Episode_10.08 遺恨試合


「狙いは敵の大将だけだ、他には構うな!」


 フロンド・バスパ提督の号令が響く。そして、王都リムルベートへ上陸した海兵達よりも幾分重装備の陸戦専門兵千二百がその号令に従い、周囲を木柵で囲んだリムルベート王国軍の陣地外周を反時計回りに進む。


 彼等第三海兵団は、夜の闇に乗じて「海竜の五本角号」をリムルベート王国軍の陣地から更に北側の海岸付近に停泊させ、正面に注視していた敵の背後に回り込むことに成功したのだ。作戦自体は彼等が得意とする、奇襲を前提とした上陸作戦である。


(さっさと一撃を食らわせて退却しなければ……)


 既に退却の時期について考えているフロンド提督である。周囲全てが敵性の土地で、陸上に長居するのは面白くない。攻撃目標は敵の補給基地であったり、後方都市であったり、手薄な本陣であったりするが、基本的に奇襲上陸作戦においては「さっさとやって、さっさっと撤収」がフロンド提督の信条なのである。


「敵は浮足立っているぞ! 距離を取らせるな、進め!」


 フロンド提督の前方には、騎兵と中心とした七百程の敵集団が見える。こちらの軍勢に気付き、中心にいる敵大将を守るべく円形陣に移行しようとしている様子だった。


(騎士だか何だか知らないが、そうやって固まっていれば得意の突破力も半減だ!)


 数で勝る上に、敵の意表をついた襲撃である。畳み掛ければ充分勝機があるとフロンド提督は考えていた。


****************************************


「殿下を守れ! 円形陣だ!」


 デイルはそう叫びながら敵の襲撃が絶妙なタイミングだったことに歯噛みした。丁度第一騎士団の残存大隊を前線に投入した直後に、背後から本陣を攻められるとは思ってもみなかった。


(もっと周辺の偵察を密にしておけば……)

と後悔するが、後の祭りである。今やるべきことは、総大将であるガーディス王子を守ることなのだ。


「殿下! 前線に差し向けた部隊を戻します!」

「ブラハリー、それは駄目だ。ノーバラプールの攻勢は後一押しで完全に押し留められる。前線は踏ん張りどころだ。ここは、お前の隊で踏ん張ってくれ」


 デイルの耳にはブラハリーの進言を否定するガーディス王子の言葉が聞こえる。デイルには王子の言う事も正しいように聞こえた。確かに前方の戦線は、追加投入された第一騎士団の活躍があり、突破の勢いを完全に食い止めていた。ここまでならば防戦のみだが、この後直ぐに迂回攻撃を決定した右翼側の騎士隊の突撃が開始される、というところである。今この時点で兵を退かせれば、折角削いだ敵の勢いが盛り返すと直感したのだ。


「……デイル! 何としても死守せよ!」

「分かっています!」


 主であるブラハリーの思いは「ガーディス王子に万が一の事があってはならない」というものだ。そのこと自体を痛いほど実感しているデイルは、主の言葉に力強く応じる。ふと見れば、ブラハリー自身も滅多に持たない剣を抜き放っていた。その事実一つで、デイルは気合いを入れ直す。


(ここで持ち堪えれば、前列の敵は殲滅される。ノーバラプールの事変もこれで決着がつくんだ!)


 そして、家に帰れる。デイルは空いた左手で自分の頬を張ると、兜の面貌を勢いよく下ろしていた。


***************************************


 急襲を受けた本陣は、ガーディス王子とブラハリー、そしてこの二人を守る近衛騎士隊長ジェネス以下十名の近衛騎士とデイルが中心に位置している。遠くから飛び道具で狙われることを警戒して、既に下馬した状態だ。


 そんな彼等を取り囲むように歩兵による円形陣が敷かれる。円形陣の主力は盾と槍で武装したウェスタ侯爵家の従卒兵、それに百人程の弓兵だ。一方、ウェスタ侯爵領の正騎士を中心とする騎士隊約百騎は、円形陣の外周部、丁度前線部隊との間に広がる二百メートルほどの空間に展開する。円形陣の歩兵達が敵を受け止め、騎士達が機動力を生かして敵の数を減らしていくことを意図した布陣であった。


 そこへ、背後からの急襲という状況を作る事に成功したカルアニス所属の第三海兵団千二百が襲い掛かる。彼等は、王都を襲う海兵よりも重武装の陸戦部隊である。装備は小さな鎖を編み上げた鎖帷子、手には大型の方形盾と短槍、腰に海兵らしくカットラスを差している。更に、三分の一に当たる四百人が、大型の弩弓を携えている。


