Episode_08.27 反発心


 緩い流れの行く小型の手漕ぎ舟の上で、春の日差しを受けるユーリーは和やかな雰囲気とは程遠い気持ちだった。櫂を握るヨシンも、隣に座るリリアも一様に同じ気持ちだろう。今の三人は冒険者風に見えるように、装備の上から灰色の麻地の外套を纏っている。


 そんな三人はノーバラプールの中央を東西に流れる太い運河から分岐した細めの水路を進んでいる。ノーバラプールの街、海に近く、また湿地にも近い地形から分かるように土地が低い。そのため街中にこのような細い水路が張り巡らされており、三人が乗るような小型の手漕ぎ舟は重要な交通手段となっているのだ。


 十万人以上が住み暮らしている大きな街にしては、河から見える街の通りに人気が少ないと感じるのはユーリーである。フッとその手甲ガントレットの上にリリアの手が乗るのを感じると、ユーリーは愛する少女の方を見て微笑んで見せる。


「大丈夫さ、リリア。ジェロさん達も上手くやってくれる……」

「うん……そうね」


 ユーリーの笑みに釣られるように少し表情柔らかくしたリリアであるが、やはり心配そうな面持ちは隠せない。


(大丈夫、絶対助けてみせる)


 そう心に決めているユーリーは、もう片方の手をリリアの手の甲に重ねる。分厚い鹿革越しでは、リリアの肌の感触を感じられなかった。その事を残念に思いながら、ユーリーはこれまでの経緯を思い出すのだ。


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 水門棟から地下通路と地下水路を経て天然の洞窟である抜け道を進んだ一行は、その日の昼頃に抜け道の出口へ到着していた。その道中でリリアの浮かない表情に気が付いたユーリーが問い質すと、リリアと何故か冒険者ジェロが一緒になって事情を説明してくれた。冒険者達四人は騙されて雇われた状態だったが、リリアは真相をある程度分かった上でノーバラプールに協力した格好で有る事が分かった。


「ごめんなさい……」


 と謝るリリアであるが、彼女の事情も切迫していた。捕虜を奪い返す話に加担したのは、孤児院の子供達とその院長である女性を人質に取られての、止むを得ずの選択だった。それを聞いたブラハリーは困ったように、同行するもう一人に貴族風の男(ガーディス王子)を問いかけるように見る。


「ブラハリー殿、我が国の法では罪を犯した者の事情に酌量することは王の権限として認められていたな?」


「ガ……如何にも、罪を犯した者の事情は、その者に落ち度が無い場合は情状を酌量されます」


 塔から救出され、階段を下りる間の短い時間に「ガーディス王子の身分は伏せられております、無礼が有りましたらご容赦を」という説明を受けた二人は、この王子を「何処かの貴族」のように扱う言葉遣いをする。一方ユーリー達は、貴族の名前や顔に詳しい訳では無いので、その事を訝しむことは無かった。


「確か、十年程前に何処かの子爵がめかけに毒を盛られて暗殺される事件があったが、その時の妾は幼い連れ子を人質に取られ、止むを得ず黒幕の言葉に従い毒を盛った。そして、その毒婦は……」

「ああ、スレン子爵の事件ですな。あれは、実行犯の女は死罪を二等減じて十年の投獄になった後……」

「幼い子供の養育を理由に、一年の労働役に変更され、更にローデウス王によって恩赦、放免されています」

「まぁ、子爵ともあろうものが妾に毒殺されるようでは、貴族の恥さらしではないか……時に我々も、こうやって捕虜になり更に理由はともあれ、このような若い娘・・・・・・・・に助けられたとあっては……」


 既に口元が笑っているガーディス王子である。対するブラハリーも、勿論王子が言わんとすることが良く分かる。


「それは、ウェスタ侯爵家としても恥ずかしい話ですな……いっそ無かった事にしてしまいたいものです」

「では、我々の救出にはこのリリアという娘は係わっておらん。と言うことで良いな?」

「勿論」

「リリアとやら、そう言う事だ。気にすることは無い……しかし、人質となった孤児院の人々はどうするか……」


 ガーディス王子はとても回りくどい・・・・・言葉でリリアを赦すが、その動機となった孤児院の子供達や院長については、現時点でどうすることも出来ない。


 一方でそのやりとりを聞いていたユーリーは、リリアが罪に問われないことに安堵を覚える。しかし同時に、その回りくどさと、口元を緩めながら言葉を発する貴族の男に反発を感じていた。


