Episode_09.03 ノーバラプール包囲前線


アーシラ歴494年10月14日


 ノーバラプールは湿地がちな低地に広がる都市である。北側には開けた平地が広がっているが、インヴァル河に沿った形で広がる湿地帯が東から南へ回り込む格好で街を取り囲んでいる。リムルベートや、スハブルグ伯爵領と交通の行き来があった頃は北側の平地を通る街道を行く陸路か、リムルベートから直接ノーバラプールの港に乗り付ける海路が主な移動経路であった。


 古くから南のインバフィルを仮想敵国として備えていたノーバラプールなのだが、実際に攻めてみると、意外と北側の守りが硬いと思い知らされたリムルベート王国軍であった。特にバリウス伯爵の居城を最奥として北の平野に急造の砦を幾つも設けたノーバラプール「市民政府」側の防衛体制が有効に機能しており、北から正攻法で攻めるのは大きな被害を覚悟せざるを得ない状況であった。


 一方、街に対して東北から差し込むように流れ込む水路の上流であるトルン砦を奪還したリムルベート王国軍側には、北からの正攻法以外にも攻略のルートが残されていた。それだけトルン砦の機能は重要だったわけだが、どういう訳か「市民政府」側は一旦攻め落とした砦に増援部隊を送らずに、これをみすみす奪還されていたのだ。


「第一騎士団の重装騎士部隊の進撃経路には北の平地が必要だが……北からの一本槍では敵の抵抗が強い……」

「それならば、東側から揺さぶりを掛けてみましょう」


 そんなガーディス王子とブラハリーのやり取りで「ノーバラプール奪還作戦」の骨子が決まったのだった。


 先ず、ブラハリーが指揮する第二騎士団でノーバラプールの東側に位置する干拓事業用の水門を奪還する。その上でトルン砦の水門を操作し、インヴァル河の水を全て南の本流へ流す。このことでノーバラプールの城を取り囲む水掘りの役目を果たす水路が干上がり、同時に東の水門を押えた事により「いつでも街を水浸しにできる」という重圧を相手に与える事ができるのだ。


「恐らく敵は『東の水門』を奪還せざるを得なくなります……東へ兵力を割いた時、北から攻め入れば被害は最小に留まるでしょう」

「うむ……さらに例の冒険者達が上手く立ち回ってくれれば……」

「はい、アント商会を通じて『四都市同盟』からの物資に偽装した大量の武器が市民に行き渡り武装蜂起が起こればノーバラプールの『市民政府』は内側から崩壊することになるでしょう」


 そんな会話をするガーディス王子とブラハリーであった。勿論、市民に大量の武器を供給するという事は、彼等が「義勇軍」として「市民政府」側に立って参戦するという危険を伴うものなのだが、その可能性は低いと見込んだ作戦であった。


 これは、ユーリー達が潜入して見聞きしてきたノーバラプールの生の情報に基づく決定だった。ユーリー達の持ち帰った報告や、リリアやポルタの話す生活ぶりは、ガーディス王子やブラハリーの予想を大きく上回るほど酷く困窮した街の人々の状況を伝えるものだったのだ。


****************************************


 そして、この日の早朝、小雨が降りしきる中「ノーバラプール奪還作戦」の戦端が開かれた。


 前日の深夜にトルン砦を出発した第二騎士団の陣容は先発の攻撃部隊が騎士三百に従卒兵千八百、後続の水門防衛部隊が騎士二百に従卒兵千二百というものだ。第二騎士団の兵力は全てで騎士六百と従卒兵三千六百で、その内二割弱が王都防衛のためにリムルベートに居残っている。つまり今回の攻撃作戦は、出陣した第二騎士団の全兵力を充てた総力戦であった。


 勿論全体指揮を執るのは第二騎士団長のブラハリーだが、実働部隊の前線指揮はウェスタ侯爵領正騎士団の筆頭騎士であるデイルに任されることになっていた。


(まったく、こんな大軍どうすれば……)


 と、大役の重責におののいたデイルであるが、今は覚悟を決めている。


「それほど深刻に考える事では無い。作戦など事前の打ち合わせと準備で殆ど終わっているものだ。現場の前線指揮は伝令を密にやり取りして『押し、引き』の判断だけすれば良いのだ。むしろ、何か変わった事をやろうとすると大概失敗するものだ」


