Episode_09.09 違和感


アーシラ歴494年10月16日


 十月も半ばを過ぎれば、朝は涼しさを通り越して肌寒く感じるほどになる。そんな冷たい空気の中、朝日が顔を出す時刻のマルグス子爵家では、リリアが日課となっている掃除をしているところだった。ポルタも既に起床しており、今は屋敷の厨房で朝食の準備をしているのだろう。使用人達とポルタの喋り声が、廊下を掃除しているリリアにも少し聞こえてくる。


 ここ半年ほどですっかりマルグス子爵家の屋敷では「あたりまえ」となった朝の光景である。リリアは先日芋を収穫したばかりの野菜畑と化した中庭へと続く勝手口付近の落ち葉を掃き掃除をしているが、丁寧にしているようで、実は右の落ち葉を左に動かし、それをまた右に動かすといった無駄な動作を無意識に繰り返していた。「心ここに在らず」といった様子で手元の箒を動かすリリアの内心は昨晩のウェスタ侯爵家邸宅での晩餐のことだった。


「はぁ……」


 無意識に溜息まで漏れるリリアの心情は、澄み切った朝の空気とは程遠いものなのだ。


「どうしたの? 昨日からずっと溜息ばっかりじゃない」


 そんなリリアの背中にノヴァの声が掛かる。ボーっとしていたリリアは不意に掛けられた言葉に驚きつつも返事を口に出し掛けるが、それよりもノヴァの言葉が早かった。


「ユーリーの事ね?」

「……はい……」


 リリアの元気の無い返事はノヴァの想像通りだった。昨日の晩餐で「声を掛けたくても掛けられない」風に、人だかりの中のユーリーを見ていたリリアの様子はノヴァには分かっていた。ノヴァも同じような状態だったから、尚更なのだ。


「昨日は私もリリアも、おめかし・・・・したのに結局お目当てからは声が掛からず、だったわね……」

「そんな……」

「お互い、人気者が恋人だと気苦労するわね」


 二歳年上のノヴァの「お姉さんぶった」口振りに、リリアの口元が少し緩む。昨晩強く感じた想いは、ずっと前からリリアの中で熾火のように燻っているものだ。ノヴァの冗談めかした慰めで簡単に忘れてしまえるものでは無かった。しかし、


(ノヴァさんに心配掛けちゃったのかな……)


 そう思うリリアは、彼女の親切に応じるためにも努めてその感情を胸の奥へ仕舞い込むのだった。


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 快晴となった午前の空の下、ポンペイオ王子率いる「山の王国使節団」は前日の深酒・・の影響を微塵も感じさせず、朝早くに第三城郭内にある山の王国大使ザッペーノ・ドガルダゴの館へ出発していた。これから数日間は、その館と第二城郭内にある貴賓館に宿泊することになるのだ。


 一方、昨晩周囲の人々に流されるままに会話を続けていたユーリーは「折角女の子らしい格好」をしたリリアと、結局一言も言葉を交わすことが出来なかった。深夜を過ぎるころに食堂を見渡した時には、リリアもノヴァもマルグス子爵の屋敷へ帰った後だった。


 後悔の念が|甚(はなは)だ大きいユーリーであったが「お役目」はそんな彼の気持ちなどお構いなしにやって来る。この日の午後に予定されている使節団のローデウス王への謁見に際しては、侯爵ガーランドとその孫アルヴァンも出席するように要請されていた。


 騎士へ昇格した後はアルヴァンの周辺警護の任に就くことが命じられているユーリーとヨシンは、人手不足のあおりを受けて、それに同行することになっているのだ。戦時下の王都リムルベートでは、第二騎士団を構成する各爵家の騎士達は大勢がノーバラプールの戦場に出向いている。そのため人手不足は各爵家も同じであった。


 そんな中、ウェスタ侯爵家では、非常措置として休暇中の五十人の正騎士と従卒兵、それに哨戒騎士団副団長パーシャ率いる五十名の哨戒騎士達が王都の邸宅に詰めることになっていた。彼等の到着は今日の夕方から夜になると言う事である。