 そんな敵の先頭が円形陣の前列に接触すると、直ぐに激しい戦闘が開始された。円形盾と方形盾を突き合わせた歩兵達が、その隙間から槍を突き入れ何とか敵を崩そうと躍起になる。悲鳴に怒号、お馴染みというには余りにも無情な戦場の騒音が辺りを包み込む。


 勢いで言えば敵に分が有った、錬度で言えば五分だろう、装備の違いは僅差である。そんな二つの軍勢の最前列はガッチリ噛み合い均衡する。そして、夫々の軍の指揮官が次の動きを指示する。カルアニスのフロンド提督は、後続の兵達に円形陣を包囲するよう迂回を命じる。対するウェスタ侯爵領の筆頭騎士デイルは、


「陣形を変える! 後方の兵は左へ展開しろ、敵の迂回を許すな!」


 そう命じて、自軍の陣形を変えさせると包囲を試みる敵の動きに対抗する。特に迂回中の敵の側面へ目掛けて放たれた矢の攻撃は目に見える痛手を敵に与えていた。


 一方、円形陣の外周で距離をとって待機していた正騎士達は、今こそ武勲の好機、と勇躍すると短い距離で馬の速度を上げ、迂回行動をとる敵を更に迂回すると指揮官フロンドの居る辺りへ目掛けて突撃を敢行した。これを迎え撃つカルアニス側ではフロンド提督の号令が響き渡る。


「大弩弓構えろ! 一度しか撃てないんだ良く狙えよ! うてぇ!」


 カルアニス側が用意したのは大型の弩弓。一度放つと再度矢を番えるにはかなりの時間を要する武器だが、その分威力は強力だ。その弩弓から放たれた太く重い矢は突撃を敢行したウェスタ侯爵領の正騎士達の重厚な鎧すら貫通し彼等を次々と落馬させていく。


 合計四百の大弩弓の斉射により、百騎だった騎士隊は半数迄数を減じていた。しかし、生き残った五十の騎士の戦闘意欲を完全に折るには至らなかった。


****************************************


 戦闘の音が厭に煩く聞こえる。ワンワンと頭の中に鳴り響いて思考に纏まりが無くなる。


(俺は何故ここに居るんだ?)


 戦場の真っ只中にあり、しかも主君の間際まで敵が迫っている。この状況で近衛騎士の隊長を拝命している自分には明確な使命が有るはずだ……そう思うジェネスだが、その「明確な使命」が中々思い出せない。頭をチラつくのは、第三城郭内の館で対面した黒衣の魔術師の顔だけだ。カサついた白い肌に艶の無い白髪、そして血走ったような赤い目ばかりが思い出される。


「危機こそ好機、ガーディス王子を討たんとすれば、必ずお前の言うあの騎士・・・・が妨害するだろう。その時に過去の遺恨を晴らせば良い……一挙両得ではないか」


 その黒衣の魔術師はそう言っていた。自分が何故あの・・ルーカルト王子の館で、その人物に会っていたのか? 既に覚えていないジェネスは、黒衣の魔術師が語った言葉だけを反芻する。


(そうだ、俺はここでデイルを倒して、ガーディスを殺す……それが俺の使命だ)


 なまじ魔術が出来るが故、ルーカルト王子の取り巻き達の黒幕と噂される黒衣の魔術師の正体を暴こうと、ジェネスが単身でルーカルト王子の館に乗り込んだのは今年の晩夏のことであった。それは、自らの実力故に相手を見誤った無謀な挑戦であった。不自然に人気の無い館の奥でその黒衣の魔術師と対峙したジェネスは、結局剣を抜く事も、魔術で対抗することも敵わず「洗脳」という術で返り討ちに遭っていた。そして、強力な古代の魔術を発する魔術具により、その顛末すら忘れ去った魔術騎士ルーンナイトは戦場の混乱の中で己の使命・・を思い出すと、静かに得意の付与術を自分に掛けるのだった。


****************************************


 均衡した前線、その向こうでは強力な弩により大きな痛手を被った騎士達が見える。デイルは自分の立場に歯噛みした。自分には主のブラハリーを守る役目がある。昔のように我が身一つで思いのままに前線で剣を振るう立場では無くなったことが歯痒かった。


 ひたすら愛剣である大剣の柄を握ると、前周囲に視線を巡らす。伸びきった前列はお互い様、既に敵にはこちらを包囲する勢いは無い。一方で、半数に数を減じた騎士達は果敢に敵本隊への突撃を敢行している。落馬した騎士達も徒歩ながら起き上がり生存者で集団を形成している。


