Episode_10.07 挟撃


10月16日 ノーバラプール北部平原 夜


 リムル湾を挟み対岸の王都リムルベートから火の手が上がる僅か前の時刻、ガーディス王子率いる第一騎士団とブラハリー率いる第二騎士団総勢五千四百の騎士と兵士達は進軍の準備に取り掛かりつつ、その合図を待っていた。幕屋を張っている陣地を取り囲むように設置された急造の木柵の外へ、夜の闇を利用して展開した軍団は静寂を保ちつつ粛々と隊列を整えつつある。


 ノーバラプールとその手前に築かれた野戦陣地二つに対して、リムルベート王国軍側は前方に第一騎士団の五個大隊を並べ、その後方の左翼に第二騎士団の第四大隊が配された陣形を形作る。残りの第一騎士団と第二騎士団の、合わせて二個分の大隊については予備戦力として後方に控えるとともに、ガーディス王子の本陣の防御に当たっている状態だ。


 全体を俯瞰することが出来れば、前列を構成する第一騎士団は大隊毎に歩兵五十人を一列としてそれを八列配した横隊を組み、その後ろが弓兵、更に左右に二列縦隊を取った騎士が位置する陣形を取っている。対して右翼の後列に配された第二騎士団の大隊は同様の方陣を取りつつも、隊の右側に騎士が集まっていることが分かるはずである。


 各大隊の間隔は歩兵五十人分を測ったように空間があけられている。これは状況に応じて、後列の歩兵が前列左右にせり出すことで隙間を埋めることや、左右の騎士による突撃と後退の場所的余白を保つ事、さらに白兵戦となった場合は大隊毎に戦闘機動が取り易いように考慮された陣形であった。


 そんな陣形を後方から見る者の中にデイルの姿もあった。主であるブラハリーの近辺を守る彼の役割は、ガーディス王子を守る近衛騎士隊の役割と同じである。そんな彼等は幕屋の張られた本陣の直ぐ外で準備状況や、前方に浸透潜伏した斥候からの情報を待っているのだ。既に騎乗したデイルは隣で同じく馬上の人となったブラハリーの動かない表情をチラと見たあとこれからの作戦について反芻する。


(作戦の開始は、ノーバラプールから上がる炎ということになっているが……)


 攻撃作戦の開始はノーバラプールでの市民の武装蜂起次第となっている。既に市内に潜入している例の冒険者やアント商会の密偵達の活躍に委ねられていると言う訳だ。


(それにしても……敵側動きも奇妙なものだったな)


 デイルが一抹の不安を感じるのは、今日の夕暮れ前の出来事だった。前方に築かれた敵の陣地二つには昼頃に四千の兵が集まったという事だったが、まるで作戦行動を開始する直前のように盛大に夕食の煮炊きをする煙が上がったのだ。


「ふん、夜襲を装いこちらの消耗を待っているのだろう」


 その敵陣の動きに対するリムルベート王国軍の反応はそのようなものだった。常識的に考えれば、敵側が固い防御を捨てて攻勢に転じる利点は無いのだから当然の反応と言えた。


「大方、陣地に入った人数が多過ぎて煮炊きの量を見誤ったのだろう」


 そんな楽観的な言葉を発したのはガーディス王子の近衛騎士隊長ジェネスだった。オールダム子爵という大身貴族の三男坊にしては性格が捌けていて剣の腕は言うまでもないが、頭の良い男だと、デイルは評している。彼を見ていると、来年哨戒騎士に昇進が決まったユーリーも行く行くは彼のようになるのだろうか? という感慨が湧いてくるデイルなのである。


 そんなジェネスは、先月に前任の近衛騎士隊長の交代として派遣されて来たのだがデイルとは因縁が深い。二年前の親善試合で最後の勝負として立ち会った二人、結果は試合用の剣を折られたデイルの負けであった。


「俺は勝ったと思っていない、いつか再戦を」


 そう言い残して立ち去って行ったジェネスだが、デイルの立場が変わり頻繁に顔を合わせるようになって以降も特に再戦を申し込んでくることは無かった。デイルとしては、身近に魔術を使う剣士と言って良い存在がいることから、常々ジェネスとの再戦を心の何処かに置いていた。しかし、そんなジェネスの様子に少し拍子抜けしていたのだ。


(別に敵では無いのだし、無理に機会を求めることは無いな)


 同じ騎士として見た場合、ジェネスは頼りになる男だった。貴族の作法に精通している上、如才なくガーディス王子の相手を務める。その上剣を手に取れば一流、魔術についての評価はデイルには良く分からないが、常々訓練と称して挑み掛かってくるユーリーの厄介さを考えれば、助けになりこそすれ邪魔になる技術では無いはずだった。