 というのは義父のガルス中将らしい意見であった。王都を出発する前の会話の内容でもある。一緒に話をしていた妻ハンザは、


「一度決めたら、ころころ変えちゃ駄目よ。兵も騎士も指揮官の強い決断を期待しているものよ……大丈夫、デイルなら出来るわ」


 とのことである。今や母親となったハンザだが、以前は「哨戒騎士部隊」の隊長であった。素早い状況判断と的確な指示には定評のあった人物である。そんな二人に送り出されたデイルは、流石に戦場にまで泣き言を持ち込むことはなかった。


 そして今、デイルの指揮する騎士三百と従卒兵千八百の攻撃部隊は、夜明け前の闇に乗じて「東の水門」を東側から取り囲むように包囲している。リムルベート王国の軍制では騎士百に従卒兵六百で一つの大隊となる。都合三つの大隊は水門の南に位置するウーブル侯爵領の騎士達を中心とした第一大隊、北に位置するロージアン侯爵領の騎士達を中心とした第二大隊、それにデイルがいるウェスタ侯爵領の騎士達を中心とした第三大隊に分かれている。


「第一大隊、配置に着きました」


 と最初の伝令兵が駆けつけてくる。そして、


「第二大隊、配置に着きました」


 と次の伝令が来たところで、インヴァル山脈の尾根から朝日が差し込んで来た。金色掛かった光線は、湿地の灌木や繁みに潜むデイル達の頭上を通り越して「東の水門」を照らし出す。


 二十年ほど昔に造られた干拓用の水門は、広大な湿地へ万遍なく流れ込む不明瞭な水の流れを集めるため周囲よりも低く土地を掘り、一方でこの場所で水を堰き止められるように水門の向こう側は盛り土をしたように高くなっている。高さで言えば三メートルほどの落差がある急な坂の西側 ――つまり水門の奥側―― が敵の陣地になっているのだ。


 事前の情報では傭兵部隊七百弱が守備に就いているということだが、もともと軍事拠点としては作られていない「東の水門」にそれだけの兵を収容する場所はない。周囲の斜面に木の柵を張り巡らせた防御陣地が水門と監視塔の構造物を中心に広がっているだけだ。


 そんな敵陣を見るデイルは、まだ朝食の支度をするための煙も上がっていない敵の様子に満足すると静かに号令を掛ける。


「第一大隊から攻撃始め、第二大隊は予定通り北側から敵の背後に回るように動くこと」


 その号令を受けて伝令兵が駆けていく。作戦の大まかな部分は既に決められていた。「東の水門」に駐留する敵部隊を南と北西から挟み撃ちにし、敵部隊がそれらに対して応戦する防衛線を構築したところで東から第三大隊が突入する手筈である。


 また、湿地であるが故に騎乗になれない第一第二大隊の騎士達は従卒兵から分離して斬り込み隊となる手筈だ。重装備故に湿地での行動に制約を受ける彼等がいかに素早く敵陣に取り付くか? という点が勝負の行方を左右しそうだ。


 デイルが作戦全体の流れを頭の中で一通りなぞり終えた時、敵陣地がにわかに騒がしくなる。そして殆ど間を置かずに先ず南側の第一大隊が弓と弩による攻撃を開始した。


「敵襲ぅ! 南だぁー」

「周辺の警戒を厳にしろ!」

「早く矢を持ってこい! 撃ち返すんだよ!」

「北からも来たぞ! 二手に分かれろ!」


 そんな混乱気味の怒号が雨音に混じってデイルの元にも聞こえてくる。その音を聞くデイルの周囲に控えた同じウェスタ侯爵家の騎士達はデイルの顔を伺うが、それに軽く首を振って返事とするデイルである。


(……まだだ……もう少し)


 内心では他の騎士達と同様に戦場に駆け付けたいデイルだが今しばらくの我慢をする。そうする内に敵陣からの音に武器を打ち合わせる音が混じり始める。そして第一第二両大隊からほぼ同時に伝令兵が到着すると口々に


「騎士隊、敵陣の防壁へ取り付きました」


 と報告をするのである。


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