Episode_09.10 埋め合わせ
「おいユーリー! あんまり遅くなるなよ、今晩はパーシャさん達が邸宅に来るんだぞ!」
当直兵の宿舎を飛び出そうとするユーリーの背中にヨシンの声が掛かる。喋っている内容の割に語気に切迫感はない。軽い夜遊びに出かける息子に釘を刺す母親のような、というと語弊があるかもしれないが、そんな調子のヨシンの言葉である。
「わかってるよ! 夜中までには戻るよ……」
当直兵の宿舎の戸口を抜けかかったところで、ユーリーはヨシンに返事をするとそのまま、邸宅を飛び出して行った。急いでいたのだろう、謁見の間へ赴く侯爵ガーランドとアルヴァンのお供をした時と同じ装備のままだった。
それでも、見習い騎士時代の分厚い鋳鉄製の胸甲よりも強度と軽さで秀でる哨戒騎士の甲冑は若いユーリーの動きを妨げるものではない。カチャカチャと小さく金属が擦れる音を鳴らしつつも、若い見習い騎士は邸宅の正門下の坂を駆け下っていくのだった。
(やっぱり、昨日の夜のことは謝らないと
坂を駆け下った後に他の爵家の邸宅や屋敷の間を駆け抜けるユーリーの思いはリリアに向けられている。
どんな強敵に対しても知恵と魔力を振り絞って立ち向かい、剣を握っても並みの騎士より余程に強い。そんなユーリーだが、中身は十八の青年である。普段は何処か大人しく、人によっては老成していると言う印象を与える彼だが、その足の運びは恋する若者のそれだった。
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薄曇りの空に浮かんだ秋の日差しが夕日に姿を変えるその間際、マルグス子爵の屋敷へ続く路地は、青味掛かった色が飛んで金色がかった色彩に染まっている。爵家の屋敷が立ち並ぶ第三城郭付近からは大分離れ、城から続く山の手地区よりも寧ろ商業地区や港に近いこの場所には夕方近くの時間に大通りを行き交う人々の喧騒が漏れ聞こえてくる。
そんな小さな通りで、ユーリーは自分の前を行く一頭の馬に跨った騎士を見つけた。その騎士は、早足で路地を進むユーリーの気配に気付いたのか、振り返るとユーリーを認めて声をかける。
「なんだ、ユーリーか……追い掛けてきたのか?」
「アーヴか……いや、違うよ。けど何で?」
「その……昨日折角
そう言う馬上のアルヴァンは少し照れたような様子になる。その様子に連帯感を感じたユーリーは、
「なんだ……僕も一緒だよ」
「そうか、折角だから夕食に誘ってみたいんだが、どこか良い場所知ってるか?」
「うーん、僕の知ってる所ってみんな『屋台』になっちゃうけど、それじゃぁアーヴは……」
如何に親友でも、
「ああ、いいじゃないか。スハブルグで待機していた時は港の屋台料理を良く食べたよ。そこにしよう」
と、屈託の無い返事だった。そんな会話を交わしつつ二人はマルグス子爵家の屋敷の門を潜る。以前はお世辞にも手入れが行き届いた風ではなく、まるで「借金取りから身を隠す」ごとく息を潜めるように活気が無かった屋敷は、人手が増えたせいか見違えるように生活感にあふれている。
ユーリーとアルヴァンが門を潜って最初に目にしたのは、洗濯物を取り込もうとしているポルタと、それを手伝う十歳前後の子供達だった。
「ごめんください」
「あら! ユーリーさんに……アルヴァン様まで」
「リリアはいますか? それとノヴァさんも」
「ええ、居ますよ。屋敷の中か……横の畑かも? ちょっと待ってくださいね」
挨拶を交わすユーリーとポルタ。ポルタは手伝いをしていた男の子に
「お姉ちゃん達を呼んできてちょうだい」
と言う。屋敷の中へ走っていくその男の子の後ろ姿を見送りながらユーリーの感慨は
(この屋敷、雰囲気変わったな)
と言うものだった。一方アルヴァンは、
(マルグス子爵という人は借金を作るだけの浪費家、ダメ子爵だと思っていたが……孤児を進んで受け入れたとか……案外気骨のある人物なのかもしれないな)
と、見直したような気持ちになるのであった。
そして、ほんの少し待ったところで、リリアとノヴァが屋敷から出て来た。二人は昨日と打って変わって普通の格好をしている。そんな二人は、突然の来客に少し驚いたようで、ノヴァがアルヴァンに声を掛けてきた。
