Episode_08.17 傭兵部隊 「暁旅団」


 トルン砦は二百年前に造られたトルン水門を城壁で囲んだ構造をしている。城壁に設置された格子状の取水門から砦内部に引き込まれたインヴァル河の水流は、二つの水門の開閉具合によって、ノーバラプールに向かう運河と南の湿地帯を抜けてリムル海に注ぎ込むインヴァル河本流に分けられているのだ。


 水門の構造物である頑丈な引き出し門は左右に横行する形で水流を調整するが完全に閉じることは出来ない構造になっている。水門自体は水路の横に深く切り込んだ溝に収容されており、それ自体が水に浮いている状態である。そして河底に深く掘り込まれた溝にそって川幅を狭める形で横行するのだ。そのため、進み過ぎると水位が下がり浮力が落ちて重くなる。また、河底の溝も完全に水門を閉じ切るまで掘り込まれていない。


 通常、ノーバラプールの運河へ向かう側は全開から二割程度の閉じ加減で水流を調整し、南のインヴァル河へ戻る水門は半分開いた状態で固定されている。それら二門の水門を動作させるのは、水流を利用した巻き上げ機で、分流地点の南西側に位置する石造りの建物の中に纏めて収容されている。


 インヴァル河を通じてノーバラプールの港へ抜ける河川交易が盛んだった頃は、この砦の北に造られた船溜まりには常に多数の運搬船が通過順番を待って停泊していたものだが、今は殆ど使われることが無い。その為水門の上流と下流にある格子門も最近は開けられる事が殆ど無くなっている。


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 そんなトルン砦に陣取っているは、中原地方では少数精鋭で名の通った「暁旅団」という傭兵団だ。四都市連合に雇用されカルアニス島にしばらく滞在した後、海路でノーバラプールに上陸し街を横切る恰好で北進してトルン砦を急襲攻略したのであった。


 急襲の手際は鮮やかで、少ない犠牲を出しただけであっさりとリムルベート王国側の拠点を一つ占拠していた。四都市連合との傭兵契約はこれで終了だったが、砦急襲の翌日には反撃に転じたリムルベート王国の軍勢から最重要人物の二人を含む複数の捕虜を得る事に成功していた。


 一連の暁旅団の快進撃は全て「黒衣の導師」と呼ばれる協力者の手引きによるものだが、その「黒衣の導師」は今この砦には居ない。そして黒衣の導師が去った後、暁旅団の内部にはちょっとした・・・・・・問題が持ち上がっていた。


「俺の言う事を聞け! 老い耄れは引っ込んでいろ! ブルガルト! ここから出せぇ!」


 砦中心部に建つ居館、水門の巻き上げ機が収容された水門棟とはインヴァル河を挟んで対岸に建つこの建造物は頑丈な石造りの二階建ての建物で、北側に物見塔を擁している。そんな居館の二階の一室から男の叫び声が聞こえてくる。時折上擦って金切り声のように成りながら、声を枯らして同じことを繰り返し叫ぶその声にはどこか「狂気じみた」響きが宿っている。


 叫ぶ男が閉じ込められている部屋の前の廊下では、ぐったりと力なく倒れた傭兵が二人と、その二人を運び去る別の傭兵達がいた。みな一様に顔を蒼褪めさせているのは、部屋に閉じ込めていた男が暴れて逃げ出そうとしたからだ。その際の揉み合いで二人の傭兵はあっという間に首をへし折られて殺されてしまったのだ。


「ブルガルト、ガンスをどうするの? もう……手の施しようが無いわ」

「ダリア……そんなこと言うなよ。俺の身代わりになってくれたんだ、出来ることなら回復して欲しい……」


 仲間の死体を片付ける傭兵達を見ながら会話をするのは、この砦を制圧した傭兵団の指揮官ブルガルトと、副官のダリアという女性だ。ブルガルトは四十代半ばの中年男性だが引き締まった体躯にぴったりとした板金鎧プレートメイルを身に着け、腰には装飾の美しい片手剣を下げている。一方ダリアは二十代前半だろうか、胸の部分を強調した金属製の胸甲の他は小さい金属の板を重ねた小札鎧スケールメイルという恰好である。こちらもブルガルトの物と似た装飾の片手剣を腰に下げている。


 傭兵と言っても「食い詰め」同様の者達が多い昨今、この暁旅団は他とは一線を画す存在である。中原地方でも名の売れた傭兵団の彼等は多くの依頼の中から「気に入った物」を選ぶことが出来る立場である。当然金回りも良く装備品も充実している。


