良く聞き知った声だった。その声を聞いて、ついユーリーは驚きの声を上げていた。


「えぇ……リリア? なんで?」


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