「アルヴァン、どうしたの? 珍しいわね、こんな時間に」
「えっと、昨日の夜はすまなかった。折角来てくれたのに」
「あら、そんなことを気にしてたの? ユーリーも?」
「うん……り、リリア。そ、その……昨日の格好は素敵だったよ」
「え? あ、ありがとう」
以前のユーリーは女性に対して「可愛い」とか「美しい」とかを余り遠慮せずに言う性格だったが、それは相手を異性として意識していなかったせいであった。だから、今のユーリーにはリリアをそう言う風に評することにとても大きな「気恥ずかしさ」を感じてしまうのだ。
一方、胸が閊えるような悩みを感じていたリリアは、ユーリーが何故自分に逢いに来ているのか、その様子で理解していた。それは嬉しい事だったが一方で、
(なんだか、また負担になっちゃったのかな……いや、こんな風に考えたらダメよね)
と思うのだ。嬉しい反面で自分を責める、そしてそれではダメだと奮起する、リリアの心情は風に揺れる木の葉のように定まることが無い。しかし、そんなリリアの屈託に気が付くはずも無いアルヴァンは、明るい声で、
「よかったら、これから夕飯を食べに行こう!」
と誘いを掛けるのだった。
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結局ポルタから
「若いって羨ましいわね! 行ってらっしゃい、朝ご飯いる?」
と冷やかされたリリアとノヴァは夫々、
「姉さん……『朝ご飯いる?』ってどういう意味よ?」
「ポルタさんも充分若いわよ!」
と返しながら、マルグス子爵の屋敷を出発していた。四人は夕暮れ時に差し掛かった大通りへ出ると、そのまま商業地区を抜けて港湾地区に差し掛かる手前、市場と屋台が立ち並ぶ場所を訪れていた。
以前から何度も二人で来ているユーリーとリリアにとっては馴染みの場所だが、アルヴァンにも、森の国で育ったノヴァにも珍しい光景に映ったようだった。
「へー、凄い人出だな」
「大きい街だと思っていたけど、こんな人数何処から出て来たのかしら?」
と、聞く人が聞けば「田舎から出て来た若者」のような会話を繰り広げるアルヴァンとノヴァの二人である。一方で慣れた風なユーリーとリリアは、
「ちょっと、ここで場所取りしてて。適当に選んでくるから」
「ノヴァさんて、嫌いなものあったっけ?」
「大丈夫、なんでも食べるわよ」
ということで、食べ物を選びに席を立ったのだ。
「ねぇユーリー」
「どうしたの?」
「……今日はありがとうね」
そんな風にリリアが話しかけてきたのは、沢山の屋台の中の一つで炭火焼の魚や海老を提供している店の前だった。既に他の屋台でも何品か頼んでアルヴァンとノヴァの待つテーブルに届けるよう頼んだ後である。
「なんか、リリア……悩み事でもあるの?」
「え?」
不意にユーリーがリリアの心を見透かしたような質問をするので、彼女は答えに窮してしまう。
(言えるわけないじゃない!)
と思うリリアだ。まさか「騎士様と私のような者では、つり合いが取れないんじゃないかと悩んでます」とは、騎士を目指して頑張っていたユーリーに言えるはずも無いリリアであった。
「な、なんでそう思うの?」
「だって、あんまり喋らないし……でも、昨日の夜のことを怒ってる風でもないし」
「何言ってるのよユーリー。私、怒ってるんだからね。もうプンプンよ!」
「えぇ! そうだったの? ごめん!」
そんなやり取りで、胡麻化してしまうしか手のないリリアだった。
(いっそのこと、全部吐き出したら、きっとユーリーは「そんなこと無いよ」って言ってくれるんだろうけど……それを聞いたら私は楽になるのかな?)
ふとそんな事を思う。ユーリーが「どう感じるか」など考えず、ひたすら自分の悩みを決着させることだけを考えれば、そうするのが正解に思える。しかし――
「ねーリリア、機嫌直してよー」
と、黙り込んだ自分が怒っているせいだと思い一生懸命に謝っている目の前の青年を見ると、
(……やっぱり駄目だわ。ユーリーを厭な気持にさせたくない)
と感じてしまうのだった。
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