 そんな傭兵団は、ブルガルトが二十代半ばの頃に結成したもので堅実な運営をもってここまで大きく、有名になったのだ。勿論、暁旅団をここまで有名にしたのは首領のブルガルトの才覚もさることながら、扉の向こうに閉じ込められているガンスという斬り込み隊長の功績も大きかった。少数精鋭を旨とする暁旅団にはもう一人の斬り込み隊長が居るが、ガンスは最古参のメンバーの一人である。それだけに、ブルガルトとしては今のガンスの状態に心が痛むのだ。何といっても、ガンスが今の状態になったのは「自分のため」であるから尚更だった。


「騙されたと思って、アンナ・・・の言う通りにガンスを首領という事に・・・・・してみたが……これが『洗脳』というものか……」

「アンナさんも相当怪しい感じの人だけど、今となっては感謝しないといけないわね」


 二人が話すアンナとは、一団が四都市連合の召集を受けカルアニス島に出発する前に出会った女魔術師である。


――近い内に『洗脳』という魔術を得意とする人物が貴方達に接触するわ……その魔術師と直接面談するのは危険よ。首領さんは『替え玉』を準備した方が良いかもしれないわね――


 突拍子の無い事を言う彼女だが、既に暁旅団に何回も「実入りの良い」仕事を依頼しているお得意様だった。裏切りや報酬の不払いが横行する傭兵稼業に於いて、魔術師アンナは常に約定通りに報酬を支払い、仕事の首尾が上々の時は追加報酬まで出す気前の良い客だった。だからブルガルトは信じてみる気になり、古参のガンスを首領ということにしたのだった。


(あの時はガンスも喜んでいたな……)


 ブルガルトの脳裏には新しく首領を拝命した時のガンスの嬉しそうな顔が思い浮かぶ。単純な彼は、引退すると言うブルガルトの言葉を鵜呑みにして暁旅団を率いてカルアニス島へ出発したのだった。


「ちょっとブルガルト? あんまりガンスに同情しない方が良いわよ……」

「分かっている」


 副官のダリアは美しい女性だが、少し言葉が厳しい。十三歳の頃からもう十年、荒くれ者の多い傭兵稼業をするブルガルトが手元に置いていた娘同然の女性である。ブルガルト自身は、時に「冷酷に成り切れない」自分を反省することが有るが、副官ダリアはそんな彼の甘い決断を良く補佐してくれるのだった。その彼女の指摘にブルガルトは瞑目しつつガンスが首領として振る舞っていた頃を思い出す。つい先日までの事である。


 ガンスに率いられた「暁旅団」はカルアニス島に渡るとそこで約一か月待機となった。副官のダリアがそれとなく目を光らせている内に案の定「四都市連合」の参謀という魔術師が面談に訪れた。


「あの魔術師が、アンナさんの言っていた『洗脳を操る』魔術師ね。間違いないわ」


 後から合流したブルガルトにそう報告したダリアであった。ブルガルトが合流した時のガンスは、普段の陽気で豪放な性格が鳴りを潜め大人しく自室に籠る事が増えていた。自分を見ればいつでも、


「兄貴、一緒に飲もうぜ!」


 と、しつこく誘うのが常だったガンスの変貌した様子に困惑したブルガルトだったが困惑の極め付けはトルン砦攻略での出来事だった。


 凡そ作戦というものには縁遠い猪武者のガンスが、戦場に忽然と現れた「黒衣の導師」の指示をきっちりと守り、同じ傭兵団の仲間である魔術師バロルに「水攻め」と「空攻め」を指示したのだ。


 最初の「水攻め」は失敗したが、ガンスらしからぬ辛抱強さで「空攻め」へ切り替えさせると、精鋭である切り込み部隊に「浮遊」の術を掛けさせ夜陰に乗じて要塞に攻め込み見事陥落させたのだった。


 更に、その翌日午前に砦の奪還を試みるリムルベート王国の軍勢に対し寡兵ながら迂回部隊を派遣し、見事に敵将のガーディス王子と有力貴族のブラハリーを捕虜としていたのだった。迂回部隊を率いたダリアは、ガンスが語る時刻通りに濃霧・・のせいで本隊から逸れた獲物が現れたことに動揺しつつも彼等を捕虜としたのだった。


「あんな事は有り得ない……あの『黒衣の導師』は危険過ぎる」


 作戦から戻って来たダリアは真っ先に父親代わりのブルガルトにそう告げたのだった。その報告を聞いたブルガルトも強い警戒を感じた。


(まるで、俺達は棋盤の上の駒みたいだ……)


 そんな彼の印象をより強くしたのは、捕虜を得たガンスの言動だった。


「今すぐ捕虜をノーバラプールに送るんだ! これは命令だ!」


 そう喚き立てるのだ。暁旅団の参謀である魔術師バロルは「それは契約上必要無い」と指摘したが、可哀想に、怒ったガンスに張り倒されていた。ダリアは上手く言い訳を付けてその場を乗り切りブルガルトに相談した。


