Episode_08.06 木馬


 結局、不貞腐れたように立って居るガルスを無理矢理席に座らせて、牡蠣の汁物シチューを椀に取りその前へ置く。そして少しは酒を飲むであろうガルスに酒肴となるものを見繕うため台所に立つ老女と娘である。夫であるデイルこそ居ないものの、一家団欒の形になった小さな家は、この夜このまま穏やかな時間を……迎えられなかった。


 突然玄関先が騒がしくなる気配に、ガルス、ハンザ、ノヴァが警戒したようになる。咄嗟にガルスとノヴァは夫々の剣に手を掛けるが生憎ハンザは手元に愛剣を置いていない。そんな室内の緊張を割るようにして緊迫した声が外から掛かる。


「御免下さい! ガルス様はこちらにおられますかっ?」


 気配の正体は曲者の類ではなく、ウェスタ侯爵家の邸宅に詰めている兵だった。しかし、切羽詰まった声色は平時には有り得ない緊張感を伴っている。


「居るぞ! 入ってこい!」


 というガルスの返事を受けて、邸宅の警備兵が転がり込むように室内に入ってくる。そして――


「大変でございます! ノーバラプールのバリウス伯爵の居城が落ちました。さらにトルン水門の砦もノーバラプール側に落とされ、救援に向かったブラハリー様が行方不明との事です!」

「なっ! なんだと!」

「至急邸宅へお戻りください!」

「わ、わかった」


 危急を報せる兵士の言葉に応じつつも、ガルスはチラとハンザを見る。そこには真っ青な顔色となったハンザが冷静な表情で宙を見つめている姿があった。


 当主のブラハリーが行方不明ならば、それに付き従う筆頭騎士のデイルも同様か最悪の場合は「戦死」と言う事になる。そんな事を直ぐに察してしまう自分が恨めしいハンザであるが、彼女の意志とは関係なく思考が哨戒騎士時代に戻るのに時間は要しなかった。


 血の気の引いた顔色で、周りの心配そうな視線に目もくれない様子で奥の寝室に入ると直ぐに剣と盾を持って戻ってくる。


「は、ハンザ……何を?」

「何をではありません、デイルを助けに行く!」

「ば、馬鹿なことは!」

「デイルを助けるんです!!」


 冷静に見えたのは表面だけだった。来月には赤子が生まれるという身体で、寝間着のようにゆったりとした服装のまま剣と盾を掴みそう叫ぶハンザは決して冷静では無かった。慌てて押し止めようとするノヴァとガルスは、たちまちハンザと揉み合いになる。そんな中で、途中から言葉にならない呻き声とも叫び声とも取れない声を上げて、引き留めようとするノヴァとガルスの手を振り払おうとするハンザは異様な興奮状態にあった。


 つい二年前まで一線で活躍する騎士だったハンザは、その細い手足の何処にそんな力が有ったのかとガルスを驚かせるほどの力でもがく。


「落ち着かないか! お前一人で、そんな身体で何ができる!」

「ハンザさん、落ち着いて下さい!」


 そう言うものの言葉が届いていない風なハンザの様子に、止むを得ず気絶してもらうしか無いかと考えるガルスだが少しの躊躇いがある。身重の身体に加減を間違えば、どんな結果になるか想像もつかない。


パンッ!


 ガルスがそんな事を考える一瞬に、騒然とする室内に乾いた音が響く。そして、


「お嬢様! 狼狽えてはなりません。旦那様、デイル様にはデイル様の役割が有るように、貴女にも貴女にしかできない役割があるのです。今騒いでお腹の子に障りが有れば何としますか? それでデイル様が喜びますか? 辛抱して待つしかないのですよ! ……女には」


 錯乱するハンザを平手で打ち、泣き声のような声で毅然と言うのは老女であった。ハンザは打たれた頬を手で押さえつつ呆けたようにその場に崩れ落ちる。そして室内はハンザと老婆の嗚咽だけが静かに響くのだった。


 ノヴァはうずくまるハンザの背を撫でながら、ガルスを見上げて言う。


「ハンザさんは、私が付いて見ています。ガルスさんは早く邸宅へお戻りください」

「あ、ああ……ノヴァ殿、ハンザを頼む」


 そう言うと、ガルスは玄関付近で立ち尽くしていた兵を伴い足早に家を出ていくのである。その後ろ姿を見送るノヴァの視界の端には、乗るべき主を待つように木馬が揺れているのであった。


