Episode_10.06 我ら此処に在り!
河川港とその周囲には、倉庫や漁師達の小屋が立ち並んでいる。港湾地区と呼ばれているのだが、丁度南北を走る街道を目印に東側が港湾地区、西側が居住地区という区分けになっている。居住地区の建物は石造りであったり、漆喰で固めた壁であったり様々だが、王都の北縁部に当たるこの場所には、貧しい人々が住み暮らす粗末な木造の長屋や小屋が多い。
南の港から火の手が上がってから丁度二時間が経過したころ、示し合わせるように上がった新しい火の手はそんな木造住宅を中心に燃え広がっている。晩秋の夜は肌寒いはずだが、それらの炎の熱気によって、物陰に身を潜める兵士は背中が仄かに温かく感じるのだった。
大火事の様相を呈している居住地区とは違い、河川港周辺の港湾地区には火の手が上がっていない。それは当然のことで、河川港を橋頭堡とした敵が自分達の退路を炎で断ってしまうような間抜けではないことの証だった。
そうして炎から逃れた港湾地区、漁具が積み上げられた一画の物陰に潜む兵士の姿があった。彼は、ウェスタ侯爵家の邸宅詰めの兵士で、先ほどマルグス子爵の屋敷を解放した際に、公子アルヴァンとガルス中将から命令を受け、上陸しているはずの哨戒騎士団への伝令として走った兵士である。名をポラムという。
(参ったなぁー、哨戒騎士団の連中、どこにも居ないじゃないか……それに)
物陰に潜んだまま、かれこれ一時間が経っている。ポラムは周囲の気配を伺うように聞き耳を立てている。今、彼の周りには周囲を警戒するような敵の兵士が頻繁に行き来している。まさか、河川港側にも敵が来ていると思ってもみなかった彼は、港を制圧したばかりの敵の中に飛び込んだ格好となっていたのだ。幸いにして敵の兵は彼に気付いていないが、身動きが取れない時間が一時間は続いていた。
(はぁー、ツイてない……)
心の中で盛大に溜息を漏らす彼は、ラールス家の従卒兵である。他の正騎士達の所領よりも大きいラールス家は、必要十分以上の兵力をウェスタ侯爵家に提供している。そんな兵の中で、ポラムは一番若く、一番足が速く、一番腕っぷしが
哨戒騎士団の姿が河川港に無いならば、もっと上流に上陸した可能性があるので、そちらの方へ行くべきなのだ。しかし、腕っぷしに自身のないポラムはそれが出来ないでいた。
(こんなんだから、ユーリーとかヨシンみたいな後輩に追い抜かれるんだよな……)
そんな愚痴のような事を考えている時、バシィッと肩を何者かに叩かれた。反射的に振り返り悲鳴を上げそうになるが、彼を後ろから叩いた人物は振り返った彼の口元を、手甲を着けた手で塞ぐ。思ったよりも小さい手だった。
「ヒィ……」
「バカ! 静かにしなさいポラム、まったく情けない」
「は、ハンしゃお嬢しゃま……」
腰を抜かし掛けたポラムの目の前には良く見知った女騎士ハンザの姿があった。そのハンザはポラムの口を押えていた左手で軽く彼の額を小突くと、物陰に身を隠して周囲を伺う。
「お嬢様、お一人ですか?」
「あっちの物陰に兵が十人程隠れている、わ……ポラム、隠れるならばしっかり隠れなさい、尻が見えていたわよ。頭隠して何とやらだ、よ」
ハンザの言葉にポラムは自分の尻に手をやるのだが、そんな仕草に構っていないハンザは続けて独り言のように言う。
「酷い火事になっていた……しかしここは火の手がないか」
「は、はい。多分南の港を襲った連中と同じ奴らが先に河川港を押えたのでしょう」
「そうか……パーシャの事だ、状況を見て上流に上陸したのだろうな」
「お、おそらく……」
ハンザの言葉遣いは無意識の内に昔の男言葉に変わっていく。その事を指摘していいのか分からないポラムは、敢えてその事に触れずに返事をする。そんなやり取りの後、しばらくハンザは無言となって瞑目すると周囲の気配を探り始めるのだ。
丁度ハンザとポラムが陣取る物陰は河川港の岸壁や桟橋に続く広場の入口だ。街道からこの広場に続く道は三つあるが、一番南側の入口に相当する場所である。二人の視界の先には明日積み込みをするのであろう荷物や漁具の類が山と積まれていが、その先に岸壁があり、見慣れない船の陰や岸壁を行き来する敵兵の姿がチラチラと見え隠れしている。
(あれが、敵の船と兵か……おそらく乗って来た船を守っているのだろうな……ん?)