「このまま持ち堪えろ! 直ぐに前線のかたが付く、それまでの辛抱だ!」


 デイルは出来る限りの大声でそう喚く。そして、言い終えて口を閉じた瞬間、直ぐ隣・・・から断末魔の悲鳴が上がったのだ。


****************************************


「ぐぅあぁ!」


 デイルが咄嗟に視線を向けた先には、近衛騎士の一人が首筋から噴水の如く血を噴き上げて崩れ落ちる、という光景が展開されていた。その騎士の周囲には既に同じように首を正確に斬られて倒れ込んだ五人の騎士の姿があった。デイルの視界は、そんな突拍子も無い光景と共に、異変を起こした当事者の姿も捉えていた。それは信じられない人物であった。


「ジェネス! 貴様狂ったか!?」


 鋭いガーディス王子の声に、何の返事も返さない近衛騎士隊長ジェネスは、右手に握った片手剣ロングソードに纏わり付いた血糊を一つの動作で振り払うと、静かに切っ先を王子へ向ける。


「殿下を守れ!」


 王子のすぐ隣に立っていたブラハリーは、突然の出来事に茫然としている残った近衛騎士達を叱咤しつつも、ジェネスとガーディスの間に割って入る。ブラハリーはそこまで剣の腕が立つ訳では無い、寧ろ苦手な位だ。ウェスタ侯爵領当主の座に就いてからは殆ど剣を振るうことは無かった。その彼が身を挺して王子を守ろうとしたのだ。


「どけ……」


 しかし、ジェネスは冷静、というよりも感情の抜け落ちた声で一言、そして無造作に剣を振るう。


バキィン!


 その一撃は、剣ごとブラハリーを跳ね除ける強烈な一撃だった。


「ぐわぁっ」


 ブラハリーが身に着けるミスリルの薄板を張り付けた甲冑は、ジェネスの凶刃を貫通させることは無かったが、衝撃までは吸収できなかった。弾かれたように地面に転がるブラハリーは右肩を抱えて呻き声を上げる。


「ブラハリー様っ! 殿下をお守りしろ!」


 その光景を目の当たりにして、デイルは停止し掛けた思考が動き出すのを感じる。咄嗟に主ブラハリーと同じ言葉を発しつつ、大剣を抜きジェネスの前に飛び込む。そして、


「ジェネス! 剣を引け!」


 デイルの鋭い声に、ジェネスは一旦飛び退き間合いを取ると顔を上げた。その顔は先ほどまでの無表情とは打って変わり、何とも言えない喜色を浮かべたものになっていた。


「……デイル……再戦だぞぉ!」


 そう発する声はまるで笑い出すのを堪えているような風情がある。


(狂人……)


 これまでの理知的で快活なジェネスの人柄からは想像もつかないいびつな表情に、デイルはたじろぐ。しかし、そんなデイルの動揺などお構い無しにジェネスは疾風の如く間合いを詰めると、強烈な一撃をデイルに見舞っていた。


ガキィッ!


 咄嗟の、殆ど無意識の対応で、デイルはその一撃を大剣で受け止める。剣を通して衝撃が突き抜けるほど強烈な一撃だった。その一撃に、デイルは目の前の狂人と化した騎士が魔術の使い手であることを思い出した。重量では比較にならないほど軽い片手剣ロングソードが、デイルの持つ重厚な大剣を跳ね除ける程の威力を示す。魔術による身体強化と打撃力強化の恩恵に他ならなかった。


(こなクソォッ!)


 押し込められそうな体勢を気合いで踏ん張り抜くと、デイルは ――こちらも何処にそれだけの力が有るのか?―― と見る者を驚かせる膂力で押されかけた大剣を振り抜く。


シャァンッ!


 鋭い金属同士が擦れ、明るい火花が夜の闇にパッと散る。デイルの反撃にジェネスはあらがう事無く飛び退くと、再び剣を構える。


 デイルは振り切った大剣を引き戻しつつガーディス王子とブラハリーの様子を視界に収める。既に茫然自失の状態から立ち直った四人の近衛騎士に守られたガーディス、そして周囲の兵に助け起こされ退避するブラハリーの姿が見えていた。その様子に一安心すると、デイルはキツと音がしそうなほどに鋭い視線を目の前の騎士ジェネスに向ける。そして、


「ジェネス、剣を置け! こんなことをして何になる?」


 制止を求めるデイルの鋭い声はジェネスには届いていない事が明らかだった。その目は殺気のみを映してデイルを見据えている。そして、片手剣ロングソードの切っ先をピタリとデイルの喉元に向けると、一拍の半分という絶妙な呼吸で間合いを詰める。疾風の如き鋭い動作でデイルに肉迫したジェネスは流れるような動作で突きを繰り出していた。


ガキィン!


 崩れた円形陣の中心部で、再び鋼の武器が打ち合う音が響き渡った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る