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 湿っぽい石組の壁はジメジメした湿気を受けてビッシリと苔が張り付き、見るからに不愉快な質感を放つ。床下からは、何かが回転するようなゴーという音と共に河を流れる水流の音が響いてくる。そんな床から壁への立ち上がりには雨水とも汚水ともつかない水がしみ出て水溜りを作り、その水溜りに浮かび上がるのは格子の嵌められた小さな窓に切り取られた夜空に浮かぶ月だった。


 換気の悪い部屋は殺風景を通り越して、悪意を感じる程に「何も無い」風である。唯一与えられたのは人数分の固い板張りの寝台である。その寝台に腰掛ける騎士デイルは痛む左肩を庇うように身じろぎすると室内を見回す。


(……どうしてこんな事に……)


 見渡す室内には自分以外に近衛騎士が三名居るが、みな項垂うなだれたようにベッドに腰掛けるか、寝そべっている。そんな室内のデイルを含めた騎士達は鎧こそ着けたままだが武器の類は厳重に調べられて取り上げられているのだ。


 ただ、何が起こるか分からない一刻先に気を揉み続けられるほど人間は強くない。拘束されて既に二日目の夜を迎えるデイルは、自分の危機感が麻痺し始める感覚に小さな戦慄を覚えるのだった。


 そんな麻痺し掛ける感覚を振るい立たせるようにデイルはこれまでの出来事を反芻する。


(俺は、ブラハリー様の護衛でガーディス王子の供回り達と戦場を進んでいた……)


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 デイルの脳裏にはその時の風景が浮かび上がる。晴れた春の日差しを受けた午前の行軍は、ノーバラプールのバリウス伯爵の危急と、何よりも目指すトルン砦の陥落を受けて緊迫した物だった。


 トルン水門自体はリムルベート建国当時のドワーフ達による作品である。その後その水門を取り囲むように城壁を追加され砦となった建造物はノーバラプールとインヴァル河下流への水の配分を左右する重要な拠点で有ったが、昨今の平和な空気を受けて建設以来百年以上は軍事的価値を発揮できないでいた。


(だから、「市民政府」などに奪われたのだ)


 数百人規模の兵を常駐させていたトルン砦が陥落したという報せは、バリウス伯爵居城陥落の報せと共に、いち早く演習中だった軍勢に届いた。ガーディス王子は決して軽挙な人物ではないが、自身が近くにいる状態での異変に「一旦王都に帰って態勢を整える」という選択肢は選ばなかった。その時既に数にして騎士六百と従卒兵三千余の兵力が演習として展開していたので尚更である。


「トルンを奪還せよ!」


 その号令は全軍に通達されると、演習はそのまま実戦へと姿を変じていた。トルン砦は堅牢な砦であるが、増築で造り上げた外壁はリムルベートの手によるものである。構造を熟知している上、砦の敵兵は五百数十。対してリムルベート側はその六倍以上の兵力を有しているのである。


「市民政府とやらの小賢しい抵抗も踏み潰してくれよう!」


 とは勇ましい近衛騎士の言であったが、その騎士は既にこの世に居ない。砦攻略に攻めかかる軍勢を鼓舞すべく、少し後方を進むガーディス王子一行は突然の「濃霧」に遭遇すると進むべき方向を失っていた。そして――


「貴公らを包囲した! 大人しく投降せよ!」


 突然の声は女の物であった。妻ハンザよりも幾分低く掠れたその声は、濃霧にはぐれたガーディス王子一行を包囲する多数の兵の気配と共に濃厚な殺気を伴っていた。


(あのように包囲されては……)


 結局、勇ましい言葉を放っていた騎士を含む近衛騎士隊が包囲を突破せんと突撃を敢行したが、果たせず弓矢によって討ち取られた。そして、ガーディス王子の


「わかった、投降しよう……」


 という声で全てが決したのであった。


 今のデイルは硬いベッドに腰掛けて水溜りの作る窓の外の夜空と月を見ている。雰囲気として、自分が閉じ込められた場所が地面の下で有る事は、格子の取り付けられた窓の端から雑草が伸びていることで感じ取られる。


(ブラハリー様はもっと良い待遇で居るであろうな……)


 妻ハンザの事を考えると胸が押し潰されそうになるデイルは、努めて主ブラハリーの事だけを考えるようにするのだった。


****************************************


 その夜同じ月の下、供の騎士数名を引き連れ、王城の中心部「王宮」へ向かい夜の道を急いでいるウェスタ侯爵公子アルヴァンの姿があった。


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