 そう言う状態だから、午前の早くに若い騎士二人は第三城郭にほど近い商業区の「山の王国直営店」を訪れていた。一昨日に預けた鎧を受け取るためだ。


「昨晩出来たところだ」


 そう言ってカウンターの上に上半身の部分板金鎧と調整された肩当てを並べるのは店員のダーモである。


「そっちの大きい方……ヨシンだったか? 鎧はほぼ注文通りだ。肩当てと首当てを分厚く頑丈にするために上からもう一枚鉄板を追加した」


 その説明を聞きながらヨシンは手早く自分の鎧を身に着ける。両手を回して具合を確かめているが、満足そうな表情をしている。一方、


「そっちの欲張り兄ちゃんの方は……軽装でも板金鎧を着た騎士が弓も使いたいってのが、俺から言わせれば『欲張り』なんだが……結局そうするしかなかった」


 ダーモの言い訳めいた言葉を聞きながらユーリーは鎧を身に着ける。大きな変更は無かったが右肩の肩当ての形状が元々の状態よりも余裕があるように変形されている。その上その肩当てと首当てを結ぶベルトも少し長く調整されているのだ。結果として、弓を引く動作や、背中の矢筒から矢を取り出す動作をすると窮屈に感じられていた右肩周辺が動かし易くなっている。


「見習い騎士の装備よりも動かし易くなっていますよ、ダーモさんありがとう」

「ふん。動かし易いってことは、それだけ『緩く』なってるってことだ、その分防御は落ちるが我慢しろ。それと、背中に短弓ショートボウを引っ掛ける留め金を付けておいた」


 その言葉にユーリーは左手を自分の背中に回してみる。


「あ、これですね」

「そこなら、あまり邪魔にならないだろ。冬なんか外套を上から羽織る時も邪魔にならないはずだ」


 終始つっけんどん・・・・・・な口調ながら、ダーモの仕事は丁寧なものだ。出来上がりに満足したユーリーとヨシンの二人は、夫々調整された装備を着込むと急いで邸宅へ戻るのであった。


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 その日の午後、日が南の空のやや低い所を頂点として西へ少し傾いたころ、ポンペイオ王子率いる「山の王国使節団」五十人は王城の第一城郭内にある宮殿でローデウス王とルーカルト第二王子らと謁見していた。


 豪華な装飾の施された玉座には、体調不良を押して姿を現したローデウス王が座り、その左隣にルーカルト王子が寄り添うように立つ。居並ぶリムルベート王国側の面々は玉座の近い順に最近「ルーカルト親衛隊」と揶揄を籠めて呼ばれるようになった近衛騎士団、第一騎士団、衛兵隊の面々が固め、その次が宰相を始めとする高級官僚、そして各爵家の当主と騎士達という順に謁見の間を埋め尽くしている。


 通例の「使節団」受け入れでは、もっと小規模な面談が行われるのみだ。その場合は、リムルベート王国側で対応に当たるのは首席官僚の宰相達というのが通例となっている。しかし、今回の大規模な対応はポンペイオ王子の存在によるものであった。王族に対する儀礼というのは、国の大小に係わらず体面を整えて行われるものである。


 そんな中、比較的玉座に近い場所に陣取るウェスタ侯爵家一団に含まれるユーリーとヨシンは、物珍しそうにキョロキョロと視線を動かしている。王城の第一城郭、それも中心部に位置する王宮の更に中心の謁見の間、そんな場所に入るのは勿論初めての二人なのだ。


 田舎の開拓村出身の若者二人は五年の月日の後に、この晴れやかな場所に居合わせているのだ。通常ならば「感激もひとしお」というべきものだが、


(なぁユーリー、リリアちゃんに謝った方がいいぞ)

(え? なんで?)

(だって昨日、リリアちゃんに構ってないだろ?)

(う、うん)

(折角めかし込んで来てたのに……)

(……わかったよ)


 玉座で繰り広げられるローデウス王とポンペイオ王子の会話など「そっちのけ」でヒソヒソ話をする二人。珍しくユーリーはヨシンから忠告を受けていた。


(女心と秋の空って言うけどな、一旦臍を曲げると中々変わらないもんなんだぞ)


 と知った風な口を利くヨシンであるが、ユーリーは神妙な顔で親友の忠告に頷いている。そこへ――


(もう、うるさい。静かにしろよ)


 と言いたげ・・・・なアルヴァンが一度だけ振り返ると二人を少し睨む。


(ごめん)


 その様子に二人そろって軽く頭を下げるユーリーとヨシンであった。


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 そんなウェスタ侯爵家の若者達の様子はさて置き、謁見は問題無く進行していた。