「……なんだ? デイル、俺の顔に何か付いているのか?」


 そんな事を考える内に、視線を無意識にジェネスの方に向けていたデイルは、そのジェネスから声を掛けられ少し慌てた風に視線を逸らす。


「いや、何でもない……」

「そうか。なぁデイル、お前の方が実戦経験豊富なんだ、頼りにしているぜ」


 そう言うとジェネスはニィと歯を見せて笑い掛けてくる。デイルも思わず釣られるように表情を緩め、何か言い返そうとした、その時――


「ん? おい、アレ!」

「なんだ?」

「あの赤い色……燃えているのか?」


 たまたま、王都リムルベートの方角を見ていた騎士の一人が声を上げる。それに釣られて周囲の者達もそちらを見る。彼等の目には、リムル湾を挟んで西の対岸が夜空の下で赤く染まっているのが見えたのだ。その光景にざわめきが小波さざなみのように陣地や外で隊列を整えている面々に伝播していく。


「全軍に、冷静を保つように伝えろ」

「ははぁ」


 騒ぎを鎮めるためのガーディス王子の言葉を携えて伝令兵達が各大隊へ走っていく。その後ろ姿を見ながらデイルは、王都に残してきた妻ハンザや生まれたばかりの娘パルサを想う。見た目以外はか弱い女性と程遠い、そんな妻を持つデイルでさえそのような不安を感じるのだ、騎士や兵士達の心情は大きく動揺していることだろう。


 そう思い周囲を見渡すデイル、その視線が先ほどまで会話を交わしていたジェネスに留まる。何故か会話の続きのような笑顔を顔に張り付けた彼の表情に不気味さを感じたデイルが言葉を発しようとするが、その時更なる変化を伝える声が上がった。


 先ほど飛び出して行った伝令兵の一人が転がるように陣地へ飛び込んでくると、大声を発したのだ。


「斥候より情報、敵陣に動きあり、攻勢に転じる気配あり!」

「何だと!」

「狼狽えるな、対岸の火事を見た我らが浮足立っていると思い行動に出たのだろう。迎撃の準備を取らせよ!」


 斥候の情報に、ブラハリーが答える。迎撃用の布陣に変更させるための伝令兵が再度前方の大隊目掛けて走っていく。


「殿下は、陣の中へ……」

「いや、ここで良い。兵達の動揺を抑えるには、私がここにいた方が良い」


 そんなブラハリーとガーディス王子のやり取りが聞こえてきた。


 デイルは前方の闇に眼を凝らす。敵陣を攻めるために夜戦を選択することは有るが、平地での合戦に夜を選ぶことは少ない。敵味方共に同士討ちの危険が有るからだ。しかし敵は敢えてその危険を冒してでも、この機会に掛けているようだった。


(厳しい戦いになりそうだ……)


 デイルは奥歯をきつく噛締め、内心で呟くのだった。


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 リムルベート王国軍側の前列は、号令により百メートルほど前進すると、そこで防御形態へ移行する。夫々の大隊が左側の空間に後列の歩兵を押し出すことによって、一層百人の列を四列配した横隊陣形が出来上がる。その横隊陣形が合計五個大隊分横に連なることによって形成された六百メートルに渡る盾と槍の前列が完成する。更にその後ろには主に長弓を主力武器とする弓兵が並んでいる。


 歩兵による横隊陣形は正面からの攻撃を受け止める際に強力な防御力と攻撃力を発揮するが、左右からの揺さぶりには弱い。その弱点を補うため、各大隊に配されていた騎士達は歩兵戦列の左右に分散して長大な二列縦隊を組み上げる。丁度歩兵の前列よりも少し後方に下がった状態で待機する騎士達は、左右へ迂回する敵に突撃を敢行することも、同じ横隊で押し寄せてきた敵の背後を突く事も可能な布陣となっている。


 一方で後方に控えた第二騎士団の第四大隊は相変わらず横隊の最右翼後方にて待機している。これは、一般的に右側が脆弱と言われる歩兵戦列の弱点を補うための布陣である。


 日頃の訓練の成果を発揮し、円滑に陣形を整える兵士達だが、その中に広がる動揺は隠せなかった。


「狼狽えるな! ただの火事だ」

「静まれ! 敵が来るんだぞ、前に集中しろ!」


 そんな歩兵部隊の前線指揮官達の声が彼方此方から上がっている。そうしてようやく兵達の動揺を宥めたところで、敵であるノーバラプール側の兵達が姿を現した。距離にして三百メートルも無い至近距離まで目視できなかったのは夜戦ならではの障害だった。


 ノーバラプール側の布陣は、三百人前後の集団を一つの戦闘隊として、その集団が十個というものだ。騎馬の者は少ない、殆どが武装も統一されていない傭兵の集団である。それらを左右両翼に二個集団ずつ配置し、中央に精鋭である残りの六個が突入するという変形した縦隊突撃陣形を形成して前進してくるのだった。