(貴族にしてみれば、一般平民や親の無い孤児の心配など笑い話の喩え・・・・・・程度の事なのだろうけど……)


 それは、困惑気味の安堵と不安そうな表情を入り混じらせるリリアの顔を見たユーリーの素直な気持ちだった。だからユーリーは、意を決して発言するのだ。


「ブラハリー様、この抜け穴を出た後は私の乗って来た馬をお使い下さい。そして……私は休暇を頂きたく……」

「休暇? どう言う事だ! ノーバラプールの偵察でもするつもりか?」


 そんなユーリーの言葉に訊き返すのはデイルである。勿論ノーバラプールの偵察などはデイルの思い付きである。ユーリーとリリアの関係を知っているデイルの助け舟なのだ。そして、ユーリーは有り難いデイルの助け舟に乗る。


「はい。ここからノーバラプールまでは目と鼻の先、街の様子。特に略奪があったという街の人々の様子を見ておきたいと思います」


「ほお、ブラハリー殿は意欲的な家臣をお持ちだな。ユーリーとか言うこの者はちょっと若く見えるが……騎士なのか?」


「いえ、見習い騎士です」


 身分を隠したガーディス王子の問いに答えるユーリーである。ブラハリーに対するよりも幾分素っ気ない様子になるのは仕方が無いことだった。そして、その返事を受けたガーディス王子は、ブラハリーに


「良いではないか、このような者が未だ見習いでいられる・・・・・・・・とは、ウェスタ家の騎士団は層が厚いのだな……そうだ、偵察ついでにこのリリアという娘の手助けをしてやればよい。どうせ、居なかったことにしなければならないのだ、褒美替わりに丁度良いではないか」


(言われるまでも無い……)


 貴族に扮したガーディス王子の言葉は、ユーリーが思った通りの反応だったが、それに対して彼の反応は冷めていた。貴族一人の命と孤児一人の命、価値に違いは無いだろう。いや、リリアが心配する分だけ、ユーリーにとっては孤児の命の方が価値がある。そう考えるのが、ユーリーの気持ちだった。


 その後、慌てて名乗りを上げたヨシンと共に、ユーリーはリリアの問題 ――「旅鳥の宿り木園」の人質問題―― を解決するためにノーバラプールに潜伏することになったのだ。因みにジェロを始めとする冒険者「飛竜の尻尾団」は、ブラハリーから褒美を約束された後、リリアの手助けをすると言ってユーリー達とノーバラプールに舞い戻っているが、今は別行動で情報収集をしている。


****************************************


 今、ユーリー達が目指すのは運河の南側の雑多な街並みの中に埋もれるように存在する酒場であった。「フジツボ亭」という名前の酒場は「飛竜の尻尾団」と昔から馴染みがある酒場ということで、彼等との合流地点として使っている場所だった。


 そんな酒場に入るユーリー達は、他に見慣れない集団が居る事に警戒しつつもカウンター前の「いつもの席」に座る。


「なにか食べるか? といっても出来る物は少ないがな!」


 投げ付けるように訊いてくる酒場の主は、剃り上げた頭をランプの明かりにテラテラと光らせた大男だ。随分背が伸びて、今や邸宅の正騎士達に混じっても目を惹くほど大柄なヨシンと同じくらいの体格の持ち主である。最近は物資、特に食料品が乏しくなり食事や酒を出す店は臨時閉店になっているところも多い。そんな中、この「フジツボ亭」は港湾ギルドに伝手が有るようで、食材等は未だ確保できている。今のノーバラプールでは|マシな方《・・・・)であった。


 店主の言葉に普段通りの「麦粥」や「パンとスープ」を頼む三人は、酒場の隅に陣取る十数名の傭兵風の男達をそれとなくチラチラと見る。中年の引き締まった印象を与える傭兵を中心として彼等は静かに酒を飲んでいる。たまに冗談を言い合うが大きな笑い声を上げることもない。よく聞くと、


「ガンスさんはいい人でした」

「ちょっと女好が過ぎる所があったけど、頼りになる兄貴でした」


 などと湿っぽい声が聞こえてくるのだ。


(女の人が一人いるな……)


 そう勘付いたユーリーは、自然とその女性に視線が行く。他の傭兵が喋るなか、その女は一人で黙って木杯で何かを飲んでいる。そして――


「おい! そこの男、何をチラチラと見ているんだ?」


 突然、その女性が杯から顔を上げるとユーリーに向かって鋭い声を掛けてきた。


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