「――貴国との友好は二百余年を数えて、今尚健在。我らの友好関係が他国の手本と成らんこと、これこそ我らが国王ドガルダゴ四世の願いであります」


 少し長い挨拶の口上は、敢えてノーバラプールの問題に言及していないものだ。「あくまで国内の内政問題」という立場を取るリムルベート王国に配慮した内容と言える。そして、それを言い終えたポンペイオ王子に対して、ルーカルト王子が返答する。謁見の間に居合わせる者達で、王子の人柄を知る者は軽い緊張を覚えるが、


「ポンペイオ王子、先ずは遠路遥々我らを訪ねて頂きありがとうございます。仰る通り貴国との関係は、戦乱の続く世にあって稀有なほど強固な友情で結ばれております。何れ中原地方の争いごとが静まれば、必ずや彼の国達は我らの友好を手本とすることでしょう」


 立派・・な返答であった。中身は渉外担当の役人が作った文章であるが、それをそのまま喋ったのである。玉座のローデウス王は問題の多かったルーカルト王子の「まとも」な対応に満足気に頷く。しかし、他の者達 ――各爵家の当主やお供の騎士達、それに山の王国の戦士達も―― は、意外そうな、驚いたような表情となっていた。



(随分と人が違ったように見えるな……まぁ、以前のアレ・・が酷過ぎたのだが……)

そんなポンペイオ王子の感想は、第一騎士団や衛兵隊を中心とした「ルーカルト親衛隊」と呼ばれる者達を除いた、ほぼ全ての人々の印象を代弁するものだった。


 一方で、玉座から遠い所に位置する各爵家の者達の間には少しざわついた空気が流れている。


(なぁ、どう考えてもオカシイと思わないか? まるで別人だぞ)


 とは、先ほどのユーリーとヨシンのヒソヒソ話を睨んで止めさせたアルヴァンの言葉である。流石に例の・・ルーカルト王子の変わり様に黙っていられなくなり、後ろを振り返るとユーリーとヨシンに同意を求める。


(うん……別人みたいだね)


 終始ヒソヒソ話だが、ユーリーは一段と声を落としてそれに答える。ヨシンも軽く頷いているようだ。聞き耳を立てれば彼方此方で同様のやり取りされているようだ。


(ふむ……確かに……おかしな・・・・顔つきをしておるな……)


 周囲で交わされる小声のやり取りはウェスタ侯爵ガーランドにも当然聞こえている。しかしそのことを差し引いても、やや離れた玉座の左に立つルーカルト王子の表情に何かいびつなもの、違和感を感じ取った侯爵ガーランドである。向き合うドワーフの王子に友好的な表情を向けているルーカルト王子だが、どこか操り人形のように意志の希薄さ醸し出しているように、老侯爵には見えるのだ。


(思い過ごしであればよいが)


 年老いた侯爵は、心に芽生えた厭な胸騒ぎを杞憂きゆうだと断じるのであった。


 一方で、玉座の周辺を固める「ルーカルト親衛隊」達は微動だにしないため、ざわついた空気はローデウス王の所までは伝わっていなかった。寧ろ暗愚と断じていたルーカルトのここ二か月ほどの目覚ましい変わり様に、


(これならば、ノーバラプール伯爵に据えても問題なかろう……)


 と自分の下した沙汰を見直すつもりになり掛けている。そんなローデウス王は、胸の閊えも腹のシコリが発する疼痛も忘れたような良い気分で、ポンペイオ王子に幾つか語り掛けては会話のやり取りをする。


 それに応じるポンペイオ王子は持参していた魔剣「疾風ゲールブリンガー」を披露していた。


「また、価値の計り知れぬ物をお造りになられたな……我らが王家の宝、魔剣『転換者コンバーター』とともに西方同盟を守護せんことを祈っておるぞ」

「それこそまさに、我ら『山の王国』の総意でございます」


 このようなやり取りを経て「使節団」の謁見は無事終了していた。これからポンペイオ王子達は宰相ら官僚達と、より実務的な話の場を持ち、夜にはリムルベート王家主催の晩餐に参加するという予定になっていた。


 この夜の晩餐は、ローデウス王の体調に配慮して極少人数で行われる事が事前に決まっており、ウェスタ侯爵家など王家の親戚筋では無い爵家の当主達は参加しない事になっていた。そのため、侯爵ガーランドを始めとするウェス侯爵家の面々は夕方前には邸宅に帰参していたのだった。


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