「そんな『美味しい獲物』を契約外で無償提供する必要は無いな……戦利品条項はどうなっている?」

「戦利品条項には『作戦完了までに鹵獲ろかくした敵の資産は明け渡すこと』としか書かれていないわ」


 傭兵達、特に暁旅団は契約事を重んじる。傭兵契約に書いて有る事はキッチリと実行するし、書かれていないことは一切手を付けない。稀に手を付けるとしても「契約外行為」として雇い主に清算を求めるのが常だ。そのことはガンスも承知していたはずだが、自分達の流儀と違うことをやろうとするのだ。そこで


「仕方ない、俺が諌めてくる」


 とブルガルトが立ち上がり、ガンスに指摘する。その内容は、捕虜は契約外だから自由に交渉するべき。交渉相手は一番困っているリムルベート王国とする。その上で、捕虜であるガーディス王子には「ノーバラプールの独立を承認する」と一筆書かせてそれをノーバラプールに売り付ける。というものだった。


 非常にブルガルトらしい・・・金のとり方である。しかし、今までは何度もこのブルガルトの方針に文句も無く従ってきたガンスは何故か反発し、あろうことかブルガルトを殺害しようと挑み掛かってきた。


「あれは驚いたな」


 そう語るブルカルトは、難なく猪武者のガンスを大人しく・・・・させて今に至るのだ。


「それで、ブルガルト。ガンスをどうするの?」

「どうするも、こうするも。閉じ込めておくしかないだろう。明日の夜には身代金が入る。その上、ガーディス王子は物分り良く『統治委任書』に署名してくれたんだ。これで金貨二万近くに、ノーバラプールからも同じだけ貰うことが出来る。金貨四万もあれば、俺達全員が傭兵なんて辞めて遊んで暮らせるさ」

「それで自分はガンスを治す方法を探る訳ね?」

「……ああ、そうだよ」


 それがどうした? と言わんばかりのブルガルトの返事にダリアは濃い茶色の髪を額から後頭部にかけて掻き上げる仕草をする。そんな彼女が次の言葉を発する前に、暁旅団のもう一人の切り込み隊長であるドッジが駆け寄ってくる。


「斥候からの報告だ! リムルベートの連中に動きが有るみたいだ!」


 少し慌てた彼の報告だが、ブルガルトもダリアも平然とそれを聞いている。そしてブルガルトが言うには、


「大方、ただ単に身代金を払ったのならば次世代の王の名誉に傷がつくと思っての見せかけだけの攻城戦だ。それっぽい・・・・・馬車もあっただろう?」

「たしかに……斥候の話では夕方過ぎに荷の重そうな荷馬車が敵の野営地に到着したらしい」


 そのドッジの報告にブルガルトとダリアがニヤリを笑い合う。そしてダリアが言う


「何処の貴族も王族も考えることは一緒よ。明日の朝にでも口上を述べる使者が来る。そして人質を奪還するために総攻撃をすると言うはずよ。でも、明日の攻城戦は上辺を取り繕う方便。日が暮れてから金貨を満載した馬車がやって来るわ。そして私達はノーバラプールに向かうの」


 どう? わかった? と言わんばかりのダリアの言葉に、彼女よりも年上のはずのドッジはウンウンと頷く。最近ダリアのお気に入りのドッジである。そんな二人の様子に苦笑いしつつブルガルトは念のために他の傭兵達に号令を掛ける。


「万が一にも力尽くで捕虜奪還を試みるかもしれん。城壁の各班には『努めて警戒を厳とせよ』と伝達するのだ! 更に脱出用の船艇はいつでも出せるように、インヴァル河とノーバラプールの両方に出しておくように。退路を確保するのは戦の常道だ……いいな?」


 本来の首領であるブルガルトの号令に傭兵達は頷きつつも持ち場へ戻る。一方分厚い扉の向こう側に閉じ込められたガンスは相変わらず擦り切れた呻き声を上げているが、今や誰も彼に注意を向ける者は居なかった。


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 ブルガルトの指摘は正鵠を得ていたが、殆どの傭兵達はダリアの言葉を鵜呑みにしていた。戦争が日常化した中原地方の文化風習では、捕虜に取られる事も身代金を払い解放される事も、それほど大きな「恥」ではない。そんな常識に毒されていたのかもしれないが「暁旅団」にしてみれば西方辺境の騎士達が「それほど真摯に」王の名誉や主家の名誉を守ろうと動くとは思えなかったのだ。


 トルン砦を巡る攻守双方の認識の齟齬そごがどのような結末を迎えるか? それは、明日と言う日を迎えなければ誰にも分からないことなのである。ただ、砦の上を照らす針のように細い月だけが訳知り顔で西の空へ姿を消していくのだった。



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