 左右両翼の部隊がリムルベート側の騎士隊の迂回攻撃を食い止める壁の役を果たしつつ、中央に集中的に配した六個集団が前列の突破を試みる構えである。


「敵の狙いは明らかだな」

「奴らも馬鹿ではありません。統率された軍は頭を叩くのがもっとも効率的」

「頭……まぁ私の事だな」


 陣地の木柵を出た辺りで様子を見守っているガーディス王子とブラハリーの会話である。夜である上に平野に布陣しているため、見晴しは効かないが、伝令から入る報告で敵の目論見を推測しているのだ。


****************************************


 そんな会話が終わるか終らないか、という頃に、前列部隊は既に交戦状態に入っていた。最初に接敵したのは左右両翼の部隊同士である。ノーバラプール側の傭兵達は攻勢に消極的で、明らかに騎士の突撃に対する壁役に徹する事を意識している。リムルベート側の前列が押し出せば、その分下がる、と言った具合で全く「左右から敵を突き崩す」という積極的な意思が見られない。


 ついで接敵したのが中央部分だ。ノーバラプール側の中央突破部隊は精鋭揃いで、最初の接敵からあっと言う間にリムルベート側の隊列を二層ほど侵食して、尚勢いが止まらない様子だった。


「喰い止めろ、抜かれてはならん!」


 そんな前線指揮官の命令に応じて、左右の隊の後列が、突破を仕掛ける敵の前へ立ち塞がるように移動し始める。結果として、中央部分は局所的に乱戦の様相を呈していた。


 一方、左右両翼に陣取るリムルベート王国の騎士達は、縦隊の先頭を敵の壁役の部隊に拘束されていた。夜戦という状況下で不十分な距離から突撃を敢行したことが原因だった。防御に徹した敵の列を突破することが出来ず中途半端な攻撃結果に終わった騎士達の先頭は隊列に食い込み何とか前進を続けるが、思うように進むことが出来ないでいた。


「縦隊を真ん中で分けろ、後ろ側の縦隊は大きく敵を迂回し、真後ろからケツを蹴り上げてやれ!」


 右翼の現場指揮官が号令を発する。その意図を汲み取った騎士達は、長大な二列縦隊となっていた縦隊後半の百騎程が戦場を大きく迂回して敵の真裏を突かんと機動を開始する。


 そして、時を同じくして左翼でも同じような動きが始まる。左翼側は縦隊の騎士を深く前進させると、或る位置で方向転換させて長い横隊を形成させる。そして、相対する敵の右翼に対して各個撃破の戦術に転じていた。


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 武器を打ち合う音や気合の籠った号令が戦場に響きわたる。味方の声もあれば、敵の怒号もある。それらの音が近すぎる・・・・ように感じたブラハリーはガーディス王子に後退を進言していた。


「殿下、少し後退してはいかがでしょうか? 前線が近すぎます」


 ノーバラプール側の狙いは明らかだった。それは、重厚な防御前列を一点突破し、大将であるガーディス王子に肉迫すること。可能ならば討ち取ってしまえば、この戦は彼等の勝利となる。しかし、


「いや……後退するなど、気弱な。それよりも、私の周りを固める大隊を一つ中央に差し向けよ! 受け止めてしまえば、歩兵中心の縦隊による突撃など包囲されてそれでお終いだ!」


 ブラハリーの進言を退けたガーディス王子の強気の号令によって、王子の周辺を固めていた第一騎士団の大隊が前線に投入される。中央の防衛線に深く浸透しつつある敵を押し返すための増援だった。


 ブラハリーとしては、王子周辺の防備は必ず確保しておきたいのだが、一方でいくさにはながれがあることも承知している。確かに緒戦の突撃さえ食い止めれば、この勝負は終わったようなものだと判断するガーディス王子の言葉は理解できるのだ。しかし、


(それにしては、攻め手が稚拙すぎないか……)


 ノーバラプールの背後にあるのは四都市連合だ。彼等は常に戦乱治まらぬ中原地方で己の利益を確保するための闘争に身を投じている。そんな連中が、こんな見え透いた作戦をとるか? この点に対する疑念が頭にこびりついて離れないのだった。だから、


「デイル! 周囲の警戒を厳とせよ。万一伏兵などあっては……」


 ブラハリーの命令が終わらぬうちに、突如陣の背後から気勢が上がった。


「者共、一気に押し寄せて、敵の大将の首を取ってしまえ! 我ら海兵団の強さを見せつけるのだ!!」


 そんな声が夜の闇から聞こえてきた。その声の主は、リムル湾内に潜入したカルアニス海兵団のフロンド提督。そして、リムルベート王国の背後を突くのは彼が指揮する四都市連合が誇る第三海兵団だった。思わぬ伏兵の登場にリムルベート王国の陣は、にわかに動揺を発していた。


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