周囲の気配を探るハンザは、遠くから馴染み深い気配と物音を感じる。微かな音、というよりも振動のような微細な空気の揺れである。しかし彼女にはそれで充分だった。
「ポラム、哨戒騎士団が来るぞ!」
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広場の北側の入口から侵入しようとする哨戒騎士団、その気配を感じ取ったハンザは改めて広場の地形を思い浮かべる。
(狭い通路から広い場所へ出る……ここに防衛線を張られれば厄介だな……ならば)
かつて副官だったパーシャを唸らせ、夫であるデイルも認めているハンザの素養、それは鋭い観察眼と的確な決定だ。長らく実戦を離れ、妻として母親として生きていた彼女だが、その素質は衰えていなかった。そんな彼女の咄嗟の思い付きは、
「ポラム、敵の注意をこちらは惹くぞ!」
「はぁ? ちょ、ちょっと、お嬢様!」
ポラムの間抜けな返事を聞くこと無く、ハンザは物陰から飛び出る。すでに右手には愛用の
「な、何――」
周囲を見回っていた二人組の敵兵、その内一人は突然飛び出してきた小柄な人影に驚きの声を上げかけて、果たせなかった。ハンザの剣が一閃すると、その兵士は首筋をザックリと斬られて血飛沫を上げる。しかし、もう一人の敵兵が驚きを呑み込むと、襲撃を伝える声をあげる。
「て、敵襲ぅー!」
それが、彼の最期の言葉だった。周囲の物陰からはポラムや、ハンザが連れてきた兵が姿を現す。「何事ですか?」と問いたげな彼等を一瞥するとハンザは、厳しい口調で言う。
「哨戒騎士が北から来る。それまで、敵を南側のこちらに引き付ける。戦う必要はない、注意を惹きさえすれば、後は逃げるだけだ!」
そう言うと、ハンザはピィと口笛を鳴らす。直ぐに彼女の愛馬 ――物陰に伏せていた―― が主人の元にやって来た。そして、愛馬の背に跨りつつも周囲の僅かな兵ではなく、広場の向こうで動きのある敵の集団に聞こえるように言うのだ。
「海賊共を見つけたぞ!」
「チクショー」
「あ、あ、あ、かぁちゃん……」
良く通る凛とした声に反応するのは、敵では無くハンザの周囲の兵達である。突然の展開に動揺するポラムを含む十一人の兵だが、次いで二十人程の敵の集団が広場の方からやって来るのを見て覚悟を決めたようになる。
「バカヤロー!」
「放火魔どもめ!」
「悔しかったら掛かってこい!」
そんなヤケクソ気味の罵声と共に、向かってくる敵へ向けて盾や槍を構えるのだった。
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メオン老師は兵達の後ろをついて歩くことを早々に諦めていた。「
(……なんと……いつぞやの女騎士ではないか? なんとも大胆な……しかし囮になるつもりか)
ハンザの行動の意図を察したメオンは、高度を下げると哨戒騎士団の先頭を行くパーシャの近くに降りる。そして、
「前方の敵、数は五百か六百だが南に注意を向けているぞ。ハンザとかいう女騎士の陽動に引っ掛かっておる。今ならば背後を突けるぞ!」
「は、ハンザ隊長? ――承知!」
メオン老師から思いもかけない人物の名を聞き少し動揺したパーシャだが、攻め時としては申し分無いと考えると、一度鞘に納めていた大剣を再び取り出すと右手で高く掲げ、大声で指示を飛ばす。
「前方の広場に突入だ! 騎士隊は敵を、兵は敵の船を押えるんだ!」
騎士や兵士達の応じる声を背に受け、パーシャは馬に拍車を掛ける。振り向かなくても背後から騎士達の馬の嘶きや蹄の音が自分を追い掛けているのを感じる。そして、パーシャを先頭として鋭い
「見えたぞ! 蹴散らせ!」
敵の集団は、南口に現れた騎士と兵士の小勢を殲滅しようと兵力の大半を差し向けていた。十二人という小勢で、且つそれを率いるのが女の騎士だと分かり、軽く見ていたのかもしれない。十人ほどの海兵が不用意にその集団に突っ込んでいき、あっという間に打ち払われていた。
「くそ、取り囲んで押し潰してしまえ!」
河川港の防御、つまり退路の確保を命じられた小隊長は部下の海兵達にそう命じたところで、背後から異様な物音を耳にして慌てて振り返る。目の前には全速力で自分達へ向かってくる騎馬の群れがあった。
「くそ! なんだコイツら?」
「俺達は、ウェスタ侯爵領の哨戒騎士だ! 民を狙い撃ちにする姑息な海賊共、成敗してくれる!」
無意識に発した小隊長の問いに、まるで答えるかのように先頭を走る大柄な騎士が馬上から
「うおぉぉぉ!」
戦場となった広場に誰のものかも分からない咆哮が響き渡る。
戦いの行方は既に決していた。軽装歩兵が碌な隊列も備えも無く受け止められるほど、騎士の突撃は甘くない。その上で、無防備な背面から突撃を受けたのだ、四都市連合の海兵達は満足な反撃をすることも出来ずに次々と押し潰され、跳ね飛ばされ、叩き斬られていったのだった。
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